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2011年2月

2011年2月28日 (月)

春の雨 季節が変わる この国が動く?

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久し振りのまとまった雨。雪がみぞれ変わる頃、北国の厳しい冬も春の兆しを感じるのでしょうか。大阪は先日迄、1月先の陽気でしたがこれで又、平年並みの季節に戻るのでしょう。久し振りに重さを感じる様になったコートを脱ぎ捨て、身も心も春の陽気に浸れるのはすぐ其処と、近くの排水路の水も教えて呉れています。

そんな春になればと思う気持ちは長い間、踏みつぶされていましたが今年は何故か、そんな予感がします。本当に長い間自分の心の中に蓋をして来た春は「麦踏み」の様に屈折の時でした。麦踏み?ご存知かな?麦の真っすぐ伸びた若葉を足で踏みつぶす。今は大麦の栽培が激減し手間ひまの掛かるそんな農作業はお目にかかれない。折角伸びた麦の芽を軽く踏むのは、当然丈夫な麦の茎(くき)を育てる為です。

今は人の育て方も様々で麦の様に新芽を踏みつぶす様な指導者は少ない。本当の戦力に慣れるかどうか分からない新人も、褒める(ほめる)事が大事とか。新人だけでなくベテランでも叱る事は禁句?そんな事は無いだろう。「人は人に笑われながら成長する。」「何もしないで取り澄ましている人間より、何かをしてそして恥をかく人間の方がどれだけましだか分からない。」守屋語録も麦踏み同様過去の遺産か。

今は景気の先行きが見えないと言われながらも実態は、緩やかな回復基調にあると言われている。親父達低所得者にはそうは感じられないが、経済の先行き見通しに明るさが見えるのは、政府と日銀の金融緩和(難しい言葉)政策に他ならない。簡単に言えば0金利政策。(まだ分からない?)お金を貯めるより運用させる。

しかし、この政策、お金を運用出来る人以外は関係ない。運用どころか貯金も無ければ本当に哀れです。今、国の財政も破綻寸前にあると言われても殆どの人が実感しないのは、関係ないと勝手に思い込んでいるだけでこのままの無策が続けば間違いなく国も企業も国民の生活も財政破綻でしょう。

お金がないから関係ない?そうは行きません。お金が在っても大変だからお金がなければ乞食になるしかありません。貧しい生活?豊かな生活が何時迄も続く保証は何も無い。言わんや貧乏な生活も。現政権の支持率が22%。中近東、ヨーロッパの混乱は間違いなく続く。アメリカ、中国、新興国の経済成長も微妙になっている。

それでもその深刻さが全く感じられないのは、マスコミの影響?。
そうでも無いかも知れない。政治、経済、国際問題、直接自分達の生活に関係ない事は関心が無くて当然かも知れない。それではイカンのだけれどそれで良しと思えば現状も理解出来る。心が空しいとか哀しいとか泣き言を言わないで、前を向いて歩いて行けば必ず道は開けるかも知れない。そんな春の歓喜の歌が聞こえて来る。

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最寄りの駅に行く途中の花壇の花も久々の雨で活気を取り戻している。
花より団子ではなく花に自分の生き方を投影する余裕の無い生き方をしていると、心の中に季節感が無くなる。喜怒哀楽の多い生き方をして来たけれど、これからは花を愛でる余裕も出て来るのだろう。
久々の雨は心の中にそんな潤いをもたらしている。

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少し画像が暗いのは大盛りのご飯に明るさを合わせたからだろう。お休みの時、家に居る時はこのお弁当。美味そうでしょう。何時もはご飯がこれより少ない。今日は大盛。温かいご飯が美味い。おかずも総菜屋さんの気配りが感じさせられる。これで普通は500円。今日はご飯大盛りで570円。安くはないが親父の活力源です。

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雨は今は止んでいるが弁当買いの時は降っていたので、傘を差しながら歩いて出掛ける。7〜8分の所。天気が良ければ自転車だけれど傘を差しながら歩くのも悪くはない。肩を寄せ合い歩く相会い傘の時は記憶の片隅にも無いが、春の雨は心が和む。

朝、モーニングコーヒーに出かけた時も雨だったが、あの時は近くの人見知りをする幼い女の子がママと一緒に笑って呉れた。上の兄貴はもうすぐピカピカの1年生。この間迄赤ちゃんだった女の子も、親父の顔が分かる様になって来た。

この子供達が生きる社会はどんな世界だろう。最近の社会がそうである様に、否それ以上に薄情な日常が当たり前になっているのだろうか?そうであるにしても年老いた親父達の生き方は国や行政に頼らない垰やか(たおやか)肉体と精神が求められている。

(たおやかとは本来、女性の褒め言葉。しなやか、上品、そんな意味があるけれど余程親しい人で無いと誤解される。)親父の大好きな言葉ですが毒舌の親父が口にすると嫌みにも聞こえる。昔、しなやかに歌ってとコマーシャルソングが流れていた。今、そんな歌い方をする人は居るのだろうか?居ますよ。必ず。そうかな?

先週末、仕事始めのラジオ体操の時、諦めかけていた保育園児の娘が、パパの自転車の後座席で顔を見せる。暫く見ぬ間に大きくなっていた。昨年の10月以来だから4ヶ月振り?ラジオ体操の音楽とそれに合わせた体操が大好きだったミーちゃんは寒い間はママの車で通園していた。これから暖かくなると又、合えるのかな?

雨も上がり暫くの間、春の訪れは足踏みをしても暦は弥生3月。心躍らせて一段上の喜びの時を迎えなければならない。この国の有り様は桜花の時とは皮肉に一足早い桜吹雪となったとしても、自業自得、人の世の習い、奢れる者は久しからずだろう。

宴(うたげ)の後とは余りに短い政権交代。宴の時も味わっていない多くの支持者に対して、公約すら守れないのだとしたら、間違いなく今年の春に行われる地方選挙で惨敗となる。その認識すらなくて何をどうすると言えるのだろう?

それでも一番の不幸は政治家先生でも公務員、お役人でもない。間違いなく最大の不幸はそのとばっちりを受ける多くの国民だろう。マスコミが尤もらしく世論、世論と口にする人々だろう。その事がこれから間違いなく現実の問題となる。

なんでこんな事になったのだろう?今日的課題を問いかけた時必ずぶち当たる問題は、静かに考えて見ると誰にでも思い当たる事があるだろう。くだらない出来事、会話、雑談の中にその欠片を(かけらを)見出す事が出来る。そしてその事に多くの人が気付いている。それでもその問題が改善しないのは、自らの怠慢でしかない。

何も人のことを言う事は無い。問題に気が付けばゴチャゴチャ言わないで、自らが変わる。仮に変われなくても少しだけでもその気になれば良い。そうすれば少しずつ自分の生き方が変わる。どんなに固い絆も一時の移ろいも思いが全てを叩き壊す事を、思い知るのはこれからかも知れないが。ビクトル、ユゴーのレ、ミゼラブル是非読んで下さい。全巻(1〜5)は大変だけれど親父は結構飛ばして読んでいる。

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今夜の食材は缶詰。久し振りにお気に入りのさばのみそ煮を買う。198円。イワシは155円。これは別の日に美味しいキャベツと和える。缶詰?と侮るなかれ。缶詰のみそ味はこれだけで下手な味付けは顔負けです。野菜の缶詰は398円。これが本日の一番に贅沢です。後ろに少し見えるサツマイモはこれから両手フライパンで焼き芋です。その前に六種の果実頂きますか? 食い過ぎ?

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久し振りの焼き芋 少し早めに取り出したので少し固い。もう少し蒸らしていたら柔らかくなる。それでも美味い。1人でニンマリとしながら冷めたコーヒーを口にすると咽せる。(むせる)お腹には良いけれど完全に食い過ぎです。眼を瞑り(つぶり)ますから明日からのお仕事頑張って下さい。ありがとうございます。

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2011年2月27日 (日)

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阪急今津線 始発の宝塚をでた電車が武庫川を渡る。何故だろう?堰の右側が解放されて堰を越える水の流れが無い。左上の川床は何時もは見られない。春の海ならぬ春の川?。車窓の外の景色に見とれる人はおやじ位の風来坊しかいない。

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快晴の空は1月先の陽気だが明日からは暫くはっきりしない天気が続く。
今は固い桜のつぼみも本当に一月もすれば青い空を、薄いピンクと白いもやのベールに変える。春は紅の霞の中でどんな感動を見せてくれるのだろう?

これから夕食ですがテレビを見ているとウドちゃんが遠州二股市内を旅している。
天竜川、二股城址、戦国の時代武田信玄が甲州から遠州に進出して来た所です。
今年の始めにレンターカーで走った道は思い出の道でした。


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お仕事ご苦労様 頂いたコーヒーでクラッシックを聞いています

久し振りに早起きをして出掛けるつもりでしたが、デカイテレビで舘野さんの「左手の為のピアノ協奏曲」ラベェル作曲を聞いています。人の運命は神のみぞ知る。イイエ、神の存在さえも超越して、自己実現の欲望の為には人の道を踏み外して、罰当たりな生き方をしている。

そんな人にピアニストとして右手が使えなくなっても左手だけでもピアノがある事を教えている。その生き様を見ると出掛ける気力さえも無くなっていた。テレビを見る時間は本当に少なくなっても何も変わらず、何も誤摩化し様の無い音楽は、単純な生き方しか出来ない親父にも、魂の揺さぶりを感じさせている。

コンサートが終わり冷めたコーヒーを口にしながらぼんやりしていると、部屋の外で話し声が聞こえる。最近、喫茶店でも床屋でも電車やバスの中でも、色んな人が色んな言葉で他愛もない言葉をデカイ言葉で口にする。ちらりと横目を投げつけても気にしない。親父もきっとそうだろうがそれ以上も少なく無い。

今日は日曜日。こうしてぼんやりしている時でもしっかりと働いている人もいる。明日からは又少し寒くなりますが体に気をつけて、夢に向かってゆっくりと歩いて行きましょう。親父達年寄りはなんだかんだ言った所で先は見えている。

これからは長い低迷の時を越え、スイスの絶景で身動きが出来なかったあの感動の時が始まる。苦しい胸の鼓動を押さえながら身の丈に在った生き方が求められる。景気も仕事のやり方さえも本当はフリーハンドである現実を突きつけられた時、たじろぐ事は無いのだろうか?

人の生き方、考え方を口にする前に、自分はどう生きるのか?その事が問われている。「そんな事は言われる迄もない」。イヤイヤ、なかなかどうして、そんな当たり前の事を意外に多くの人が見失ってオバカを重ねている。

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2011年2月26日 (土)

今夜の夕食 お肉奮発したけれどジョアに負ける アチャー

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何時も横目で見ている牛肉。今日はすき焼きと思ったら躊躇無く腕が伸びる。
あれほど肉と言えば牛しか眼はなかったのに、最近はもっぱら豚。豚の方が安いし旨い。でも流石にすき焼きは牛。でもアウト。肉は柔らかかったけれど旨味が無い。

ジョアで口直し。生産者に申し訳が無い。白ネギと白菜が無かったから?それもあるけど肉そのものの味が無い。噛みしめると何とも言えない肉の旨味。それを求めるにはお肉屋さんのガラスケースからで無いと無理なのかも知れない。

昔、高級ブランドの肉を醤油味が強くて失敗したすき焼きを思い出す。それでもあの肉の味はワリシタを失敗しただけ。今日のは何が悪かったのだろう。吉野家の牛丼にも負ける。がっくりとしながらキムチ飯で反省。

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キムチは何と言っても大阪鶴橋の量り売りだが、これが又高い。それだけの値打ちがあるがこれだけの量買えば、この倍はする。それだけの美味さがあるけれど、このキムチも他に比べるとお買い得。味もまろやか。ごはん?これは安くて美味い。

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快晴 無風 寒の戻りも足踏み 弥生3月も目前

コートが無ければ少し寒い感じがするけれど、コートが重く感じるこの頃です。
今日は今年最初の眼科検診。充血やうっとうしさも無いけれど、そんな時でも眼圧、視力、眼底検査、その他のチェックを受ける。

結膜炎との付き合いが長くて生活環境と無理がたたると眼にそのシグナルが出る。それが眼の充血。最近は血圧も高くて眼底出血の危険を指摘される。「困るんですよ。定期的に検診を受けても血圧のコントロールが出来ていないと。」担当医から昨年の始めに言われた言葉は忘れていない。

血圧のコントロールも出来なくて、デカイ口を叩いていた頃が恥ずかしくなる。今は血圧と血糖値を薬でコントロールしているが、この薬も死ぬ迄続けなければならないだろう。それが嫌だったが本当にイヤなら、食事療法だろう。

食事の仕方、食事の量、内容で体質は大きく変わる。その事を固い決意で実行出来れば半年で人の体質は変わる。医者と薬に頼るのも大事だがそれは一時的でなければ、医療の本質は変わらない。現代人の多くがその事を勘違いしている。

検診の結果は異常なし。但し、右目の視力の衰えを左目がカバーしているので、視力を検査すると右目も左目も文字とマークがダブって見える。とは言ってもこの歳で視力は1.0と0,8. 何時もなら1,2と1,0。ノープロブレムです。

ダブって見える視力を改善するには右目の視力を落とさない事。年を重ねるとその影響が眼に来る事を忘れるな。視力を良くするには野山で遠くの景色を見る事。眼を休ませる事。それが肝要です。

食事で魚の眼の廻りを食う事も大事です。(ご存知かな?ご存知でもマグロの兜焼きは中々食えない。)アジの開きでも充分です。田舎の新鮮な魚が懐かしい。スーパーではなかなか魚屋さんの魚は手に入らない。新鮮な魚の栄養価の高さが見直されている。

眼医者の帰り床屋に行く。先客2名。仕方が無いので手持ちの本を読みながら待つ。髪を切っている客と店の息子の声がデカイ。自分の声は気にならなくても人の話は神経を逆撫でする。その感覚が無い。この時の切り札はipod.気分が高揚する行進曲を聴いていると、うっとうしさも少しは和らぐ。それでも煩い。アホ。

床屋の帰りに弁当を買い午前中の予定終了。午後のコーヒー粉を先日hiroの天子に貰ったので今日は競馬中継を見ながら、近くのパン屋さんで買ったパンと共に頂きます。コーヒーを飲んでいると優しい人の顔が浮かんで来るかな。(親父も若いね)

これから近くのインスタントラーメン館の近くをデジカメで写して来ます。

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満開の様で満開ではない紅梅。梅の様で匂いが無い。梅の香りがほんのり匂うのは今は昔の話?匂いは全くない。前にも書いたが紀州田辺南光の梅林に行かないと香しい梅の香は嗅げないのかも知れない。

