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2010年10月

2010年10月31日 (日)

メル トーメを君は知っているか?知らんじゃろう(笑い)

久し振りに休日の朝、早起きをする。(と言っても定時より1時間だけ)。
昨夜、つまらないテレビを見ていたら寝ていた。気が付いたのは日付が変わる頃。
慌てる事も無くベッドの縁(へり)に座り、パソコンで遊んでいた。

東京は競馬が中止になった位だから、雨風がひどかったのかと思いきや、台風の予想進路が南にそれたのでそれ程でもなかったのだろう。お役人の決める事はその程度の事だろう。競馬開催なら笑い飛ばせるが切実な現実の課題は、そうはいかない。

景気対策、雇用対策、高齢化、少子化、子育て支援、多くの課題がその程度でもテレビや新聞で目にする当面の課題は、政治とお金の問題?景気対策?いい加減にしなはれ。失われた信頼を取りも出すのにどれだけの対価を払わなければならないか?お間抜けな官房長官には分からない。こんな人、何処にも居るね。

それでもなんとか飯が食えるのは、この國の名も無き多くの人がどれだけ懸命に、自分と家族を支える為に生きているか、そのお陰だろう。親父もこの歳迄生きて来れたのは自分の力では無い。その事に感謝しながら昨日、手を付けなかった本を読む。

この歳になってこの秋、予期しない感嘆な出来事が合ったが、この大作との出会いも大きな偶然だった。何の気無く読み始めた事も偶々(たまたま)。読み始めて5巻もある事に圧倒される。日本語訳の題名「ああー無情」の意味を一巻から予想させ、それでも今読んでいる最終巻迄、読者に分からせないのが名作と言われる所以か。(いわれ)

この物語の主人公はジャンバルジァン。フランス革命の前夜を生きた波瀾万丈のこの人の生き方は親父は何故か中学の国語の時間、吃りながら輪読させられた事がある。それで知っていたし、今考えてみるとあの頃の気の弱さが愛おしくなる。

何処の社会にも自分の価値観、自分の物差しで人を批判する輩が居る。そんな事は全く気にする事はなく、自分の個性を生かせば良いのだがなかなかそうはいかない。その事を理解するには読書が一番よい。当時の親父の様に訥弁(とつべん)を気にするなら、声を出して読むのがよい。そうすれば呼吸の仕方、発声のコツが分かる。

その程度の事だろう。人を馬鹿にする輩は多くても自分自身を客観的に分析出来る人は少ない。人を笑う前に自分が笑われている事を知れば、思いやりの言葉も出て来る。この國の多くの人に欠ける事はその事だろう。(親父、親父、あんたが一番。)

じゃかましい。本当の親父の思いは子供にも分からない。親父が親父に思っていた事が見事に伝承されても自業自得だろう。なんか女々しい話になったがこの本ももうすぐ終わる。その時、フランス革命と主人公の生き方が少しは分かるだろうか?(笑い)。

メル、トーメはアメリカの?ジャズシンガー。親父もこの歌(どの歌)?を聴きながら英語のお勉強出来るかな?(無理です)。what a ディファレンス(綴りが出ない)a day。(やっぱし。ディファレンスの綴りが分からん様じゃ)まあ、見てなはれ。

いやー。今日も感激です。お気に入りの歌手のブログで親父が若い頃泊まった宿が紹介される。会津東山温泉滝の湯。宿の横を流れていた滝もそのまま。うん十年がタイムスリップする。くたばる前にスイスにも行けたし、次はここかな?

(親父、国内はあんたの地で行ける。関西弁を少し押さえて身なりを整えれば)そうだ。奥の細道を車で駆け抜けた時から多くの歳が流れたけれど。元気で入れ歯(ちがう、居れば)何でも出来る。伊能忠敬が年老いてこの國の各地を歩いたのも元気だったからだろう。これからの生き方は節制あるのみ。(と言いながら昨夜は久し振りにゆでたまご3個食いました。ごめんなさい。)

訂正 ジャズシンガーはメル、トーレ(男性)ではなくダイナ、ワシントン

曲名はwhat a diffrence a day made (何でdiffrence スペルおかしい?)

日本語の意味は「縁は奇な物」とか。全く同感です。最近が無縁社会と言われるが、それも又、一面です。社会の変化に取り残されると哀れの言葉以外、何物もありません。それこそがレ、ミゼラブルの世界。「ああ、無情」かも。

なんか今日は久し振りに燃えています。(親父、親父、秋は哀愁の時でしょう?)大好きなフランク永井の「おまえに」が流れてきました。この曲を聴いていると「13800円」の炭坑節に変えないと涙が出てきます。これから飯です。松茸弁当食えるかな?

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2010年10月30日 (土)

笑って暮らせば何とかなる?今は昔の語り種(ぐさ)

贅沢言わなきゃ食える?働かなければ食えない。(親父は年金で食えるだろう?)
これが浮き世だ、泣き言言うのはよそうじゃないか。(それは同感)でも不満が無ければ改善は無い。
(あんたは不満しか言わない。もう少し先の先が見えないか?)良く言われました。でも、でもですよ。(そう、そのでもが余計、必要ない。)断定される。

今朝は近所のセキスイハイムの新築工事で、お休みの静かな朝の微睡(まどろみ)の時を破られる。トースト一枚とコーヒーを口にしながら静かに寛(くつろ)いでいると、断続的に続く工事の音がうるさい。仕方なく君から貰ったipod(音楽プレヤー)を耳に当てていると、懐かしい歌を耳にする。

この前のブログにも書いたが、フランク永井の歌「13800円」。親父もこの歌は知らなかった。親父の初任給。入社と共に基本給は15000円になったがあれから半世紀弱、多くのものを手にして失い、それでも笑って暮らせば何とかなると言われても、今イチ、実感は湧かない。それでもこの歌を聞いて見なはれ、なんか肩の荷が軽くなる。フランク、何で実践せんかったのだろう?首なんか吊らなくても。

それが現実です。口先でどんなに尤もらしい事を言っても、人の思いは他人の思惑を超える。本当に切羽詰まった時、何でも語れる人は多くは無い。仮に身内であったとしても一心同体とは言えない。自分の全てを知っている人は、本当は居ないと言われ多くの人は怪訝な顔をする。しかし、その程度と思えば丁度良い。信じる心は素晴らしいが人の思いも又様々。その事を今知らなければ落胆の思いも小さく無い。

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秋が深まり来週は11月だけれど、事務所前の桜木は紅葉と若葉の時が、混在している。それでも今回の台風が過ぎ去れば、間違いなく高い山は秋の夕日が映える。親父の体調もどうにか元に戻る。季節の変わり目に体調の変化を自覚すれば、照る山紅葉も今年は噛み締める事が出来るだろう。

京都東山と北山、そして西山の秋はそろそろ、見納めかもしれない。(親父さん、まだまだ。旅に出るのは早い。もう少し、もう少し、腰だめをしないと。空回りになるよ。)そうかな?そうです。桜の若葉に諌め(いさめ)られている。

いつまでも何処迄も季節の移ろいは変わらずとも、生命力に永遠の力は無い。その事を知らないから、何時迄も若いと勘違いするのかもしれない。年相応の生き方をしないと、いずれ体の歪みは予告も無く爆発する。耳の掻きむしりと切れ痔はそのパシリだったのかもしれない。レ、ミゼラブルいよいよ5巻に入りました。万歳。万歳。も一つおまけに、万歳。主人公ジャンバルジャンはどう生きるのだろうか?

親父の生き方にどれ位、影響力があるのだろう?無い気がする。小説は事実より奇成りと言われるけれど、あまりに知らない(無知)事と人の哀れが無情とは言い得て妙だろう。物語とは直接関わりのない時代背景は飛ばしたが、完読したら読み直してみたい。

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2010年10月29日 (金)

幾つになっても勉強 Kさんと思いがけない再会

P1000282台風の余波は今日は無かった。9時半から始まる研修に30分前の行動。最寄りの駅で空いている電車を選ぶ。各駅停車。ラッシュ時と重なり空いては居なかった。

それでも終点梅田の手前迄はなんとかおしくらまんじゅうをしないでほっとしていた。それなのに何で?2つ手前の十三(じゅうそう)で若者のサラリーマンに体を曲げられる。押し戻すと押し戻される/

どういう事、無理して乗り込む気持も分かるけれど人の体を押し曲げても頭は下げんのか?一気に気分が悪くなる。2駅の辛抱。なんとか我慢する。最悪。

P1000283 目的地の地下鉄出口を上がると、空は台風の余波も無く秋の空。快晴。研修スタートの時間には余裕が有り、空を見上げながらゆっくりと歩く。朝の忙しい時間、こんな優雅な気持ちに慣れるのは、不愉快な思いをした後だけに、心に安らぎの思いが込み上げる。この樅の樹?にクリスマスのイルミネーションが飾り付けられるのは遠くない? 後2月で今年も終わり。アーユー、レディ?いやいや、早いものですなあ。

光陰矢の如し。タイムイズ、アンナローですなあ。(英語のつもりですか?)

少年老い易く、学成り難し。老いてもなお学ぶ?その心意気来年も忘れるな。(それはどうかな?言うは易し、行うは難し)

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研修が終わってそのまま帰るか迷う事無く、足はここに向かう。カレーうどんの専門店。このお店に足が向いてもうすぐ2年。関西のカレーうどんは関西の味が濃縮されていると言われるが、このお店の味はこのお店のチエーン店でなければ口に出来ない。カレー味と薄い牛肉、足で踏みつけられたうどんのこしは、知る人ぞ知る。

このお店で思いがけない人と再会。店長の中西とは前から息子同然の阿吽の呼吸。言葉を選ばずに横柄な言葉を掛けても、何一つ嫌な顔をしない。これ迄多くの人とお友達に慣れたが親しき仲にもなんとかで、長続きした事は無い。

たいした会話は無いが気の置けない赤の他人の関係は、何時迄続くか気にも成らない。おいしいお店、三ツ星レストラン、産地直送、伝統の味、色んなお店が有るが今日、又、奇縁、偶然、奇跡が重なる。

今年の夏、暑い昼下がりの時、近くの城跡公園で偶然、話をした中国の留学生Kさんと再会。すっかり忘れていた人に会えた感激は言葉に表せない。

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2010年10月28日 (木)

いよいよ来週から11月 為替レートも大きな変わり目

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今朝は雨。テレビの報道は冷たい雨を強調していたが、親父には心地よい雨。自然災害の災難に直面している奄美の人、日々の生活に困窮していたあの頃、生きる糧を失っていた時を考えると、何たる罰当たりかとも思うが、もうすぐ読み終わるレ、ミゼブル(4)の作者ビクトル、ユゴーに言われるまでもない。人の生き方は様々です。柊南天(ひいらぎ南天)の水滴、水玉がこれほどの反撥をするのも新発見です。

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桜の葉が紅葉して左下の緑の上の葉が缶コーヒーを紹介している。(見えるかな?)
見える人には見えるけれど、ほとんどのの人には見えない。桜の葉の妖精が何をプレゼン(商品紹介)しょうとしているのだろう?(親父大丈夫か?頭?)

ズーとズーと昔の話ですが、甘党の親父の口に合っていました。長い間、見向きをされませんでしたが、最近、どんな風の吹き回しか親父さんのお気に入り。人の思いもいい加減です。

今、巷(ちまた)で口にされる政治とお金の問題、おかしいと思いません?何処の政治の世界に綺麗なお金が在るんでしょう?オホホ。(ラビットに笑われている)。もう死んじゃったフランク永井。笑って暮らせば何とかなると歌っていたのに。知らんでしょう。13800円。親父の初任給。 ちなみにこの缶コーヒーは120円です。はい。

今、テレビで大井川鉄道を「空から見ている」。何度も走った道を空から見ていると懐かしい思いが一気にフラッシュバック。最初に走ったのは何時だったのだろう?最後の時は一人になって兄貴が大学四年の時か、それとも塩郷の吊り橋で喚いた時か?

