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2011年3月16日 (水)

災害時の情報管理 情報の伝え方 解説者のコメントは要らない

今回の大地震の被害は言葉を押しつぶして行く。
一瞬にして失われた人命は日を追って増えて行く。
それだけでなく震災の被害を免れ避難している多くの人達に、充分な救済の手を差し伸べられない現実を私達は忘れてはならない。このような未曾有の災害に見舞われた時、国と地方の助けがどれだけ希薄であるか、私達は忘れてはならない。
そしてこの程度の支援しか出来ない責任者に私達は期待をしてはならない。

尊い人の命をどれだけ大切にしていると言った処で、この厳しい現実は改善されない。今、必要な救援物資を求めている人達に、どれだけの事が出来るのか出来ないのか?その事を見据えなければならない。一刻が争われている時にこの国のテレビも新聞も不安をあおるだけの事しか出来ない。どうしても少し安心出来る情報を提供出来ないのだろう。大変だ、大変だと言う前に自分達に出来る事、出来ない事を人の所為にして尤もらしい解説をするのだけは止めさせなければならない。

多くの大臣、国会議員、あれだけ勇ましく政治と金の問題を追及していたあの勢いで現地に飛べ。評論家、解説議員は要らない。この国難の時、何が出来たかで存在意義が問われる。被災地の悲鳴が聞こえる。一瞬にして尊い命を失われた人の思いを全身に背負え。解説、講釈師は要らない。

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