梅も桜も意外に仄かに(ほのかに)感じる香りは山が近くないと無理なのかも知れない。人もそうですよね。加齢臭は親父は大丈夫ですか?電車の中で何とも言えない良い香りの人はそれだけで座布団何枚?10枚です。

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空は青くまだ満開の時ではない。今日はウグイスも居ないし静かな早春の時です。

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青空は春の訪れを告げている。しかし、侮るな。暫くは暖かさと寒の戻りが前後しながら一気に春が来る。今年の春は久々に弾ける予感。これ迄の鬱憤を(うっぷんを)一気に晴らす乾坤一擲の時が来る。

この言葉も長い間お呼びではなかったが、若い人達は言葉の意味すら知らないし、字も読めないだろう。(けんこんいってき)。乾坤とは天地、一擲とは一発勝負。天地を切り裂いて体勢逆転。現実はそんなに甘くはないけれど、天高く伸びている銀杏の大木がそう語りかけている。春の予感。本来はそうでなければアカン。

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2011年2月25日 (金)

春 別れの哀しみが喜びに変わる時、レンコの鯛がしっぽを見せる

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巧いでしょう。でも親父の作ではない。カレンダーを1枚めくった3月と4月の作品です。しかし、長い間の流浪の旅が終わるのだろうか?淡い期待と不安。年甲斐も無くこのアカレンコ(タイ科)の様な顔をしている。(そっくり)笑われそう。

良いんです。大好きな人に告白するホワイトデーは近いし、これから暖かくなれば気持ちもデカクなるし、運命的出会いの時はこの親父にも最後の雄叫びを上げさせるのかも?その前にお腹を凹ませて下さい。パンパンですよ。

大丈夫。羞恥心、かなぐり捨てれば。『何もしないで取り澄ましている人間より、何かをしてそして恥をかく人間の方が、どれだけマシだか分からない。人は人に笑われながら成長する。』守屋語録。先生、元気だろうか?親父は何も変わっていない。

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ニュージーランドの震災のニュースを見ていると胸が痛くなる。天災と言うには余りに無情。言葉も無い。一瞬の事故。一瞬の暗転。その非情に人事の様な言葉は口には出来ない。当事者と肉親の心痛を推し量る言葉が無い。ひと事では無い事を多くの人は知らない。明日は我が身と思えば人の生き方も変わるに違いない。

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山茶花の花は満開の時を過ぎて花びらを散らしているけれど、志半ばで若き命を異国の地で昇天させた思いは無念の他に、言葉があるのだろうか?非情と言うには余りに金儲け優先のビジネスではなかったか?その問い掛けも今となっては空しい。

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満開の時を過ぎて尚、花びらが落ちていない。しっかりと根元を掴んで話さない。

まだまだつぼみも後に続いている。3月一杯は開花の時が続く。

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2011年2月24日 (木)

暖かい雨 こぬか雨 雨粒が親父を避けている 

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これがスイスのお土産に買ったミュ−ジカル、カウ(ヨーデルを歌う牛)。
お土産に手放すのが惜しく手元に残す。埃に(ほこりに)塗れた(まみれた)タンスの上から久し振りに取り出してパソコンの上に置くと、お尻をバイブ(揺らす)しながらヨーデルを歌って呉れる。現地でヨーデルを聴く事が殆ど無かっただけに、親父の頬を緩めて呉れる。それにしても愛らしい親子も、眼は何処を見ているのだろう。

地デジ対応の薄型テレビ37型 今迄のアナログテレビもでかかったが、これはそれ以上。これで「空から日本を見てみよう」の番組を見るとその威力が遺憾なく発揮される。(オーバーではない。実感です。)

これから鹿児島 指宿枕崎線 ラサール学園 島津家磯庭園 行きましたよ。桜島がよく見えた磯庭園。今一般公開しているのかな?石油の備蓄基地喜入 指宿は温泉の町。砂風呂。空から見るとよく見える。この番組久し振りに見ています。「おじゃったもんせ」?日本最南端の駅。西大山駅。開聞岳を見たのはロング、ロング、ア、ゴウになりました。

開聞岳の先は見ていない。

これから雪国。磐越西線です。一面雪景色の裏磐梯ももうすぐ春。東山温泉の露天風呂に春の風が吹き抜けるのは何時の事だろう?

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今夜の夕食はジャンボ稲荷2個、豆稲荷2個。ワンタンめん。キムチはこれがお奨め。これがあるとご飯がすすむ。他に何も要らない。会社の帰り岡崎橋の得正で久し振りにカレーうどんを食ったのでこれだけで充分。梅田のデパ地下で美味そうな総菜を買う体制で止める。100グラム392円?400円分を400グラムと間違えられる。いくら何でも400円分は少ない。400グラムは多過ぎる。汗。汗。汗。

今年の春は五月山の花見出来るかな?吉野の桜も今年は欠かせない。桜の花は見る人の心を大きく揺さぶる。これ迄長い間桜の花を愛でる事は仁川の向こう正面だったが、今年は吉野の春霞の中で1000本桜を追い掛けてみたい。

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コートが重くなる 今日の最高気温17℃ 季節が1月先

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天災 人災 今更ながらこの国でこれだけ多くの人が語学を学んでいた事に、驚かされる。ニュージーランドでこれだけの地震被害が出る事に、どれだけの人が危険を感じていたのだろう?語学だけでなく外国でも国内でも地震の怖さを改めて思い知る。

地震国日本でも耐震対策が求められる。震災後のニュージーランドの報道で建物の崩れ方を見ると、天災と言うには余りにひどい。こんな設備で将来に夢を託して何を学んでいたのだろう。一瞬で全てをたたき壊された無念の想いに合掌です。

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先日の天空への道で見た楠の大木。一つの幹が根元から分かれて共存している。これ迄の生き方で一番欠けた事。それがこれでしょう。1人では何も出来ないくせに、1人でどれだけの事が出来ると思って来たのだろう。1人になって暫くの間は健気に(けなげ)に懸命にそして無我夢中に生きて来たが、これだけの軟体親父には成っていない。今更、柔軟で垰やか(たおやか)生き方は出来そうも無いが、そんな時、ここに来れば無心になれるかも知れない。でっかい思いを捨てなければ。

でっかい思い それは内緒ですが昨日胸が痛くなる。横隔膜?胸の谷間。その上の骨の付け根が痛い。激痛でないのがせめてもの慰みとも言えるが、場所が場所だから気になる。昨日、家に帰ってすぐ掛り付けの内科医に行く。異常なし。

その足で以前懇意にして頂いた整体医院に行く。「体が固い」「コチコチ」
若い歌「あさみちゆき」さんが整体さんにハマっている事を聞いた時、思わず笑ったが体の固さはひと事では無い。暫くはこちらでも軟体に成らなければならない。

もうすぐケーブルテレビの担当が来るのでここでおしまい。続きは後で。

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2011年2月23日 (水)

胸の筋肉が鈍痛 年老いて胸の痛み シャレにもならない。

Img_5648_2 親父再生の道。この道を始めて知ったのは司馬遼太郎氏の「街道を行く」を若き頃、週刊誌の連載で読んだ時。
始めて車で走ったのは子供達が幼かった頃。今は整備されているこの道も、工事中だった。あれからどれだけの年月が流れたのだろう?

滋賀湖西の道から比叡、蓬萊の嶺々を越えた山間の道。北陸小浜から京都出町柳迄の「鯖街道」。安曇川を渡る大野の村。桜花の時も近い。

地図の下を抜けると京都洛北大原の里は遠く無い。

Img_5654 「太閤の湯」は予想以上の感動でリピーター決定?。久々の前回は電車で左側から廻り込んだが、景色が楽しめるドライブウェイはこの道です。

次は10年前に走ったこの道を、阪急芦屋川の駅から行きましょう。新緑の若葉がどんな顔をして、歓迎して呉れるだろう。

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マダマダ健在 まだまだ開花の時は「商売繁盛」「先客万来」お客は親父だけです。

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どうだい 人間様の化粧をあざ笑っている?イエイエ滅相もございません。私達の輝きはホンの一時。人間様の裏技には足元にも及びません。今日、仕事の帰りに先日の女子高生2人組との再会。流石に今日はちょっかいは出されなかったが、馬鹿にはされる。無視。次、調子に乗ってみろ。〆てやるから。そう思いながら見ない振りをしていた。

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先日紹介した神戸空港の位置。右上の六甲山が空白地として広がっている。しかし、この丘陵地は神戸開港以来高級住宅地として開けている。

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久し振りに整体医院に行く 先日のハードな山登りが効いた訳ではないが、肩のコリが胸に来る。鈍痛が走る。この商店街の奥。久し振りの医院は空いていた。

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2011年2月22日 (火)

雨水の時を過ぎ一気に暖かくなる しかし、春の訪れは?

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何も変わらぬ黄金の日の入り。しかし、内外共に災害、紛争、混迷、事故は絶えない。人事と思っている事が何時、何時(なんどき)我が身に降り掛かる事を誰もが意識していない。そんな事を考えていたら生きては行けないのだろう。

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5日見ぬ間の君の姿に変わりはなかった。左のつぼみは昨年の猛暑の被害が痛々しい。それに比べて右の美しさはどうだろう。これだけの近さでもその差は小さくない。運不運の境目はお天道様にも分からないのかも知れない。

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上の画像を起こして(左90度反転)見るとその違いが良く分かる。それでもどちらのつぼみが綺麗な花を咲かせるかは、断定出来ない。上のつぼみもこれだけ違う角度で見ると、花びらに締まりがない。下向きに咲いてこそ綺麗な姿を証明している。

左を上にして見て下さい。それが上のつぼみの本当の美しさです。どうでも良い?そう。そんな品の無い姿に惑わされている。もうすぐ山茶花の開花の時が終わる。去年も多くの姿を見せてくれたが、今年は昨年の猛暑の爪痕が重なっている。

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満開の時は既に過ぎ、花びらを落とすだけ。しかし、今年の花びらは何故か、揺らしても落ち難い。これも昨年の猛暑が影響しているのだろうか?まさか?そう、そのまさかです。猛暑で葉先が焼けた時、植物の遺伝子が変化したのだろうか?凄い。

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昨年迄はここ迄花びらを残してはいなかった。満開の時が過ぎるとあっさりと花びらを落としていた。花びらが固い葉っぱと共存している。花びらが簡単にくたばらないで緑の中で同化している。今年の不思議な景色。親父の生き方に新しい風が吹いている。明日は3月下旬並の暖かさとか。しかし、暦に早送りは無い。

山茶花の花ですらこれだけの学習をしているのに、人間様はどうなのだろうか?あれだけ声高に叫ばれた政権交代、これだけ誰も願っている景気の回復と雇用の確保。肝心要の基本的問題がお馬鹿な論議で改善が無い。

それだけではない。何も前向きな改善をしないで何かが変わると本当に信じているのだろうか?余りに今日的課題に真面目に取り組んでいるとは思えない。それでも嘆く事は何も無い。自分の生き方を変えればこれほど面白い事は無いのかも知れない。

デジタル対応大型テレビはいかがですか?親父はまだ楽しみな番組に遭遇していません。そんな時、すっきりする行動は音楽を聴く事。それもクラッシック。この大型画面の迫力は、それを鮮明に映し出す景色と魂を揺さぶるオーケストラの旋律に違いない。間抜けな人間様への鉄槌は意外に近いのかも知れない。

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2011年2月21日 (月)

久々の天空への道 喘ぎながらサボリながら歩いて来ました

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街中を抜ける途中のお宅の紅梅。この犬のデカイ白犬は老犬。そのくせ親父を見ると威嚇する。親父も負けていない。「馬鹿犬、人を見ろ」今日は居るかな。居ない。ラッキー。(馬鹿犬もそう思っているよ。)親父の怒声は聞きたくない。飼い主に叱られるから。空は青。紅梅は今が盛り。ウグイスも居ない。

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山頂近くの展望台。望遠で写しているから近くに見えるが中々どうして。一気には歩けない。ハードなコースご覧あれ。ところがこのコース走りながら登り降りをしている親父が居る。マラソンランナー?歩くだけでも喘いでいるのに信じられない。

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街中を抜ける最後の坂道にある大木。何時からこの街中を見下ろしているのだろう。

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隣の桜木 この老木も若い枝を一杯伸ばしている。老いて益々盛んとおもいきや、根元近くにこれだけの小枝を広げるのは、木の養分を上迄揚げる力が無いからとか。人事ではない。親父もそれだけの力は残っていないかも。(イヤイヤ、ご謙遜で)

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この景色を見る度にここは何処、アンタは誰と何時も感じる。紛れも無くここは南国沖縄ではありません。「何処ですか?何の用ですか?」枝雀さんに尋ねられている。
赤い蘇鉄の実は成るのだろうか?馬鹿な事を言ってはいけません。すびません。

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坂道をゆっくり歩いてやっと登り口に到着。ここからは一気にと言いたい処ですが親父の心臓と体力では、遊びながらでないととてもではないが登れない。

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ここ迄92段。これからどん位かなと思っているとマラソン?ランナーから抜かされる。(オイオイオイ)と唖然としていると姿が見えなくなる。このコースで1時間余。上り下りをしていた。恐れ入りました。凄い理由はこのコース見れば分かる。

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この散策コースは戦後の復興期、失業対策として人力だけでなく重機を入れて大掛かりな工事をしているが、誰が何時、どれだけの労力と税金使ったのか分からない。それでもこれだけの工事をした先人の思いは歩いてみるとひしひしと感じる。

久し振りに歩いて心地良い疲れを感じました。もっと多く長く歩かないとメタボと笑うだけでは済まない。展望台で大阪平野を見下ろしながら汗を拭いていると、一気に冷めて来る。失意の時、ぼんやり眺めていた松の木は一本枯れていた。

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この画像ではどの木か分からないが、そのうち朽ち果てる。生きとし生ける者、人間様とて例外ではない。何時迄も何処迄も手に手を取って喜びの時を味わう事は出来ない。松食い虫にやられた若い松の木はその事を教えている。

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眼下に見える伊丹飛行場を飛び立つ飛行機。この街中の飛行場を廃止して泉州沖の海上空港に一本化する計画は頓挫している。地域行政指導者の思惑が変わり関西には3つの空港があって一本化は難しい。神戸空港は右前方。関西空港は左の先。

春霞(はるかすみ)でよく見えないが、三空港の前途はこの空の様です。その中で関空と神戸空港は生き残りすら難しい。地方の権限委譲が声高に叫ばれるが、運輸、航空行政の間抜けさは誰も責任の自覚さえ無い。地方の疲弊、財政破綻は大阪都構想とかで何とかなるんでしょうか?役人天国は死ぬ迄変わらないのだろう。

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関空方面を見る。秋の視界の良いときは泉州沖迄見えるが、その時でも関空は見えない。1兆円を超える海上空港の建設費を何時迄に回収出来るのか、その目途も立たなくても認可と建設の責任を問われる事は無い。親父達が若い頃、成田の反対闘争が新宿のホームで争乱となったが、成田と羽田の活用が出来ない事と同じなのだろうか?そんな事を問い直す人は今は何処かに消えている。静かな物音一つ聞こえない景色です。

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何時来ても前の景色しか見ないのに何故か、後ろの景色が気になる。折れた松の木が途中から横に幹を伸ばし、それから上に枝葉を広げている。親父にはそんな力は無いがよく見ると、枯れた木々と低い竹笹が笑っている。(親父さん、これから山は一斉に萌え上がる。弱音を吐いていると枯れてしまう。親父さんはそれでお似合いだけれど、私達はそうは行かない。今度来たらそれをお見せしますよ)。

その言葉にパワーを貰いながら来た道を引き返す。今週末は月末。来週は弥生3月。何時迄も凹んで無いで雄々しく逞しく力強く行きましょう。段差の大きい階段に足元を取られない様に歩いていた。

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下の広場に降りて来る。デカイ樹が大きな枝葉を広げていた。又、来なはれ。いつでもウエルカム。老いて益々盛んな大木はスリムでした。来た時に走っていた青年が余裕綽々(しゃくしゃく)で降りて来る。恐れ入りました。

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散歩コースの大木。今日も元気でありがとう。ピースでお腹を突き出していた。

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お疲れでした。夫婦地蔵が久々のチャレンジに頭を下げている。(イエイエ、滅相も無い。お陰様で歩かせて頂きました。又、お願いします。)カメラを構えただけで失礼しました。今度、お供えを持参します。(盗られるし、腐るし、汚れるし、気持ちだけでよろし。)手をあわす謙虚さを忘れたらあきまへん。そう言われていた。

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過ぎたるは及ばざるが如し。人の世もかくのごとし。丹誠込めて手入れされた老木に今年も立派な花が咲いている。老梅と侮るなかれ。(侮ってはいません)何時迄も何処迄も元気があれば何でも出来る。(アントニオ猪木)猪木コールは未だ健在?

