春の雨 季節が変わる この国が動く?
久し振りのまとまった雨。雪がみぞれ変わる頃、北国の厳しい冬も春の兆しを感じるのでしょうか。大阪は先日迄、1月先の陽気でしたがこれで又、平年並みの季節に戻るのでしょう。久し振りに重さを感じる様になったコートを脱ぎ捨て、身も心も春の陽気に浸れるのはすぐ其処と、近くの排水路の水も教えて呉れています。
そんな春になればと思う気持ちは長い間、踏みつぶされていましたが今年は何故か、そんな予感がします。本当に長い間自分の心の中に蓋をして来た春は「麦踏み」の様に屈折の時でした。麦踏み?ご存知かな?麦の真っすぐ伸びた若葉を足で踏みつぶす。今は大麦の栽培が激減し手間ひまの掛かるそんな農作業はお目にかかれない。折角伸びた麦の芽を軽く踏むのは、当然丈夫な麦の茎(くき)を育てる為です。
今は人の育て方も様々で麦の様に新芽を踏みつぶす様な指導者は少ない。本当の戦力に慣れるかどうか分からない新人も、褒める(ほめる)事が大事とか。新人だけでなくベテランでも叱る事は禁句?そんな事は無いだろう。「人は人に笑われながら成長する。」「何もしないで取り澄ましている人間より、何かをしてそして恥をかく人間の方がどれだけましだか分からない。」守屋語録も麦踏み同様過去の遺産か。
今は景気の先行きが見えないと言われながらも実態は、緩やかな回復基調にあると言われている。親父達低所得者にはそうは感じられないが、経済の先行き見通しに明るさが見えるのは、政府と日銀の金融緩和(難しい言葉)政策に他ならない。簡単に言えば0金利政策。(まだ分からない?)お金を貯めるより運用させる。
しかし、この政策、お金を運用出来る人以外は関係ない。運用どころか貯金も無ければ本当に哀れです。今、国の財政も破綻寸前にあると言われても殆どの人が実感しないのは、関係ないと勝手に思い込んでいるだけでこのままの無策が続けば間違いなく国も企業も国民の生活も財政破綻でしょう。
お金がないから関係ない?そうは行きません。お金が在っても大変だからお金がなければ乞食になるしかありません。貧しい生活?豊かな生活が何時迄も続く保証は何も無い。言わんや貧乏な生活も。現政権の支持率が22%。中近東、ヨーロッパの混乱は間違いなく続く。アメリカ、中国、新興国の経済成長も微妙になっている。
それでもその深刻さが全く感じられないのは、マスコミの影響?。
そうでも無いかも知れない。政治、経済、国際問題、直接自分達の生活に関係ない事は関心が無くて当然かも知れない。それではイカンのだけれどそれで良しと思えば現状も理解出来る。心が空しいとか哀しいとか泣き言を言わないで、前を向いて歩いて行けば必ず道は開けるかも知れない。そんな春の歓喜の歌が聞こえて来る。
最寄りの駅に行く途中の花壇の花も久々の雨で活気を取り戻している。
花より団子ではなく花に自分の生き方を投影する余裕の無い生き方をしていると、心の中に季節感が無くなる。喜怒哀楽の多い生き方をして来たけれど、これからは花を愛でる余裕も出て来るのだろう。
久々の雨は心の中にそんな潤いをもたらしている。
少し画像が暗いのは大盛りのご飯に明るさを合わせたからだろう。お休みの時、家に居る時はこのお弁当。美味そうでしょう。何時もはご飯がこれより少ない。今日は大盛。温かいご飯が美味い。おかずも総菜屋さんの気配りが感じさせられる。これで普通は500円。今日はご飯大盛りで570円。安くはないが親父の活力源です。
雨は今は止んでいるが弁当買いの時は降っていたので、傘を差しながら歩いて出掛ける。7〜8分の所。天気が良ければ自転車だけれど傘を差しながら歩くのも悪くはない。肩を寄せ合い歩く相会い傘の時は記憶の片隅にも無いが、春の雨は心が和む。
朝、モーニングコーヒーに出かけた時も雨だったが、あの時は近くの人見知りをする幼い女の子がママと一緒に笑って呉れた。上の兄貴はもうすぐピカピカの1年生。この間迄赤ちゃんだった女の子も、親父の顔が分かる様になって来た。
この子供達が生きる社会はどんな世界だろう。最近の社会がそうである様に、否それ以上に薄情な日常が当たり前になっているのだろうか?そうであるにしても年老いた親父達の生き方は国や行政に頼らない垰やか(たおやか)肉体と精神が求められている。
(たおやかとは本来、女性の褒め言葉。しなやか、上品、そんな意味があるけれど余程親しい人で無いと誤解される。)親父の大好きな言葉ですが毒舌の親父が口にすると嫌みにも聞こえる。昔、しなやかに歌ってとコマーシャルソングが流れていた。今、そんな歌い方をする人は居るのだろうか?居ますよ。必ず。そうかな?
