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2011年3月 6日 (日)

啓蟄(けいちつ)明日は春の雨 段々暖かくなる

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今日は薄曇りのはっきりしない天気。今にも泣き出しそうな天気は親父の心模様。夕方には天気予報より早いしぐれとなる。それでも傘を差すのか差さないのかは微妙な雨。夕方は近くの山に散歩の予定も取り止める。

山登りの時はこのお店の近くでサンドイッチを買う。今日は商品も残り少なく山にも登らなかったので一個にする。帰りはスーパーで夕食の買い物をする。日曜日の1人の買い物にも慣れたが、あの絶望的な始めての買い物は過去の遺物になっている。

今夜のお買い物。久し振りにイチゴを買う。寒い間欠かさなかったミカンもシーズンが終わる。もう少しすると梨の美味い季節になるが、それまで果物は余り口にしなくなる。

日本の果物はうまくてシーズンオフを余り感じさせないが、それは冷凍倉庫と保冷の技術である事を多くの人は余り知らない。八百屋、果物の商売はこれから難しくなる。それでも生き残る商売人は新鮮で美味い物を安く提供出来る商人だろう。

これからは高齢者が多くなり買い物すら出来無くなる人も少なく無い。今迄は便利で多くの物が揃っていた大型スーパーが、意外に足腰がしっかりしていないと役に立たなくなる。広い店内、ゆったりしている買い物スペースが役に立たない。

そうなると毎日の買い物はしなくなる。その対応をどうするのだろうか?今は眼に見えない買い物難民が増えた時、買い物の仕方も変わるのだろう。今は殆ど見る事もない牛乳の宅配がヤクルトの配達が姿を変えて甦るのも遠い先の話ではない。

街中コンビニ、宅配サービス、インターネットのお買い物も盛んになると思うが、これからのお買い物は家で出来る形に変わる事は間違いない。農山漁村の過疎地には宅配サービスの車がご用聞きに走り回るのだろう?

都会で限られた情報の中で生きていると、何も知らなくても困らないがそれも足腰がしっかりしている間の話し。何時迄も若くはないし何時迄も1人では生きては行けない。その日の為に自分に出来る事は、健康管理だけでは無くてどう生きて行けるかの地域の繋がりだろう。

仙人の様な生き方を求めたとしても霞(かすみ)だけを食って生きて行く訳には行かない。そう考えて見ると究極の生き方は自給自足なのだろうか?この世界の片隅にそんな生き方が出来る安住の住処は難しい。何時迄も元気を保つのは容易ではありません。

明日から又、新たな日々が始まる。新しい挑戦。新しい喜怒哀楽。嬉しい事も怒りの心も心の奥底にしまい込みながら、前を向いて歩いて行く事は容易な事ではありません。哀しい事は忘れられなくても楽しい事は一時です。

それでもあの日から多くの歳月が流れて、多くの事がありました。これからも色んな事があるでしょう。しかし、間違いなく言える事は後戻りは出来ない。唯、ひたすらに自分の信じる道を歩んで行くしか無いのです。

堀内孝雄が歌う様に「泣きたい時は泣け」。どうせ泣きながら生まれて来た人生。生きている時は永遠に可能性への挑戦です。どれだけの事が出来たのと聞かれた時、右手の親指と人差し指を軽く合わせながら、ウインクすればそれで充分です。

面白くないテレビ放送のスイッチを切りラジオを聞いていると、懐かしい「ケンタッキーの我が家」のアカペラが聞こえて来る。もう一曲はスコットランド民謡 この国では卒業式で卒業生が涙ながらに歌っていた歌。今は「仰げば尊し」と言われる先生がどれだけ居るのだろう? 卒業式の日も近い。遠い遠い昔昔の虹の橋です。

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