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今日はどれ位歩いたのかな?日の丸展望台迄は行かなかったけれど、約3、8キロの往復。パンツを引き上げながら歩いたけれど、お腹のマワシはマダマダ健在。体脂肪20%目指して頑張りなはれ。今なんぼですねん。内緒です。お疲れさまでした。

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運動不足 腰が痛い 今日は天気が良いし 山に登ります

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いけだ 五月山 ウオーキングコース 左のコースががんがら 中央がウオンバット名前の由来はがんがらは池田の火祭りの名前、ウオンバットは左下にある動物園の人気動物の名前。この愛らしい名前の通り、このコースは近くの幼稚園児の運動コース。しかし、侮るなかれ。このコースは足腰が達者でないと歩けない

この案内板には書かれていないが、右側に谷の尾根を登る険しい?コースがある。このコースは流石の親父も桜の咲く頃と、夏の汗が滴る頃?そして紅葉の頃、位しか歩けないが、今日は気合いを入れて歩いて来ます。それ程に腰に贅肉が溜まっている。

「若者よ、体を鍛えておけ。美しい心、逞しい体に空雲。支えられるその日がいつかは来る。その日の為に体を鍛えておけ。」親父が若い頃、歌っていた歌。その歌の主が「年寄り」に変わる。何時迄も何処迄も気持ちは若くても体はそうではない。

その事を考えながらこの看板をよく見る。今日、高齢化社会の年寄りの生き方が問われているが、先日愕然とした思いで食事を口から出来ない介護医療の現実を見る。口から食事が出来なくても胃に直接チューブで栄養の補給が出来る。

しかし、介護者無くしてはこの医療は一日も成り立たない。その医療行為は当然看護士でないと行えない。ところがその受け入れ先が今、満杯で家族が自宅で医療行為をするしかないと報道されていた。病院でこの医療行為を受け入れざるを得ない時、その過酷な現実は知らされていない、人工呼吸器より悪い医療の現実。

何故悪いかも当事者で無ければ分からない。口から食事が出来ない人にチューブで栄養補給をするのは医療行為と定めながら、自宅で家族なら止むおえないとは何たる非道だろう。食堂に溜まるタンの吸引も全く同じ。親父の様に1人で行きている者は当然、介護をしている家族の負担は想像を絶する。

「社会保障と税の一体化」馬鹿野郎。出来もしない事、どんなに今、仮に誰かが求めているとしても、この現実さえも越えられない政治家と役人に何が期待出来るのだろう。間違いない。今年の桜の満開の時、皮肉な事にその事が問われる。

それでも多くの年寄りだけでなく介護者は救われない。自業自得と言うには誠に非情。自分の体は自分で鍛えろ。政府や行政に何かを期待するな。人に何かを求めるのではなく、人に何が出来るのかその事が問われている。これは親父の言葉ではない。暗殺されたアメリカ大頭領ケネディの言葉の受け売りです。

親父さん、何が言いたいの? 体と心は人の為ならずです。そんな事?言われる迄も無い。そう、その言われる迄もない事が現実の社会ではままならない。その事に気付けば自分磨きの投資は意外にお安い事なのです。

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駅前のバス停に垂れ幕が括り付けられている。鉄道の全国制覇を終の目標に定めた親父の眼を引く。若い頃、正月の帰省で大阪から博多までの深夜バスが懐かしく思い出される。あの頃と違って今の長距離バスはリクライミング、シートで楽だと思うけれど6800円は安いかな?

新幹線の半額?時間と快適さを考えると微妙。年寄りは無理だな。清水の次郎長が囁いている。清水の桜えび唐揚げどん。食いたいな。色気より食い気?川奈、稲取の思い出は20年近くたっても鮮明です。川奈ホテル、ゴルフの富士コース、稲取の懐石料理、1人で走った霧のスカイライン。あれから多くの年が流れても何も変わっていない。もうすぐ伊豆天城越えの旧道も春の息吹を感じさせて呉れるのだろう。

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今朝は行きつけの喫茶店が突然のお休み。このお店は持ち帰りのパン屋さんだけれど珈琲も飲める。でも焙煎ではなくファストフードのお店のコーヒー。不味い。それでも窓の外の風景は久し振りに見るバス停の景色。一時の時間が静かに流れる。

これから郵便局でエコポイントの郵送。総代屋さんで弁当買って(残っているかな?)それから行きますよ。山登り。写真公開しますから見て下さいね。

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2011年2月20日 (日)

久々の銭湯 体重は少し増えていた 部屋のお片づけは?

散らかしていた親父の部屋が少しは綺麗になる。
狭い部屋の片隅にドーンと置かれている、デカイテレビに感謝しながら片付ける。
細かい汚れもモップで拭き取るとマダマダ活躍出来そうな気がして来る。

このテレビも大きかったが今度のテレビは37型、最初は圧倒されるに違いない。
薄型テレビが販売された当初1インチ1万円とか言われたが、その価格も3分の1以下となる。価格競争は留まる所を知らない。

価格破壊 安売り競争、失われた10年どころか20年が過ぎても、この国の経済に先行きの明るさは無い。と思いきやそうでも無いとも言われる。20年前のバブル経済の破綻を知る世代も少なくなり、今は景気の先行きに過去の歴史を学ぶ謙虚さも無い。のど元過ぎれば熱さを忘れるのではなく、資本主義の矛盾そのものかも知れない。

資本主義経済理論も古典的理論の学説がいまだに越えられず、今日の多くの課題を克服する事が出来ない。景気対策を政府に日銀の金融政策は金融緩和どころか垂れ流し。それでも先行きに明るさが見えるとか。見えなかったら紙幣を刷まくるのか?

経済理論のイロハにインフレ、デフレの対照的な経済実態があるが、これだけ長いデフレのトンネルが続けば次は間違いなくインフレ社会でしょう。デフレとかインフレとか分からないアホも少なく無いから、政府、金融当局の指導者は暫くは舌を出しても笑えるのでしょう。

この国の人達は何時迄も外を向いて景気を考えるのではなくて自分の身の回りで景気と政治を考えるべきでしょう。難しいけどね。37インチのデカイ、デジタル画面の技術革新と価格破壊はそれでも、アメリカ、ヨーロッパに比べるとマダマダ、恵まれているのだろうか?デジタルの切り替えはその事も問われている。

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2011年2月19日 (土)

無風快晴 朝の冷え込みも気付かず 春はそこ迄

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どうだいと梅の枝が白梅と紅梅を凌駕(りょうが、他を凌ぐ)している。2羽の小鳥も後ろで紅梅を啄んで(ついばんで、鳥がくちばしで物をつついて食べる)いるが残念ながらその姿を確認は出来ない。流石に鳴き声がまだ出せないので遠慮している。

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空は青く風はない。小鳥は2羽うごめいているがデジカメの視界には捕えられない。後1月もすればうぐいすの谷渡りが聞けるかもしれないが、梅のほんのり匂う香りも無いのは住宅地の哀しさだろうか?紀州南部の梅林に行かないと匂いはかけないかも知れない。「学校帰りに近道を、通って帰れば何処からか、ほんのり匂うよ梅の花」

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こちらは神社の梅の花。幼い木で花びらに勢いがない。花にも年頃があるのかな?

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それとは対照的に南の島の大木を思わせるこの老木。幹には無数の穴があいているがこの時期枯れ葉ではなく若葉、青葉を茂らせている。少し離れた大銀杏は葉っぱを全て落として冬眠しているのに、何たり活力、何たる生命力。これで5月の時はどんな表情を見せてくれるのだろう?gogatunotoki?アンタのブログは何回になりますかな?ハイ何とか1000回。アンタも頑張りなはれ。人の生き方も多種多様。

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今年の始めに見上げた時と大差は感じられないが、着実に季節は進んでいる。昨年の秋、黄色のマントを脱ぎ捨てて寒風も物ともせず、雄々しく泰然として枯れ野の景色を見下ろしていたが、枝先に一杯のつぼみを抱いて春先駆けの一番を待ちわびている。親父の思いが重なって思わずニンマリとする。

それでも首に血管を圧迫している骨の障害を抱えている親父は、思いっきり御主を見上げる事は出来ない。ゆっくりと用心しながら眼の視点を上げる。今でも首の障害で左手の痺れを朝起きる前に感じるが、整形外科で言われた首の牽引はしていない。

先週の下痢の時も痛感させられたが、人の体の不思議さは専門医でも分からない事が少なく無い。人の体質は半年で全て別人となる事を殆どの人は知らない。親父でさえも煙草はやめて食事の美味さは感じても、ゆっくりと噛みしめながら味わう事は出来ていない。

早め飯、早なんとかは自慢にもならないが、これからは少しの食事に満足出来る体質に変えなければメタボなお腹の凹みは期待出来ない。見て下さい。私の体。天高くそびえる銀杏の彼女にそう囁かれている。ホント、ナイスな体です。(コラコラ)

デジタル対応の受信機決めました。今夕配達です。今のアナログ受信機のテレビは長い間親父の喜怒哀楽を見つめて呉れましたが、これでお別れです。大した故障も無く本当に親父の心を癒してくれましたが、日本の物作り、品質の高さがここでも証明されました。

それに比べて放送の中身は何たる無様な事でしょう。性能の高い受信機に変えたとしても、地上波の放送には期待はありません。文明の利器は使い方でしょう。「タダより高い物は無い」とはこの事でしょう。

オバカな放送に口を大開けして手を叩いていると、人間の尊厳は踏みつけられるばかりでしょう。(言い過ぎ?)イエイエ、笑うも人生、涙するのも人生。その事はタカがテレビ、されどテレビです。自分の生き方を見つめ直せば、不満の思いも満足に変わるに違いありません。

久し振りに狭い部屋を片付けてデカイ画面を満喫したいものです。大阪は今日も穏やかな一日になりそうです。予定が無ければ出掛ける処ですが1人でうろうろと歩き廻る事も、今日はお休みです。これから陽気の時が多くなれば足にストレスの掛からない靴を履いて、近くの散策コースを思い切り歩ける事でしょう。

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スイス ユングフラウヨッホの展望 (ただし、親父はこの下のレストランで唯、ひたすらに君の帰りを待っていた。)ここは富士山頂と同等の高さ 昨夜のテレビで冬のこの景色を紹介していた。零下27℃ どんな寒さだろう。テレビの景色は夏山の景色と大差はなかったが気温の違いは比べ物にならないだろう。眼下に広がるのは氷河です。この上を滑れる?それは無理でしょう?ガイド付きなら?分かりません。

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ホテルの夕食 贅沢な取り放題のお菓子 日本と違うのはバイキングと言っても料理に宿泊者が殆ど群がっていない。担当のメイドが注文を聞いて運んで呉れる。ご自由にどうぞと言われたのはレザート位だった気がする。

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なんや、取ったのはこれ位。そうこれ位で充分です。こんな食事は最初で最後でしょう。毎日の侘しい食事とは大違い。感謝、感激の言葉も無かったけれど、こうして見直してみると凄いよね。もう一度、行きたくなりました。無理だ。13時間。ああ。

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これはソーセージ/でも味は良かったですよ。スイスの食事は洗練されていた。良く分からないけれど、日本人程味にうるさい国民は少ないのかも知れない。親父もメタボだけれどそれ以上の肉の塊(失礼)の人達も少なく無かったな。

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この料理も工夫されている。食べた時は平然としていたがよく見ると繊細。日本料理に繋がる料理人の心意気が感じられる。ゆったりとした時が流れていた。

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旅の楽しみは食事でもある。親父のデジカメではこれだけ綺麗に取れない。流石です。スイスから帰って来た時、この画像公開した時叱られたが他意はありません。鹿児島の娘とマイスターに喜んでもらえば、それで充分です。これからレンジでチンしたお弁当です。

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2011年2月18日 (金)

デジタル対応テレビを買いに行く その帰りお気に入りの珈琲店

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巧いなあ。プロ並の腕前。これだけの看板が書けたら凄いなあ。

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このお店と彼女との出会いは昨年の12月。色んな喫茶店があるけれどこのお店は豆迄売っているから繁盛しているのだろうか?お店も決して綺麗とは言えなくても、心にカリブの風が吹けば、心躍るのかもしれない。しかし、親父、カリブ海の息吹、知らないだろう?それでも良いんです。美味い珈琲とケーキがあれば。そんな客が多い。伊丹中央店 hiro でした。Img_5575

伊丹の街は戦国の世では西国と畿内を結ぶ重要拠点だった。
信長が伊丹有岡城主荒木村重の反旗をたたき潰してから、この城は廃城となる。
江戸時代幕府直轄の領地となる。酒蔵が並び豊かな自然が広がっていたのだろう。

