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2010年9月

2010年9月30日 (木)

景気の先行き見通し?良くない 円高見通し?安くならない?

景気の先行き見通し?誰がやるの?経済産業省?日本銀行?なんか日銀短観とか言う言葉を尤もらしく新聞、テレビが言っていない?正確に言うと日銀が景気観測の調査をしている?でもそれにしてもその数値が何とも危うい。景気が良いと悪いの割合?

もっと信頼性の高い数値をコンピューターでチャチャチャと出せないの?大学受験の偏差値みたいに?(親父さん、例えが凄いね。) でもそうでしょう。日銀短観とか言っても景気が良いとか悪いとか感覚的なもんでは無いでしょう。いい加減だね。

景気の先行き見通しは良くないとか?個人消費の盛り上がりがない?売れる物がない?買いたい物がない?違うでしょう。先立つ物が無い。買いたい物が分からない。安物しか買えない?これは違うな。高い物でも平気な顔をして買える人も少なくない事を知らないだけでしょう。

景気が良くない実感を一番強くするのは有効求人倍率だろう。仕事を求める人のだらしなさを語る新聞テレビは少ない。それを差し引いても企業が求める求人の量と質が低下している。必要最低限度の最大戦力。企業の求める労働力は貴重な戦力。それが理解されなければ必要とされない。その事を政府も行政も求人者さえもが理解していない。バカタレ。

景気対策、雇用対策と言われても税金の無駄遣いだろう。やらないよりましと言われても大切な事は仕事の量が減っている。それをどう掘り起こすのか?政府が言う雇用の掘り起こし、それを誰がどのようにして汗と知恵を流すのか?口先だけでは何も変わらない事がその内、明確になる。その時、どんな言い訳を考えるのだろう?

これからの物が売れない時代に勝ち組になるには、手をこまねいて待つだけではなく消費者の胸の中に飛び込む事だろう。そんな事を考えていたら今日痛快なニュースを耳にする。「札幌コープの移動販売車の拡大」 過疎地の買い物にも出れない高齢者の利便性を考えコープの利益も拡大。これが本当の一挙両得、景気対策では無いのか?

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どうですか?親父のこの感性、歳は取ってもギッチラコ(自慢している)

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今年の夏は本当に暑くて葉先が枯れている。葉も暑い日差しに耐えて厚くなっている。(シャレ?)違う。良く見て。山茶花の葉っぱも瀕死の重傷。シャレを言ってる場合と違う。その愛(いと)おしい葉っぱにも待望の雨。夏の暑い時、親父に掛けて貰った水とは比べ物にならない。六甲おろしが冷たく感じられる年の暮から、椿の様な情熱の紅が心を揺さぶる。

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携帯のカメラでは夜景が撮れない。ドコモの本田さんに聞けば教えてくれるのだろうが、照明の効いた天守閣の入口しか撮れない。しかもアングルに工夫が無い。撮っただけ。円高対策も同じと言ったら怒られるだろう。頼みまっせ。?分からない。ではあなたの為に説明しましょう。聞かなくても分かる。イヤイヤそれは無理でしょう。(馬鹿にしているな) バカにしています。円高対策はそれ程に難しいだけでなく、経済のエリートにも決定策はない。

考えても見て下さい。この国の通貨の価値が上がる。それで何で困るの?利益が吹き飛ぶから。何処の利益?輸出で稼ぐ会社の利益。しかし、この話何処かおかしくない?経済のイロハが分かる人なら、現状の円高は止められない事を誰一人として否定は出来ないだろう。

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2010年9月29日 (水)

明日の天気予報は雨 最高気温20℃? ウソでしょう

季節が一気に進む。日の入りも早くなる。明後日は10月。これで普通だけれどついこの前までの暑さを考えると、雲黎(うんれい)の差。(親父さん、難しい言葉を使わないで。雲黎ってどういう意味?)ちょっと待っててね。英語で言うとjust、moment。辞書引いて見るね。

辞書で引いて見たが雲零と違うかと聞かれる。雲と雫(しずく)の違い?大きな違い?そうかもしれない。広辞苑がないので反対に教えて下さい。それでは話がそれたので今日の散歩の話から。(他に面白い話は無いの?) 飽きた?小町。(親父さん、下手なシャレは止めて下さい。)