今年の秋はどうだろう?冬が来る前に行きたいけれど、今年も無理だな?そんな気がする。静岡市内で仏壇を求め藁科川(わらしながわ)を上り詰めたあの紅葉の道は、残念だけれど2度と走れないだろう。

 道は立派だったけれど無我夢中だった気がする。もう一度、走ってみる? 帰りの大井川沿いの道が厳しかったと思うけど、今はどうなのだろう?長島ダムは完成したけれど典型的な税金の無駄遣い。それでも11月中旬の秋は黒部の秋に負けないかも。

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2010年10月27日 (水)

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 ナンバー2

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桜の紅葉。赤く色づく時はもう少し先だけれど、カメラを近づけると意外に葉っぱがまだ青い。緑の葉色は朝夕の冷え込みが強くなる12月には、完全に紅に変わる。今日は大阪でも最高気温が一気に落ちる。昨日は木枯らし1号を笑ったが、暖房が要る。

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お昼前から明るい日差しが差し込んで来る。垂れ込めていた雲が払われると青い空。伊丹の空港を離陸した飛行機が左におおきく旋回する。東京方面は左側。九州方面は真ん中を直進する。右は六甲山。その上を関東から九州、その先に進む空路

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日の入りが早くなる。この決定的日の入りは前の公開しているお気に入りの絵。暫くの間、この景色も週末でなければお目にかかれない。じくとご覧あれ。体調は元に戻るが耳の掻き過ぎと切れ痔が痛い。(医者に行くのも時間の問題かも)。これから銭湯でゆっくりお尻の穴迄(コラコラ)、暖まってきます。

銭湯は何故か大きなガキ(大学生)で湯船が満杯。一瞬サウナにするかと迷う。それでも親父の思い入れの気持ちは変わらない。湯船に入れなくても横の泡が吹き出ている腰掛けの湯に潜り込む。久々の若い活気あふれる言葉を聞きながら、平然と見渡している。どれくらい居る?さり気なく頭数を勘定している。(オイオイ親父、戦闘モードか?)

当然、相手も親父を意識している。それでも親父が威圧している。何も言わずに体を温めていると、ガキの動きが激しくなる。水風呂と往復が始まる。馬鹿たれ。湯船の温度が冷める。それでも親父が湯船を出て体を洗う。ガキの声がデカクなる。シャアナイ。来た時間が悪かった。黙々と体を洗っていると煩い声も気にならない。

体の汚れを荒い落とすと静かに湯船に体を沈める。やれやれと思う間もなく一旦出ていた数人が飛び込んで来る。水風呂に入っていたからだろう。声が煩い。此処で一声が出る。「うるさい」無視される。流石に静かになるが相手にされない。

流石馬鹿ではない。馬鹿なのは親父。追い討ちをかける。親父が怒りの言葉を口にしたら必ず口にする馬鹿の一つ覚え。「注意されたら言う言葉があるだろう」親父、誰に言っている。しかし青年は意外な言葉を口にする。「すみません」

大人達の多くは若者の非礼、非常識、非日常を口にしても、言葉をかける事は出来ない。多くの若者には若者の常識があり、多くの大人にも多くの非常識がある。そのコミュニケーションが出来ないだけだろう。それでも人を見て法を解け。親父の価値観が非常識である事を忘れてはならない。そんな事を考えていると二人が目の前に居る。

「おい、入れ墨のおじさんが来ないと分からんか?」親父、何考えているんや?目の前の青年の一人が横に来て非礼を詫びる。どうやら彼がリーダー。話を聞くとアメリカに留学中とか。ホンマかいな。シャーワーを浴びて脱衣場から出るとき、もう一度頭を下げられる。流石、若者達。それに比べたら親父の進歩の無さは話にならない。

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2010年10月26日 (火)

関西も木枯らし1号 寒くなったけれど、このニュース(笑い)

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見上げる空は秋の空。ハクモクレンの右下のつぼみがやけに大きい。生意気に仲良く雁首を並べて、親父と同じ空を見上げている。大阪の空はこれから秋だと言うのにお馬鹿なマスコミは、北国の風景を重ねる。後一月は季節が進んでも秋の盛りを楽しませてくれる?でしょう? それは貴男次第。如何にも。その通りです。お任せあれ。ハクモクレンの親父が不安げに空を見上げている。今年の冬は早い?

今日帰りのバスを待つ間、冷たい風に今年はズボン下を覚悟する。情けない。長い間(新婚の翌年から止めた。理由はおかんに馬鹿にされたから)。あれから本当に長い間パンツ一丁。寝る時も寝間着、パジャマ無し。正確に言うと一緒に生きていた時と生活に困窮する迄は、パジャマは着ていた気はするけれど。

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柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺 正岡子規
これは今月上旬、散歩コースのオプション(いつものコースにおまけ付き)で見た柿の木。柿の木の気配は無いのはこの地が公園と車道の境、ガケの痩せ地だからか。幹もやせ衰えて豊かな実りを支える面影も無いが、それを補っているのがこの柿の葉。

見て下さい。この生命力。ジャングルの柿の木では無い。この樹が柿の木の証拠は中央に垂れ下がった柿のみ。ダイダイではない。甘柿ではないと思うが食ってみるか?食わなくても分かる。柿はカラスでも食わない。それでも柿に間違いは無い。

柿は近くのスーパーでズーと買って来たが、流石に最近は飽きて来る。関西の柿は和歌山が生産量ナンバーワン?近くに丹波の山地が広がっているがスーパーには、何故か和歌山しか無い。子規の様にうまい柿が食いたければ(何故そう言いきれる)スーパーでなく盆地に足を踏み入れなければならない。(何でや?)そんなもんです。

みかんも同じ。10年前、仮設モノレールの土方仕事をした時、四国窪川、宇和島広川の丘には、たわわに実るミカンの果実があった。あのミカンは何処に出荷されどんな人が口にしているのだろう?美味い物はスーパーで買える値段では口に出来ないのかも?(いえいえ、後一月もすればスーパーでも買えますよ。少しお高いけれど。)

親父さん、今日のニュース笑っているけど何で? いくら何でも今、木枯らし1号はない。明日の天気予報は最高気温が14℃とか言っているけれど、それでも一月前は残暑でざんしょ。おかしいじゃありませんか?その内又暑くなれば季節外れ?季節を馬鹿にするのも大概(たいがい)にしないと、天罰を受けるに違いない。もう受けている。そうでしょう。親父もこれ迄に体験した事の無いヘタリ、体力の衰えを感じる。

それでも人間の自然治癒、回復力、生命力を侮るなかれ。自分の体を労(いたわ)れば驚く程の力を秘めている。駄目だ、出来ない、無理だ、出来るはずが無い。そう思うマイナス思考をプラスに変えれる人が勝者だろう。

そんな事は言われなくても分かる?しかし、分かっても出来なければ何の肥やしにもならない。座して辱めを受けるだけ。親父も長い長い無為の時を過ごしたのは、たったそれだけの事だった。それを分かって行動を変えれば今年の秋は変わる。

景気判断の変更を市場から求められている。グローバルとか為替市場の国際協調とか言われても、金融で銭儲けをしょうとするその思惑が各国の政策責任者、為替の当時者にある限り、ドル安、円高、ユーロ安、元安、ウォン安の流れは変わらない。

こうして見るとドル、ユーロ、元、ウォン、アメリカ、ヨーロッパ、中国、韓国の通貨は全て安く、日本だけが何故高いのか?それだけ安定通貨なのか?金利はゼロでも?財政破綻が心配されても?日本の政治と経済の信頼度は無くても?

その問いかけに明確な答えが出来るエコノミスト、経済と通貨の専門家はいない。多くの事を語る学者ですらこの先のこの国の通貨を予測出来ない。間違いない。このままの様子を窺う市場の思惑は、円が70円台なってもなす術が無いに違いない。

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2010年10月25日 (月)

体調は復活 それでもその後遺症? 耳かきすぎ 腫れて痛い(笑い)

P1000257朝は一旦雨は上がり掛けるが、午後には本降りになる。それでも季節が移る雨。

明日から寒くなると言われても、関西の本格的な寒さは師走にならないと実感は無い。

その前に錦秋の秋、この言葉が何度も繰り返しても、その時は素知らぬ顔をして、横を向いている。

柊(ひいらぎ)南天の葉の上で静止する水滴。風もなく季節は変わる。

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山茶花のつぼみが雨に濡れて笑っている。今年の暑い夏を耐え忍んで呉れた葉っぱに感謝しながら、開花の時を今や遅しと手ぐすねを引いている。後一ヶ月保つのだろうか?親父の取り越し苦労にも気に掛ける様子も無い。 開花の時はバッチリ写せるかな? お任せあれ。

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この木なんの樹気になる樹。親父の大好きな樹。樹齢1世紀。すごいなあ。出会ってから見上げる度にポカンと口を開けていた。この地に植えられたのは親父が大阪に出て来た1年後。(何年や?内緒です。歳がバレるから。バレているよ親父さん)

そのとき大木だったのだから、存在感は大きい。100年と簡単に一括りが出来た様な顔をして、多くの事を語ったとしてもこの樹の前に建てば、言葉が無い。この國の形をどんな思いで見て来たのだろうか?そんな親父の問いかけに無言。だよね。

今、親父達の生き方が問われている。私は100年生きて来た。そうしてこれからも生きる。私の生き方を問う前に自分の生き方を考えて見なさい。そうすれば私に問う迄もない。自らの生きる道標(みちしるべ)が明確になる。恐れ入りました。

屋久島に縄文杉は樹齢2000年とも3000年とも言われるが、人の一生はそれに比べてあまりに短い。その事が分かれば残された日々のいとおしさは、大事にしなければ閻魔大王に笑われるに違いない。景気対策、円高対策。高齢化対策?大木が後ろの福祉施設を暗示している。そんな生き方はするな。千里の道も一歩から。

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2010年10月24日 (日)

祝 777号 ブログネタは日常の記録 それでも良く続いたね

季節が行く。10月も最終。急に涼しくなる。
昨年迄は何の苦労も無く超えていた季節が、今年は少し意識している。
別に動けなくなる程の重症でなくても、体の異状は自分自身が良く分かる。
それだけ老い、それだけ体力に衰えが忍び寄ったのだろうか?
大事な人を失って大事な体を粗末にして、それでもここ迄生きて来れたのは、偶々(たまたま)ではない。必然的に自分の体を支えたのは、父母の生命力。遺伝の体力だったに違いない。これからは自分の力で生きて下さい。目に見えぬ大きな力が親父のメタボな体を見て冷笑している。(体を大事にしないとこれからは坂道を下るだけ)坂道??? そう坂道を転げ落ちる様にヘタリの日々が口を開けている。
お休みの最終日 今日は背中の右が鈍痛。全身が疲れている。疲れる程の仕事ともしていないのに、煎餅布団のせいだろうか? 天気も今イチでぐずぐずしていた。
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夕方、なんとか降らなかった雨が落ちて来る。久し振りのまとまった雨。駅前の花屋には綺麗な鉢が並んでいた。この花屋さんから母の日のプレゼントをもらった日は干支(えと)を一周している。
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この街唯一のアーケード商店街。この街の繁栄と衰退を見続けて来た。今は反対側のスーパーに押されて細々とそれでも逞しく生きている。最近のプラス材料と言えば立て続けに大きなマンションが出来た事。それでも住民の買い物は大きく無いが地方の商店街の中ではマシな方かもしれない。
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久し振りにcoco壱番屋のカレーを食う。途中で写したので食い散らかしているが、ここのカレー味は日本人は勿論、タイ人にも受けているとか。チキン唐揚げがうまい。それでもカウンターの先で調理場を見せるのは何故か、頂けない。
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カレーを食って横断歩道を渡り、高架下のMr.ドーナッツのお店を見ていたら、コーヒーが飲みたくなる。この花壇と人口の滝はその反対側。写真映りは良いが実物はたいした事は無い。(オイオイ、自慢かよ)。この時迄はそぼ降る雨が止み掛けていた。

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この花も親父位しか眼を留めて呉れないのだろう。それでもお手入れをしている人の事は忘れてはならない。街の活性化が叫ばれて久しいが、意外に人々の心の中に自分達の街を愛する気持ちが足りない。自分たちの住んでいる街。その水の流れが何一つ自然の力でない事は寂しい事に違いない。滝を流れる水の色が照明で薄緑に成っている。

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街を活性化させるのにお金入らないとか言われるが、この看板の先の広場は個人の寄付で整備されている。今、國からの地方への財源移譲が問題にされても、住み良い街とはどんな街なのか?その問いかけに答えられる市町村長は少ない。この街も過去の先人が残してくれた遺産を、食いつぶしながら生きている。

最近育児休暇をとる市長、区長、知事迄もがニュースになるが、本当の行政の在り方を考えるなら、そんなパホーマンスはやめてもらいたい。どこの民間企業にそんな余裕があるのだろう。(中にはあるらしい)それでも休みを取るのならズーと休め。

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景気回復に赤信号?バカも休み休みに

景気回復がとりだたされている。為替レートで円高が進み対ドル70円台が目前に迫ると国内の輸出企業の利益は大幅に下がり株価も下がる。景気が悪くなるのは困るから政府の対策に多くの課題が盛り込まれているが、その予算の成立、お金の出所が明確でない。
景気回復は赤信号ではない。良いと言われる所が少なく圧倒的に悪いという人、会社、地域が多くその緊迫感が無いだけの話だろう。間違いなく今年の年末、新年度の景気は良く無い。その対策は政府にどんだけの対策を求めても難しい。

なぜならマスコミやエコノミスト、経済の専門家ですらこの最悪のシナリオを解決出来る処方箋を手に出来ないからである。それでも多くの人がその危機感を感じる事も無く、何となくそれなりの生活が出来るのは、曲がりなりにも医療、介護、育児、住宅、雇用、年金その他の生活保障が進んでいるからだろう。

当たり前に思われている一つ一つの事が、実際はそうではない事を困窮した時に本当に思い知る。一番考えなければいけない事は間違った判断、知らない事、過信、思い込み。今回の韓国の国際会議で通貨政策の合意が形成されたとか言われるが、会議はセレモニー。国際会議で何かが変わると平然な顔をしてコメントする言葉を信じてはならない。(そんな事は分かっている。)失礼しました。

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2010年10月23日 (土)

明日は雨模様 菊花賞は雨か? オイオイ でも今年は見るだけ

Img_3386いつもの散歩コース。折り返し点の城跡公園の入り口。何か様子が違う。画像が小さいけれど、右側に菊の植え込みが入る。
この公園も11月から閉園時間が5時になる。暫くは休日でないと来れない。

それでも良い。寒くなっても歩くから。

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入り口管理棟前のコムラサキ。アップで撮ると本当にその美しさが際立つ。人の生き方もこう在りたい。仲々難しいけれど。でも阿吽の呼吸をする人はそんな人でありたい。コラコラ。でもこの色、木の実を見ているとそんな思いも強ち(あながち)否定は出来ない。

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相変わらずの存在感。相変わらずのハナミズキ。でも鮮やかな時は一時?