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創業50年 そば処 そばアレルギーの親父はうどんしか食えないが、一度はのれんをくぐらなければならない。焼き肉定食、勝っちゃん食堂の青年にも久し振りに合う。次の機会は何時になるか分からないけれど、又、行きます。

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テレビ音声を消して画面を横目で見るだけ 音はラジオの音楽

税務署で追加の税金を払いドコモショップのマネージャーに声をかける。
昨日、お邪魔した時はオフの日。舞の海に似た男性社員が「明日は居ます」と。
久々のホンダ君はお疲れモードだった。親父の毒舌を躱し(かわし)ながら「忙しい」と連発する。そうだよな。この国のサラリーマン、親父もそうだったが忙しい人とそうでない人の格差が大きい。組織にとってほんの一部分の人がめちゃくちゃ忙しく、そうでない人はそれなり。それでも給料は大差ない。本当におかしいよね。この国の組織構造。

まあそんな事はどうでも良いけれど、体に気をつけてと言いながら「又ね」。
ラジオの録音テープ再生が丁度大好きな「ララのテーマ」サウンドトラックミュージックを何故かジャズの選曲で流してくれている。

でも良く聞くとジャズバージョンには成っていない。どうでも良い?でもこれには拘り(こだわり)が在ってレコードショップで探してもらった事がある。単純に「ララのテーマ」で選曲で正解だろう。

映画のあらすじは今イチだったけれど何故かこの曲には心を捕える哀愁がある。どうでも良い。そうどうでも良い。テレビの音声を消しているとそのどうでも良い事が、長々と放映されている。面白い事に音声は消しても放送のくだらない内容はよくわかる。

これがデジタル放送に変わる。放送の役割は完全に終わりこれから完全に暇と時間を持て余す人しか見向きもされなくなるとしたら、どうするのだろう?それも関係のない事です。親父が今見ているこの番組、エンディングの曲を注目しているだけです。

what a  wonderful world (この素晴らしき世界) 黒人シンガー、ルイ、アームストロングの歌はベトナム戦争の反戦歌として1968年イギリスでヒット。当然アメリカでは当初差別された。黒人が歌うベトナム反戦歌。しかし、今はどうだろう?愛の讃歌?馬鹿野郎。ベトナム戦争の悲惨な歴史は過去の遺産となる。

そんなもんだろう。尤もらしい事を言った処で所詮、口先の汚れを拭っているだけ。その事を忘れるな。黒人ジャズシンガーがアメリカで長い間差別された歴史は、今でも何も変わっていない。

貧困との戦いは国と国の境を越えてこれかも大きな課題である事に、何も変わりはない。新興国の景気に支えられていると言われるこの国の経済もその事を抜きにして語る事は出来ない。これからそのデジタル対応とやらのテレビ買いに生きます。決めますか?決めないでしょう。こんなひねくれた根性では。しかし、意外にその気になっている。

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世界名曲アルバム 「美しく青きドナウ」を聞く

長い間心の中で自問自答とを繰り返し溜め息をついていた日々が、歳月の重なりと共に忘却の彼方へと過ぎ去っている。
苦しかった事、哀しかった事のの繰り返しの中で生きる糧を求めながら彷徨った(さまよった)日々を「ラデツキー行進曲」が叩き壊して行く。
多くの事が多くの人の日常の中で深く絡み合いながら、複雑な人間模様を繰り広げる時、この歳でやっと分かった事は「求めよ。さらば与えられん。」

棚からぼた餅ではなく(受け身)ではなく、自らが汗をかきながら恥をかきながら行動して何かを手にする。(行動的)。その何かが自らの行動指針。自らの道標。みちしるべ。それ位の単純な事さえわから無かったのかと枝雀さんにも笑われている。

しかし、その枝雀さんも長い長い自問自答の中で病魔に冒されて行く。人は何物も恐れぬね力強さと繊細な弱い心を併せ持つ。その時忘れてはならないのは「己を打ち消す謙虚な気持ち」若い時、面倒な事を助けてくれた上司はその事を「馬鹿になる」の言葉で教えて呉れた。

職人気質の親父さん。工場長、技師長の肩書きは微塵(みじん)も感じさせない単純明快な言葉で諭してくれた。今となってその言葉の意味を感じても全ては後の祭りかもしれないが、残された人生と今の生き方に悩む人に大きな言葉になるに違いない。

今時の若者はもっと深刻な問題に直面している?そうかも知れない。それ故に枝雀さんは自分にのしかかる大きな壁に潰されたのかもしれない。その事を思えば本当に哀しいが、嘆くも一生、笑うも一生。その選択は自らの生き方で決まる。

嘆くも良し。悲しむも良し。しかし、歓喜の声を上げる喜びの時は意外に近い。それが見えないからこそ嘆きのセレナーゼは大きいのかもしれない。春の足音はすぐそこ迄忍び寄っている。それに気が付くには愛のささやきも必要かもしれない。

ワルツ「金と銀」を聞いて見なはれ。ファンファレの音が高らかにその事を伝えてベートウベンの田園交響曲「第一章」春に繋がる。
今年の春は久し振りにそんな春に成るやもしれない。春にはそんな感動の時がある事を本当に感じられるのだろうか?ベートウベンが片目をつぶってウインクしている。

たたけよさらば与えられんと続くこの言葉は「聖書」の言葉ですが、今日の混迷の時噛みしめてみるのも無駄な事では無いでしょう。
ask and it shall be given you  what(何を)それが生きる証かもしれません。

先日の確定申告還付金がなくて追徴(納付)金が在った訳は単純明快。確定申告の会場で税務職員が説明出来なかったのは、前年度対比が出来なかっただけ。そのような説明はする必要も無いと税務署が考えているだけだろう。大した金額ではないとでも思っているのだろう。取れる所からはむしり取り、取れない所は?

今、国の財政が破綻して国債(国の借金)が歳入の倍と成っても、こんな税金の取り方しか出来ないのだろう。国の税収の在り方を変えると総理が豪語しても、国民の支持を受けられないのは、国の歴史の中で公平な税の在り方を模索した事が無いからだろう。税金は貧乏人から取るな?馬鹿野郎。税金は国民全てに課せられた義務です。

もうすぐ行われる地方選挙でも税の在り方が問われる。税金を公平に取り立てる行政機関は今の組織では無理がある。予算を割り振りどう税金を使うかから、どう大切なお金を国民、企業、団体から集められるか?」その事が問われている。

親父の税負担が増えたのは収入が年間で1割増えたにもかかわらず、税金の支払いが足りなかっただけ。それくらいの事が説明出来ない役所に今日も多くの零細企業、個人企業者、個人が押し掛けて税務職員は対応に追われている。今年の経験、生かして来年は賢い対応をする。税金払ってきます。

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2011年2月17日 (木)

親父の確定申告

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今年のバレンタインのチョコレートの売り上げはどうだったのだろう?さすがと思わせるパティスリーヌヌーのお菓子です。最近太り気味の娘から貰うと税務署で不愉快な思いをした親父の気持ちが緩む。ありがとうです。今の優しさ忘れるな。下2個頂きました。何とも言えない甘さが口の中に広がります。ジャンボ稲荷の後に美味しく頂ました。先日迄の下痢が嘘の様です。上の2個は後のお楽しみ。

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カレーうどんチェーン店得正のおろしなす天。カレー上はえびが鎮座しているが身が小さい。コラコラ。疲れたときはカレーだが病み上がりの親父にはこれこれこれ。今時のなすは何処で保冷されているのだろう。茄子の実を解して(ほぐして)すすり込む。この味は得正でないと味わえない。褒め過ぎかな。

調理人中西、出汁は暖かい方が良いですか、冷たい方ですかと気を利かせたつもりが親父から「暖かいのに決まっているだろう」と悪態(あくたい)を吐かれる。(つかれる)オオ、親父さんビールの飲み方、いけていますね。生ビールも樽からの注ぎ方が難しい。誰でも出来る?イヤイヤ不味いとこんな飲み方は出来ない。

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帰りは阪急の地下の「まめだ」でジャンボ稲荷2個と小稲荷2種を2個計6個買い求める。1人では多いと思いながらもJR日豊線の雑誌を広げるまでもなく完食。(食い過ぎです。心して噛みしめて食事をしないと娘の事は言えないよ。この稲荷もお勧めです。これで760円です。今夜はお土産のきんつばと栗まんじゅう買わなかったしケニヤブレンドの珈琲も飲まなかったし、CGの新曲買わなかったし上等です。

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最寄りの駅を降りるとこぬか雨。「春雨じゃあ濡れて帰ろう」と思いきや何時も立寄の総菜屋さんで店じまいをしている親父と女将に確定申告の報告をする。枝雀さんの落語の小話でもないが、昨日から始まった確定申告は税務署の対応の不味さで長蛇の列だった。お昼前に行ったが何ともならず午後3時過ぎに出直す。この時は空いていた。昨年の控えを無くしていたが、今年の分は無くさない様にきちんとしなければいけない。昨年より間違いなく収入は減っていると思うがそうではなかった。還付金無し。追加納付でした。そんなアホな。アホではありません。今日は納付せず。

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今日は木曜日。金、土、日と4日の休み。月曜日も休みの予定?これからはこんな働き方が当たり前になる。この朝の風景は昨日の景色。朝の冷え込みが強くて数駅先のポイント故障。電車は当然遅れる。復旧が早くて大事に至らなかったが、今年の激動の時に与えた教訓はビルのコンクリート迄食い込んでいる。

ビルに朝日が食い込む。それは無い。朝日の強さがそれ程に広がっているに過ぎない。その勢いは一見途絶えたかに見えるがそうではない。その思いが途絶えたかに見えた時、エネルギーが迸る。(ほとばしる)。間違いなくその時を間もなく見える。

今年は例年にない寒さが予想されたが間もなく春。今夜はハシリの春の雨。雪が雨に替わりコートが暑い。梅田からの始発の電車も通勤ラッシュのまっただ中で、今日の税務署並の混雑だった。混雑の急行を避け各停でも座れなかったが暑い。コートを脱いでカッターの腕を捲る。さあ、ゴーイング、マイウェイ。アーユーレディ?

今日は税務署で2度手間がかかり、テレビの量販店には行かず。明日は行けるかな?

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2011年2月16日 (水)

デジタル対応テレビ37型 録画機能外付け 即決はせず

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昨年12月出合った街。大型電化製品ショップでアタリを付けていたテレビを見てから、この街を訪ねる。なんか癒される。勝っちゃん食堂で固い焼肉定食を食ってから美味しいケーキとコーヒーで満足。優しい彼女にも会う。写真と眼鏡を自慢する。

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帰りは来た道を戻るのは遠いので、電車でもっと遠回りしていたが、夕方の通勤ラッシュと重なりイライラが募るので、今日は思い切って引き返す。意外におしゃれな街並に疲れは感じなかった。

これからこの街に来た時、この足取りは替わらないかもしれない。二人で歩けるのは何時の事かな?(親父、歳を考えなさい。)イヤイヤ、マダマダ。若い者にデカイ顔をさせないよ。太極拳でお尻を〆ますか? お願いします。

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お気に入りのブレンドコーヒー。コーヒーの豆も売っているので味は言う事なし。コーヒー大好きの親父嗜好は結構うるさいが、苦みが無ければ大体文句は無い。本当のうま味はそうではないと思うが、香りがまろやかで安らぎを感じるこの一杯。

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ひとさじ口に入れたがこのパンプキンケーキ。上にトッピングされているアーモンドと豆の味は嫌みが無い。これだけのケーキになると甘いかパサパサが多いが、それが無い。底のベースは固いけれど不思議な味がする。お店の名前はhiro 伊丹中央店 カリブの珈琲を楽しむ 爽やかな香りとクリアーな酸が楽しめるカリビアン珈琲です。

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植え込みの山茶花。開花の時を過ぎ後は花びらを枯らすだけ。そして又来年です。お疲れさまでした。誰に見向きもされなくてもきっちり花びらを広げて、そしてたたむ。花の命は短いけれど淡々として潔い。人の生き方はどうなのだろう?

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マダマダ開花の予備軍は続いている。段々、つぼみも少なくなっていると思いきやマダマダ開花の時は絶える事はない。見るからに堅いつぼみもゆっくりと花びらを外から広げている。時の流れはたおやかでも非情。止まりたる試し無し。

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昨日もお見せしたハクモクレンのつぼみ。今日、うっかりしてての届くつぼみのカサブタをめくる。見えるかなつぼみの一部に右肩から黒いカサが見える。それを剥がすと痛々しいつぼみの根元が見える。御免なさい。謝っても後の祭り、手遅れです。

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桜のつぼみはもっと堅い。それでも爪でかかじると取れそう。(本当に止めて下さい)。今ほじくられると本当に取れる。私達が柔らかくなるのは1月先です。それから半月先が開花の時。今年も白い白い花を咲かせます。お楽しみに。

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2011年2月15日 (火)

名残り雪はすっかり消える 青い空 ハクモクレンのつぼみが踊っている

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昨日の名残り雪も夜には止み、今朝は心配された凍結も無く暖かい朝だった。昨日雪の帽子を冠っていたハクモクレンのつぼみも、今朝は元気に春のステップを踏んでいる。明日の朝も放射冷却で厳しい冷え込みが予想されるが、日中は今日以上の陽気だろう。春だよ。春。今週末は雨水。半月もすれば3月。1月もすれば選抜の開会式も近い。

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植え込みの山茶花も多くのつぼみが満開の時を過ぎ、今年のフィナーレが近い。まだつぼみも少なく無いから、暫くは色んな表情を見せてくれそうだけれど、長い開花の時ももうすぐ終わる。その兆しが少しずつ見えて来た。しかし、人間様の醜さに比べるとこの開花の時は心の癒し以外の何物でもない。そんな思いを仕事の帰りに痛感する。

バスから電車の乗り換え。一瞬、遠回りをして食事と美味いコーヒーに気持ちがなびく。でも仕事はもう1日。気持ちを振り切って始発のホームでipodで堀内孝雄を聞きながらレ、ミゼラブル4巻のラストを読んでいた。電車は出たばかり。

整列乗車、先頭、先頭車両の何時もの位置。ホームの反対側に電車が到着。乗り換え客が横にくる。女子校生が2人。何時か電車に乗り込む時ズルした奴。カップを持ってストローに背の高いのが口をつけている。急に親父のテンションが上がる。

「今日、先に乗り込んだら〆てやる」そんな事を考えていると背の低い方が、後ろに下がる。内心ニンマリしていると背の高い方が、高い声を出して連れを呼び戻す。ここで黙っている親父ではない。「なんや用か?』その声に背の低い方が焦点の定まらない顔を突き出す。

「お前やない。声を出したお前や。なんか用か?」それ迄の親父が豹変している。この親父、女子高生2人位になめられる筋合いは無い。この前の事が無ければ眼をつぶってやるがこれからの事を思えば注意位は必要だろう。

「用はありません。デカイ声を出しただけです。」その言葉を聞いても挑発を続けるこまい女から視線を反らさない。今にも掴み掛かりそうな親父を見て背の高い女が押し止める。しかし、反省の素振りは無い。ここで電車が入って来る。そこ迄。

又いつか顔を合わせるだろう。その時も又、同じ態度を取るのだろう?次は男を連れて来るか?大丈夫。その程度で怯む親父ではない。吊るし上げられる?何の何の。西部劇の悪党に囲まれたガンマンと同じ立場にどれだけ立った事か?それでも怯んだ事は無い。

電車の中でも思い出した様にデカイ声を出していたが、さすがの親父も目の前で騒がれなければ無視出来る。レ、ミゼラブル4巻終わり。2回目の5巻がスタートします。しかし、最終章はドラマチックなあらすじで筋書きが大体分かります。降りる最寄りの駅の一つ前で2人組は降りる。親父は本から目線を動かさない。

替わって多くの人が乗り込んで来る。本を閉じ眼鏡を外して電車を降りる体制に入る。ipodの音量を調整しているといきなり大音量で電電を切る。澄まして顔を上げると向かいの席に見慣れた顔がある。親父など眼中に無い。

人の生き方はその程度でしょう。自分の範疇、自分の関わり、自分の価値観の中で喜怒哀楽を投影しているだけです。その事に気付けば実に他愛もない事かもしれません。なんか最近事に対して「ひねくれてない?」と言われるけれど考え方の違いを考えて見れば強ちその見方も間違いではない。そろそろ、苛立の無い生き方をしなければ成らないが、余りにも価値観の違いが大きい。

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2011年2月14日 (月)

日本が経済大国?国民総生産が中国に抜かれる?そんな事はどうでもいいのでは?