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実はこれは昨日の夕暮れ。チビとバイバイをした後に商店街の切れ目で追いつく。その時に西の空を見たら綺麗な夕焼け雲が広がっていた。少し右に折れゲットしたのがこの画像。さり気無い夕焼けの空に、多くの思いが流れている。静かな夕暮れ。

今日は天気が悪くこんな景色も見れない。明日は雨。又、又、天気は一気に進む。それでもお天と様は律義、一気に秋の深まりはない。暫くはそのせめぎ合いが続いて錦秋の秋と為る。その秋を満喫出来る人は限られている。風流人を選ぶ。長い間、そんな思いも蚊帳の外だった気がする。

それでも日の入りは早くなったけれど、今日もしっかり歩いて来ました。家を6時過ぎに出ると、何時もの散歩コースは薄暗くなっている。なんだかんだと思っていても歩き始めると迷いはない。しゃかりきに歩く訳でもなくそうかと言って前みたいに、よたよたとおデブなお腹をゆすっても居ない。

姿勢を正して足はガニ股だけど一応真っ直ぐ歩いている。最近少し前傾姿勢を取ってスピードも出ている気がする。そのうち走り出すかも?(それは絶対に無い。)親父もそう思う。しかし、この親父ひょつとしたらひょつとするかもしれない。

最近、仕事場でも眠くなったら直立不動の姿勢を取り、踵を上げたり下ろしたりするだけでなく、呼吸法を整え攻防の構えをしている。その姿勢のまま上半身をゆっくり下に降ろすと、それだけで充分な運動が出来る。誰もいなければそのまま手足を伸ばせれば、一気に体に活力が充満する。お試しあれ。歳は取ってもお舟をこぐ時はギッチラコ、ギッチラコと櫓(ろ)がしなる。そう在りたいですなあ。体が硬くて掌が地面に届かない。

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2010年9月28日 (火)

ウーン 出来栄えは微妙 でも尊敬するちあきなおみの歌は難しい

難しい歌しか歌わさせて貰わなかったけれど、全国放送は難しい。緊張もするしリハーサルも大変だしハンディーは大きいよね。本人の出来栄えの自己評価は如何だったのかな?とにかくお疲れ様でした。紅白迄の道は厳しいけれど、それにしても天童よしみは凄いね。

宮路オサム、菅原洋一、古都清乃 親父が青春の歌。精神的にも経済的にも貧しかった頃、心の支えは故郷だった。故郷を後にして可能性への挑戦、一生懸命に頑張った日々は甘くない現実の壁が大きく立ち塞がる。

自分を売る、物を売る、製品の誇り、会社へのプライドは大きかった故に、生きる道はイバラだった。そんな親父に力を与えてくれた多くの人の生き方、親父の親父が職業軍人に自らの意思で進んだ様に親父の大阪就職は、必然でもあったのだろう。

久しぶりにあの頃の懐かしい、そして少しほろ苦い思いを思い出す。今では何と言われても笑って答えられる事が少なくない。当時の歳を3度周回したけれどもう一回は在るのだろうか?神のみぞ知る。(神の存在を認めないくせに) イエイエ、道祖神、仏様は信じていますよ。(ふん。ぞんざいな生き方をしているくせに)。ではあんたは如何なの?

さて明日から又仕事です。体力をつける為に今日も歩いて来ました。今日は綺麗な夕日が撮れましたが、何時もの城跡公園はお休み。その上の以前公開した桜の老木の近くで、夕日を見ました。では一気にいきましょう。

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先日お見せした料亭入口の木の実も色付く。何と言う幹なのだろう?

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この道は何時もの散歩コースの路地を少し左に外れる。学校のグランドが横に在る。

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お稲荷さんの御神木。この樹の下の道は何時も薄暗い。それでもこの横はグラウンド。

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城跡公園の入口の花水木。葉っぱと実しょう、枝も良く撮れている。(自画自賛)

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今日は休園日。フェンス越しの道も何故か雨に洗われて綺麗。つんと澄ましている。良い。

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入園出来ずに残念。踵(きびす)を返してこの先の橋を渡る。

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橋の両側に野菊が咲き乱れている。当然ながらお仕事で手入れをしている人が居る。

