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2011年2月25日 (金)

春 別れの哀しみが喜びに変わる時、レンコの鯛がしっぽを見せる

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巧いでしょう。でも親父の作ではない。カレンダーを1枚めくった3月と4月の作品です。しかし、長い間の流浪の旅が終わるのだろうか?淡い期待と不安。年甲斐も無くこのアカレンコ(タイ科)の様な顔をしている。(そっくり)笑われそう。

良いんです。大好きな人に告白するホワイトデーは近いし、これから暖かくなれば気持ちもデカクなるし、運命的出会いの時はこの親父にも最後の雄叫びを上げさせるのかも?その前にお腹を凹ませて下さい。パンパンですよ。

大丈夫。羞恥心、かなぐり捨てれば。『何もしないで取り澄ましている人間より、何かをしてそして恥をかく人間の方が、どれだけマシだか分からない。人は人に笑われながら成長する。』守屋語録。先生、元気だろうか?親父は何も変わっていない。

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ニュージーランドの震災のニュースを見ていると胸が痛くなる。天災と言うには余りに無情。言葉も無い。一瞬の事故。一瞬の暗転。その非情に人事の様な言葉は口には出来ない。当事者と肉親の心痛を推し量る言葉が無い。ひと事では無い事を多くの人は知らない。明日は我が身と思えば人の生き方も変わるに違いない。

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山茶花の花は満開の時を過ぎて花びらを散らしているけれど、志半ばで若き命を異国の地で昇天させた思いは無念の他に、言葉があるのだろうか?非情と言うには余りに金儲け優先のビジネスではなかったか?その問い掛けも今となっては空しい。

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満開の時を過ぎて尚、花びらが落ちていない。しっかりと根元を掴んで話さない。

まだまだつぼみも後に続いている。3月一杯は開花の時が続く。

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