この国の報道の在り方が問われて久しい。
報道の在り方はどう在るべきか?この国の在り方はどう在るべきか?自分達の生き方はどう在るべきか?青臭い主義主張を口泡を飛ばしながら、語り合った若き時は遠い彼方に過ぎ去っても、未だに忘れてはいない。

それ程に難しい永遠のテーマ。しかし、今のテレビを見てそんな事を考えている人はどれだけいるのだろう。反社会的勢力。誰の事を言っているのだろう。報道機関が報道の在り方を蔑ろにしても、それは反社会的行為とは言われない。

今は街中で電車の中で公共機関で、人の迷惑顧みなくても、それは反社会的行為とは見なさない。政治と金の問題で小沢元民主党幹事長が報道の責任追及の矢面に立たされているが、他の政治家にはその責はないのだろうか?そんな馬鹿な事は無い。

今年の春行われる統一地方選挙では2大政党が勢力を落とし、地域政党の躍進が予想される。政治に関心を無くしオチャラケと自己中の生き方しか出来なくても、そこそこの意見を口にしながら、尤もらしく生きる。それで良いんでしょうか?良いんです。

今週後半はオフタイム。仕事から解放されてデジタル対応のテレビを買いますが、アナログとは違うレベルの情報がどれだけ手に出来るのでしょう?それは自分次第でしょう。景気の見通しも意外に違う見方がされるが、これだけお金持ちが少なくなっても景気は上向きなのだろうか?もちょっと的確な見方をしてくれないとデジタルの価値がない。ただより高いものではないけれど、役に立たないものは無いのだろう。

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もうすぐ雨水 雪が雨に変わるのか?明日朝は凍結注意


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もうすぐ春だと言うのに名残り雪。流石に雪に雨が混じる。みぞれ?イエイエ雪景色です。足元が滑りそうだけど帰りはなんとか大丈夫。雪が明日の朝迄残りそう。雪道に慣れていない関西人はスリップ、転倒、交通事故、注意だろうがどうだろう?

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ハクモクレンのつぼみも水気一杯の雪が積もっている。積雪量は多くないが重みは軽くない。そう。これが名残り雪と言われてもこの重み、支えきれるかな?夕方から雪も小降りになり今夜は冷えそう。春はすぐそこと言われても甚だ(はなはだ)迷惑です。明日は日差しが当たるからそれ迄の辛抱です。

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昨年秋記録した円山公園の老木。ムクノキ。樹齢は確認していないがこの生命力は一体なんだろう?信長の時代は親父もくたばる歳だろうが、今の世の中では普通に生きれば、後20年は生きれるだろう?20年前の時を考えると愕然とする。

あの頃、何を目指していたのだろう?あの頃の生き方が今の生き方を、形造ったとはとても思いたくないが、20年後生きていたとしたら間違いなく、これからの生き方が形を作る。1日は1日。10日は10日。しかし3月は3月では無い。

20年先の自分の姿は眼に浮かばないが、10年後の生き方は明確にしなければ成らない。そんな事は分からない?10年前の自分を思い起こせば人事の様には言い切れない。今の様な生活に満足ならそれも良し。そうでなければどう在りたいのか、その道を探らなければ成らない。

これからの生活格差は不平不満ではなく、3月単位の貸借対象表で決済しなければ成らない。貸借対象表。なつかしい損益計算書。財務諸表は企業業績だけでなく個人の生活レベルの決算書でもある。難しい。

そうこれからの社会の生き残りは誰もが真に厳しい。しかし、その事に気付けば、そして口先だけでは無く事に当たれば、必ず一歩先を歩けるだろう。歩けるに違いない。仮に歩けなくてもそれは運が無かったと諦めがつく。

3月の声を聞けば春は近い。昨年は久し振りに京都御室仁和寺の桜が見れたが、満開の時は過ぎていた。歓喜の萌え上がる感動はなかったけれど、今年は吉野の空で古の(いにしえの)歓喜の空を見なければ成らない。

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2011年2月13日 (日)

お風呂にも入ったし、テレビは見るものも無いし、寝るのはまだ早い

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下痢が止まり久し振りのお風呂に入ってさっぱりする。

有馬太閤の湯は本当に気持ち良かったが、流石にまだ行ったばかり。

近くの炭酸線の銭湯で辛抱する。

体重を量るとマイナス4キロ。下痢の影響は予想以上に大きい。

寒さも先が見える。今度の土曜日は雨水の時。雪が雨に変わる時。段々、暖かくなる。

寒い寒いと背中を丸めていると心の中迄寒くなる。

今度、太閤の湯に行けるのは新緑の時。阪急芦屋川からの芦有ドライブウェイの道を。ルンルン気分で行きましょう。その時迄しっかり頑張りなはれ。了解です。

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デジタル放送受信機(テレビ)の買い替え 

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スイスサンモリッツからツェルマット迄の8時間余のスイスを代表する特急の車内。隣のオーストラリアの叔父さん共すっかり同化している。何を二人して写しているのだろう?どうせ大した事も無い牧草地とその先の風景だろう?

今はオーストラリアもサイクロンが直撃して大変だが、国土が広いしそれよりもこの叔父さんにとって仕事が違えば関係ないかも。国内ではテレビ新聞が尤もらしくコメントしている出来事もここでは全く関係ない。スイスで日本を知らない人はどれ位居るのだろう?ヨーロッパではそれ以上に違いない。その程度の国です。

狭い環境の中で廻りの世界を見ていると、本当に些細な事に捕われている自分に気付いていない。「日本が経済大国」冗談ではない。世界の中でこの小さい国土の中で1億余の人が生きて狭い価値観の中で多くを語る人達は、異国人、理解出来ない人達です。

オーストラリアも日本も経済的、政治的、結びつきは小さくないがこれからは多くの課題を抱えている。オーストラリア農産物、鉄鉱石、石炭、日本がこの国から輸入して国内産業をどれだけ支えているのか、親父ですら全く知らない。

その国と今、貿易の自由化交渉を進めている。関税を無くして自由な貿易?そんな事をどう進めるのか?おばかな政府には魔法の杖でもあるのだろうか?間違いない。そんな無能な見識は間違いなく生産者の支援を受ける事は出来ない。

経済界の支援は受ける?アホやのう。この国は間違いなく貿易立国と同時に農業が第1次産業である事も間違いない。国民の安全と穏やかな生活は食の安全保障です。経済と車の両輪で在る事をどう説明するつもりなのだろう。さっぱり分からない。

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長い鉄路の中で食堂ではない座席に綺麗にどうしてテーブルを広げたのか?
もう忘れている。決して美味いとは言えなくても機内食とは大違いでした。
食事がその場の雰囲気でもある事を痛感する。さすがのおやじもお替わりはしなかった。(サラダではないよ。これですこれ。)
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ビーフではなかったからマトン(羊)だったのだろか?口の中で何時迄ももぐもぐしながら外の景色を見ていた。大麦のピラフ。これも一口では飲み込めなかった。味は悪くはなかった。隣の叔父さんお替わりはするし女性の分も食っていたな。

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ツェルマットの建物。1階は商店街。レストラン。2階より上は住宅地。ホテル。この街はマッターホルンの観光地として開けている。街中は車の乗り入れ禁止。住民関係者の許可車両は電気自動車。市街地は狭いしそれで正解かも。

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駅前の風景。マッターホルンが中央に頭を覗かせている。

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昔、映画で見た風景。この馬車はホテルの送迎用。

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登山鉄道から見た街並の一部。この日日本のテレビクルーと一緒になる。(と言っても撮影スタッフ。撮影された映像は衛星放送で放映されているが見ていない。)これからアナログの受信機に替えれば見れるのかな?イエイエ、親父の所はケーブルテレビで見ているので受信契約が必要です。さよか。しかし、その価値あんのでしょうか?

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おお懐かしい登山鉄道の駅迄お出迎えのトロッコ。親父の旅行鞄が見える。2222メートルの高さ。高度感は無かったけれど2度と見れない絶景が広がっていた。着いた日は霧の中で何も見えなかったけれど。

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日本アルプス上高地に帝国ホテルがあるが格式的にはどちらが高いのだろう?どうでも良い?確かに。しかしこんな処でバカンスを楽しめる人達はどんな生活をしているのだろう?大差ない?そうかも知れないな。生活のレベルが違う。

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旅立ちの朝、雲一つない景色のど真ん中にマッターホルンはそびえていた。その山裾をロープウェイで左の展望台に上がる。高所恐怖症の親父はゴンドラの中で喚いていた。半端な高さではない景色は事故の無い事が不思議でもあった。

ここで中断。お弁当を買って来ます。デジタルの受信機はまだです。親父の場合、テレビだけ買えばアルプスの景色、もう一度見れるのかな?無理です。でしょう。今のお間抜けな地上波のテレビがデジタルになったとしても、何かお得になるのかな?良く分からない。情報量が多くなる?どんな情報なんでしょう?

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夜明けと共に凛々しい山容を現す。これがヨーロッパアルプスを代表するマッターホルン。こうして遠く見ても高度感を感じるが現代はガイド付きで、彼に認められた岩登りの技術があれば登頂出来る。先日日本の女性プロデューサーが右の登山ルートを登る。滑落すれば生命の保証は無い。それを聞いただけで背筋が冷たくなる。

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登山鉄道終点。こんな山の上迄の鉄路は日本には無い。観光立国とか言われてもレベルが違う。今頃の時期はどんな姿を見せているのだろう?この時は夏シーズンの始まり。雲海の上に顔を見せていたマッターホルンに観光客の歓声が沸き上がる。

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ここでも高度は3000メートル。ゆっくりでないと歩けない。団体のガイドが2駅下迄歩く人に説明していた。ウオーキングルートは整備されているけれど、登山靴を履いていないと歩けない。寒くはないが防寒、防水ジャンバーは必要。

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山頂駅の上を連絡通路が延びている。最初は元気があったが意外に空気が薄い。ここから見上げる岡の上にホテルがある。始めの予定ではここに宿泊の予定だったと聞いて安堵する。景色は申し分なくても高い所は駄目です。

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2度と行けない楽しい一時も良い思い出となる。豪華さは無くても伝統と格式に溢れていました。無料のサウナとマッサージしなかったのは勿体無かったな。

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これも帰りの日のアングル。昨年紹介した自慢の画像。日差しを遮る黄色の傘を開く時は盛夏の時?雲一つない空は又来て下さいと言っていたが、又の時は無いだろう。それ程に文句の付けられない天気でした。デジタル放送にそれだけの価値はない。  

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2011年2月12日 (土)

心配された天気もノープロブレム 体調も良くなる

静かな連休の中日。と言っても働いている人も多い。
ご苦労様です。仕事が無い人の事を考えるとなんて言われても、程々がちょうど良い。今回の下痢でその事を思い知る。自分の体の事は自分が一番分かると過信していると、とんでもない事になる事を思い知る。不死身でない体の事を改めて考えると、今更ながら健康の有り難みを痛感する。そしてその事は当たり前ではない事も。

いちびり...調子に乗って騒ぐ事、目立とうとしてふだける、お調子者
そんな人を軽蔑しそんな人にはなりたくないと思いながら、意味は違うが健康回復を揶揄(やゆ)される。からかわれる?誰に?親父だって生身の人間。風邪がお腹位に入るさ。(自分で慰めている)体調が悪いと考え方がいじけて来る

もう1日テレビとスイスの画像見ながら遊んでいます。イタリアティラノの滞在は2時間足らず。食事の他は足を伸ばす処も無し。(知らなかっただけかも。)事前の調査でもその気もなく飯を食ったら来た鉄路を楽しむだけだった。その画像です。

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ティラノ駅ホーム。静かなたたずまい。国内の駅の騒々しさは何も無い。電光掲示板出発時間の表示も目立たない。乗り込んだのはこの電車ではない。

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これがパノラマ車両。電車のスピードは速くないが帰国後間もなくこのタイプの車両で脱線死亡事故発生。安全設計はしていても何が起きるかは分からない。それが事故です。本当にお気の毒です。
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さあ出発進行です。緊張気味。何を見ているのかな?
これだけの大きな窓が開いていると車両が転覆するとひとたまりも無い。
これまでそんな大事故が無かったのはタマタマだったのだろう。昨年の異常気象が影響したのだろうか?本当に言葉も在りません。

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もうすぐ国境のトンネルです。こんなに高い所迄冬期も運転です。その運行を支えている人達の姿は見えない。並大抵の事では越えられない困難な事をこの厳冬の時に確実に仕事をしている。そう言う人達がこの鉄路を支えて呉れている。
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この日電車の中は空いていた。まだ観光シーズンの始まりでさすがのヨーロッパもサマーバカンスの前だからだったのだろうか?。雪景色の峠越え車窓の雪景色に見とれている。天気に恵まれてこんな景色が見れるのも最初で最後かも。そんな感じは微塵も無い。もうすぐ本当にイタリアともお別れです。
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厳冬期3、4メートルの雪を除雪すると言われていた山頂の湖。スイス側に流れ下るのだろうか?これはもう人の為せる技とは思えません。ラッセル車の無い時代の人はどうしていたのでしょうか?当然人力では為せるとは思えない高さです。
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ティラノに来る時、パノラマカーの指定券が無くて降ろされたイケメンの車掌。スイスの人は日本人より仕事に対する誇りの大きさを感じた。反面、日本人の様な腰の低さは無い。きっちりとした意見が出来ないと話にならない。当然「おどし」は通用しない。日本人だけかもしれない。お客様が神様と思うのは。この時、親父は自分の席で静観している。車掌は到着時間を確認している。

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戻って来ました。サンモリッツ湖です。

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駅から上の市街に上がるエスカレータ。この日は旅行鞄を持っていないので、馬鹿を言いながら乗る。上の先客は他人。「声をかけるな」

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ホテルの上の市街地。おしゃれな高級品のショールームがありました。お呼びではありません。何時頃お呼びが掛かるのでしょうか?