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橋の上から見る西の空は黒雲に邪魔されて、夕日が隠れている。手前の建物も森も暗いけれど、これは携帯のいたずら。実際はこんなに暗くない。

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やあ久し振り。元気でしたか?今年の夏の暑さにも負けず一段と立派に為りましたなあ。

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イヤイヤあんたと同じ。寄る歳波には勝てまへん。そろそろ年貢の納め時かも。イヤイヤ、来年も綺麗な花を咲かせて下さい。まだまだ元気。まだまだ行けまっせ。行きなはれ。枯れ果てる迄元気にイキなはれ。その時まで見守りまっせ。おおきにありがとう。会話は続く。

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黒い雲と青い空が交錯している。携帯の画面では綺麗に切り撮れない空も、ぼんやり眺めているだけで、持って来たおにぎりのおかずになる。(おかずは違うでしょう?おかずはおにぎりの中に在る。) 失礼しました。

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デジカメの夕日画像に負けるけれど・・・。

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意外な処に柿の実が実る。かきの樹と言うには枝が少なく何故か葉が多い。この木は柿の先祖だろうか?

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これが柿の木?信じられない?

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ああ これなら分かる。でもこれが本当に柿の木なら確かに不思議。柿の実に間違いありません。ふーん。もう少しアップで撮って貰わないと分からない。望遠レンズを手にする迄待ってね。

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それではまた明日。街中に戻る時公園の滑り台でおばあちゃん、ママ、子供の3人と仲良しに為る。近くの街から山麓の動物園に来て休園でがっかりと言いながら、子供は元気だった。高い滑リ台を難なく克服した彼に手を叩くと、得意げな顔をしていた。バイバイ、賢く成れよ。親父から頭をさすられていた。

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NHK歌謡コンサート今夜は見てね

大切な人を失って田舎の兄貴の家でこの番組を見ながら、何故か大泣きした事が在る。石川さゆりの「天城越え」を聞きながらこの歌が得意だった人の事が思い出されていた。あの時はおふくろもまだ元気で、良い歳をした親父が何で涙を流しているのか理由は分からなくても「無碍ねえのう」と思っていたに違いない。田舎の方言は微妙な言い回しが在るが標準語で言うと無碍ない(むげない…妨げが無い、何にも捕われが無い事はない。)

無碍(むげ)ねえのう この言葉の意味は可哀想だ。哀れだ。切ない。そんな意味だろう。ばあちゃんはその次の日、親父をヘルスセンターに案内し親父の好きなすき焼きを、好きなだけ食って元気を出せと励ましてくれた。あれから毎週放送されるこの音楽番組は見ていない。

本当に親父の行き末を心配して呉れたお袋は今はいない。久しぶりに見る番組の感想は無くても、口を開けながら心配げに新人歌手の歌を聞いている親父の姿に、感慨無量に違いない。本当に長生きをして良かったと思って貰う事も無く、失意の時を過ごさせたその代償は小さくない。それでも良い。それでも良いと歌って呉れるあさみちゆきの「黄昏シネマ」は聞けるでしょうか?ちあきなおみをリスペクト{尊敬?)している彼女の歌にどんな思いを重ねるのでしょう。?

天職。自分の好きな事をして自分の生活を支える。(生活の糧を得る)。そんな恵まれた日々が送れる人は少ない。どんなに好きな道でもその道で生活を成り立たせる事は、並大抵の事ではない。辛抱、我慢、忍耐では無く、自己主張、悦びの爆発、感謝の気持ち。それで生きて行ける人は本当に幸せです。この人の生き方は知らないが、親父のこれからの生き方はそう在りたい。(親父さん甘い。文句の多い親父さんにそんな生き方が出来る訳がない。)

ありがとうございます。その言葉を研修の時だけでなく毎日の生活で生かしていたら、今の生活は無い。ありがとう、ありがとうと感謝の言葉を絶やしていなかったら、今頃どんな生き方をしているだろう?バカの一つ覚えの様にくそ真面目に感謝の生活を絶やさなかったとしても大同小異かもしれない。それでも眉のしわはもう少し小さかったかもしれない。

嘆くもぼやくも苦虫を噛み潰すのも一日だとしたら、笑いながら悦びを噛みしめるのも一日かもしれない。実践は出来ていないがその事にやっと気付く。これからの生き方はそれに尽きる。嘆きとぼやきの多い親父のこのブログも少しは変化が出るのだろうか?それは無い。ありゃ。