先週末、仕事始めのラジオ体操の時、諦めかけていた保育園児の娘が、パパの自転車の後座席で顔を見せる。暫く見ぬ間に大きくなっていた。昨年の10月以来だから4ヶ月振り?ラジオ体操の音楽とそれに合わせた体操が大好きだったミーちゃんは寒い間はママの車で通園していた。これから暖かくなると又、合えるのかな?
雨も上がり暫くの間、春の訪れは足踏みをしても暦は弥生3月。心躍らせて一段上の喜びの時を迎えなければならない。この国の有り様は桜花の時とは皮肉に一足早い桜吹雪となったとしても、自業自得、人の世の習い、奢れる者は久しからずだろう。
宴(うたげ)の後とは余りに短い政権交代。宴の時も味わっていない多くの支持者に対して、公約すら守れないのだとしたら、間違いなく今年の春に行われる地方選挙で惨敗となる。その認識すらなくて何をどうすると言えるのだろう?
それでも一番の不幸は政治家先生でも公務員、お役人でもない。間違いなく最大の不幸はそのとばっちりを受ける多くの国民だろう。マスコミが尤もらしく世論、世論と口にする人々だろう。その事がこれから間違いなく現実の問題となる。
なんでこんな事になったのだろう?今日的課題を問いかけた時必ずぶち当たる問題は、静かに考えて見ると誰にでも思い当たる事があるだろう。くだらない出来事、会話、雑談の中にその欠片を(かけらを)見出す事が出来る。そしてその事に多くの人が気付いている。それでもその問題が改善しないのは、自らの怠慢でしかない。
何も人のことを言う事は無い。問題に気が付けばゴチャゴチャ言わないで、自らが変わる。仮に変われなくても少しだけでもその気になれば良い。そうすれば少しずつ自分の生き方が変わる。どんなに固い絆も一時の移ろいも思いが全てを叩き壊す事を、思い知るのはこれからかも知れないが。ビクトル、ユゴーのレ、ミゼラブル是非読んで下さい。全巻(1〜5)は大変だけれど親父は結構飛ばして読んでいる。
今夜の食材は缶詰。久し振りにお気に入りのさばのみそ煮を買う。198円。イワシは155円。これは別の日に美味しいキャベツと和える。缶詰?と侮るなかれ。缶詰のみそ味はこれだけで下手な味付けは顔負けです。野菜の缶詰は398円。これが本日の一番に贅沢です。後ろに少し見えるサツマイモはこれから両手フライパンで焼き芋です。その前に六種の果実頂きますか? 食い過ぎ?
久し振りの焼き芋 少し早めに取り出したので少し固い。もう少し蒸らしていたら柔らかくなる。それでも美味い。1人でニンマリとしながら冷めたコーヒーを口にすると咽せる。(むせる)お腹には良いけれど完全に食い過ぎです。眼を瞑り(つぶり)ますから明日からのお仕事頑張って下さい。ありがとうございます。
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