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2010年9月13日 (月)

白ネギ一本頂きました

少し夏の疲れが出たのだろうか?それとも血圧と血糖値を下げる薬の影響だろうか?食欲が無い。それでもこの親父食い気(くいけ)だけはある。夕方日課となった散歩に出掛ける前に、コシあんの柏餅(何故か昔懐かしいこもち)3個を口にする。ニンマリ。オイオイ。岳が顔をしかめている。(これで食欲が無い?信じられません。) 腹が減っては歩けません。アカン

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暑い暑いと言っている間にも季節は確実に進んでいる。歩き始めた頃に比べて15分は日の入りが早い。今日は雲が多くてまんまるい夕日は拝めそうにない。それも又宜し。靴の紐を少し締め直して歩き始める。この靴も底が凹んで歩くのが不快。それでも引き返す事はしない。

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これは今日の夕日では無い。今日は雲が多くて画像が皆暗い。せめてこれ位の夕日で無いとお見せ出来ない。正面の山が毎度おなじみの六甲山。右側が宝塚です。その間に見える高架の道路と建物は殿は知らない。その部分がすっぽりと抜けたら戦国の時代と何も変わらない。

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青い空、白い雲と言われるがこの雲は青く染まっている。この景色も今日では無いがこれからは天気が良ければ何時でも見れる。秋は大陸の高気圧に覆われ空が澄んで来る。白鳥は哀しからずや空の青、海の青にも染まず漂う(ただよう) 若山牧水 それとは反対のこの景色。白い雲が夕焼けの空に青く染まるのも珍しい。

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これは家の近くの夕焼け。これも今日の景色では無い。廻りの家とマンションを影にすると夏の終わりの夕焼けも感動です。暑い暑い夏が行くと一気にひんやりとして来る。今年の夏は本当に暑かったけれど、秋は短く木枯らしの寒さを体感するのも近いのかもしれない。

近くの草や木の葉っぱが枯れているけれど、それ程に暑かった夏も過ぎ去ると愛おしく感じるのかもしれない。今年の秋はそれ故に言葉を飲み込むほどの美しさを見せて呉れるだろう。長い間足を延ばしていない京都洛北の秋は、どんな装いで親父を迎えてくれるのだろう。

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すっかり暗くなりました。公園の管理事務所も電灯の明かりで照らされています。来た道を帰る足は軽くなっています。靴の底が凹んでいるので下り坂はストレスが掛るが、それも苦にはならない。今夜の食事は冷凍のチャンポンに決める。それだけでは知恵が無いので昨日買って使っていない白ネギ一本を刻んで入れる。

刻み方も白い根元はみじん切り。少しずつ刻み幅を拡げる。それでも2ミリ以上にはしない。青い葉先に近ずくと包丁を斜めに入れる。斜めのぶつ切り。これを出来上がりの鍋に火を止めて入れる。意外にイケる。予想以上の旨味が出るのは何故だろう。ネギが合うのだろう。

食後の果物は山形県産のデラウエア。生産者の顔が見える。味は口にしなくてもぶどうを冷やさなくても分かる。2房のうちヒト房を水道で洗って口に入れる。甘い。甘過ぎる。それでも一気に頬張ると懐かしい味が口の中に広がる。御馳走様でした。(それだけ食えたら充分)

これからお風呂です。今日は仕事場横の藤棚の弦(ツル)が伸びたので、その剪定(せんてい)を手伝う。(と言っても冷やかし程度。手伝いになったかな?)。緑虫にも飛び付かれたので綺麗にして来ます。お風呂に入ってすぐ寝れば明後日はお休みです。

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