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今を知らなきャ未来を作れない?国勢調査のお願い この税金の無駄使い

国勢調査の洋紙の記入をする前にテレビコマーシャルで、その目的を一方的に刷りこまれる。今年で19回目を迎えると言うのも驚きだけれど、100年近く続いているその歴史と果たした役割を考えた時、行政にお願いされなくても積極的に書いて当然だろう。

しかし、テレビで何度もコマーシャルを流すのもタダでは無い。そのコスト負担は税金の無駄使い。税金を使ってまでも国政調査をしなけれならない理由は、誰に在るのだろう?そう考えながらまだ書いていない調査項目を眺めて見る。

眺めながらこの調査は5年毎に行われているが、当時と変わっている事とそうでない事を考えて見ると、この調査項目の無意味さが良く分かる。今住んでいる住宅環境、仕事をしているか否か、通勤通学の手段、勤務先、仕事の内容 そんな事を書かせて何の役に立たせるのだろう?5年前も同じような事を感じながらきっちり書いた記憶が在る。

この調査票の印刷、配布、回収、集計、分析に多くの費用と労力、時間を費やして、その膨大なデータは何の役にも立たない事を誰が検証するのだろう。そんな事はないと反論するのは当事者であり、その証拠は5年前の自分の生活を対比して見ると良く分かる。

5年前の自分の生活。余り自分のプライバシーをこんな所で公表する事も無いが、生活にどうにか安定の兆しは見える。それは自分の努力だけでなく公的年金のお陰だろう。しかし、それだけでは生活の安定だけでなく、将来の保証は何も無い。健康と希望。

これからの高齢化社会を生きる年寄りだけでなく、物心のついたばかりの子供達から若さを存分に発散できる若者達、30代、40代、50代。老若男女を問わず問われる事の差はあっても明日への展望だろう。今日より明日、明日より明後日。そうして人は成長するのだろう。

一度しか読んだ事はないが多くの何とか白書。この国の役所の戸棚には多くの分析が在ってもそのどん位が、何かの役に立っているのだろう?景気対策で何とか。高齢化対策で何とか。少子化対策で何とか。雇用対策で何とか。どれだけの事が出来ているのだろう?

この国は親父がどんなにぼやいた処で何も変わらない。生活し難い所が増えてもその反対はない。政治屋に期待する事はマスコミのコメンテーターだけで、それで多くの収入を手に出来る人だけだろう。これからは間違いなく日常生活の展望を開ける人は恵まれた人だろう。

今迄は余りに狭い視野で物事を考えていたと思う。この歳になって多くの手にしていた物を失って、そんな当たり前の事に気付いた処で手遅れだけれど、気付かぬままにぼやき続けている哀れな人も少なくない。ジャンバルジャンの話はその事を教えてくれる。

今日はお休み。定刻の起床時間にセットした時刻前に、近所の解体された家の整地作業のブルトーザーの音で、起こされる。叩き起される音では無くたゆまなく繰り返されるブルの前後進の音。大きなコンクリートブロックと鉄筋、大きな石と土を鉄の底に穴のあいたバスケットで、ふるい落としているのだろう。住宅地の中で煩い(うるさい)事が分からなのだろうか?

そうではない。苦情が無ければ許されると思っているのだろう?この非常識。自分の家の前でやって見ろ。煩い音を耳にする度に何時もそう思う。時間前だけれど仕事をしている時を考えると、もう一度布団をかぶる訳にはいかない。大好きなジャズの音を聞きながら顔を洗う。

今日は市役所で税金を払い、有料のごみ袋の支給分を貰いに行きます。君から送って貰った本を自慢してコンビニで電話代を払えば、今日の予定終了です。ボヤキ節、一杯書けるかな。それよりも散歩と読者、進むと良いな。今日は天気も良いし外で本が読めるかな。

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2010年9月27日 (月)

久々の雨 これで完全に季節は変わる 今年の秋は如何かな?

