夕日を再びありがとう。マナーの悪さは酷い これが当たり前?

日の入りを見る為にいつもより早く家を出る。いつもの散歩コース。いつものコンビニでおにぎり2個を手にして、いつものコースを淡々と歩く。違う事と言えばイヤーホーンで音楽を聴いている。何時かはやりたかったこのスタイル。見慣れた景色も何故か違う。途中で寄り道をしていたら遅くなる。ぎりぎりセーフ。

途中で寄り道したお稲荷さん。赤い鳥居に夕日が当たり景色が映えている。正に赤い夕映えです。

中学校のグランドのフェンスにとげの鋭い痩せた幹。黄色いゆずが立派に成長している。

この樹の生きた歳月は親父と同期?まさか 親父が生まれる前からこのグラウンドを見続けてきたに違いない。根元に違う草木が伸びていた。

このアングルから見ると良く分かる。少しゆっくりしていたら遅くなる。

間に合った。傑作の一枚。



日の入りをデジタルカメラの夕日モードで撮っているので手前が暗くなる。実際はこんなに暗くはない。芝生の公園で幼い子供たちが親とボール遊びをしている。子供が小さいとまだ許せるが大きな子供が親父と同世代の人とサッカーボールで遊ぶのはいかがなものだろう。最近この手の人は少なくない。
良く言われる言葉。「関係ないでしょう」当事者でなければ言葉を掛け合う事が、不快感と不信感を増す。芝生の上で大きい子供たちが走り廻るには公園の芝生は強くない。その最低限度の事が分からない。自分達がその時満足すれば、それで充分なのだろう。大切に育てられた芝生が踏みつけられても、何も感じない。

六甲と宝塚の山に沈む夕日は今日も赤く静かだった。散策の道に立ち止まりながらシャッターチャンスをうかがっていた。夕日が山陰に沈む時は一瞬だった。決定的瞬間は一時。陽は沈み日は又、昇るけれど人生で失った物は簡単には取り戻せない。夕日の沈む時は幻想的だけれど現実は、そんなに甘くない。

| 固定リンク


コメント