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親父腹しか見えない。顔、顔。これは私の所為では在りません。ピントを後ろの時計台に合わせたからです。それで正解です。ハイ。これで終わりです。ちかれました。

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体調の復活 夢の中の言葉 凡人の揶揄(やゆ)いちびり

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近くの春を待つ桜の老木。
今年も綺麗な桜花ショウを繰り広げてくれるに違いない。
幹が苔むして朽ち果てるときが近いと思いきや、どっこい今年も莟を抱いています。
舗装された道路の片隅でどれ位生き続けているのだろう?
この住宅地が整備された戦後の復興期?
大手電鉄会社がこの地の住宅地を整備をしたのが、何時の頃か分からないがその頃から変わりゆく時代の流れを悠然と見ていたのでしょうか?
先日の雪の寒さも何のその。今年も老いて益々活力に溢れています。
肖(あやか)りたい? とてもとても足元にも及びません。

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これは近くの神社境内の大銀杏。

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しっかりと大地を捕えて凛(りん)とそびえている。どんな困難にも立ち向かう雄々しさと力強い支え。人の生き方もこう在りたい。それも無理だな。

それでも体調は序々に復活です。腹部膨張感は残っていますが、下痢は止まりました。これから暫く便秘に悩まされるのかな?
昨夜も10時過ぎに少しは期待していた映画の大作テレビ放送が、コマーシャルでヅタヅタにされ見切りを付けました。

10年近く前に本で読んだ時の息詰まる思いは、昨年の映画化で涙を込み上げさせてどうにもなりませんでしたが、無料の地上波にはそれを期待するのは無理でした。しかし、ジャンボ機で東京−大阪夜の便が墜落する前代未聞の悲劇は、あれから27年余の多くの年が流れての尚、多くの教訓を残しています。

事故の原因究明も明確に出来ない侭、大切な人命を預かる事は出来る筈も在りません。今は格安航空会社が登場していますが、安全と快適な空の旅を最大限優先する事が何よりも大切な事がこれからも証明されるでしょう。

民間がやれる事を官がやる事は無いと何処かの引退した政治家が言いましたが、今尚、多くの官が民間でやれる事をふんどり返って税金の無駄使いをしています。情けない事にそれでも無駄ではない?国鉄民営化、郵政民営化は一体何だったのでしょう?

その事が問われて一昨年政権交代が在りましたが、それでも問題の解決は先送りです。何時迄も的外れの論議をしている間にすっかり民意は、離れてしまいました。春の地方選挙では大きな地殻変動で既成の大政党が雪崩を打って大敗するでしょう。

その事は一部の地域の問題で影響は無いと政権与党はタカをくくっているが、その地域では元の木阿弥(もとのもくあみ)何の為の交代だったのかもうやむやでしょう。大きな地殻変動の中で生かされている事を、見失って来た代償は少なくない事をこれから間違いなく為政者だけでなく、その真実を伝えて来なかった報道も思い知る事でしょう。

昨夜、夢の中で誰かが言い聞かせていました。「体調は復活です。」「下痢も止まる」「人間の生きる力を再認識して下さい。」淡々と語られていた。
今更、この歳になって生きるとは何かと問われても困るけれど、そんな生き方しか出来ていないのかもしれない。

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2011年2月11日 (金)

西の空に夕日は沈んでも心に太陽を ipodに音楽を 下痢は止まる

スイスの旅 2日目 ティラノからの帰り。
アルバムを整理してみました。「堀内孝雄」を聞きながら遊んでいます。

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道案内がイタリアの街を現している。しかしここはスイスの国境近くの街。そんな感じが出ていた。6月の中旬と言うのに長袖にジャンバーが要った。

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通りに面したお店にもお客さんはそこそこ。ピザとワイン。大体このパターンが多い。この人達何処から来ているのだろう?テーブルの御婦人もそんな顔をしてみていた。「チャオー」とは言わなかったな。何故か寒そう。

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それに比べて店内は賑やか。親父はコヒーに口をつけたのかな?何を喋っていたのかな?

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来ました。チキンソテー?マカロニ、付け合わせも予想以上に口に合い完食。スイスもイタリアも料理はまずく高い。でもここはニンマリ。見栄えは今イチだけど。この旅で感じたのは日本食の完成度でした。美味くて当たり前。見栄え迄心配りをしている。

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駅の案内看板。旅は恥のかき捨てとは国内旅行だけ。外国は英語が喋れないと個人ツワーは出来ない。次の機会は期待出来ないが、万一行けるとしたら全てが分かるガイド付きだろう。高くなりまっせ。団体旅行?我が儘な親父に出来る訳が無い。

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ユーロチケット?違うな。ティラノから帰りのパノラマカーの指定席券。来る時このチケットを持っていなかったので降ろされた。しかし、車両を変えればユーロチケットのみで乗車可能だった。その説明を聞き分ける言葉力が必要。親父は無理。

これから「沈まぬ太陽」の映画がテレビ放送です。日航ジャンボの御巣鷹山墜落から27年?あれから安全神話は壊されていないが、事故の教訓は生かされているのだろうか?その会社は今、経営の危機にさらされている。   

 

 

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なごり雪 春告げ雪 今年の春は行進曲の様に歩けるかな?

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夜はゆっくり爆睡?。夜中の2時過ぎに下痢を感じてトイレに起きてのどの渇きを感じる。昨夜唯一の贅沢、静岡浜名湖三ヶ日ミカン6個690円を買っていたのでニンマリ。3個美味そうに噛みしめる。(子供みたいだのう)。一時もしないうちに下痢。それでも安心して起きたのは9時前。春の雪が音も無く落ちていた。

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春を告げる花に春の雪がシャーベット状に被さっている。寒さは無い。昨年の6月に見たスイスサンモリッツの雪を思い出す。あの高原の雪は流石に季節外れで思い掛けなかったが、現地の人に興奮は無かった。雨まじりの春の雪もこれが見納めか?

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下痢はまだ止まっていない。食い過ぎだけでは無く風菌が悪さをしたのだろうか?そうではない。母さんから言われた我が儘な生き方に、久々の鉄槌が振り下ろされたのだろう。見境も無く、年甲斐も無く、身の丈に合わない生き方をしていると、天罰が下る。しかし、考えても見たまえ。世の中のリーダー達。そんな生き方をしていないか?今年の名残り雪にはそんなメッセージが込められている。

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懐かしいサンモリッツの6月の雪。到着前の雨が雪に変わっていた。大阪の名残り雪とは正反対のサラサラ。同じ事はどちらも寒くなかった事。これは君の画像です。暫く見てみますか?この後、イタリア国境に向かう。

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今朝の様に物音のしなかったサンモリッツの駅前。駅前の広場は狭く宿泊施説は上の岡。右側に車の道があり、歩行者は左の長いエスカレーターを登る。君から言われた時、信じていなかった。観光地の喧騒(けんそう)感は微塵も感じられない。

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到着の時、この左のスロープを親切なタクシーで登って行ったのだろうか?アホな親父はこの時タクシーの中でデジカメを落とす。この時迄撮った画像とこれからの撮れない美しい画像を考えた時、愕然としていた。君から保険が利くからカメラの心配はないし、旅先の画像は記憶媒体をコピーして送ると言われて、元気を取り戻していた。この先の画像も君から送って貰ったもの。カメラは優しい運転手が届けてくれる。この景色は人の情けを噛みしめた旅のプロローグでもありました。

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さあ出発進行です。しかし、次の駅でパノラマカーに乗り込み車掌に降ろされる。

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運転席。パノラマ車両が連結される。空いていた感じで次の駅で乗り込む。改札の車掌から乗車券だけでは駄目だと降ろされる。電車はそのまま走り去り田舎の駅、どうするのかと思いきや駅の窓口で、次の各停を案内される。待ち時間も目的地の到着時間もそう変わらない。冷ややかな雰囲気が一転する。

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駅名はドイツ語?読めない。各駅停止でも車両に格差は無い。有るのは視界の差。しかし、それも気にならずアルプス越えの鉄路は快適でした。この区間も冬期運転。ラッセル車の出動は日常的。除雪の高さも車両の高さを超える。

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これから広がる雄大な景色も知る良しもない。なんか態度悪くない?口元がやばい。

お腹が空いたので弁当買いに行って来ます。(お腹大丈夫?)腹が減るくらいだから大丈夫でしょう?この先まだまだ続きます。

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これで6月。今頃はどんな風景だろう?雪の量が多いだけです。ホンマかいな?

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アルプス越えの駅。もうすぐ景色がイタリアーノです。

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この先が国境越えのトンネルです。トンネルを越えると一気に下ります。

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上の画像との違い分かります?イタリアです。

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寒そう。流石に電車の中から外の雪山を眺めていた。

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この高さを冬期も運転。凄いとしか言う言葉が無い。

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もうすぐループ橋です。「又君に恋している」テレビコマーシャルで放映。

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イベントの最中?鉄路も結構の勾配が在る。

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このアングル 窓を開けられる各停の恩恵。特急では駄目だね。列車はこの上を廻り込みながら走る。「又君に恋している」時は来るのだろうか?無理だね。(言い切るな)

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ティラノ到着。伊豆箱根鉄道と姉妹鉄道。でもスケールが違う。

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このレストランで食事をする。店内は盛況。カップル、子供連れ、熟年夫婦。おかしな日本人カップルにも眼も呉れない。食ったのはポテトチキンパスタ。コーヒー、スープ付き。味は結構でした。トイレもきれい。流石に観光地のお店でした。

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2011年2月10日 (木)

下痢は止まらない 食欲は出て来たし嘔吐(えずく)事は無くなったけれど

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寒い寒い。めっちゃくちゃさむい。明日は久々の積雪。5年前のときは派遣の仕事。近くの車の工場の派遣社員の出勤確認。当日の無断欠勤が無い様に2人組で管理していた。あの朝は久し振りの積雪で社員の頭数が心配されたが、欠員なし。それでもぬかるみに足を取られながら、親父の毒舌に一言も反論しない監督者は足元の雪を観てニンマリと「夜の確認もよろしく」と言いながら朝の仕事終わりですと言っていた。

今はあの良き時代は無いが「派遣」の仕事はどうなったのだろう?一昨年迄は社会ニュースにもなった「派遣」の仕事。この国の労働コストは東南アジア、発展途上の国と比べて高すぎて国際競争にもならないと言われて久しい。

「景気を良くする為には、国内の製造現場を確保する為には、生産コストを下げるには」多くの言葉が大きなうねりで働く人の収入格差を固定化している。「景気に持ち直しの機運が有る。」この国の経済の先行きに明るさを見出したい気持ちだけではどもならんだろう。

気持ちだけでなく統計にも現れていると言われても、間違いなく「派遣社員」以下の仕事すら手に出来ない人も少なく無い事を、社会問題として直面する時がこれからの社会だろう。その厳しい現実を5年前の積雪の時に見ている。

その前の積雪の時は大阪ではなかった。仕事で行った兵庫県の北部。少し車を走らせると日本海だった。寒い寒い一般道の路肩の地質調査。腰の高さ迄の雪を見るのに感激する余裕は無かった。

新米の親父の仕事は雪かきから。雪かきをしないと仕事が始まらなかった。仕事が終わってスキー客と一緒に入る温泉は何とも皮肉だった。親父も若い頃来ていたスキー場は近く、違和感は全くなかった。雪景色の中の仕事は意外に寒くない。寒いのは仕事が済んでからだった。

雪の中の仕事、最後となったのは北陸トンネルの上だった。あの時の雪は結構凄かったが、今年の豪雪は当時を越える。民宿の部屋は3人で6畳の部屋だったが、先輩2人とは話が会わず、1人で長靴を書いて雪道を歩いていた。寒かったけれど感情が入り込む余地はなかった。あれは10年前の仮設モノレールの仕事。今は無い。

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京都鯖街道。京都市街から大原と国際会議場の分かれ道は近い。桜の大木が車の排気ガスにも負けずに今年も見事な満開の時を迎える時は近い。こんなに苔むして桜花の時が有るのかと思いきや、見事な桜の景色を見せてくれる。その時をお楽しみにして下さい。中央左手の川は高野川。左手下流で鴨川と合流です。

下痢は止まらず。それでも体は着実に回復している。専門医の診断も受けずにええ加減な事を言うなと言わそうだが、そんな感じがする。明日もう1日様子を見て下痢が止まらなければ土曜日に診断に行きます。

悪たれを言った掛り付けの医者に笑われるに違いない。どんな悪たれ?それは内緒です。まだ早いけれどヘビーメタルを聞きなが寝ます。なんか昔聞いた歌を思い出す。昔は不良ではなくくそ真面目でした。今はその反動が出ているのかな?そんなことは無い。唯のしゃべくり親父です。ヘビーメタルも死語かと思いきや、時々馬鹿を見る。

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2011年2月 9日 (水)

食い過ぎだけでは無いよと言われる ではナンですか?