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この滝の水がこれだけ流れるのは珍しい。水は水道水?だけど時には流さないと水路が壊れる?。公園内の芝生の上には仮設のテントが設営され菊花展の準備に余念が無かった。そうか、ことしもそんな時だよね。年に一度のお祭りだと騒いでいたバカとは違う。丹誠込めた菊の芸術品が今年は見れるかな/

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これはなんの木の葉?薄墨桜(うすずみさくら)岐阜の本家本元から実生(みしょう)の苗木を送られ、その木がこんなに大きくなる。まだまだ(何時になっても)親父には及ばない。何処の親父?岐阜の老木です。老いて益々元気?(イエイエ、辛うじて生きています。なんとか元気な間に見に来て下さい。)了解です。

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正面の仮設テントが賑わいの時を静かに待っている。菊の搬入は明日だろうか/夕闇迫る池の水も静かにその時を待っている?お分かりでないな。おぬし、あっしらには何の関わりもありません。(失礼しました)池のコイが笑っている。

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ニシキギの紅葉は今を盛りと輝いている。日の入り前の一時、それでも暫くの間は誰にもその美しさを譲りはしない。今日、偶然に来年の帝国劇場のミュージカルの主役がレ、ミゼラブルのコゼットと知る。その美しさと果敢なさはこのニシキギの様かももしれない。(親父、それは原作者ビクトル、ユゴーに失礼かも)そうかな。来年は東京に行けるかな?(オイオイ)

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これは何の木の葉。名札は見えないが覚えてきました。かなめ。良く物の例えとして使われる意味が分かる。(どんな意味?)この元気、はつらつの葉を見ればお分かりでしょう。秋だと言うのにそんな哀愁は何処にも感じられない。

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この木戸はいつもは開いていない。外はどんな感じかなと覗いて見ると行き止まり。振り返ると天守閣にライトが当たっていた。これから始まる錦秋の秋はどんな景色を見せて呉れるのだろう。それはあなたの心がけ次第。もの言わぬ主は優しい顔をして語り掛けていた。JRの新型車両公開。事故対策を考えた安全設計。事故対策はそんなお間抜けな体質を変える事でしょう。報道の責任も小さく無い。

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陽は沈み陽は又昇る。失われた20年とか言われても朝の来ない夜は無い。苦しみは歓びの為にあり、変革とは何かを変える事ではなく、自分自身を変える事。その事が分かった時、日の出の時が見えてくる。長い間、夕日は何度も見たが輝きの時は久しく眼にしていない。

それでもこの夕日を見ているとそんな想いが小さく消えて行く。哀しい事、苦しい事、不快な事、苛立の思い、多くの出来事をこの夕日が吞み込んでいる事をどうして気付かなかったのか? それは馬鹿だったからだろう。厳しい言葉だけれど何故か怒る気にはならない。何時かは頬(ほほ)染める日の出を雄々しく眼にしなければ、帳尻は合わないと思っているからだろうか?それは無い。執念が足りないだけなのだろう。

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買い替えた枕は今イチ それでもぐっすり眠る

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たわわに柿のみが実っている。カメラを構えているとおしゃべりのおばさんが煩い。この綺麗な景色も台無し。親父も心して生きて行かなければならない。最近、年寄りに元気が無いと言われるが、それは違うだろう。常識が無くなっただけだろう。

最近の若者もひどいが模範を示すべき年寄りの非常識には愕然とする。人の生き方は山あり谷あり、一時として平穏な日々は無いとしても、これからの時は少し足を伸ばせば、錦秋の景色が見れる。その景色を見ながらお気に入りのおにぎりでも頬(ほう)ばれば、言葉が要らな事を知らないのだろう。いやいや、その時でも嬉々として歓喜の言葉を語るのだろうか?そんな親父に成りたく無い。

只今、洗濯中。昨日のふらつきは無くなりました。それでも廊下を歩いている自分の足下を見ると、モデルの歩き方とは違う。それだけ年を重ねたのだろう。いかんともし難い。(いやいや、今日は無風、秋の柔らかな日差しの中を山に向かう)。

その前に気になっていた庭の千草。パンダに見えるかな。虫の音が聞こえる時も近い。来週は10月も最終日。11月は久し振りに忙しい秋になりそう。若い頃、カメラ片手に京都の名園を見ながら、シャッターの音が気になっていた頃を思い出す。

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パンダと言うよりアバターの世界です。秋の深まりは意外な処で意外な顔を見せる。小さい秋、小さい秋、小さい秋、見つけた。小さい秋の大きさを見つけた時、本当に嬉しくなる。首の重みはコメントを考えていると重くなる。親父さん、気をつけて。

まだ、出かけていない。天気も親父の思いを計りかねて、暗くなったり明るくなったりして様子を窺(うかが)っている。(心配するな。4時過ぎには出かけるから)そう呟きながらコーヒーを入れる。小さい頃、田舎のお店で眺めていた栗まんじゅうをパシリ。栗ごはんと土瓶蒸しが今晩の献立。まさか?今年は松茸 豊作とか。口に入るかな?しめじ位なら。え^。しめじご飯で手を打ちましょう。

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きれい。口に入れるのがもったいない。心していただきます。

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2010年10月22日 (金)

体調は良くなる 大阪の街は元気でないと歩けない 

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地下鉄の駅を上がった所。ここにくるまで結構歩く。足がしっかりしていないと都市での生活は出来ない。お年寄りが大阪の街に本当に少ない。地下鉄の階段、連絡通路は誰の為?年寄りの為でない事は間違いない。
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この交差点は左から右奥に市電が走っていた。その市電が廃止されたのは高度成長の時。車の渋滞は解消され走り易くなっているが、歩行者の姿はほとんど無い。これから高齢化が進み都市に年寄りが住めなくなる。田舎に住めるのだろうか?
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ケーキ屋さんは開いていました。マスターの思い入れが良く分かる。このモンブラン材料は九州宮崎産。味は食ってみないと分からない。親父は写真を撮っただけ。カレーうどん(上)完食しただけで満足です。体調はこの時迄良く無かった。
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帰りは来た道を戻る。地下鉄の乗り換えは結構歩く。それでも下を見ながら黙々と歩く。乗り換えの駅は向かいのホームの為、一旦階段を下りて又上る。くたくたです。終点の駅で少し引き返しお目当てのレコード店に入る。

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季節が行く 枕の高さが凹んで首から上の調子が良く無い

どんなに寒くても元気な親父だけれど、季節の変わり目だろうか首から上の調子が優れない。首の骨が詰まって血液は圧迫されて、左手に痺れが出ると言われて整形外科で首の牽引を薦められて久しい。

何回か通院したけれどその効果に疑問を持ち、その内痺れも無くなり何時しか気にしなくなっていた。それでも首の骨の何番目かが狭窄(きょうさく)詰まって頭に行く血液を圧迫しているのは間違いない。

昨夜、高さが凹んだ枕の当たり位置が悪かったのだろう。頭がダル重くて気分が優れない。早速近くのスーパーで買い替える。3980円。本当はも少し高いのが良いがケチな親父にはこれでも高い。枕は慣れる迄自分に最適かどうかが分からない。その内近くの総菜屋の女将さんの様に、阪急百貨店で頭の位置、高さ、重みを計測して貰わないといけないかも。本当は親父の枕もそうでないといけないのかもしれない。

秋の夕日に照る山紅葉、濃いも薄いも数ある中に、秋を彩る楓や草も山の麓の何とか模様。(なんだったかな?)親父も段々記憶が飛んでいる。その内に記憶が薄れ秋の夕日位しか認知出来なくなるのだろう。その前に綺麗な秋の紋様を頭に刻み込まなければならない。

ラジオ体操の大好きなミーちゃんにも最近合っていないが、体操の効果は意外に大きい。仕事柄自分がミージックに合わせて体を動かす訳には行かないが、首の運動、全身の運動、その場飛びの運動効果は予想以上に大きい。太極拳が呼吸を整えるとしたら、ラジオ体操第一は体の節々を整える運動に違いない。

もう一つ最近痛感する事は体内時計と自己暗示。意識しない人が多いが多くの人の生活リズムは、体内時計でコントロールされている、今日はお仕事、今日はお休みその意識は頭で考えるだけで、体内時計には作用しない。だからお休みの日でも一定時間に覚める。若いとき気にしなかった夜の小水も、そんな体になっているのだろう。

小水と大きな排便はこれも語れば長くなるから、又の機会にする。いずれにしても人の体は無意識の内に見えざる大きなコントローラーで動かされている。其れが寿命。そんな事も知らないで我が儘な生き方をしていると、閻魔大王のお呼びが早くなる事間違いない。

しかし、案ずる事は無い。その力をコントロールする人間の生命力は意外に大きい。人が多くの些細な事に感激するのはその力でもある。長くは生きたく無いとか捨て台詞を吐いたとしても、本当にその境目に建った時、誰もが神の哀れみを乞ゆる他は無いだろう。神も仏も信じていない人程、そのときの思いは強いに違いない。生きるとはそんな事だと信じない人程、生き方が変わる事を信じなければならない。

これから大阪に行ってきます。レ、ミゼラブルいよいよ4巻です。体調よく無いけれど中西のうまいうどん食えるかな。今日は近くのケーキ屋さん空いているかな。なんかフラフラするけれど気合いで行けるかな。梅田から本屋の道は結構地下街を歩くけれど、大丈夫かな?大丈夫。自分に暗示をかけると意外に強い。

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2010年10月21日 (木)

暑くもなく寒くもなく 今週末は菊花賞

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桜の木の葉が色づいて秋の幕開けです。今年の夏の暑さが身にしみて、木枯らしの時がみじかに感じられないが、後一月もすれば六甲おろしが始まる。北風小僧の貫太郎が息をひそめて待っている。
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山茶花(さざんか)、山茶花、咲いた道、焚き(たき)火だ焚き火だ、あたろうよ。 こんな小学校唱歌も知らない世代が多くなったが、この花を長い間、椿と間違えていた親父に、人の事が言える筋合いも無い。山茶花のつぼみがスタンバイしている。それでも開花の時はまだ早い。後2ヶ月は待てないだろう。1月かな?それでも11月の終わり。光陰矢の如しとはこの事か。誕生日が目出たく無いのが良く分かる。この罰当たり。

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桜の葉の色とは対照的に青々と葉を茂らせているのは柊南天(ひいらぎなんてん)。この葉っぱの棘(とげ)は鬼の眼を刺すと言われる位に強い。昔から(江戸時代)から家の魔除けとして玄関脇に植えられた意味が分かる。親父の掛川の家にも在った。

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剪定されてすっかり隙間が広くなったが、この力強い幹の力は流石の親父にもない。生い茂っていた大きな枝は切り落とされても、藤の命は枯れる事はない。人間の命の果敢なさを想う時、この姿は感動です。

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感動と言えば夕日の沈む時。先日のラジオ放送でアナウンサーが夕日、夕日と連呼していた。本当の感動は山に沈む夕日ではなく、海に沈む夕日と言われてもその実感はない。大阪湾に沈む夕日が最高と言われても、自分の目で確認する迄は何とも言えない。

今週末は菊花賞と言われても、競馬に知識の無い人は何の事か分からない。競馬の事を知り尽くしている親父でも季節感を感じるだけで、その程度の事だろう。これから秋の深まりと共に多くのイベントが目白押しとなる。その中で一番自分にプラスになる事を選択出来る人が、今年の秋を満喫出来るのだろう。

最近感じる事はなんとかの一つ覚えの様に、一面からの切り取り、問題追求しか無い。確かにどうしょうも無いお役所仕事、言う事とやる事の差を埋めないで、平然としながらやるやるを繰り返す無神経。それで問題が問題とされないのだから、救いが無い。