何が?と問われても曖昧に誤魔化すしかない。今迄もそうだった。今年の秋だけ特別な事はないだろう。それでも今年の秋は何かが違う?そんな気がする。長い間の春を待つ冬眠の様な生活から、一気に花開くのだろうか?それは無い。じんわりじんわりと根雪が融ける様に、体全体を覆い尽くしていた殻が音も無く弾けて行く気がする。

一人になって長い長い歳月が重なり、出口の見えない暗闇の中で彷徨っていた自分が、こんなにも明確に先行きが見えるとは思っても見なかった。それでもそれは微かな展望で実現の可能性は分からない。それでも先行きが見えない今日のこの国の経済と、厳しい生活を考えるとこれ程に心躍る事はない。

それでも今日、仕事の帰りに立ち寄ったいつものスーパーの入り口で嫌な物を見る。若いカップルが親父も片付けた事の在るゴミ箱に、持参した?家庭ごみを捨てていた。男の手には綺麗にラベルを剥がされたペットボトル一杯の袋が見える。さすがにこれは入らない。

しかし、その時耳にした女の言葉に耳を疑う。「上に行こう」。二階のゴミ箱に捨てる気か。最近こんな輩が少なくない。何で自分達が出したごみを自分達で指定の場所に出せないのだろう。そう聞いて見ろ。平然とした顔で此処に捨てる場所が在るから。それ位の事だろう。

親父もさすがにそんな生き方はしていないが、良く考えて見るとそれ以上の生き方をして来た。別に人から言われなくてもそんな生き方に何も疑問を感じていなかったのかもしれない。そうではない。そんな生き方に何の疑問も感じた処で為す術がなかったのだろう。

そんな情けない生き方が変わるとしたら、どんな喜びが在るのだろう?その事が今、問われているのかもしれない。残された時はさすがに切実に感じられなくても、感じる事は確実に人生の4コーナーから直線に向いているだろう?否、直線半ば(なかば)の後方を勝ち負けとは関係ない処で、それでも一生懸命に走っているのかもしれない。

幸いな事に無事これ名馬と言われるが、親父の場合は無事これ無情かもしれない。今一生懸命に読んでいるビクトル、ユゴーのああ無情はそんな親父が読むのにピッタシの大作かもしれない。しかし1冊466ページの5巻を誕生日が来る前に、完読出来るだろうか?無理だな。

一巻が関の山だろう。ちなみに誕生日は来月の中旬。そんなに甘くはないだろう。言い訳をするとフランス文学の訳が大学の名誉教授。長生きをして2000年に亡くなっている。面白くないと言えば罰が当たるかもしれない。それでもジャンバルジャンの銀の食器の話は読んだ。

これから食事です。一人分の食事を自分で作ってささやかに済ませる。こんな哀れな生活もゴールは在る。得意げな顔をして意気揚々とゴールは切れなくても、それまでは自分の為に美味い物を作らなければならない。今夜のおかず?デジタルカメラの修理が出来たら又、お見せします。

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2010年9月26日 (日)

秋の日はつるべ落とし 急に暗くなる 

今日は少し早めに出てしっかり夕日を見るつもりだったが、生憎(あいにく)の曇りと為る。日中はこんなに良い天気だったのに、夕日が見れないなんてお天気も移り気かな?

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女心と秋の空?反対?男心と秋の空?でもそれは余り言わないけれど・・・。それ程に人の心は移り気なのかもしれない。でも中には例外が居てそんな御同輩を見ていると、半分羨ましく半分うっとうしい。(親父さん、そんな事を言う物では在りません。)失礼しました。

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今日何時もの散歩コースを替える。散歩のお供おやつをおにぎりにした為。でも毎朝買う105円のおにぎりでは無いだし巻き卵と鮭ハラミの高級?おにぎり。2個レジ袋に入れて得意げに歩いていると、リッチな風景が視界に飛び込む。

「なんじゃこりゃ」そう言えばずーと前、看板だけは眼にしていたが、近くにこんなお店がある事に驚き。どんな小金持ちが利用しているのだろう。少し中に入るとメニューの看板が出ている。さすがに其処までは見ない。一度、女性を口説く時利用するかな?(止めて下さい)アホ

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折り返しの公園に着いた時は何時もの時間より早いのに、何故か夕暮れが迫る。何時もは静かな芝生公園もオカンと娘が先日お見せした石の上ではしゃいでいる。何時ものベンチに座らず通り過ぎる。頭の上も賑やかなので見上げると何時もは静かな天守閣にまとまったグループがいる。何故か邪魔された気分になっている。(それはアンタの勝手です)スミマセン。

