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2010年12月30日 (木)

年の瀬のお買い物 この静かなアパートも出入りが多い

年末。近くの宝塚インター近くの中国自動車道も混雑している。最後に家族で帰省したのは君が中2で兄貴が高1の時か。あの時は夏の帰省。年の暮れの様な混雑にはならないだろうとタカをくくっていたのが甘く、愛知県岡崎位で殆ど進まず。

神戸からのフェリーの時間が気になり次の豊田インターで下道(したみち)に降りる。それでも親父はのんびりとしていた。諦めていた訳ではないのに途中、ジーンズのお店に寄ったり日産の販売店で、フェリー会社に電話をしたりしていた。

乗船切符は乗り遅れると無効と言われて俄然その気になって名阪国道を急ぐ。名古屋から途中迄無料(一般国道)鈴鹿の山越え位から有料になり、びんびん飛ばす。意外にこの道は空いていた。それでも大阪平野に入ると夕方、陽は既に傾いていた。

この時点で完全に諦める。それが良かったのか分からなかったが市内の高速も、道を間違える事も無く神戸青木のフェリーターミナル到着。その少し手前で目的の船は出港。これが本当の一足違いと苦笑しながら、乗船整理の叔父さんに次の便を聞くと「臨時がすぐ出ます」ラッキー。他にも乗り遅れの車と乗船待ちの車が多かったとか。

船の中は当然2等船室。流石に場所取りがきつい。個室は無理でも特2のベッドと聞いてみると空いていた。雑魚寝とは大違い。寝る場所が確保されていた。帰りはこの席も無かったが2等船室。いびきが気になるまでもなく何故かこれが最後の予感が当たる。

別府湾の夕暮れを屋上デッキでロッキングチェアーに座り、1人で眺めていた。四国八幡浜の夜景、来島海峡の狭い急に廻り込む暗闇の海もその後の人生を暗示していたのかもしれない。あれから多くの歳月が流れて親父は今、新たな船出を予感している。

静かな静かな年の瀬 今年も年の瀬のニンマリ出来るおせちを口にしなくても、このipodでベートーベンの「熱情」を聞いていれば年越しそばもうどんで充分だろう。年の瀬と新年早々仕事をしていた時を思えば、心は満ち足りて来る。

今夜はチャンポンです。年末は大荒れの天気が予想されているけれど、関西の年の瀬は北国に負けない程の寒さです。雪の量や風の冷たさを比べ物にならないけれど、それでもこれ迄が暖か過ぎたからだろう、めっちゃ寒い。外に出掛けるのもおっくうになる。

本当はマダマダお正月に準備が出来ていないが、明日は大晦日。年越しは家でなく出掛けるとするか/どちら迄?それは内緒です。昨年迄は本当に寂しい年の瀬だったけれど、今年も間違いなく紅白は見ない。田舎の暖かい座敷で家族揃って無事年の瀬の祝いが出来たあの慶びの時は無くても、淡々としていれるのは特別の思い入れが無くなったからだろうか?否、それだけ寂しい生き方に慣れたのだろう?

今年は秋にレ、ミゼラブルの本が読め年の瀬になってベートーベンの「第九」が聞けた。追い討ちをかける様に長い間聞く事が無かったピアノソナタ23番「熱情」。それだけでなく今、聞いている第8番「悲愴」。これはこれ迄の多くの想いを超える。

嬉しいとか哀しいとか憤りの思い。今年も色んな事が在ったが人の感情にたたみ込んで来るベートーベンは本当に最高です。今迄の哀しみが歓びの時と変わる前に今年の最後に大きなプレゼントを手にした気がする。これ迄人に上げたお返しだろう。

ミゼラブルの主人公も偉大な作曲家ベートーベンの晩年は必ずしも幸せではない。反対に不幸だったろう。それでも後世の人に伝えたものそれは名声や名曲だけでなく生き様だったのだろう。目の前の日常だけに一喜一憂しない生き方、その事をこの年の瀬に教えられた気がする。バカバカしい?そう思いたまえ。ベートーベンもそう言っている。

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