例えば政治とお金の問題。税金の無駄遣い。それから、何だっけ?そうそう景気対策、円高対策でも何一つ改善出来なくても、それでもなんとかの改革か?。 検察が証拠を改ざんし、組織ぐるみで検察の筋書きの結果に我田引水。

今迄何度も問題にされていた事が現実の事となると、なり振り構わずの尻尾(しっぽ)切り。検察の信頼は地に落ちても怒りの言葉は多く無い。

今、読んでいるレ、ミゼラブルの世界は1800年代のフランス。主人公の生き方を見習うのは無理だろう。(なんとか3巻読破。3巻目は結構飛ばしたけれど、後半は面白かった。最後に主人公登場。善意をはめられるが脱出。次は4巻目。小説は事実より奇なリ。)現実は小説より奇なりかも。

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2010年10月20日 (水)

冬支度 でもまだ秋の気配は余り感じず 

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もみの樹の剪定(せんてい) 根元近くの若葉も伸びて切られる。たこの足ではありません。立派な幹に眼がある感じ。今年の夏の暑さに負けず、一気に伸ばした若葉を散髪されて涼やかな眼をしている。立派なもみの樹。この地に植えた人の思いがこもっている。樹の枝を剪定出来る樹とそうでない樹があると教えられる。人も同じだろう。手を掛けてもらえる樹も人も全てではない。今、この國の森林は価値を失い、荒れるに任されている山も少なくない。その自然の怒りは小さくない。
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剪定後 前の姿が無いので良く分からないが、すっきりしている。流石です。と言われても分からない?そうでしょう。そんなもんです。今どれだけの人が剪定前の樹を見ているでしょう。木材の価値を見失った現代人は、木材の恨みを買うに違いない。
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幼い時、暗くなる迄遊んだ村の鎮守の森。最近、杉花粉とかアレルギー体質とか言われるが、昔のハナタレ小僧はどうだったのだろう?まだ関西の秋は感じられないが、今年の秋は久々に、感動の秋にしたい。時の移ろいに眼を移す余裕を無くして久しい。秋は出会いの時、別れの時、愛知豊川桜淵の吊り橋で見た秋は、サングラスの中でクシャクシャになっていた。今年は眼を見開いて、京都円山公園上の長楽寺に行かなければならない。なんで?それは秘密です。

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2010年10月19日 (火)

秋が行く 日中は暑いけれど空気が変わる 今週末は霜降

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この夏の暑さに負けず伸びた枝の剪定が始まる。高所恐怖症の親父には到底出来ない作業。はしごの上に剪定の作業をしている職人さんがいる。先代の跡を継いだ2代目。スリムな体型は地下足袋がよく似合う。親父も高校3年生の時、消防ハシゴを一番伸ばした高さの上迄階段を上った事が在るが、今ではその半分も登れない。スイスの帰り、東京スカイツリーの工事現場を見たが完成した展望台に登る勇気もない。

静岡大井川に掛かる吊り橋をおっかなびっくりに渡ったあの度胸は、今は昔の話だろう。長野県西穂高の頂を極める事は出来なかったが、もう一度チャンスを与えられても無理だろう。せいぜい、上高地のカッパ橋から眼前に広がる絶景に、歓喜の言葉をあげるのが関の山だろう。ダラシが無い。そう言うな。その程度で充分だろう。10万やるからやってみるか?結構です。100万なら?考えてみます。でも無理だな。

ひと月前迄は熱波の関西も最近はめっきり涼しくなる。当時と比べて10℃下がり本当に凌ぎ易くなるが今週末は霜降(そうこう)。日本列島は北から南迄気候の差も大きいが、今週末から来週に掛け季節が一段と進むのは間違いない。今月から衣替えで通勤、通学の服装が変わったが、私たちの生活もこれから大きな変貌が求められている。それでも多くの人々の生き方と考えは変わらないだろう。

そのあり方がどんなに問われたとしても、これだけ都市化と過疎が進めば親父でさえも田舎暮らしは容易ではない。自然と共生とか里山の大切さが口にされても、間違いなく進む限界集落(人が生活出来る限界)の現実は現代文明の矛盾に違いない。その行政の旗ふりが今はどんな思いで自然との共生を口にするのだろう。名古屋で行われている国際会議。尤もらしい事を言っているお役人は、惨憺たる地方の現実をどんな顔をして見ているのだろう?

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2010年10月18日 (月)

水戸黄門の再生

高齢者が楽しみに見ているテレビの番組。親父も自分で気付かぬ間に完全にその領域に足を踏み込んでいる。暫く中断していた「水戸黄門」この番組の歴史は古い。あらすじが決まり最後は決め台詞(ゼリフ)「この紋所が目に入らぬか」三つ葉葵の印籠を格さんがおもむろに取り出すと一同立ち尽くす、助さんが追い討ちをかける。「一同頭が高い、控えおろ」若い頃、このシーンを見て「なんじゃそれ」と笑っていた。

その遺産とも言える番組が役目を終えて幕を下ろして久しい。その番組が先週、配役を入れ替えて再々スタートした。結末が分かっているから安心してみれるその単純さの中に、多くの人の思いが重なっている。時代検証としては問題ありでも時代劇の醍醐味は増している。これから月曜日夜8時、お楽しみです。

江戸時代の民衆の活力は意外に明確にされていない。水戸の御老公が諸国漫遊の事実は無い。一部の地方に旅はされたかもしれないが、ドラマの様な歴史的事実は無い。作り話、活劇、娯楽、典型的な時代劇、それが今回の作品には嫌みになっていない。

一服の清涼感。何時の時代も懸命に生きた多くの人がいる。そして間違いなく一部のお役人、代官、お間抜けな殿様、その陰の支配者、何時の時代でも悪との戦いは絶える事はない。綺麗事をどんなに大きな声で叫んでも、支配者との戦いは大変です。

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舞鶴の鯛。恐れ入りました。お店の親父の喜びも格別

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立派な鯛。親父が昨日舞鶴の海で釣って来た。お昼の弁当を買いに行った時、偶々、見せて呉れる。折角だからとお願いして持ち上げてもらう。親父の自慢げな顔も良いが、魚迄もがポーズをとっている。さすが魚の王様です。今にも動きそう。お見事。

「親父さん、今日はこのポーズで商売繁盛間違いなし。」忙しい親父もお客の合間を見て釣果を話してくれる。親父さん、この画像お店でプリントしてお渡ししますから常連客にさり気なく見せて下さい。良い宣伝になる事、請け合いです。

ちなみにこの釣果、売り物ではなし。捌いたら親父にもお裾分けして下さい。そんなリクエスト多いだろうけれど。この写真現像すれば優先券獲得間違いなし。オイオイ。これだけの鯛は中々、お口には出来ません。心していただきなさい。了解です。

今朝は仕事がお休みでゆっくりしていました。血圧を下げる薬が無くなりお昼前に掛り付けの内科で診察。暫く薬が切れて服用していなかったので正常値より少し高め。脈も速いと言われる。それでも特に問題はなし。血液検査でヘモグロビン値149。

これも少し高いとか。そうだろう。もう少し痩せなければ自分でも問題無しとは言えない。薬を飲む様になって自分の体は自分でも良く分かっていない事を痛感する。服用を併用している血糖値を下げる薬も、食事と運動の自己管理が無ければ効果は薄い。

人の体の醜さは感じられても、自分自身の事は分からない。本当にお目出度い話だが昔からの諺(ことわざ)、人の振り見て我が身を直せとはこの事だろう。帰りに久し振りにドコモのお店に寄る。このお店はいつもお客を待たせるが今日は違う。

店内の様子が一変している。いつもは番号札を取ったお客に無条件で待たせるのに、今日は違う。正面の女性(研修生)がニコニコとして用件を伺う。それだけで何故か嬉しい。待たす事に慣されて居る商売に発展は無い。その事に責任者が気付いただけでさらに嬉しくなる。親父の担当は責任者だった。用件の最後にレ、ミゼラブルの話をするとドコモのコンテンツの中にこの本の漫画版が入っていた。偶然。でもハード版は簡単に読破は出来ない。それでも最高に嬉しくなる。

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天高く馬肥ゆる秋、レ、ミゼラブルの読書は進まず

ブログ作成画面で確認出来無かった画像の絵が、確認出来る様になりました。
色々教えてくれてありがとう。あみさん、言われた通りでした。息子からテレビ画面で教えられてサファリからファイヤーフォックスに替えました。これから確認してみます。これで出来ると感謝感激雨霰(あられ)です。
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調子に乗ってもう一枚。

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夕暮れの暗さが無い。これから又、勉強です。後10年はボケたら駄目だな。

今夜、悲しい現実をテレビで見ました。テロとの戦いとか尤もらしい事を言いながら、アフガンの戦いに無人の飛行機の空爆。アメリカ本土のコントロール室でテレビゲーム感覚で爆撃されている現実。これがテロとの戦いの現実。絶対に勝てない戦いをいつまでも続けて尊い人命を失えば分かるのでしょう。戦争の現実がテレビゲーム感覚で行われたら、何たる悲劇になるのか何時になったら分かるのだろう。

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2010年10月17日 (日)

夕日を再びありがとう。マナーの悪さは酷い これが当たり前?

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日の入りを見る為にいつもより早く家を出る。いつもの散歩コース。いつものコンビニでおにぎり2個を手にして、いつものコースを淡々と歩く。違う事と言えばイヤーホーンで音楽を聴いている。何時かはやりたかったこのスタイル。見慣れた景色も何故か違う。途中で寄り道をしていたら遅くなる。ぎりぎりセーフ。

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途中で寄り道したお稲荷さん。赤い鳥居に夕日が当たり景色が映えている。正に赤い夕映えです。

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中学校のグランドのフェンスにとげの鋭い痩せた幹。黄色いゆずが立派に成長している。

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この樹の生きた歳月は親父と同期?まさか 親父が生まれる前からこのグラウンドを見続けてきたに違いない。根元に違う草木が伸びていた。

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このアングルから見ると良く分かる。少しゆっくりしていたら遅くなる。

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間に合った。傑作の一枚。

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日の入りをデジタルカメラの夕日モードで撮っているので手前が暗くなる。実際はこんなに暗くはない。芝生の公園で幼い子供たちが親とボール遊びをしている。子供が小さいとまだ許せるが大きな子供が親父と同世代の人とサッカーボールで遊ぶのはいかがなものだろう。最近この手の人は少なくない。

良く言われる言葉。「関係ないでしょう」当事者でなければ言葉を掛け合う事が、不快感と不信感を増す。芝生の上で大きい子供たちが走り廻るには公園の芝生は強くない。その最低限度の事が分からない。自分達がその時満足すれば、それで充分なのだろう。大切に育てられた芝生が踏みつけられても、何も感じない。


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六甲と宝塚の山に沈む夕日は今日も赤く静かだった。散策の道に立ち止まりながらシャッターチャンスをうかがっていた。夕日が山陰に沈む時は一瞬だった。決定的瞬間は一時。陽は沈み日は又、昇るけれど人生で失った物は簡単には取り戻せない。夕日の沈む時は幻想的だけれど現実は、そんなに甘くない。

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カセットデッキがつぶれる。でもipodが聞ける様になったし

昨夜からカセットの調子がおかしくなり、電源が強制的に入らなくなり、カセットの取り出し口を無理にこじ開けようとこねくり回していたら壊れる。(でなく壊した)。このカセット頑丈で音もいいしお気に入りだったが同じ物を買うと1万円?ぐらいするし、参ったなあ。原因はカセットテープの開閉ボタンが片側だけの押し込みで、その具合が悪くなっていた。それを乱暴に扱っていたからだろう。

君から言われた様にこのパソコンのタッチも優しくしないと、叩いていると駄目だろう。今朝、アップルのショップに電話しました。ワンツウワンの申し込みは原則購入時、2週間以内なら例外を認めるという事でした。今晩話を聞いて(アドバィスも含めて)判断します。

今朝、洗濯機を廻している間にgoogieマップで遊んでいると、田舎の航空写真が出て来てこんにちわでした。これ迄は写真は無しだったから感激でした。これで日本各地の隅々迄見れると思うと、君が言う科学技術、電子機器の発達、あまねくその恩恵が受けられる事への畏敬の思い、その言葉の意味を実感でした。

それでもその利用の仕方、活用、生かし方には問題ありでしょう。失われた10年どころか20年。これからも経済の時代と言われても、経済の市場原理を政府が介入していたらそれは問題の先延ばしにしかならない事を、何時になったら国民的コンセンサス(合意)にできるのでしょう。無理だな。無知、無感の人が多過ぎる。(偉そうに言うな、親父も同じ穴のむじな) 冗談ではなくこの先の展望を開くのは誰?

