お仕事ご苦労様 頂いたコーヒーでクラッシックを聞いています
久し振りに早起きをして出掛けるつもりでしたが、デカイテレビで舘野さんの「左手の為のピアノ協奏曲」ラベェル作曲を聞いています。人の運命は神のみぞ知る。イイエ、神の存在さえも超越して、自己実現の欲望の為には人の道を踏み外して、罰当たりな生き方をしている。
そんな人にピアニストとして右手が使えなくなっても左手だけでもピアノがある事を教えている。その生き様を見ると出掛ける気力さえも無くなっていた。テレビを見る時間は本当に少なくなっても何も変わらず、何も誤摩化し様の無い音楽は、単純な生き方しか出来ない親父にも、魂の揺さぶりを感じさせている。
コンサートが終わり冷めたコーヒーを口にしながらぼんやりしていると、部屋の外で話し声が聞こえる。最近、喫茶店でも床屋でも電車やバスの中でも、色んな人が色んな言葉で他愛もない言葉をデカイ言葉で口にする。ちらりと横目を投げつけても気にしない。親父もきっとそうだろうがそれ以上も少なく無い。
今日は日曜日。こうしてぼんやりしている時でもしっかりと働いている人もいる。明日からは又少し寒くなりますが体に気をつけて、夢に向かってゆっくりと歩いて行きましょう。親父達年寄りはなんだかんだ言った所で先は見えている。
これからは長い低迷の時を越え、スイスの絶景で身動きが出来なかったあの感動の時が始まる。苦しい胸の鼓動を押さえながら身の丈に在った生き方が求められる。景気も仕事のやり方さえも本当はフリーハンドである現実を突きつけられた時、たじろぐ事は無いのだろうか?
人の生き方、考え方を口にする前に、自分はどう生きるのか?その事が問われている。「そんな事は言われる迄もない」。イヤイヤ、なかなかどうして、そんな当たり前の事を意外に多くの人が見失ってオバカを重ねている。
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