夕焼け小焼けで日が暮れる
日中の暑さも流石に夕方に為ると涼しくなる。先月の終わりまではそうは行かなかったが半月足らずで確実に季節は進んでいる。今日も天守閣で夕日を眺めていたらアベック2人組に邪魔される。山下清風のおっさんがデジカメ片手に夕日を眺めていても、お構い無し。
早々に退却したお陰でこのアングルをゲットする。天守閣から見た夕日とは一味違う。何でだろう。昨日は来なかったが毎日来て呉れる親父に、褒美を呉れたのだろう。画面を見る角度を替えると夕日の濃さも変わる。
昨日紹介したダンスする木はしだれ梅で間違いなし。今日は角度を替えてカシャリ。でもこのアングル無機質ですなあ。アングルを替えてもう一度見て下さい。
これは良い。でもしだれ柳は知っているがしだれ梅は知らないだろう。親父も知らなかった。この木どう見ても梅の木には見えない。梅の種類では無いのだろうか?
百日紅(さるすべり)の花。今年の夏が暑過ぎたからか葉が見事に紅葉している。
それでは今日の収穫、様々な夕日を一気に紹介しましょう。
夕焼けもこうして見ると不気味だけれど、少し角度を替えると和らいでくる。夕日がこれだけ綺麗に見えるのは、沈む太陽と雲の位置が微妙に重なるのだろう。夕焼けがこんなに見えると天気が崩れると言われた話も、幼い頃の思い出となっている。
公園のベンチに座り西の空を見ていると、空の色が刻々と変化する。この空の果ては何処に続いているのだろう?馬鹿な事を考えていると廻りに人影がない。日は沈み日は又登る。沈まぬ太陽の思惑は人の思い上がりでしか無い。何時までも何処までも会社を社会を国さえも食い物にした人間の愚かさは、いつか必ず極楽浄土の西の空で断罪されるのだろうか?空海の教えを垣間見たと思った人さえも肉体が朽ち果てた時、何も手にしていなかった哀れをどれ位実感したのだろう。(アホか。肉体が滅びた時には精神は既にない)。
今生の生き方が問われている。空海の真言密教はそれ故に栄え、そして滅びたのかもしれない。(それもおかしいんと違う?高野山、もう一度行ってみなはれ)。
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