今、大きな転換期を迎えて多くの事が語られているけれど、一番の問題は現状認識が歪められている事だろう。先の大戦(と言われても知らない若者が多くなっているが、この國は60年前に東京も大阪も日本各地の都市が焼け野が原になる。無条件降伏)に加担したマスコミの社会的責任は小さくない。


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2010年10月16日 (土)

久し振りに歩く 股関節が軋む(きしむ)油を注して下さい

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ギンギンギラギラ夕日が沈む、真っ赤っかっか空の色。皆のお顔も真っ赤っか。ギンギンギラギラ日が沈む。クライマックス、シーズンを見ていて散歩に出る時間が遅れる。陽は完全に西の空に沈んでいる。それでも皆のお顔は暗くなっても、まだ満室になっていないマンションの外壁が赤く染まっている。

これは意外な景色。デジカメの威力思い知ったか/ 恐れ入りました。(まあそれ程の事でもない。)


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城跡公園に着くと辺りは真っ暗。ここは入り口で公園管理棟が近いので心細くはない。虫の声が聞こえて秋を感じる。チンチロ、チンチロ、チンチロリン。ほれ鈴虫の鳴きの声。(まつむしだったかな)。今は秋の入り口でジーとしか聞こえない。ああ面白い虫の声/


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暗闇の中天守閣を見ていると、後ろで人の気配を感じる。そろりと振り向くと誰もいない。気のせいかと思いながら前を向いていると、微かに話し声が聞こえる。今度はさっと後ろを見るが暗闇の中に人の気配はない。暗闇は全てを飲み込んで不適の笑いをかみ殺している。親父は攻防の構えから拳を突き出す。この城跡公園も多くの怨霊の魂が静かな一時を包み込んでいる。久し振りに鈍い声を出しながら下腹部に力を入れる。親父の迫力に負けたのか、それっきり低い声も聞こえなくなる。


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いろはもみじもまだまだ紅葉の気配なし。

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その分?ニシキギが頑張っている。この葉っぱの色づきは長い。

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花水月(はなみずき)マックさん(マクドナルドではないよ)花ヅツキではないよ。花と言うよりクルミだね。(ちょっと違うけれど)。今聞いているFM放送はパソコンを開いて下さいと言っているけれど、プロモーション、ビデオ?ええ加減にして下さい。犬は興味ない。


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うっかりして(というか右側が切れる)それでも柿の色綺麗でしょう。和歌山の柿です。田舎の柿もこんな色と形だったなあ。味も寸分変わらない。本当の柿の美味さは甘くないと言うと叱られる。これから渋柿の皮を剥いて、ひもでつるせば寒風とお日様に乾かされて、最高の干し柿が出来る。

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冷凍食品と侮るなかれ。海老と野菜の塩炒麺(塩チャオ麺)348円。かくいう親父も味の記憶が無い。美味い物は時間と手間をかけないといけないと言われても、待つ時間に耐えられない親父にとって、早さも一つのごちそうかもしれない。それでも不味い物は箸が進まない。2度と行かない。2度と買わない。

明日は天気はどうなのかな?湿度が一気に少なくなり快適な秋の空が広がる? 今夜の月は雲に隠れていたので明日は雨模様かも。そうして又一段と秋めいて行くのだろう。読書の秋、レ、ミゼレブルも読書のペースが失速している。面白くない。フランスのナポレオンの時代。そしてその後の時代の様子を作者は真剣に語るがストーリーに主人公が消えている。それを探さなければ喜びは無い。

パソコンだいぶ慣れてきました。その内左団扇(ひだりうちわ)になるかも。(ホンマかいな)心斎橋に言ってワンツーワンで勉強するかも。予約出来るかな。まあ、ぼちぼちでんなあ。


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ipod(アップルの音楽プレアー)で大好きなテネシーワルツ聞いてるよ

親父の様なおっさんには出来ないと思っていたipodの音楽再生。今日、新しくcdをマックでコピーして何度も何度も聞いています。パティ、ペイジのこの歌をcdで聞いた時、何時かはヘッド、ホーンで聞きたいと思っていた事が左のリターン、キーを使いながら何度も聴ける事はこの歌が得意だった江利チエミも天国で苦笑しているでしょう。カラオケ得意?の親父の十八番になるかな。発音が無理かもね。しかし、ひょうたんから駒という事も在るから、ひょっとしたらひょっとするかも。これなら煩いとか不快の思いとはおさらばかもしれない。クライマックス、シリーズ始まりました。甲子園球場はトラキチで一杯です。いずれにしろ今日の一戦が天下分け目の戦いかも。注目の一戦、これが済まないと出かけられないかも。

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マックでブログの画像挿入 作成画面で確認出来ず。 ニフティーに聞いても分からずだに。(浜松方言)

君から言われてコールセンターに問題を分かりやすく説明しても、答えられず。パソコンが最新で対応が出来ていない?そんな事は無いだろう?親父の不信感と苛立は最大級。その先は気持ちが空回り。難しい事を聞かれて答えられない。電話でのやり取りはまっこと難しい。君とのテレビ電話でもモタモタする親父だから難しい事を聞かれても答えられる訳は無い。仕方が無いので暫くは面倒でもブログ画面で確認します。

難しい事では無いと思っても実態はそうではないのかもしれない。その説明が巧く出来ないと相手に対して意味も無く感情的になる気持は、他の事でも同じだろう。昨夜君から言われた本音の話は確かに身内でも、不愉快でそれでも我慢している事に、何時になったら気づくのだろう?馬鹿は死ななきや直らないのだろうか。?

そうでは在るまい。阿吽の呼吸。意識と感情を超越しなければその境地には浸れない。ましてや顔の見えない相談者の思いなど分かる術も無い。今、多くの人が多くの言葉を語る多くの課題も、実はそうなのだろう。話は一気に飛躍するが景気対策、雇用対策、円高対策、介護の現実、多くの問題に真しやかに多くの事を語っても、実態はモグラたたきと同じで何も変わらない事に気が付くだけかもしれない。

それでもやりまっせ。見ていなはれ、この親父、煙草もやめた、パチンコもやめた、一日一生の生き方もやめた。(ぼやきのセレーナーゼは変わらないけれど ) じゃかましい。色んな生き方が在り、何が良くて何が悪いのか、人それぞれ、多くの人間模様をどれだけ理解し愛せるかだろう。無理だな。親父には。

それでもなんとか生かされているのは何だろう?多くの人に助けられ自分も多くの人を助けた。それでもこの世の多くの有様は「ああ、無情」でしょう。罰が当たる生き方をするなと教えられ、罰当たりの多くの事を見聞きし、何よりも自分自身を許せない時、人はその場の繕い(つくろい)を考える。それが賢い生き方で生きる術なのだろう。 まあ、そんなに思い詰める事はない。パソコンのトラブルは又、教えてください。

無理か?そうだとしたら久し振りにパソコン教室に出かけるかな/かな。

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2010年10月15日 (金)

田舎の言葉 一番の思い出は課長にせとしぇを直された事

ブログネタ: 方言で日常を綴ってください!参加数拍手 
18の時、大阪の会社に就職。配属先の課長はちゃきちゃきの江戸っ子。話が巧かった。親父は田舎のあんちゃん。訥弁(とつべん)。しゃべり方も遅い。最初に直された言葉はしぇんえん。しぇではなくせ。千円。何度も繰り返されても出来なかった。最後は匙(さじ)を投げられる

今でこそ良く喋るがあの当時これくらい喋れたら、苦労は無かったかも。それでは田舎弁で綴りましょう。
朝の電車、空いチョル(ている)。そんでも(それでも)乗っチョル(ている)おなごしが(女の人)がせせらしい(うるさい)。黙ってきいチョルと(ていると)どんこん(どうにもこうにも)ならん。

どげん(どんな)育てられ方をしちょるん(している)だろうか?ちいまわしたく(叩いてしまう)なる。ねんごくせえやつだ(生意気なやつだ)。親父が辛抱しチョル(ている)と調子にノッチよる。(乗っている)。仕事の前からよだきくなる。(やる気が無くなる) よだきい...この言葉がインパクト一番。

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潮が満ちる時、秋の深まりはどう感じるのだろう?

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ギンギラパラダイス 旧台の様な景色 (と言われてもパチンコをしない人は分からない)親父も最近は全くご対面は無いが、この台は役目を終えて今はお蔵入り。しかし、この景色はまだまだ頑張っている。10年前に一諸に見下ろした展望台を見上げている、10年後、元気だったらもう一度見れるかも。

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ハクモクレンのつぼみが首を傾げながら、親父の話を聞いている。花開くのはいつ頃なのだろう?昨年は早春の時だった気がするけれど。その時、親父の運勢は満ち潮になっているのだろうか?それはない気がするけれど何でだろう?このつぼみが満開になる時、何かが導きの扉を開いてくれそうな気がする。空海が長安の都で見たモクレンの花はどうだったのだろう?


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今年の猛暑を耐えた若葉も紅葉の時を迎えている。紅葉と言うより辛うじて生きている。来年の開花が心配されたがどっこい一部のみを枯らして生きている。地面から近い所に葉を茂らすと枯れる寸前と言われた幹が、元気を取り戻している。生命力は愛情かもしれない。誰の?樹です。木。気かも?


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昨日見せてくれたピンクローズが2輪重なっている。長い間の寂しい生活が慰められている。(ご心配なく親父はこれから大きく飛びます。飛びます。飛びます。)今迄本当に長い間嘆きのセレナーゼを繰り返していたが、ようやく歓喜のお酒が飲めるかもしれない。根拠は?無い。でもそんな時も在って良い。(甘い)

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誰も写っていない駅のホーム。しかし、これは偶々(たまたま)の景色。左の大阪方面行きの電車が出た所。親父が乗る下りの電車はまだ来ない。7時丁度の発車。車内は空いている。座る位置も最後尾の車両も決まっているが、最近は女子の中学生に占領されている。こいつ等がうるさい。でもアイ、ポッド貰ったから音楽を聴いていれば無視出来る。(親父さん、可愛いね)自分で言うな。

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これが乗り替えるバス。バスも綺麗になっているがこれも座れる。当然、座る位置も決めている。時に指定外の2人掛けの席に座ると、メタボな親父は不快の思いをする。(痩せなさい)

今日はここ迄。これから食事です。何を食うかって? 冷蔵庫の中に何が在るかな。昨日の残りチンゲン菜とポークウインナーの炒めです。近くの総菜屋さんでカキフライとひろうす、南京も買ったしこれで充分です。中西君、又ケーキお楽しみに。


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2010年10月14日 (木)

何と言っても読書の秋でしょう

ブログネタ: 「○○の秋」といえば?参加数拍手


今年の秋はレ、ミゼラブルに挑戦。と言われても分からんかも。親父世代は中学の授業で何故か、この話の一部を聞く。ああ無情。親父たちの生き方もそうだったのかもしれない。この國の形と己の生き方を問われて久しい。寿命が延びたとは言えその答えは信長が生きた戦国の世と左程変わりはない。ああ。

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日中の日差しはきついけれど 日一日と秋は深まる

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アチャー ピンぼけ。バッタも小さい。小さい秋、小さい秋、小さい秋、見っけ。

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これも今イチ。それでも白いローズは秋の日に映えていた。それが巧く捉えられていない。急いでいたからかな?言い訳?バレたか。バレバレです。画像は何も言わないけれど心模様はごまかせない。それではこれでどうだ。

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駄目。画像が切れているしピントのあわせ方がアカン。まあ、こんな時もありますよ。(オヤオヤ)

今日は2つのトラブルを学習。明日は巧く出来るかな。出来なかったら又教えてください。日々好日。
(親父さん、意味が違う)明日は週末です。今日は朝から不愉快な事が多かったけれど、明日は明日の良い風が期待出来るかな。柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺。(正岡子規)柿食えば田舎の空を思い出す(クニ)


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マック練習 昨日と同じ画像が挿入が出来ず 

昨日せっかく教えてもらったのに画像挿入が出来ず。原因は全く昨日と同じ。同じ現象が起きるのはソフトがそうなっているだから? 又教えてください。今度は同じ状況が出た時、直せるようにメモしときます。sdカードの取り出しも出来ず、昨日教えてもらった事が何にもなっていません。ここで中断します。

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2010年10月13日 (水)

お気に入りのチャンポン頂きました

冷蔵庫買いましたが、食事の内容は余り改善されていない。それでも最近の冷凍食品侮るなかれ。味も価格も予想外にいける。ニッスイの我が家の麺自慢、これはいける。一度お試しあれ。今日はいろいろありがとう。まだまだ分からない事が多く手探りを繰り返してお手数掛けます。今日の学習成果をお見せして又、明日です。

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なんか久しぶり。恋女房に(古女房失礼)再会の感じ

マックの最新パソコン手にしてニンマリとしていたら 、カウンターパンチを食らう。今使っているパソコンはソフトがウインドウ。マックは当然ソフトが違うから分からない事が多い。これから少しづつお勉強です。こうして文章を作成していても、なんか昔の彼女と話をしているようです。マックで挿入出来なかった画像はこちらです。マックのやり方が分かれば見比べて下さい。Img_3263

