« 春 別れの哀しみが喜びに変わる時、レンコの鯛がしっぽを見せる | トップページ | 今夜の夕食 お肉奮発したけれどジョアに負ける アチャー »

2011年2月26日 (土)

快晴 無風 寒の戻りも足踏み 弥生3月も目前

コートが無ければ少し寒い感じがするけれど、コートが重く感じるこの頃です。
今日は今年最初の眼科検診。充血やうっとうしさも無いけれど、そんな時でも眼圧、視力、眼底検査、その他のチェックを受ける。

結膜炎との付き合いが長くて生活環境と無理がたたると眼にそのシグナルが出る。それが眼の充血。最近は血圧も高くて眼底出血の危険を指摘される。「困るんですよ。定期的に検診を受けても血圧のコントロールが出来ていないと。」担当医から昨年の始めに言われた言葉は忘れていない。

血圧のコントロールも出来なくて、デカイ口を叩いていた頃が恥ずかしくなる。今は血圧と血糖値を薬でコントロールしているが、この薬も死ぬ迄続けなければならないだろう。それが嫌だったが本当にイヤなら、食事療法だろう。

食事の仕方、食事の量、内容で体質は大きく変わる。その事を固い決意で実行出来れば半年で人の体質は変わる。医者と薬に頼るのも大事だがそれは一時的でなければ、医療の本質は変わらない。現代人の多くがその事を勘違いしている。

検診の結果は異常なし。但し、右目の視力の衰えを左目がカバーしているので、視力を検査すると右目も左目も文字とマークがダブって見える。とは言ってもこの歳で視力は1.0と0,8. 何時もなら1,2と1,0。ノープロブレムです。

ダブって見える視力を改善するには右目の視力を落とさない事。年を重ねるとその影響が眼に来る事を忘れるな。視力を良くするには野山で遠くの景色を見る事。眼を休ませる事。それが肝要です。

食事で魚の眼の廻りを食う事も大事です。(ご存知かな?ご存知でもマグロの兜焼きは中々食えない。)アジの開きでも充分です。田舎の新鮮な魚が懐かしい。スーパーではなかなか魚屋さんの魚は手に入らない。新鮮な魚の栄養価の高さが見直されている。

眼医者の帰り床屋に行く。先客2名。仕方が無いので手持ちの本を読みながら待つ。髪を切っている客と店の息子の声がデカイ。自分の声は気にならなくても人の話は神経を逆撫でする。その感覚が無い。この時の切り札はipod.気分が高揚する行進曲を聴いていると、うっとうしさも少しは和らぐ。それでも煩い。アホ。

床屋の帰りに弁当を買い午前中の予定終了。午後のコーヒー粉を先日hiroの天子に貰ったので今日は競馬中継を見ながら、近くのパン屋さんで買ったパンと共に頂きます。コーヒーを飲んでいると優しい人の顔が浮かんで来るかな。(親父も若いね)

これから近くのインスタントラーメン館の近くをデジカメで写して来ます。

Img_5684

満開の様で満開ではない紅梅。梅の様で匂いが無い。梅の香りがほんのり匂うのは今は昔の話?匂いは全くない。前にも書いたが紀州田辺南光の梅林に行かないと香しい梅の香は嗅げないのかも知れない。

梅も桜も意外に仄かに(ほのかに)感じる香りは山が近くないと無理なのかも知れない。人もそうですよね。加齢臭は親父は大丈夫ですか?電車の中で何とも言えない良い香りの人はそれだけで座布団何枚?10枚です。

Img_5683

空は青くまだ満開の時ではない。今日はウグイスも居ないし静かな早春の時です。

Img_5680

青空は春の訪れを告げている。しかし、侮るな。暫くは暖かさと寒の戻りが前後しながら一気に春が来る。今年の春は久々に弾ける予感。これ迄の鬱憤を(うっぷんを)一気に晴らす乾坤一擲の時が来る。

この言葉も長い間お呼びではなかったが、若い人達は言葉の意味すら知らないし、字も読めないだろう。(けんこんいってき)。乾坤とは天地、一擲とは一発勝負。天地を切り裂いて体勢逆転。現実はそんなに甘くはないけれど、天高く伸びている銀杏の大木がそう語りかけている。春の予感。本来はそうでなければアカン。

|

« 春 別れの哀しみが喜びに変わる時、レンコの鯛がしっぽを見せる | トップページ | 今夜の夕食 お肉奮発したけれどジョアに負ける アチャー »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 快晴 無風 寒の戻りも足踏み 弥生3月も目前:

« 春 別れの哀しみが喜びに変わる時、レンコの鯛がしっぽを見せる | トップページ | 今夜の夕食 お肉奮発したけれどジョアに負ける アチャー »