バカもおだてりゃ木に登る
京都行って来ました。親父がこの先の烏丸中学前で市電に乗り降りしていた頃、この建物は無かった。同志社大学の立派な建物。学生は如何なのだろう?この建物が無い時この古い建物の前で学生運動の赤旗と、やかましい拡声機の音があった。今はその面影も無い。
行って来ました。相国寺。そうこくじ、そうこくじと言っていたがお寺の正式名称はしょうこくじ。臨済宗相国寺派大本山。歴史は古いが度重なる戦禍(京の街が焼け野が原となった応仁の乱)の後、慶長10年(1605)豊臣秀頼が現代の法堂を建立している。流石の親父も知らず。
この庭は広くはないが京都の多くの寺の庭に影響を与えている。今は水が流れていないがかっては生活用水が流れていたという。本当だろうか?違うかもしれない。オイオイ。
これは良い。この先に御所が在る。この石が何を語っているのだろう?分かりますか?
ここからはデジカメの電池が切れ携帯の画像となる。差が出るかな?腕でカバーしょう。
社務所。
境内の宝物殿(美術館)への道。この景色に眼を止める人は少ない。
木漏れ日の庭は意外に明るい。今は緑のもみじの葉っぱも紅葉の時は錦の衣を見せてくれるのだろうか?何故だろう?近くに住んでいた独身の頃、この庭を見ていない。これから紹介する圧倒的な法堂も記憶の中に鮮明では無い。それだけ生きる事が精一杯だったのだろう。
法堂正面。正面の障子を開けると御本尊が見れたのだろうか?今日では御開帳は何時なのだろう?本日の一般公開は右側から入る。親父の親父が職業軍人で御所の警備に来た時、この景色を見たのだろうか?親父からその話を聞いた事は一度も無い。
わが国最古の法堂。金閣、銀閣両寺を始め九十余ヵ所を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の総本山。御本尊様は釈迦如来。天井の啼き竜は狩野光信作。今回の一般公開は何年ぶりなのだろう。啼き竜の下で拍手すると反響すると言われたが音が小さく反応なし。
この右側から参拝。御同輩が多い。しかし、こちらから廻り込んで覗き込む人は少ない。
正面は烏丸通り。この道を歩いた記憶が消えている。何をしていたのだろう?その程度の生き方をしていたのだろう?涙は無いけれど再びの時も無いのだろう。言葉が無い。
それでもあの時はあの時なりに精一杯生きていたのだろう。松が慰めてくれる。過ぎたるは及ばざるが如し。カツです。
御多幸を祈る。「開運毘沙門天」。オイオイ。門天が切れている。この罰当り。
この桜木も逞しく生きている。境内でお賽銭を入れたご婦人に10年は生きれると声か掛けると10年ですかと不満足のご様子。10年をバカにすると10年を越えられない。10年生きさせて貰えば後10年。その謙虚な思いが無ければこの桜木の様な逞しさは、手に出来ない。
入口の女性の人気のお寺。庭が綺麗だと言う。女性と一緒の時、入るか。もう一枚。
入口から覗きこんで見るとこんな感じ。苔までも上品。女性の寺か?でも一概には言えないな。
親父がお世話になったクリーニング屋さん。下宿の部屋は裏の路地の2階。今でもどっこい健在。それでもご覧の通りクリーニング屋さんは今は店じまい。下宿もやってい無い。隣の家も取り壊されて空き地になっていた。時代の流れと高齢化の波は確実に京の町屋を浸食している。政党の看板も風前の灯か?この大通りの市電が無くなり地下鉄は開通して久しい。京都の街は活性化しているのだろうか?
親父の相国寺の画像は意外に携帯でも綺麗です。今年の秋は久々に錦秋の景色をお見せ出来そうです。御期待下さい。
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