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2011年2月 9日 (水)

えずく 嘔吐 へど 汚い言葉だけれど忘れられていた 

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昨年の秋公開した円山公園の画像。ピントが良く合って立体画像になっている。
この画像を公開したのは昨夜の後遺症が未だ続いているから。人間万事塞翁が馬。中国の格言。この頃、歳の割に元気だったので思い知らされたのだろう。

いくら美味い食べ物と言っても食い過ぎはイカン。
昨夜は流石にミカン3個だけで、8時前に暖かい布団に潜り込む。「桂 枝雀」さんのCGを聞きながらすぐ寝てしまう。起きたのは深夜。ヘッドホーンを外して寝直す。

枝雀さんの落語は本当に面白かった。言葉の喋り、言葉の落ち、言葉の綾?だけでなく話し方、ボデーアクションが文句なかった。その話芸は人気が出る前から研ぎ澄まされていた。昭和48年うつ病発症。平成11年心不全のため逝去。合掌です。

親父の体は爆睡のお陰?で復活です。それでもむかつき、嘔吐(おうと、えずく)は無くなりましたが、下痢はまだ続いている。ラッパのマーク「正露丸」も流石に手を焼いている。医者で下痢止め、整腸剤の処方をしてもらわないとイカンかも。

人間の体、心は薬を飲めば何とかなるのではなく、薬は体の不調を止めるだけ。
大事な事は自分の体を知る事。へどを吐くとか嘔吐をえずくとも言う事が忘れ去られて久しい。それだけ健康に恵まれていたのだろう。

一昨日の嘔吐(おうと、えずき)がどれだけひどかったのは、両脇腹の痛みで再確認する。人は誰しも己の体に絶対的な強さを求めるが、そうではない事を久し振りに思い知る。汚いとか綺麗とか言ってみた処で生きる事は、綺麗事では行かない。

己の命を絶つ事は並大抵な苦しみではなかったと考えた時、枝雀さんの心の病が今の世にも絶える事はない。大切な事は今この時でも苦しみの中で生きようとする気持ちだろう。人気絶頂の時、心の病の中で追いつめられて逝った昭和の名人は、この混迷の時を生きる大阪人をどう観ているのだろうか?

「すビバせんね」親子酒のネタで語られるこの言葉は枝雀さんの現代人へのメッセージだろう。多くの人の笑いを誘う言葉の中に多くの想いがあったのだろう。師匠や多くの人から爆発的な人気を揶揄(やゆ)されても、芸人としての道を求めた生き方をこの言葉の中に感じ取る。すみません。謙虚な生き方をしないとあきませんえ。

大好きなラデツキー行進曲を聴きながらしんみりした心に喝を入れている。毎年、年の初めに音楽の都ウィ−ンで行われるニューイヤ−コンサートでこの演奏を聞ける迄は健康で頑張りなはれ。枝雀さん、おたの申します。



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