お誕生日おめでとう。一人で生きる生活は大変だけど一人では無いよ。その事も忘れないでね。

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左の鉄塔が無粋だけれどその分を補って余りあるピンクローズ。おめでとう。そしていつまでもお元気で。残りの人生も単純明快、喜怒哀楽をストレートに出しながら、生きて行けるかな。少しは変わらないと人生も変わりませんよ。

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秋の空が広がっている。これからこの空が見える時は間違いなく長くは無い。その事が少しでも分かれば、田舎の空を見上げた幼い日々は何時か必ず、甦るに違いない。昔、ソビエト(今のロシア)の宇宙飛行士ガガーリンが言った有名な言葉「地球は青かった」は嘘では無いのかもしれない。

このブログは前のsharp(シャープ)で書きました。今は新旧のパソコンに助けられています。画面の綺麗さは画面の新しさで決まるのかも。そうだとしたらこの画像が綺麗な意味がよくわかる。今日も又一つ学習が出来ました。ありがとうございます。又、教えてください。

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コールセンター確認中 質問の意味が通じず イライラ

何でだろう?文字は打てるけれど画像が入れられなくなった。昨日迄は画像挿入ボタンをクリックスするとココログの管理ページが出ていたが今は、マッキントッシュホルダーが開く。当然、君から教えてもらった画像挿入の手順に進めない。

ニフティのコールセンターに作成画面の画像が見えない事を聞くつもりが、そこ迄も進めない。何たる事か。今日誕生日おめでとうニフティからのメールを見た時に、何かが変わったのだろう。夜、電話します。教えてください。トホホ。

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2010年10月12日 (火)

久し振りのウオーキング

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城跡公園は休園日。何故か寂しそう。一気に暗くなる。

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体育館横の橋の上から宝塚方面。実際の景色は夕日がこんなに明るくない。

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デカイなあ。大きくなったあ。ダイダイ使えるのかなあ?

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キンモクセイ、これだけアップすると何の木か分からない。匂いも今イチ。

この花に近づいていると横を、おばさんのチャリが勢いよくすり抜けて行く。広い歩道。親父が後ろを見ずに横に移動したのがいけないが、よくあるケース。気を付けなければいけない。今迄は自転車に当てられても相手がコケルだけだったが、これからはそうはいかない。歳を取るという事は寂しいけれどそういう事だろう。これでも口だけは達者(たっしゃ)。馬鹿野郎と怒鳴っていた。でもあんたも悪い。それが分かるとどっちもどっちだろう。これ迄は幸いな事に大きな怪我や事故との遭遇はないが、これからはそうは行かない。

自慢しても仕方ないが日常の生活でも危険予知の心掛けが必要だろう。現場の仕事では指差呼称をして安全の確認をしていたが、車の運転、ウオーキングでも基本的な安全確認が求められている。その事を自覚すればそうでない時よりは確実に事故の確立は下がる。あれだけスカイラインの運転で腕を鳴らした車の運転もペーパードライバーになって一気に形無しとなる。どんなに慣れた事でも一度忘れてしまうと情けない程にその感覚は落ちる。絶えず繰り返しながら確認している事でも、人的ミス(ヒューマンエラー)がある事も忘れてはならない。自転車は車と同じ損害賠償責任が運転者にある事も多くの人は知らない。


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2010年10月11日 (月)

電車の中で我慢出来ない事

ブログネタ: 電車の中でガマン出来ないことって何?参加数拍手

電車の中で我慢出来ない事と言えば何と言ってもバカとの遭遇です。自分でも結構馬鹿ですが一番むかつくのは、周りの人の思いを全く気にせずしゃべりわめく馬鹿。空いた電車の中で目を閉じているといきなり横の席にどーんと座る馬鹿。横を睨みつけてもそしらぬ顔でスマしている馬鹿。

今は空いている電車にしか乗りませんが、満員電車で身動き出来なくてもしゃべる馬鹿、この手の輩は反社会的人物の存在を全く気にもかけていないのでしょう。世の中そない甘いもんやおまへんで。

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楽しかった4連休も終わる。パソコンの勉強はこれからだけど。

冷蔵庫の音は結構気になる。映画で見る潜水艦のソナー音のような音が出る。庫内が一定の温度になれば消えると配達の時説明されたがそうではない。一時的に音は消えても絶える事はなくこの音が気にならなくなるのはない気がする。まあその内慣れるだろう。それ程に親父の部屋は静かなのだろう。

今夜の食事はお寿司。でも握りではない。(どう違うの?)
お寿司はスーパーで買う小振りのネタ、ロボット仕上げ。
握りは寿司職人が握ったもの。勿論、職人のレベルは千差万別。一貫の値段もピンからキリ迄。

今迄食ったお寿司で一番美味かったもの?それは何と言ってもと言いたい処だが、残念ながら食べ物は一緒に口にする人で味が変わる。それに地産地消、海辺の静かな宿で口に出来るお寿司には勝てない。料理は食材で殆どが決まる。この歳になっても口にしていない最高の職人と最高の食材で握られた寿司を口にした時どんな言葉を口にするのだろう?(それは決まっている。)美味いなあだろう。問題は誰に語るかだろう。

今、君にもらったアイ、パッドでお気に入りの歌を聴いています。でも再生出来たのは全くの偶然です。
情けない事に先日聞いた操作方法が全く理解されていません。何故だろう?電源の差し込みが抜けない。
差し込みが出来たのに抜くのは?  出来た。両横の凹みを押さえないと駄目。

玩具では無いのだからこんな扱い方をしていたら駄目に成る。それでも親父の飽くなき探求心には我ながら感心しています。その内、征服するでしょう。やり方が分かればどうという事も無いでしょう。何事も挑戦です。今日、スカイプの事もコールセンターに聞きました。

ニフティのコールセンターより最悪で最初はスカイプに聞けと言われてぶち切れ。(オイオイ又か)
そう又。それでも親父はひるまず(そりゃそうだろう)質問を変える。(賢いなあ)
このコールセンター、最初からおかしかった。親父の質問の前に身元確認。機種の確認。

それで親父のレベルが分かったのだろう。その手は桑名の焼き蛤(なんじゅそれ)。親父の質問の意味から説明する。そして質問の意味を理解させ納得させる。それで相手も言い方を変える。コールセンターの意味を理解させると話は早い。スカイプが使えない原因も分かる。しばらくはアイ、ピー電話でも良い。

夕方は日暮れ前、出かけるつもりが仲良しと親父節を爆発させている内に暗くなる。
昨日しっかり歩いたから良しとするかと自分に納得させて、近くのスーパーでお買い物。
そんな一日でした。さあ、ゆっくり出来たし明日から又、突撃です。では又です。体に気をつけて。

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外気はすっかり上高地の爽やかさ。快適。でも日差しはきつい

朝はトースト2枚とコーヒーブラックのみ。お昼はおにぎり2個とシーフードヌードル。(叱られるな)
でも最近は流石に君から言われて眺めるだけが多くなっているので、それだけマシになったのかも。
人の体質は半年で変わると言われるけれど、人の思いは(固定観念)はなかなか変わらない。
それ故に体質改善、嗜好品、味覚、好き嫌い、言う事と行動が比例しなくても当然だろう。

人の事は何と言えても自分の事となると何もわからない人も少なくない。そうでなければ多くの事を為す事は出来ないのかもしれない。正直者は馬鹿を見るとか、額に汗して働く勤労の価値とか世代交代の言葉さえも真しやかに語られても、それらの言葉さえも自らの行動を正当化しているに過ぎない。その程度の事です。
本当に今求められている生き方は、難しい事でも何でもありません。その程度の事です。その事を自分に言い聞かせられる人が時代を生き抜ける勝利者でしょう。(そんな事はどうでも良い)でも親父は若い頃よく言われていた馬鹿になれという言葉が分かりませんでした。その事がこの歳になってやっと分かった気がしています。力持ちが精神的に安らぎの時を得た時、ああ、無情の小説の主人公は神に感謝していました。

お気に入りの記事、ブログも前のパソコンではお気に入りの場所に入れて、検索も簡単でしたがそれも出来なくなりアタフタとしていました。それが分かって今はにんまり。それでもこの横の1行が一杯になったら何処に表示されるのだろう?そんな事を考えている。

これから読書タイム。今読んでいる3巻は全く面白くない。それでも作者の思いが少しでも分かれば、また違った評価が出来るかも分からない。2巻の冒頭にワーテルローの戦いが83ページにわたって書かれていたが、その意味は時代考証なのか今でも分からない。夕方、さわやかな空気を吸いながら歩いてきます。

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今日は良い天気です。商品配達の間、遊んでいます。

昨日の雨で季節が進んでいます。これからは昨日のように半袖のウエアーでの行動は無理かも。夜の買い物でスイスで着た薄てのジャンバーに手を通しました。関西の秋を実感するのは例年、11月の中旬ですが今年は何処でどんな秋が見れるのでしょう。近年、秋の日を愛でる事は本当に少なくなりましたが、車で出かけた多くの紅葉の名所は今年はどんな顔をして、どんな人にどんな表情を見せて呉れるのでしょう。

紅葉の秋は艶やかさの中に多くの憂いの表情を見せてくれますが、一人で秋の感傷に浸れるのは未だに出来ていません。これからも余程の事がなければ無理かもしれません。息をのむ美しさは、反面それだけの覚悟がなければ見れないのでしょう。今迄見た秋とは違う感動の秋は今年も無理かもしれません。無理でしょう。多くの事は努力すれば叶うと言われますが、人の心の危うさは秋の空と同様で移り気なのかもしれません。

関西の秋の魅力はなんと言っても京都、奈良の観光名所と名刹、庭園、境内でしょうが、親父は偏屈だから少し違って山、川、野原です。全山紅葉、川面に映える赤い紅葉、すすきの穂で風になびく野原、そんな秋を今年は探しに行きます。行けるかな? 今年はそんな景色を切り取ってカメラに収められると幸せでしょう。人の思いは様々でも共感できる思いは自然の美しさでしょう。

多くの人が海外に憧れ足を伸ばしても、国内の厳しい自然との向き合いは段々、出来なくなっています。これからは都市の生活はますます窮屈になり、ストレスが溜まる事でしょう。そんな時そんな思いをみじかな人に投げかけるのではなく、足の向くまま気の向くままの旅が出来ると最高でしょう。

昨年は日本全国の鉄道路線、歴史で巡る雑誌を48号までそろえる事が出来ました。九州大分佐伯の地を後にしてもうすぐ半世紀が過ぎます。あの時18時間掛かった旅は今年の夏、5時間に短縮されていました。それでもどんなに便利になったとしても、心の中に大きな空洞が空いていました。

この歳になってやっとその思いに気が付きました。今更遅いと言われてもその穴を埋めるべき時は時間が解決してくれるでしょう。これからの生き方はその事に尽きると思えば、今、頻りに多くの人が口にする「地方の時代」の言葉の意味がひと事では無いのかも。

商品が着ました。置き場所は片付けていたので置くだけ。電源を入れて冷える迄の音が意外にうるさい。「大丈夫かな?この音、本当に暫くしたら消えるのかな?」心配になってきた。音が消えないとこの音は結構、気になる。耳障り。これからコンビニに出掛けてきます。

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2010年10月10日 (日)

お休みはもう一日

もうすぐ誕生日。今年もまた一つ年を重ねる。「誕生日おめでとう」。
お祝いのケーキのローソクの火を吹き消す事は無いけれど、今年はビッグプレゼントを手にしました。
3年前に買ってもらったシャープのパソコンの起動が遅くなり、思い切ってマックの新製品を奮発。
ブログだけの使用だけではもったいない気がしたが、画面の美しさと使い勝手の良さを信頼する。
君と同じメーカーのパソコンを使えるだけで、なんか嬉しくなる。

パソコン教室で個人レッスンを受けながら、先生の視線を拒否しながら両手でのキー入力を練習したのが思い出される。今では長い文章を人差し指のみで入力、君に笑われる。少しずつで良いから多くの指を使わないと進歩が無い。それでこれだけの長文?を入力出来れば上等か?いやいやそれは直してね。

このキーの高さとタッチの感覚ならそれも可能かもしれない。でもそうなるとヤバいかも? 何で?親父の年でそれが出来るとプロになれそう。「成り給え」遠慮する事は無い。そんなの珍しくも何ともない。ざらです。ざら。上には上がいる。『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』 福沢諭吉

アイホーンも少しずつ使えそうです。帰りの電車の中で曲を変えながらにんまりとしていました。これからは電車、バスの中でどんなに騒がれてもノー、プロブレム(問題ありません)。これは大事にします。親父の年でパソコンからの音楽入力は無理と思っていましたが、これが出来ると楽しくなりそうです。