この花みづきが見える手前のベンチで、待望のだし巻き卵のおにぎりを取り出して口にする。お米は潰れているがネタはまあまあ美味い。夕暮れの池を見ながらニンマリしている。それでも本当のおにぎりの美味さは、優しい掌で包み込むように握られたのには勝てない。最近、そんなおにぎりはナカナカ口には出来ません。お店では専門店で無いと無理だな。

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携帯の景色も心なしぼやけている。でも体調は悪くない。一気に寒くなったが一人で生きて行くには山下清の生き方しか無い。究極の生き方は仙人の生き方。冬でも夏でも裸で生きられる頑丈な肌に染めるには、今の様な生き方をしていては無理だろう。

(親父さん言っている事に矛盾が在る) そうかね。しかし、生きる事は矛盾だらけ。尤もらしい事を言いながら己の考えを明確に出来ない。それにしても政治判断が検察の判断とシャーシャーとした顔で言い放つあの根性、立派とでもいうのだろうか?

自分の生き方を鏡に移すとその事が本当に良く分かる。人は人らしく生きるには自分の考えを押し殺してまでも言葉を選ぶ、そんな生き方が求められるのかもしれない。(誰に) アンタでしょう。本当の自分の赤裸々(在りのまま)な気持ちを口に出来る人は限られている。?

(親父さん、それは無いでしょう。あなたほど自己中で勝手な生き方をしている人は少ない) そう思うでしょう。それは誤解です。人は外見や正直すぎる物の言い方で判断してはいけない。生きる事はそういう事です。(何か分からない)。それで良い。同じ時代を生きた証です。

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天高く馬肥ゆる秋 と言われてもね だからなんねんと言われそう

サボっていたウオーキング(それ程の物でもないが・・・)行って来ました。最近は少し早足でそれでも登り坂になると歩を緩めながら、息を切らさず勿論喘ぐ事も無く黙々と何も考えずに歩いています。異様と言えばそうかもしれないが当人はそんな意識は全くありません。

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散歩の折り返し点、城跡公園天守閣からのアングル。携帯とは思えぬ画像。外の景色が結構明るいが最近は日の入りが速くなり、ここから見える六甲の山並みにも夕日の影が無い。このアングル説明しないと分からないが、日の入り後の残照と外の水銀灯の灯りが重なっている。親父も歩きのペースだけでなく写真撮りのテクニックも上がっている。(自画自賛)

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本当に日の入りが速くなり、ここから見える雄大な日の入りは既にタイムオーバー。残念。それでもこの写真、直線に並ぶ石は何かを暗示していると思いません?その証拠に画面から顔を離すと芝生の色が変わって来る。(まさか?)。お試しあれ。唯単に画面が暗くなっているだけでしょう?バレタ。(ばれますよ。親父さん おちょくるのは止めて下さい) ?おちょくる 大分の方言でからかう? でもこの礎石に何かを感じる感性凄いと思いません?(思いません) ガク。突き当たりの石 大きくは見えないでしょう。どっこい、親分です。横のオカンを見守っている。? でも良く見るとそんな感じがしますよ。(親父さん、季節の変わり目、御自愛を) ちいまわすど?これも大分の方言。叩いて廻すよだったかな。

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2010年9月25日 (土)

季節は完全に秋 大阪駅もすっかり変身中 でも親父は眼をつぶっても歩けるよ

デジカメの修理に行って来ました。大阪中央郵便局の西4番目のビル地下一階。そのままでした。場所を電話で案内して呉れたNさんは不在でしたが、要件は言われた通りで10月5日以降に出来上がりです。修理センターも商品案内センターも商売繁盛の様でした。

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親父が18の時初めて眼にした風景はすっかり様変わり。前の建物は何も無く阪神百貨店がドーンと広がっていた。携帯の画面も心無し飛んでいる。

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阪急も只今増築工事中。百貨店屋上に伸びている建物にテナントと会社、ホテルが満杯になるのは何時の事だろう?この画像では良く見えないが中央左にクレーンが見える。

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大阪駅西側一等地の中央郵便局も懐かしい建物。今取り壊し工事中。どんな建物に変わるのだろう?この建物の前は(南側)はすっかり変わっている。(後でお見せします)

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親父が若い頃、この辺りの記憶はない。見上げる建物に多くのテナントが入っている。今日は休日の為?地下からでないとキヤノンの修理センターに入れない。

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地下の連絡通路。この先の駅と梅田の地下街が繋がっている。未来の都市は歩行者は地下に潜るのだろうか?この地下街の完成は最近の事ではない。兄貴が受験に来た18年前には出来ていた。証明も暗い。平日の通勤時にはサラリーマンとレディで満杯になるのか?

