世界名曲アルバム 「美しく青きドナウ」を聞く
長い間心の中で自問自答とを繰り返し溜め息をついていた日々が、歳月の重なりと共に忘却の彼方へと過ぎ去っている。
苦しかった事、哀しかった事のの繰り返しの中で生きる糧を求めながら彷徨った(さまよった)日々を「ラデツキー行進曲」が叩き壊して行く。
多くの事が多くの人の日常の中で深く絡み合いながら、複雑な人間模様を繰り広げる時、この歳でやっと分かった事は「求めよ。さらば与えられん。」
棚からぼた餅ではなく(受け身)ではなく、自らが汗をかきながら恥をかきながら行動して何かを手にする。(行動的)。その何かが自らの行動指針。自らの道標。みちしるべ。それ位の単純な事さえわから無かったのかと枝雀さんにも笑われている。
しかし、その枝雀さんも長い長い自問自答の中で病魔に冒されて行く。人は何物も恐れぬね力強さと繊細な弱い心を併せ持つ。その時忘れてはならないのは「己を打ち消す謙虚な気持ち」若い時、面倒な事を助けてくれた上司はその事を「馬鹿になる」の言葉で教えて呉れた。
職人気質の親父さん。工場長、技師長の肩書きは微塵(みじん)も感じさせない単純明快な言葉で諭してくれた。今となってその言葉の意味を感じても全ては後の祭りかもしれないが、残された人生と今の生き方に悩む人に大きな言葉になるに違いない。
今時の若者はもっと深刻な問題に直面している?そうかも知れない。それ故に枝雀さんは自分にのしかかる大きな壁に潰されたのかもしれない。その事を思えば本当に哀しいが、嘆くも一生、笑うも一生。その選択は自らの生き方で決まる。
嘆くも良し。悲しむも良し。しかし、歓喜の声を上げる喜びの時は意外に近い。それが見えないからこそ嘆きのセレナーゼは大きいのかもしれない。春の足音はすぐそこ迄忍び寄っている。それに気が付くには愛のささやきも必要かもしれない。
ワルツ「金と銀」を聞いて見なはれ。ファンファレの音が高らかにその事を伝えてベートウベンの田園交響曲「第一章」春に繋がる。
今年の春は久し振りにそんな春に成るやもしれない。春にはそんな感動の時がある事を本当に感じられるのだろうか?ベートウベンが片目をつぶってウインクしている。
たたけよさらば与えられんと続くこの言葉は「聖書」の言葉ですが、今日の混迷の時噛みしめてみるのも無駄な事では無いでしょう。
ask and it shall be given you what(何を)それが生きる証かもしれません。
先日の確定申告還付金がなくて追徴(納付)金が在った訳は単純明快。確定申告の会場で税務職員が説明出来なかったのは、前年度対比が出来なかっただけ。そのような説明はする必要も無いと税務署が考えているだけだろう。大した金額ではないとでも思っているのだろう。取れる所からはむしり取り、取れない所は?
今、国の財政が破綻して国債(国の借金)が歳入の倍と成っても、こんな税金の取り方しか出来ないのだろう。国の税収の在り方を変えると総理が豪語しても、国民の支持を受けられないのは、国の歴史の中で公平な税の在り方を模索した事が無いからだろう。税金は貧乏人から取るな?馬鹿野郎。税金は国民全てに課せられた義務です。
もうすぐ行われる地方選挙でも税の在り方が問われる。税金を公平に取り立てる行政機関は今の組織では無理がある。予算を割り振りどう税金を使うかから、どう大切なお金を国民、企業、団体から集められるか?」その事が問われている。
親父の税負担が増えたのは収入が年間で1割増えたにもかかわらず、税金の支払いが足りなかっただけ。それくらいの事が説明出来ない役所に今日も多くの零細企業、個人企業者、個人が押し掛けて税務職員は対応に追われている。今年の経験、生かして来年は賢い対応をする。税金払ってきます。
| 固定リンク
コメント