読書の秋、レ.ミゼラブルも3巻になって黙読のペースがすっかり遅くなりました。明日は冷蔵庫が来る前に少し、ピッチを上げて読み返して置きます。今年も多くの人が多くの秋を迎えますが、厳しい寒さの時を迎える前のほんの一時です。二度と帰らない紅の時を有効にお使いください。文字入力の練習この辺で。

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大阪に行ってきました、

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この景色は親父が大阪に来て初めて見た景色です。


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昼間の景色は平凡だけれど、この商店街も夜になると一変する。この商店街は飲食店と風俗のお店、そしてゲーセンとパチンコのお店。日が暮れて宵闇が迫るとネオンと人並みで圧倒される。

今日は本当にありがとう。久しぶりに大阪南の難波球場後の難波パークにも行けたし、心斎橋のアップルのショールームにも行けたし感激でした。色んな話ができたし色んな知らない大阪の景色が見れました。
大阪で多くの涙と歓喜の時を過ごした若き日の思いが、鮮やかに親父の記憶に甦っていました。

過去をどんなに振り返ってみたところで、嘆きのセレナーゼとも言われますが君と見た大阪の再開発は輝いていました。大阪北ヤードの景色は数年後には様変わりだとしても、一緒に見た景色は変わる事は無いでしょう。これから新しい事に積極的に挑戦し、今迄の自分に無い面白さを出していきます。


 


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2010年10月 8日 (金)

読書の秋 久しぶりの大作も3巻目 これからがしんどい

君の行く道は果てしなく遠い。

だのに何故、歯を食いしばり

君は行くのか、そんなにしてまで 

親父が若い頃の関西テレビ(全国ネットでは分からん)の夜8時ゴールデンタイムの社会派ドラマ(当時はそう呼ばれていた)若者達の挿入歌1番。(ちなみに三番は)

君の行く道は希望へと続く

空に又陽が昇る時

若者は又、歩き始める

今はテレビのゴールデンタイム(夜8時から9時)はオチャラケか食いものか旅番組。最近は深夜放送の馬鹿騒ぎ(空騒ぎ)、芸能(芸NO)人、B級タレント寄せ集めのお笑い番組のオンパレードだけれど、何時からこんな馬鹿が多くなったのだろう。(そうではない。この時間にテレビを見る視聴率とやらがこの程度の番組を求めているのだろう。

テレビが娯楽、テレビを見るのは暇つぶし、肩の凝らないお笑いとオチャラケが丁度良いと言われている。来年アナログでは見れないと言われてテレビの買い替えを求められているが、テレビ番組の多様化は出来るのだろうか?

大体、多様化と言われてもその意味すら理解出来ない人が多くなっている。エラそうにと言われる親父でも、テレビの果たすべき社会的責任の大きさは、理解できていない。それでも色んな人が色んな生き方をしている様々な出来事を、もう少し掘り下げる真面目さが無いと間違いなくテレビは、一部の人を除いて見向きもされ無くなるだろう。

今、伝えなければならない事、関心を持たなければいけない事、もう少し現代社会の光と影の深刻さを伝えなければならない事を、電波に公共性が少なくないと感じているならばその社会的責任をテレビ局の番組製作者は考えなければならない。(まあ、親父がぼやいても何にもならないけどね。) なら言うな。でも最近のひどさを感じるのは親父だけだろうか。

ホント最近、テレビを見る時間が全く少なくなる。見ていてもつまらない。これでテレビの買い替えを求めるのはえげつないと思うけれど、見方を変えればその程度の物であり親父の様な考えは、異端者なのかもしれない。最近そんな思いも強くする。それならそれでも良い。

アメリカで暗殺されたケネディーの言葉を思い出す。国(人)に何かを期待するのでなく、自分に何が出来るのか考えて行動しなさい。そうすればこの国(myself…自分自身)が変わる。人の事を語るのではなく、自分に出来る事を行えば道は開ける。そう思う。

読書の秋、レ・ミゼラブル(ああ無情)を読みながら、秋の深まりを感じています。親父と5日違いの誕生日を迎える5歳の娘に、残せる物は何だろうと考えています。彼女達が20の時を迎える前に、この国が悦びの酒を飲めるようになっているのか、それは誰にも分からない。

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景気対策は誰がやるの?政府がやるの?出来る訳が無い

景気の先行き見通しは良くない。円高、株安、価格、消費の低迷。多くのエコノミスト、専門家の言葉に明るさが無い。常識的に考えて円高はドル安が大きな要因であり、どんなに政府、日銀が多くの言葉を語り、買い支えを単独で行ったとしても間違いなく円は80円を対ドルで切るのも遠い先の事ではあるまい。その対策を政府、日銀に求める有識者?の感覚は如何なっているのだろう?素人の親父でも最近心配になって来た。それだけでなく経済界、マスコミの発言、報道を見ても首をひねらざるを得ない。

如何して景気が良くないのか?如何して消費の盛り上がりは無いのか?如何してこれだけ多くの人が円高で困っているのに円安にならないのか?理由は単純明快。その答えを手に出来る人達だけが明日の繁栄を手に出来るのだろう。

最近の世論調査とかマスコミの報道を見聞きして痛感する事は、それはホンマやの?と思われる事が、尤もらしく語られる。その典型的な出来事が政治とお金の問題。何処の誰が政治の世界だけがお金に綺麗とか汚いとか言い切れるのだろう。そんなに尤もらしく言うのなら政治にお金が掛らないとホンマに思っているのだろうか?

景気が良くならないのはそれで良しとして舌を出して笑っている人が少なくないからだろう。世の中そない甘いもんやおまへん。苦しんでいる人がどんなに多くても美味しい思いをしている人が居る限り、そしてその流れを断ち切らない限り何も変わる事は無い。

有言実行とかこれまで先延ばしにして来た事を改革するとか、出来もしない事を口先だけで誤魔化す政治家を支持している限り、何も変わらないだけで無く泣きを見るに違いない。自分に出来る事を些細な事で良いから挑戦しよう。それの始まりの時。その事を痛感する。

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2010年10月 7日 (木)

金木犀(きんもくせい) 花の香りは満開の度合いで違う?

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これがキンモクセイ?なんかイメージが違う。そう言われそう。近寄り過ぎたのが悪かったかな?人も樹も遠くから見るのが丁度良いかも。あばたもエクボとか言われるがアップに耐えられる人は(失礼樹は)本当の美しさを見せてくれるのだろう?

(親父さん、本当の美しさとは何?) 何だろう地肌だろうか?(親父さん違いますよ。内面的な美しさでしょう?) それは違うな。アップに撮る時はそれなりのテクニックが居ると言う事でしょう。そうでなければ失礼でしょう。御免なさい。簡単に謝るなと言われたな。

このアングルから写した時、太陽の日差しに雲が掛り少し曇っていた。あわてていたので金木犀の匂いをかいだだけでシャッターを押していた。それがこの有様。完全に晴れていたら、葉と枝の間だから見える斑模様は絶好の木漏れ陽として、輝いていたに違いない。

花もまだ満開の手前。だから匂いも今イチで躍動感が無いのかもしれない。むせ返る強烈な匂いは無いままに、今週末の雨に打たれるかもしれないがそれはそれで良いでしょう。「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき」 与謝野晶子 人知れず今年も金木犀の秋が始まっています。

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2010年10月 6日 (水)

本当は金木犀のアップだったのですが・・・。匂いが今イチで・・・

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夏の終わりに枝もツルも伸び伸びになっていた藤の樹。太い幹までバッサリ切られて藤棚がすっかり寂しくなり気になっていたが、季節外れの花が咲く。(北海道のママにチェックされるか分からないけれど藤の花は今頃咲くのかな?) でもこの画像少し自慢。多くの命が重なっている。では調子に乗ってもう一枚。

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これは又、痛々しいけれど樹の生命力は凄い。あやかりたいな。老いたるは消え去るのみ?そうではない。親父さん、もうひと花咲かせて下さい。無理だな。親父からバッサリ切られた枝が叫んでいる。(ここまで大きくなるのにどれだけ掛ったと思います。それも知らないで)

でも枝先が枯れていたから。親父の弁解は来年空が見えなくなるまで聞こえない。でも親父が剪定したから若弦が伸び、葉が茂り花が咲いている。世代交代とはこんな姿を言うのだろう。口先だけで何かが変わる訳が無い。(俺の痛みも分からんくせに) スミマセン。

これから歩いて来ます。外はすっかり暗くなっています。本当は今聞いているジャズの方が良いのだけれど・・・。誘惑に負けずに歩いて来ます。それから食事です。今夜は何にしますか?(と言われてもパターンは決まっている。)

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2010年10月 5日 (火)

読書の秋 大作を順調に読破中 何故か現代に繋がる事が多い

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今日は歩いて来ました。昨日サボったので気合を入れて歩く。仕事から帰って早めに出掛けたのに、折り返し点からすっかり暗くなり怠けの思いが出て来る。「この道はバスが走っている。この道は平凡だしバスに乗ろう。」停留所のバスの時刻表は流石にパス。初志貫徹。

駅前迄の道は味気ない道。それでも道の両側をキョロキョロしながら、この前デジカメで写したデカイ柚子?の場所を探していた。携帯の感度では取りきれない画像も今週末には復帰する。土曜日には一眼レフも見れるかも。楽しみだなあ。これからは文章だけでなく画像でも勝負できるかも?(無理だな。カメラは良くなってもセンスが無い。) それは如何かな?

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今日は出勤時、ラガールカード1000円分の乗車カード買う時、前のスーツの男性40台遅い。切符を買っても動かない。バックの中を整理している。親父から叱責の声が飛ぶ。「早くせんかい。」 男性振り向き様に眼が飛んでいる。「何や、ちょっと来い」。何処に連れて行くのか知らないが完全に切れている。それでも親父もそれ位の威嚇には負けない。

完全に戦闘モード。ヤバイ。いい歳をしたおっさん同志が朝っぱらから、些細な事でいがみあっている。ちょっと来いと言われても乗る電車はそんなに余裕が無いので無視。その代わり駅員に警察を読んでくれと言い残す。おっさんはその言葉で何処かに消える。

親父の言い方も悪かったし非はこちらかもと思いながら、おっさんもヤクザさん顔負けの口調。(最近この手の輩が多いが怯む事は無い。口先だけ。この国は法治国家。恐喝だけでも罪に問われる事を多くの人は知らない。)それでもキチガイに刃物。その対応が出来ないといけない。いきなり刺される事も今日び、珍しい事では無い。

その法治国家もおかしくなっている。検察の証拠品の書き換え。組織ぐるみの隠ぺい工作、新聞、テレビの放送では大阪地検の犯罪が問題になっているが、権力の暴走、チェックが無いのは大阪だけではないだろう。無実の人を刑務所に収監する。どんなつもりなのか?

法と証拠に基ずく公正で明解な検挙と控訴。そうでなければ検察、司法の信頼性は一挙に地に落ちる。その危うさを長い間問題にされても改善されなかったのは、多くの国民にも無関係ではないだろう。今読んでいるレ・ミゼラブル。日本語訳の「ああ・無情」 本当に人が人を裁く危うさはもっと謙虚に為らなければならない。

その反対に空海の時代も江戸時代も、竜馬が過大に評価される幕末の時代でも「ああ、無情」のフランス革命の時代ですら、人の思いは後世の批判に耐えられない。それでも私達が平然と生きて居られるのは、過去、現代、未来を知らず、その愚かさに気付いていないからだろうか? 人は間違いなく老い朽ちる。その時如何生きるのか?その事が問われている。

誕生日まで1巻を読み終えれるかと思っていたが2巻まで行きそう。それでも結構飛ばしているので読み見直しが必要。作者の時代考証、文学性、表現力に圧倒されて読み切れない処が少なくないが、それで充分。そうでなければこんな面白い作品に巡り合えない。

それでも本当にこの大作を理解するにはパリの街を歩き、ワーテルローの戦いの跡をこの目で確かめなければ無理だろう。(親父さん、久しぶりの感動ですね。)パリ、行きますか?もう飛行機の長旅はNO・thank youです。花の都の地図でも眺めます。

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2010年10月 4日 (月)

すっかり日の入りが速くなり、六甲に沈む夕日が見れなくなる

仕事を終えて最寄りの駅前のスーパーに寄らず、家に帰ってすばやく着替えをして散歩に飛び出せば、六甲の山並みに沈む夕日が城址公園からどうにか見える。そんな気候になって来た。あの暑い暑いとこぼしていた熱波の時は半月前の事だと言うのに。季節の移ろいは人の思いを遥かに超える。

先日、ウオーキングには勿体ないが靴を手にしたけれど、暫くは通勤用としては履くか?部屋に戻って一番先に考えた事は洗濯。それからが保険の案内を見ていたら、すっかり暗くなる。流石に今日は歩くのやめるか?(コラコラ、三日坊主) イヤイヤ一月は続いている。

何事もいい加減が丁度良い。あんまりムキになってやる事は無い。気が進まなければ辞める。それ位で丁度良いのかもしれない。(駄目、やると決めたら一日も欠かすな)それも一理あるね。一度怠け心、自分に負けるとリバウンドは決定的。(大丈夫、リバウンドするほど成果は出ていない) やれやれ。そんな訳で本日の写真は無し。

今年の夏、お友達になったカマキリの霧子が、植え込みの天辺にやせ衰えた姿を見せる。子供の為に自分の体を粉にしたのだろう。夏の暑い昼下がりに見せたナイスボディーは半分以下になり厚みと幅は見る影も無かった。夏の終わり植え込みにどんなに水を掛けても出て来なかった訳が分かる。やせ衰えた姿は息を引き取るまでは見せたくなかったのだろう。

哀れな姿をそっとつまんで、植え込みの根元の土を靴で凹ませて、その中にそっと置く。ご苦労さんでした。ゆっくり休んで下さい。そうして来年の夏、新たな息吹を拭き掛けて下さい。親父と遊んだ今年の夏は本当に暑かったけれど、もうすぐ冷たい冬が来る。(まだ早いか?)

