今日はお休み 久し振りに近くの喫茶店に行く
モーニングセット450円 この50円がみそ 親父レベルでは気にもならなかったが暫く行かなかったのは、常連が煩かったから。親父も結構毛だらけだったと思うがそれ以上デカイ声の世間話は、一時の静寂を求める親父の神経を逆なでしていた。
もっと近い、その前から馴染みの店もマスターの思いが、親父の自尊心?を傷つけ、もう長い間足を踏み入れていない。何処のお店でもそうだが色んな客がいて、多くの感情と言葉を口にする。
繁盛する迄はそれも気にならず反対に愛想笑いで誤摩化しても、そうではなくなると感情を露(あらわ)にしてしまう。商売も仕事も親しい筈の夫婦でも親子でも恋人、友達、親父と中西の間でもその微妙な阿吽の呼吸(あうんのこきゅう)は難しいのかもしれない。
そんな時、あなたならどうしますか?その事をきっちりと考えずに本音を漏らすから蜘蛛の糸(信頼関係)は切れる。多くの人がそんな筈ではなかったと思う信頼とか絆(きずな)は、その程度と思えばつきあい方も変わって来る。
単純、単細胞、多くの思い込みは殆ど、相手も心を突き動かす前に体をかわされる。猪突猛進でなくても無心の心で在りの侭の自分をさらけ出したとしても、その心が通じる事は難しい。
それだけでなくその思いが通じたとしても、些細(ささい)出来事、何気ない一言で奈落の底にたたき落とされる。ああ無情。人の心の果敢なさ、人の生き方はその程度の物、その程度の結びつきである事を理解出来るのは、何時の時だろうか?
反対にその事を痛切に受け入れた時、人生、人の生き方は変わる。「何で、何で」と思われた事が、その程度の事だと思えば忘れられても、人は多くの事に拘る(こだわる)が為に、憎しみ許せないと思う心も又、大きいのかもしれない。
今日も小春日和。陽の差し込まない薄汚い(それでも不満は無い)部屋で隣のおっさんもぐずぐずしている。親父よりずっと若いおっさん。昨日の電車の中の輩同様、生きる術を無くしている。こんなに天気のよい平日、家で燻る(くさぶる)悲劇は仕事にありつけないからか? 景気は回復基調?冗談ではない。
親父の今日の予定は無しだったが天気に誘われてお出掛け。デジカメの電池が残量少なく充電中。意外に時間がかかる。これは計算外。これからはスイスで教えられた様に夜に充電する事を、習慣にしなければならない。
仕方が無いので11時からの経済ニュスを見ていると、株価が上がりコメンテーターが嬉々としている。おかしいのと違う?株価のアップダウンは投資家の思惑。世界の製造業の景況感が良い?元気があれば株価が上がる?バカも休み休みに言え。アホ。
親父のお気に入りの経済ニュスもこの程度のコメントでは駄目だな。アメリカの株価に引きずられているだけ。アメリカの株価は投資ファンドの動向で決まる。アメリカ経済の分析はこの程度だとしたら、株式市場もその程度かもしれない。
この國の政治の世界に先行き不透明の影が忍び寄る時、景気の先行きにどうして明るさを見出せるのだろうか?それとも君が言う様に政治と経済に相関関係はない?それは間違いなく誤りだと解る。その時は意外に早いのかも。電池の充電終わり。親父も出発進行。発車オーライ。面舵いっぱい。ヨーソロ。(それ程の事でもない)。
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