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2011年3月14日 (月)

阪神淡路大震災の教訓が生かされていない 政府と行政の統治能力

人は皆、日々の生活にあくせくしているが「何の為に生きているのか」と問われた時に言葉を失っている。神も仏にもすがる術も無くあっと思う間もなく、命を失った人に唯々感じる事は「無情」です。本当にこの世の無情。その天災と言うべき被害に為す術が無いと思う事は、刻々伝えられる現地の状況です。

市町村単位の機能が失われた時に素早く機能しなければならない県、国のレベルの対応がこれほどに混乱するのは何故なのだろう。県の全ての力、国の役人の力を結集してもこの程度の事しか出来ないのだろうか?

今回の地震、津波の被害はこの国の全てを投入しなければ、一日も早い回復は望めない。被害が拡大するにつれてその救援対策が、各地方自治体の意思に任されているのは総務省としての機能も失われている。何故、東京の役所で指示を出すのだろう。片山総務大臣は何をしているのだろう?東京電力の対応もお粗末としか言いようが無い。人の不安をあおるだけでなく需要予測はコントロールすべきだろう。

計画停電 それをやるのなら企業も役所も学校も政府がコントロールしなければ、混乱するばかりだろう。朝の通勤時の混雑はその判断を私鉄に任せたからだろう。ラッシュ時の混乱は二次災害となる事を忘れてはならない。

原発の事故は安全神話の崩壊です。原子力発電の怖さをこれほどにこの国で思い知らされるとは、どれだけの人が感じていただろう。万一の時、発電を停止し高温の原子炉を冷却出来なければこのような結果になる事を、知らなかったのだろうか?

そうではない。このような想定外の出来事に対処出来る術を持ち合わせず、原子力発電の安全性のみを強調していたと言われても弁解の余地はない。今は一時も早く災害の進行を止め、安全の確保をしなければ原子力発電の信頼は無くなる。

暫くは大変なときが続く。それでも大切な人と財産を失った多くの被災地の皆さんの思いを考えれば、それは残された者の当然の責務だろう。遠く離れて何の被災もせずにこんな事は言えないが、阪神大震災の後、長い間神戸の町に足を踏み入れられなかった親父の思いです。  

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