レ・ミゼラブル2巻 何故かワーテルローの戦いから話がスタートするが、今は哀れな女の子供との再会(主人公)。これから物語は面白くなる。フランスの今から150年前の話。現代と何も変わらないのが凄い。人の世の無常。人の世の移ろい。それよりも何よりこの世の生き方が問われる作者の鋭い問いかけ。これは本当に感動の物語(小説)です。

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さようなら。又、来年合えるかな?(背中の反対側に居る子供達に聞いて下さい)

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ワ―テルローの戦い 久しぶりに眼にする 日本で言う関ヶ原の戦い?

親父は何故かこの戦いの事を記憶している。何故だろう?中3の時、社会の評価が良かったから?それで世界史の歴史的出来事を覚えていたのだろうか?それでもレ・ミゼラブルでビクトル・ユゴーさんの話を聞く迄はどんな戦いだったのか知らなかった。本を読んでも良く分からない。それだけ如何でも良い事が世界史の中では、その後のヨーロッパの歴史を代えたと言われている。そう言われても良く分からない。日本で言うと関ヶ原の戦いだったのだろう。

途中で電話の話が長くなり。午前0時を廻ったのでこのさきはあしたにします。天気回復の画像で本日はこれにてお休みです。

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微かに虹が見える。夕方、親父の散歩を見計らった様に、雨が上がる。でも昨日買ったおにゅうの靴は流石に履けない。右の高架は阪急宝塚線。

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建物が暗いのは携帯の使い方が下手だから。明るさの調整が出来ていない。DoCoMoで聞く?

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城址公園。すっかり暗くなっている。そのお陰で鈴虫が元気に鳴いている。

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少しピンボケ。携帯の所為にするな。照明が不気味に光ってる。

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2010年10月 2日 (土)

久しぶりのバス 久しぶりの停留所 靴のお店は遠かった

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最寄駅のホームから見える景色。一番上の右から2番目の小窓の中に展望台が見える。山の頂上近く少し白く見える。(眼が悪いと見えない)。親父の視力は1.0と1.2 歳の割には遠くも近くも良く見える。(本とパソコンは流石に老眼が要るけれど トホホ)。イヤイヤ御立派。

一駅で降りて8年前に利用していたバス停迄歩く。懐かしい商店街。しかし、道路の片側は違法駐車とチャリが所々で占有している。行政の取り締まりもなかなか難しい。マナーの問題。最近、公共の場での人への思いやりが無い人とわが物顔の輩が少なくない。

若い頃はそんな奴にも負けなかったが、歳を重ねると体の衰えを否定できない。皆、人の事は、かまけては居られない。それ故に掛る火の粉を自分で跳ねのける、不屈の闘志と肉体を幾つになっても求められる。アー、ユー、レディ? (親父さん、いい歳をして、止めて下さい。もう、昔の様な元気は無いのですから)。

靴屋は遠かった。それでもこのお店に来たのはこの前買った靴が安くて、スイスまで行けたから。(結局3カ月で駄目になったけれど)親父のメタボな体を支えるには余程の靴で無いと無理なのかも。お店で雑誌で見た靴は無かったけれど、この前対応して呉れた青年が親父の無理難題をクリヤーして呉れる。これで明日からの歩きが楽しみ。如何かな?

帰りは来た道を戻らずバスで地下鉄御堂筋線の終点の駅に出る。この道も懐かしい路。大阪に来て2番目に仕事をした道。大阪北部から中心部に出る幹線道路。今でも毎朝夕の渋滞は変わらない。都市の交通渋滞は一時に限られた道に車が集中するから。

短い期間(3月)だったが貴重な体験を今でも大事にしている。冗談でなく良く死ななかったと思う。岐阜の揖斐川、芦屋と宝塚、高知の窪川と広川、島根の木次、兵庫の温泉町、最後は福井の敦賀(北陸トンネルの上)。秋から厳冬の時。喜びと哀しみが交錯していた。

土方仕事という割に親父は力仕事にへこたれる事は無かった。仮設のモノレールの仕事も所詮、地方の道路工事の減少と共に先細りとなる。あれから10年。地方の道路網は着々と整備されてはいるが、高知窪川の先は如何なっているのだろう?

四国はどんな所か?大河ドラマで坂本竜馬ブームでも高知の町や村は「限界集落」の荒波に揉まれている。この現実は皮肉な事に中央官庁の街おこし、村おこしの指導に従った町や村ほど寂れたと言う。そうして今では過疎、高齢化の波が厳しく押し寄せている。

四国だけの話では無い。全国各地の村や町が哀れな状態になっても、地方交付税、地方活性化対策、農水産林業の補助、多くの税金を餌にしながら食い物にされている。誰に?中央の官僚?でも本当の責任は地方に在るのかもしれない。

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大阪駅西口(今は桜島出口) 何で大阪駅の西出口が鹿児島の桜島なのかよと思っていると此処にも何故か桜島線がある?ユニバーサルスタジオジャパン それでかよ。紛らわしい。一番高かったマルビルも両脇のビルに挟まれて影が薄い。本屋は右のデカイビルの中にある。今迄はこの先の桜橋の毎日新聞社屋跡地のビルまで歩いていた。

今日は何故かrich(リッチ)になったみたい。このビルの中に高級ホテルがある。(まあ高級と言っても様々だよね) ジーパンやおしり丸出しのスカートでも入れるし。レ・ミゼラブルの2巻は自分では探さず。担当者が検索サイトで探して持って来る。便利や。さあ挑戦と思いきや1巻のラストの繋がりが無く、ワーテルローの戦いから始まる。ビクトル・ユゴーさん 分かり易く面白く頼みますよ。それでも何とか挑戦します。

本屋さんからの帰りは何も考えず地下街を歩く。今日は土曜日。人波に歩調を乱される事は無い。難儀なのはアイスクリームを食ったり、手をつないでノッタリと歩く馬鹿。昔ならヤクザさんに叩かれていた。今は強面のお兄さんが本当に少なくなって、普通の人が普通で無くなる。なんかおかしくない?(おかしくありません。これが普通。)さよか。反対を向いて舌を出している。(親父さん、気をつけて下さい。余計な事を入ったら駄目ですよ。) 言うもんね。コラ

お気に入りのカレーのお店は空いていた。入り口近くのカウンター席。(このお店は全てカウンター) 少し奥に入り掛けて止める。「どうぞ」と言われたし。食うのも早いし。カレーが出て来るのも早いし。出てきたらピクルスを上に掛けて、一気に食うのみ。はやー。

コーヒーのお店は混んでいた。親父の指定席(カウンターか入口)。おや、カレーのお店とは違うのですね。そうこのお店のコーヒーは違う。コーヒー焙煎士が居るもんね。なんですかその人?美味しいコーヒーをいれてくれる人。女性。コラコラお・や・じ。コーヒーが出て来るまで少し時間が掛る。その間、好きな本が読める。それが良い。ところが今日は隣の親父、靴を脱いで親指を手で弄んでいた。何時もなら睨みつける処、一瞥(いちべつ)しただけで視線を活字に戻す。(さすが)でも内心不快。コーヒーが来たらさり気無く口にして、席を立つ。

帰りのお土産は551の豚まん2個と栗おこわのおにぎり。駅のホームは少し歩いたので汗ばむ。換気扇の吹き出しが涼しくにじんだ額の汗が引いてゆく。ふと隣を見ると若い女性が同じ顔をしている。電車の中は始発。当然座る。ワーテルローの戦いはナポレオンの負け。この事とジャンバルジャンの話はどう繋がるのだろう?

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菊香る秋 お見合いの時は今頃だったかな?何年前の話?

レ・ミゼラブル一巻 完読しました。と言っても結構飛ばしているのでもう一度、読み返さないとあらすじだけで、作品発表時の時代的状況、背景、作品自体の持つ文学性、芸術性は分からない。本当に1862年と言えば今からおよそ150年前。黒船に鎖国の眠りをぶち破られるその前に、フランスの文学、芸術のレベルを思い知らされる。

今、テレビの大河ドラマでは竜馬ブームでも親父達は、ナポレオンの時代を何も知らない。そんな事を考えながらこの本を読み終えただけでない。ジャンバルジャン(この本の主人公?)の人生と自分の生き方を重ねられるだろうか?(重ねるな) そうスケールが違う。

今日は本当に良い天気です。昨日山本一力氏(直木賞作家)がNHKのラジオで、江戸時代の庶民の生活と江戸の話をしていたが、今日の庶民(お前もそうだろう)はお天とさん(太陽)の偉大さを余りに評価していない。その罰は思いの外大きい。

最近、又、首の血の巡りの悪さを実感する(コリ、ダル重)時、今日の様な強い日差しに首を垂らして日を当てると陽の光を首筋の全面で受け止めている。日常の生活で日差しの強さを感じても、温湿布の熱さを痛感する事はない。洗濯物を干した後、一時、首を下げじっとしているとその偉大な効果を実感する。やってみなはれ日光浴。大きな麦わら帽子を深めにかぶり、ビニールの折りたたみの椅子にメタボな体を沈めていると、優雅な時が過ぎる。

これからウオーキングのシューズ サライの広告で見たセダークレスト(トレッキング、シューズ)買いに行きます。今、歩いている靴は底の凹みが大きくなってストレスが掛る。甲高、幅広、メタボの親父に合う靴が在るかな?それから本屋に行きます。

帰りにカレーを食ってお気に入りのコーヒー飲んで帰ります。娘は居るかな?(コラコラ)P1000157

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2010年10月 1日 (金)

ああ無情 レ・ミゼラブル この大作は読み切れるかな?

何でその本を読むに至ったのですか?そう聞かれるとなんか非常に嬉しい。嬉々としてその理由を語る。人の生き方、人の世の優しさと厳しさ、そんな物を知ったとしても意味あんのかと聞かれても、言葉を更に探している。そんな親父を自己評価すると若い頃と何も変わっていない。変わった事と言えば年老いただけ。これから更に老いる。その時、何を支えに生きるのだろうか?その事を考えながらも余りに為す術のない時が過ぎて行く。

これではいかんと思いながらも、今迄余りに無知だったと思う。少し考えれば分かる事がぼやくだけで何も変わらない。最近、何か心躍る事と言えば遅まきながら、その事が分かった事かも知れない。無知と悲惨、この言葉も最近の言葉では無い。今迄何となく心の中で渦巻いていたもやもやが晴れた時、親父の眼球に落ちて来た瞼が一気に引き上がるかも。ウリャー。

レ・ミゼラブル一巻は誕生日までには何とかクリヤー出来そう。それだけでなく飛ばした処も読み返しが出来そう。飛ばした処は社会風刺、社会描写の細かい処。細か過ぎて全然興味が湧かなかった所も、あらすじが見えて来ると作者ビクトル・ユゴーの心意気が見えて来る。

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季節外れのバラ。秋の夕暮れ。柔らかい日差しを浴びながらもうすぐ花びらを落とす。

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昨日紹介した山茶花の葉っぱは先日の雨で元気を取り戻している。夕日を浴びて歓喜の時を息を潜めて待っている。あやかりたいね。お裾分けでも良いから。(親父さん、御謙遜で)ばれたか?(バレバレ) 君、お茶っ葉に見えるけど間違い無い?(失礼な)

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日の入りが1時間早くなる。この景色6時過ぎ。この前までは7時過ぎ位だったのに。それでも今修理中のデジカメが在ればもっと明るく撮れる。失礼な。携帯君が怒っている。スミマセン。親父の未熟さです。もっと綺麗に、もっと夕焼けと街のコントラスト(濃淡)を鮮明にしないとね。後一月もすると閉園時間が17時になるので、土日で無いとこの景色も撮れなくなる。

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