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枝雀さんに「あほや」と笑われている。唯の食い過ぎと思いきや風邪がお腹に入っていると、近くの総菜屋の親父に言われる。医者でもない唯の親父。それがただ者ではない。頑固者の親父が何故か同類の親父の言葉に敏感に反応する。

「一昨日、下痢と嘔吐(おうと)でまだ食欲が出ない。下痢も正露丸が効かない」
「それは風邪は腹に入っている。下痢は止めるな。整腸薬。ビオフェルミン」
懐かしい薬の名前を叫ぶ。風邪とは無関係の親父も今年の気温変動には耐えられなかったのだろうか?そうではない。元気だからこそそれ位で済んでいる。

夕食は駅前のスーパーでおかゆ3袋(何で3袋?)つぼ漬け、四万十川の川のり。総菜屋さんは女将さんに冷やかしで立ち寄る。その時の親父さんとの会話が貴重なアドバイスとなる。そうか。それもありか。その足で向かいのドラッグストアーに向かう。

明日はお仕事です。お粥と生タイプのだし名人関西風うどんは用意が出来たし。今日のテレビで「歯の力」『噛む力」生きるとは何物なのか伝えられていました。これからは親父達だけでなく多くの人に問われる課題です。

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えずく 嘔吐 へど 汚い言葉だけれど忘れられていた 

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昨年の秋公開した円山公園の画像。ピントが良く合って立体画像になっている。
この画像を公開したのは昨夜の後遺症が未だ続いているから。人間万事塞翁が馬。中国の格言。この頃、歳の割に元気だったので思い知らされたのだろう。

いくら美味い食べ物と言っても食い過ぎはイカン。
昨夜は流石にミカン3個だけで、8時前に暖かい布団に潜り込む。「桂 枝雀」さんのCGを聞きながらすぐ寝てしまう。起きたのは深夜。ヘッドホーンを外して寝直す。

枝雀さんの落語は本当に面白かった。言葉の喋り、言葉の落ち、言葉の綾?だけでなく話し方、ボデーアクションが文句なかった。その話芸は人気が出る前から研ぎ澄まされていた。昭和48年うつ病発症。平成11年心不全のため逝去。合掌です。

親父の体は爆睡のお陰?で復活です。それでもむかつき、嘔吐(おうと、えずく)は無くなりましたが、下痢はまだ続いている。ラッパのマーク「正露丸」も流石に手を焼いている。医者で下痢止め、整腸剤の処方をしてもらわないとイカンかも。

人間の体、心は薬を飲めば何とかなるのではなく、薬は体の不調を止めるだけ。
大事な事は自分の体を知る事。へどを吐くとか嘔吐をえずくとも言う事が忘れ去られて久しい。それだけ健康に恵まれていたのだろう。

一昨日の嘔吐(おうと、えずき)がどれだけひどかったのは、両脇腹の痛みで再確認する。人は誰しも己の体に絶対的な強さを求めるが、そうではない事を久し振りに思い知る。汚いとか綺麗とか言ってみた処で生きる事は、綺麗事では行かない。

己の命を絶つ事は並大抵な苦しみではなかったと考えた時、枝雀さんの心の病が今の世にも絶える事はない。大切な事は今この時でも苦しみの中で生きようとする気持ちだろう。人気絶頂の時、心の病の中で追いつめられて逝った昭和の名人は、この混迷の時を生きる大阪人をどう観ているのだろうか?

「すビバせんね」親子酒のネタで語られるこの言葉は枝雀さんの現代人へのメッセージだろう。多くの人の笑いを誘う言葉の中に多くの想いがあったのだろう。師匠や多くの人から爆発的な人気を揶揄(やゆ)されても、芸人としての道を求めた生き方をこの言葉の中に感じ取る。すみません。謙虚な生き方をしないとあきませんえ。

大好きなラデツキー行進曲を聴きながらしんみりした心に喝を入れている。毎年、年の初めに音楽の都ウィ−ンで行われるニューイヤ−コンサートでこの演奏を聞ける迄は健康で頑張りなはれ。枝雀さん、おたの申します。



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2011年2月 8日 (火)

東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ (菅原道真) 

昨夜は最悪の夜でした。原因は「ナン』4個入りの一つが旨かったので残りの3個を一気に食ったのは運のつき。下痢と吐き気で熟睡が出来ず。下痢が近くなるより吐き気が尋常では無かった。洗面所と流しの排水が詰まる。宮崎からのフェリーで台風の余波で洗面所を詰まらせた事は有るが、あれ以来だな。慌ててドライバーで配管の詰まりを取り除く。しかし吐き出した量も多く一時は思案に暮れる。幸い、ドライバーを突き刺すと水が流れて事無きを得る。しかし、それだけでは終わらなかった。

下痢と吐き気を繰り返しながら気分は悪く、仰向けでは寝れない。横向きに体をくねらせながらなんとか寝ようとするが、下痢が邪魔をする。最後は開き直る。一晩位寝れなくても大丈夫。しかし、大丈夫ではなかった。朝、6時半眼さましの音で飛び起きるが食欲がない。買い置きのトマトジュースを口にするが、何時(なんどき)もしないで吹き出す。胃が受け付けない。

それでも仕事は休めない。当日の交代はプロとして失格。這ってでも行かないと思いながら食べ物は何も手にしない。それが正解だったのだろう?電車とバスを乗り継いでなんとか仕事場に到着。しかし、フラフラ。胃の中が空っぽになったのは良いが水分補給が出来ずに脱水症状になっている。16茶の缶の暖かいお茶を2缶、口にすると落ち着く。その後、立て続けにカルピスとグレープの乳酸飲料を口にして暗示を掛ける。それでも下痢が止まったのは昼の弁当を半分食った後だった。親父の下痢止めの正露丸。流石に今回はお手上げでした。今夜早めに昨日の分迄暖かくして寝ます。

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2011年2月 7日 (月)

心に疲れを感じた時、安らぎを求めていますか?お勧めのアイテムは?

クラッシック音楽を聴く。クラッシック?そうクラッシックです。
今年の7月からテレビの放送は全てデジタル放送となりますが、その時、期待する事の一つは世界の名曲を聴きながら、その現場を旅する事です。

ラデツキー行進曲はパリで起きた2月革命の影響を、オーストリアウイーンでも受け保守派と革命派が対立した時、ウィンナーワルツの父として名高いヨハン、シュトラウス1世が保守派の士気を鼓舞する為に作曲した事を、始めて知りました。

美しき青きドナウはその子2世が父の後を継ぎ、多くの名曲を発表していますが、その中でも名曲中の名曲と世界の多くの人に親しまれている。この曲を聴いていると見た事も無い川が頭の中で思い描かれるから不思議です。

ドナウの大河は中国の黄河、揚子江、インドのガンジス、エジプトのナイル、アメリカのミシシッピー、ブラジルのアマゾンと全く違うのでしょう。一度は川下りやりますか?それとも古城のホテルにしますか?

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少し前、スーパーで見つけたナン。一度カレーを付けて食ってみようと買い置きをしていた。仕事から帰って夕食の前に1枚食ってその旨さに感激。そこで止めて置けばいいものを、夕食の時、残りを完食。食い過ぎ。久し振りに気分が悪い。アホ。

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本日の山茶花です。まだまだ美女軍団は続いています。

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黄金の国。西の沈む夕日を追い掛けて飛行機が飛んでいる。近くの飛行場に眼も呉れず、何処の空を目指しているのだろう?

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2011年2月 6日 (日)

コートが邪魔になる それでも未だ手放せない 春は名のみ?

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城跡公園入り口の花キャベツ。何回かお見せしたけれどまだ咲いています。?
咲いていると言うより開いていると言った方が正解かも。?
今迄2回は左側から移しているのでPに見えたり、10に見えたりしていましたが流石に今回は分からない。世の中は混迷の時を見定めていないけれど。その事を暗示しているのかもしれない。

今朝、コンビニのレジでおにぎり1個、ランチパック1個、スポーツ新聞の支払いをしていると、後ろの客がカウンターにワンカップ大関を2個置いて、親父の清算を急がせる。「何だこの野郎」ぶつぶつ言いながら後ろを向くとタバコを注文する。

「馬鹿やろう」清算をしながら声を荒げる。当然後ろのおっさんはお馬鹿な親父を無視、早くタバコを買いたい一心だったのだろう。気分を悪くしながら店の外に出ると違うおっさんが親父の自転車の横でうろうろしている。「なんだ、どけ」親父の怒りは燃え盛る。火に油を注ぐとはこの事か。

流石におっさんは親父の乱暴な口の聞き方に怒りをあらわにする。その瞬間親父の表情が変わる。「どけと言うとんのが分からんのか?』温厚?な親父も負けては居ない。親父の剣幕に押されて劣勢のおっさんは店内の客の連れだった。朝から酒飲みかと思いながら鉾を収める。親父のいらつきの種は尽きない。そのうち殴られる。

「若者よ、体を鍛えておけ。逞しい体に空雲。支えられるその日が必ず来る。その日の為に体を鍛えておけ。」この歳にも成って尚更(なおさら)その思いを強くするのは若い頃鍛えられた大阪人の心意気か?そんな事はおまへん。大阪人にもアホが多くなりました。アホには勝てません。最低限の身を守る護身術だけは身に付けなはれ。

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これが左から見た画像。1と0。この時には知る術も無かったが今年の7月からテレビの放送がアナログからデジタル放送に替わる。その目的は多くの事が言われているが、今イチ良く分からない。

アナログからデジタルに替わると一方方向の情報が双方向に成るとか。そう言われても情報の活用は難しい。その証拠が今のテレビ放送。ニュースは放送の基準が明解でないし、これこそ一方通行。

今日の夜7時のニュースは相撲春場所の中止を長々と伝えているが、相撲の体質が国技と言われるのはおこがましい。格闘技が「心、技、体」と言われる一方、プロ意識が問われても勝ち負けの差は綺麗事ではない。その裏側の実態は明確でない。

ニュースに求められる事は出来るだけ多くの事実を、コメント無しで伝える事だろう。最近うんざりさせられる事はコメンテーターが解説者ではなく、当事者になっている。「それは貴方の意見でしょう。」が多過ぎる。

民間放送の番組は公共放送の呼称は既に放棄されている。オチャラケと食い物、旅の感動ではなく、興味本位。面白ければ何でもありでは免許取り消しだろう。それが許されるのは視聴率。これが高ければ余程の事が無い限り問題にされる事は無い。

そんなテレビも親父の年代はよく見ている方だろう。これからはもっと見る。そうならば反対に役に立つ使い方をしなければならない。役に立つ使い方、それは選択と集中。それはビジネスの世界だけの言葉ではなく、親父世代のキーワードになる。

今見ているテレビ番組。さすが池上さん。石見銀山のオンリーワン。眼の付け方が違う。他に無いもの。他では見れないもの。自分の足で訪ねて触れて見たくなるもの。これからの限られた日々が生きる知識。それが求められている。

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少しピンボケですが今夜のお吸い物。吸い物と言うよりサヤエンドウと豆腐、カマボコのゴチャまぜ汁。サヤエンドウをシマヤ出汁の素と濃い口醤油大さじ3杯で煮込んでいる。お気に入りの固い豆腐も柔らかくなっている。筋は完全に取り切れてないがそれも愛嬌です。汁が甘い。豆の味が出ている。カマボコは少し上等にすれば味が引き締まる。卵も1個落としている。もう1個でもいいかな?。

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2011年2月 5日 (土)

0,5センチの間違い 靴を折角買ったのに足にストレスがかかる

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18の時、大阪に来て最初に住んだ街。今でも当時の面影は替わらないが、街の
風景は変わっている。阪急の駅も整備されているがこの先高架になっている路線は、近くの大型店の反対とかで工事は進んでいない。このまま固定化されるのだろう。10年、20年先を見据えた都市の開発が進まない見本になるのだろう。その責任は問われる事も無い。右も左も分からなかった大阪の街で、訥弁(とつべん)と汗をかきながらの営業の仕事は実る事は無かった。しかし、今、人並み以上の大阪人に慣れたのは、この街の良きその筋のおっちゃんと水商売のお姉さんのお陰かもしれない。

この写真を撮っている処は横断歩道。ところが写真には写していないが放置自転車が一杯。どないなってまんねん。放置自転車の対策は最寄りの駅でも、解決に3年掛かる。決め手は行政と関係者、電鉄のやる気。始めはほとんどの駅できっちり出来ない。未だに大阪市内の繁華街にある放置自転車は、管理者と放置者のイタチごっこ。それでも徹底して取り除く、置き場を造るしか解決策は無い。カメラを構えている前で高校生がデカイ声で話をしながら、自転車を置き話をしている。「どけ」親父から怒鳴られる。

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狭いホームでエスカレーターの工事中。高架の駅に出来なかったのはこの駅と次と次の3駅。後世の笑い物となる事もないのだろう。公共の鉄路がこの区間だけ高架にならなかった理由を知る人は殆ど居ない。この先で大きな鉄道事故が昔、在った事を知る人は皆無になっている。事故を忘れてしまっても安全が確保されては居ない事を忘れてはならない。

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久し振りに庄内の駅を訪ねたのは靴を買いに行った。この前、買った靴が底が凹んで歩きにくくなったから。この駅の近くの靴屋は値段が安く、自分の足に合う迄自由に試し履きが出来るから。しかし、サイズを0,5センチ小さくしたのは間違い。

買った靴をそのまま履いて駅のホームに上がった時、窮屈に感じる。すぐ様店に戻りサイズ変更を申し出るが後の祭り。履いて外を歩いた靴は交換出来ないと前にも他の商品で言われた言葉を耳にする。「売り物にならないから」。諦めてその靴で散歩コースを歩くが景色とは裏腹、案の定足が痛いし靴も安物。これがホンマの自業自得です。安物買いのなんとかです。何時もは26,5センチを26にしたのが運のつきでした。

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足のつま先が痛い。折角のオニューの靴が合わないほど不愉快な事は無い。今日は血圧を下げる薬を貰いに行って待たされ、ついでに服用している血糖値を下げる薬も、馬鹿にしては行けないと掛り付けの医者に言われ、朝からイラチ(いらつき)になっていた。まあ、こんな日も有ると自分に言い聞かせていた。

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夕映えの時。冬木立の先に沈みかけの太陽迄小言を言っている。静かな夕暮れ。枯れた芝生の庭は足元に心地よい。来週金曜日「沈まぬ太陽」のテレビ放送が有る。昨年映画館で見た時、フィナーレの字幕が流れる時、涙していたが今度も泣くだろうか?親父は泣き虫だからな。カンパニー企業を食い物にしたダニ達は、今でもしぶとく生きている。政治と金の問題を尤もらしく口にする綺麗事はここでは通用しない。

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霞の所為で六甲の山が見えない。春霞と言うにはまだ早いがこの霞は一体何?

