台風一過と言うには少し感じが違うけど・・・。
司馬遼太郎氏の「空海の風景」の本の中に遣唐使船の記述がある。貧弱と言うより余りに悲惨な当時の造船技術と航海術、そして天体観測。玄海の荒海を乗り切る術を全く手にせず、命懸けでは無い運を天任せの遣唐使船の歴史。当時の現実は遣唐使に指名されただけで今生の別れを覚悟しなければならなかったと言う。
その季節が今頃だったのだろうか?夏の玄界灘は季節風が大陸から日本列島に向かって吹く。今は風向きに関係なく航海できる船も当時の帆船は風任せだった。その風に乗れなければ航海は難しい。その事が当時の船乗りと政務を司る朝廷に知識が無かったと言われる。
当時の唐の高僧、鑑真和上が聖武天皇の招きでこの国に渡って来れたのは、度重なる難破のあげくだったと言われる。失明はしても何とか目的を達する事が出来たのは、幸運以外の何物でもない。空海は自ら希望して遣唐使船に乗る。そして遭難。それでも運良く大陸の南方に漂着。国の代表でも僧侶の代表でもない空海は類稀(たぐいまれ)ない天才的な能力を発揮したと言われる。
今日は昨日借りた傘を返すつもりで出かけました。残念ながら借りたお店の閉店時間に間に合わなくて返せず。それでも城址公園の夕焼けは間に合いました。今日はこのシーンの写真だけです。
明日も台風一過とは行かないが、少しは涼しくなりそう。甘い。天気予報は今週末の猛暑を予報している。夕焼け空が涼しい風に吹かれる時は秋分の時が来なければ駄目かも。この国の経済も政局も親父達の生活も、そして君達の生活も今大きな分岐点に立っている。
読書の秋、天高く馬肥ゆる秋、食欲の秋、芸術の秋、そして収穫の秋。長年の苦労が実りの秋に変わるのは、何時の事だろう?メタボの体型が少し変わり始めた時、その時はやって来るのだろうか?夕焼け空が首をかしげていた。
メタボな体型を改善するには鏡に映った自分の姿を良く見る事です。その事に気付いた時目標の半分は達成出来たと言えるでしょう。何事も自然体で臨まなければ結果は附いて来ません。その事もこの歳になってやっと分かるようになりました。出来るかな?出来るとも。
その証明画像が高らかにここに乗せられた時、親父の得意げな顔を見せられるでしょう。
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