朝夕だけでなく日中も涼しくなりました。 正に天高く馬肥ゆる秋でなければ・・・。
親父は今、メタボな体質を改造中。人間という生き物は本当に不遜な生物だと思う。格言う親父もそうだった。自分が恵まれていたと言われても実感は何も無かった。自分がそのような生き方をしている。自分が努力すれば手にする物がまだまだ少ないと、不満の言葉と態度をあらわにしていた。「文句があれば努力せよ。努力もせずに文句を言うな」公言して多くの人に嫌な奴だと思われても、平然として謙虚に為る気持などサラサラなかった。
その生き方が叩きつぶされて屈辱の日々となった時、人はどんな生き方が出来るのだろうか?考えても見なかった暗黒の日々が突き付けられて久しい。君はお母さんが亡くなった時をその日の様に考えているかもしれないが、実際はもっと前だった。
懸案の仕事が時代の流れにも恵まれ経営者に先見の明があれば、その奇跡と思われる成長の連続は当然だったのだろう。それまでの既成観念を打ち破リ、野火が枯れた草木を舐めつくすように荒野に広がれば仕事は面白い様に拡大した。
親父が屈辱を味わう様になったのは、会社がそのような時だった。何をやっても面白い様に成功すればうっとおしいのは不遜な生き方しか出来ない親父の様な仕事のやり方だった。何度も注意されてもそのやり方を変える事は無かった。決定的な洛印は反抗的な態度。
どんなに仕事が出来てもどんなに自分を支えて呉れると思っている部下でも、噛みつかれれば撥ね退けるしか無かった。今度の民主党の代表選挙を見てもその事は変わらない。外野席のサポーターや支持者でもない多くの人の声は直接関係無くても、連日の様に連呼されると不思議にその思いは刷りこまれる。「あいつは駄目だ」「あいつは外せ」。
本当に駄目なのは自分自身とその支持者なのに、その事が見えて来ない情けない人間の性(さが)。感情。気持。実際にその信じられない結末は意外に早い。栄枯盛衰。奢れる者は久しからず。何時かは追い落とされる。何時かは後ろから撃たれる。多くの人が多くの事を語るけれど、ホントのターニングポイントは後になって見ないと分からない。
それでも大事な事はその時どう生きるかだろう?今、多くの人が尤もらしく多くの事を口にするが、それは人がやる事。人の事は何とでも言える。自分に何が出来るのか?その事が問われていない。だからコメンテーター、評論家、政治家、大学教授、元検事、経営者、多くの人の言葉は聞き流すぐらいでちょうど良い。その代わり自分でもっと多くの事を学べ。
良く分からないと言われるけれど、分からなければ学べ。学びの心が無ければ何も前には進まない。それでも良いと言われ「私は馬鹿です」と言われていた人は馬鹿では無かった。今、如何しているだろう。歳を取ればいずれ物事の判断は衰える。その時でも人の生き方は問われる。何たる非情な現実だろう。その事が絶頂の時には分からない。悦びの先に絶望がある事をどれだけの人が感じているのだろう。アホか。
秋は天高く馬肥ゆる秋と言われるが、人間様は如何なのだろう。その前におまえはどうだと問われても、この歳になると笑って堪えて(こらえて)と誤魔化すしかないのだろう。人が人らしく成長を重ねるのは幾つになっても同じだと言われても、それは違う気がする。
これからは肥えなくて良い。やせ衰えるのも早い。為らば悠悠自適の生活か?それもまだ早い。やがて来る老いの時を如何生きるのか?今から考えていても早くないだろう。今日はお休み。眼科の定期検診に行く。今日の検診機器の凄さは目を見張る。
眼球の奥(眼底)の血管が見える。血圧が高いと血管が詰まると脅されて久しい。親父は年の割に視力は良いが、血管も強いと脳外科医から言われた事がある。これは遺伝、親に感謝しなさいと言われたが血液は食事で決まる。メタボな親父だから良い訳が無い。
良くこんな食事で生きていられますね そう言われて久しい。そう言われたら自分で自分の血液を替えるしかない。それが今自分に問われている最大の試練だろう。それだからこそ歩く事に躊躇はない。もう時間的に余裕はない。そう宣言されれば誰でも神の憐みを請うしかない。その時は既に手遅れだとしても。そう考えれば自分の生き方は変わる。変わらなければあまりに情けない。そう思いながらもたいした変化はない。それでも良い。同じ季節を生きたと言ってくれる人は君だけかもしれない。 あさみちゆきが黄昏シネマを歌っている。
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