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親父さん、難しい事を聞かんといて下さい。親父さんのカメラの夕日モードの所為でしょう。人の所為にせんといて下さい。アイ、アム、ソーリは管総理の専売特許ではないのか?そうそう、本日午後一時駅前の狭い出口に橋本大阪府知事が来た。

演説を聞く迄もなく自分達が立ち上がらなければ駄目だと力説したのだろう。そうは思わないけどこれからの政局も、一寸先は霞の中かも。(旨い)明日から始まる地方の選挙は2大政党はお呼びで無いかも。しかし、地方の時代と声高に叫ぶのも、いかがなもんでしょう。国も地方も思い上がりを捨てなければ、改革には程遠いと思うけど。大阪都構想?なんで大阪府が都にならないとイカンのか?さっぱり分からない。

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池の鯉もさっぱり分からんとテグス(白い糸)の下でとぼけている。3匹居るのがお分かりか?本当はもう少し鮮明に見えるのだが水面が反射している。「私らさっぱり分からん」と言われても人間様はそうはいきまへん。もちょと考えなはれ。

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「親父さん。今日は餌はおまへんのか。見るだけは止めて餌をくれ。」
そう言われても間もなく閉館です。又、改めて来ます。ストレスの掛からない靴を履いて。」会話が成立している。閉館放送が流れたので帰ります。「気をつけて。帰りなはれ」

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公園入り口の大木も下界を見下ろしながら澄ましている。
何も言わないけれど、そしてこれからもそうだけれど、しっかりとした生き方を求めている。なんだかんだ言わないけれど、これからの生き方は口先だけでなく行動が問われている。そろそろテレビもデジタル対応受信機に変えなければいけないが、それだけでは駄目な事を知る人は少ない。有識者会議?東京でムバラク退陣のデモ行進?ええ加減にしなはれ。テレビのニュースは音声を消して見るだけで充分です。

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2011年2月 4日 (金)

立春大吉 今はあの玄関をくぐることも無いけれど お陰様で元気です

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立春大吉 長い間出口を探して彷徨っていた。
立春大吉 近くのお寺さんでこのお札を頂き玄関のサッシに貼ったのは一昔前の話。あれから多くの時間が流れたが、幸せのトンボがにっこりと手を差し延べて呉れるのは、何時の時だろう?楽観は出来ない。楽観どころか悲観しか出来なかったが、それは君次第と囁かれて(ささやかれて)いる。多くの事ではなくほんのささやかな願いも、無惨に消え失せた寂しい時も、今は時の流れに染まっている。行く川の流れは留まりたる試し無し。(鴨、長明)かな。

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白から紅への世代交代の時はすっかり終わったと思っていたのに、どうしてこんなに綺麗なつぼみを誕生させたのだろう?(そんな事もありますよ。別に珍しくもおまへん)。そうですか。そうでも良いけど、残念ながらタイムイズオーバーです。

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花の命は短くて輝きの時は一時だけれど、君は本当に輝いたのだろうか?輝きの時は一時と言われても、その一時さえも手にしていなければどうするのだろう?どうもしない。唯、それだけの事でしょう。多くの思惑が人の思いを超越している。

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山茶花の花もこれだけ注目されれば本望だろう?イエイエ貴方の事です。人の事より貴方自身も生き方が問われています。今、多くの事が問われていますが、自分自身の生き方をどれだけ変えているだろう?(変え様が無い?)そうかもね。

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もうすぐ花びらが落ちる。先日迄の寒さで花びらの日持ちはしているけれど、来週迄は持たない。人の命を考える様な歳になると花の命も又、愛おしい。(いとおしい)
立春大吉の時は穏やかな1日。暫くは暖かい日が続くが寒さの時は様子を見ているだけ。景気対策を望むなら自分の財布を広げなければならない。自分の財布を広げるにはそれだけの先読みが求められる。景気の先読み?出来ますか?ケーキ作りは出来る。それが出来れば充分です。(本音は違うけれど)コラコラ。」

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2011年2月 3日 (木)

節分 旧正月 そして明日は立春 季節は春一直線?

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昨年秋に始めて入ったケーキ屋さん。本社に行った帰りに何時も綺麗なお店の前を通りながら、入れなかったお店。思い切って入ったのは昨年の晩秋。今でも顔だけしか知らない娘は鹿児島の人だった。心優しい彼女に勧められたお菓子はマスターの故郷宮崎の香りがしていた。親父は一回しか食べていないが得正の中西君、お勧めです。

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近くの交差点角にたこ焼きのお店がオープンしたのは昨年の暮れ。
親父さんと親父は何故か意気投合。食べ物屋さんの商いも難しいと思うがこの親父、自分のお店のたこ焼きに絶対の自信を持っている。確かに味は良いが皮が中身に押されて柔らかい。これも親父さんのこだわり。商売繁盛酒持て来い。

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旧正月の喜びは無いが幼い頃、田舎の正月は2度美味しかった。農業中心の暮らしでは旧暦が生活の基本だったのかもしれない。農業が生活の基本で在る事は言う迄もないが、最近は蔑ろ(ないがしろ)になっている。(ないがしろ.....軽んじる、無視する)

食は人の健康と生活を大きく左右する。健康で文化的な生活を維持するには食生活が大きな影響を与える。その事を痛切に感じる歳になって来た。高齢化社会が現実の問題となり元気で長生きするハードルは非常に高い。その事はこれから増々関心を高めるに違いない。その一番大事な食事。食がもう一度見直される時は目前に迫っている。

そんな今年、信じられない言葉を耳にする。tpp(環太平洋パートナーシップ)多くの一般人はこの言葉と政府の取り組みの実態が良く分からない。平成の改革とか平成の維新とか言葉は勇ましいが、農産物の輸入制限、関税障壁の問題をどう解決するかではない。どう対応するかである事も明確にはされていない。

関税障壁を無くして自由な貿易。そんな事が出来る訳も無いのに、その対策を取るからと言われてもそんな事を信じる人がどれだけ居るのだろう?ところが信じられ無い事にそれも出来ると太鼓判を押される。誰が考えてもそんなマジックは成立しない。

新幹線の車窓に広がる関ヶ原の景色を見て見なはれ。昔はもっと広かったと思われる田畑が細切れになっている。農政の失敗、農政の破綻、農政を食い物にして来た行政に何処の誰が期待するのか?お間抜けな政治屋と利益集団だろう。

後一月もすると球春が始まる。斉藤フィーバーも勝負の世界はそない甘いもんやおまへんで。勝負の世界だけでなくビジネスの世界も厳しい。ビジネスの世界だけでなく国際社会も誠に厳しい。現実を知らないだけ。何時迄も貧困層を踏みつけにして政治の安定も無い。アメリカの中近東政策も破綻です。何時迄も自国の思うが侭にはならない。テロとの戦いもこれで見直しです。

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親父、大阪の再生。浪速の事は夢の又夢 秀吉辞世の句

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全国何処にでも見られる駅舎。ここは先日のブログで公開しなかった有馬温泉の乗り換え口。ここから一駅で有馬の温泉街に到着する。この温泉に電車で来たのは始めて。大阪からのアクセスは芦屋(阪神、阪急)六甲口(JR)からですが、このルートは六甲の山が立ちはだかり、バス、ケーブル、ロープウエイが足となる。

秀吉がこの温泉に逗留をしたのは晩年。天下統一の安定したつかの間の息抜きの時だったのだろう。その時の道は知らないが宝塚からの最短のルートだろう。有馬の湯は関西の奥座敷と言われて久しいが、最近の小金持は何処で息抜きをしているのだろう?Img_5440

親父達が若かった頃、眩しく輝いて憧れの的だった温泉街に活気はなかった。行った時が平日だったからそう見えただけで、これからの高齢化社会を考えると、温泉で夫婦水入らずもありと思えるが、どうなのだろう?

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目的の温泉の道は予想通り遠くはなかったが、イメージとは反対の方向。少し戸惑う。それでものっそり道案内の地図を手にしながら、焼き栗の釜から栗を取り出しているお姉さんに行き先を確認する。間違い無し。デカイ丹波栗を5個求めて1個食いながら坂道を上って行く。このホテルは有名な宿泊の温泉。一回位は御婦人と来たいね。(コラ)。日帰り温泉の「太閤の湯』はこの上右側の川の上に建っていた。

今回利用したクーポンは電車が交通手段だったので、有馬の観光ルートとしては今イチ。本当の良さはJR芦屋、阪急芦屋川駅から芦有ドライブウェイ経由の道を片道は利用したい。そうするとこのクーポンは使えず費用も2000円位のプラスになるかも。それでも次回行く時はそうしたい。このクーポンにそんな配慮が無いのは大手電鉄の工夫の無さだろう。高野山のクーポンを利用した時もその事を痛感する。

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天下統一を果たし、より豊かな争いの無い生活が期待された秀吉の晩年は、余りに哀れだった。水飲み百姓(貧農)のこせがれが、類い稀(たぐいまれ)な能力で天下人迄上り詰めた道は賞賛に値するが、その後の自己保身の道は己の身の消滅と共に雲霧と帰す。豊臣の安泰を懇願された家康に無惨に叩き潰される。歴史の審判は今、尚、続いている事を改めて思い知る。太閤はん、頼みまっせ。あんさんもね。

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2011年2月 2日 (水)

陽は又、登る? バス乗り場が整備?景気はどうなるの?

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仕事の時、利用するバス停。何故か側溝の整備をしている。
隣接JRの駅が高架になって駅前が整備されている。
この駅前に最初に来た時を思うと、隔世の気がする。(少しオーバー)

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深紅の君も盛りの時を過ぎると色褪せる。
最近の冷え込みで開花の時が遅れ、少し長持ちはしているがそれでも時間は限られている。人の世も同じ。輝きの時は一時。多くの時はそれ迄の仕込みかもしれない。
今日日(きょうび)仕込みの時と言われても分からない人も少なく無い。
例外は居るけれど殆どの人がそんな綺麗な生き方は出来ない。
理由は何なのだろう?現実の厳しさと人の浅はかな思いを重ねると答えは難しく無い

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堅い莟(つぼみ)。開花の時は暫く先になる。その時、今の寒さは一段落しているだろう。1月もすれば春の気配は確実に感じられるに違いない。2月もすれば桜が咲いて春も爛漫と時となるのだろう。明日は節分。巻き寿司をかぶりついても福は来ない事をどれだけの人が思い知るのだろう?親父はどうなの?買うだろうな。(やっぱし)

お間抜けな国会論戦が始まり、予想外の静かな予算委員会に拍子抜けしているが、注目の名古屋トリプル選挙が間もなく行われ結果が出る。これも何故か名古屋、愛知以外の地方では関心が全くないが、この結果は予想以上のインパクトを与える事を認識していないだけだろう。これ迄の2大政党では駄目。地方の注目される政策と人気のある個性を求められる。それはスポーツ(サッカー、野球、ゴルフ)の世界の話ではない。ミーハーレベルで政治が注目されるのだろう。

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久し振りに焼き芋を頂く。良く焼けているでしょう。両手鍋で弱火で返しながらほぼ蒸し焼き。正しくは焼き芋やさん風。旨い筈だが味は今イチ。しかし懐かしい味。田舎の炭焼き釜の前で焼いて貰った味がする。芋が98円。もう少し高くないとアカンのか?甘みとホクホク感が無い。(贅沢)そう味にうるさい。人間的にうるさい。人に好かれなければろくな死に方が出来ないよ。そうまだまだ借りは返せてない。

昨日は有馬の温泉でのんびり出来ましたが、今年の経済は正念場を迎えます。問題に果敢に挑戦する事無く、先送りしか出来ない政策に鉄槌が下されるのも時間の問題と思いきや、その緊張感もない。流れが動き出すのか?

今、北国の豪雪。鹿児島、宮崎の火山灰、鳥インフルエンザ、都市は高齢者、一人住まい。空気は乾燥して肌も眼も住まいもからからに乾いている。厳しい生活が目の前に迫っても人々の緊迫感が今イチ感じられないのは、この国の豊かさなのだろうか?そうではない。無知と変革を信じていない人達。その人達も又、哀れです。

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2011年2月 1日 (火)

有馬温泉 昔のイメージは無し 雪も無し のぼせもなし

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最初で最後になった有馬の湯は本当に久し振りだった。
思い立ったら吉日とも言われるが昨日迄はそんな気持ちは少しも無かった。
有ったのは豪雪地方の撮影。しかし伝えられるニュースを見聞きする度に、そんな野次馬根性は失せていた。替わって持ち上がった気持ちは温泉。そうだ有馬に行こう。

先週4日の休みの後、1日仕事をして今日は又お休み。生活の基本が少しずつ替わっているが、肝心の肉体に変化は無い。新陳代謝の衰えた皮膚とメタボな体。これからの生活を支える大事な体が、オーバーホールのメッセージを出している。

「今、岩盤浴をしてアカスリをしたら、どんだけのアカが出るだろう?」そんな事を考えながら阪急梅田のサービスセンターで交通費と温泉入館料セットのクーポンを買う。2700円。安いのか高いのか、それは行ってのお楽しみ。

大阪梅田始発の特急で神戸の新開地迄。そこから神戸電鉄三田行き普通で有馬口迄。後は乗り換え1駅で有馬温泉駅。目的の温泉は歩いてそんなに遠くは無かった。10年位前に車で芦屋から六甲の山並みをドライブウェイを通って来た時、素通りした温泉街に昔の面影は無かった。16年前の震災の爪痕も感じられなかったが、半世紀近く前の記憶は到着したのが夜だったし、分からなくても仕方が無い。

近くの川沿いの茶店で大きな栗を焼いているお姉さんに栗を買いながら道を聞く。通りに人影が少ないのは車社会の現れか。駅から迎えのバスも出ている。

「太閤の湯」名前はたいそうだが宿泊を辞めて日帰り温泉(健康ランド)にして正解かも。入浴客は平日でも少なく無い。何故か韓国の家族連れ、カップル、若者が日本客と同化している。言葉を喋らないとその区別は出来ない。

入館の手続きは不慣れで分からないが、フロントで丁寧に説明してくれる。親父は健康ランドの経験が無いが館内の費用はロッカーキーに付いているバーコードNo.で管理され帰りに清算。次からは要領が分かる。

温泉は有馬は何と言っても「金泉」赤茶色をしている。太閤の湯はこの赤と無色透明の「銀泉」が混ぜられて何とも心地よい。温泉で火照った体を横に出来る長椅子も有るが、親父は外の露天ハーブの湯でのぼせを冷ます。何とも心地よい。

露天風呂には源泉掛け流しの見事な「金泉」がある。流石に長くは入れないが体に英気が染み込んで来る。高血圧に効能ありと聞けば嬉しくなって来る。最後の〆はこれも露天の「五右衛門風呂」。体の中から不純物が湧いてくる。目の前の看板が長湯をすると本当の釜ゆでになるとジョークを飛ばしている。

来た時は「健康ランドかよ」と馬鹿にしていたが温泉は文句無し。サウナも良かったし心残りは別料金の岩盤浴とアカスリをしなかった事。これは次回のお楽しみ。次は青葉、若葉の時に六甲を越えて来たいな。帰りは電車の中で寝ていた。

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