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こんな空間もある。菊ですよ菊。正真正銘の菊。又違うと言われるかな?こんな所で御対面とは夢にも思わず。何故か携帯の画面もはずんでいる。

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さり気無いおもてなし。季節を感じる。池の水もぼんやりしていると分からない。落ちる人はいないのだろうか?(そんな間抜けはいません。)ホントかな。ガラスが無いのが分からない。

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右下の光は水面の証拠。お分かりかな。

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正面が滝。この空間は大阪人のセンスでは無い?違うかな?

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阪神梅田駅。お坊さんが切符を買っていた。何処に帰るのだろう?3人連れだった。

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懐かしい阪神梅田駅。人通りは絶えているがタイミングを見計らっただけ。しかし、この出口は梅田駅の裏出口。表の方が圧倒的に多い。

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うどん屋さんと思いきや丼もやってます。立ち食い。流石大阪ですなあ。改札近くのお店。

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200円?やす―。でもこの値段素うどんでしゃろ。さすが大阪商売人。

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池田に帰るとパチンコ屋の上空は秋の空が広がっていた。この空をパチンコ開店前に行列しながら見上げた時は相当前になる。人の生き方は様々と言われても当事者にならないと見えない空もある。「ああ無情」ビクトルユゴーのレ・ミゼブラブルを読んでいると人の一生は無情です。それだけに多くの人は生きる証、生きる支え、生きる糧を求めるのでしょう。

今このお店もドル箱が無くなり出玉がコンピューターで管理され、通路が歩き易くなっていると言われるが、騒々しさと浅ましい人の思惑は何も変わらない。パチンコを止めて久しい。あんなに必死の思いで勝負していた頃が愛おしくなる。それでも今では首に縄を付けられてもやる気はしない。それだけ生き方が変わったのだろうか?そうではない。お金の使い方が変っただけだろう。働く事。それはあぶく銭を手にする事ではない。

本日の画像はやっぱりデジカメに負ける。キヤノンのショールームで触った一眼レフXー4は感動でした。でもアナログの器機を20年前手にしていた親父には、今一でした。何も分からない癖にと言われてもそんな感じでした。これからデジタルの良さを勉強します。

帰りに阪急の地下でジャンボ稲荷2個と小稲荷2個を買って、何時ものお店でカレーを食いました。(オイオイ)。しかも食事時で並んで迄。それでもカウンター奥の隅に座れてニンマリでした。食事の後、これもいつものお店でコーヒー。ここでは隣の婦人の大声にムカつく。

このお店には立ち寄るようになってまだ日も浅いが、関東のお店。何故かお気に入り。稲荷は此処の娘にあげる。最初に来た時レイコー(アイスコーヒー)の話をした娘。(親父、魂胆が見え見え?) いまどきの娘、それは無いでしょう。親父もそれ程バカではない。食い過ぎを考えたから?(言い訳をするな)。電車に乗る前、前から気にしていた芋のらぽっとでおやつを買う。(なんのこっちゃ、娘にあげたのが何もならん)。

さあ、今日は歩くぞ。入れ込み気味。その気持ちを忘れるな。了解です。

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検察の信頼は地に落ちる 最低 法の番人と聞いて呆れる

学校の先生 医療の先生、警察の取り締まり、行政の仕事、政治家の利権体質、多くの信頼が問われても、検察と裁判官の信頼だけはあったのではないだろうか?(親父は若い頃から権力体質に疑問を感じていたが)。法と正義を口にしている人がその一番拠り所としなければならない証拠を書き換えるとは。その理由も自分達の主義主張の為と聞けば言葉はならない。検察の体質と言えばそれまでだろうが、それでも今迄尤もらしい言葉で多くの言葉を口にしていたあの正義ずらは一体、何だったのだろう。

今回の問題は氷山の一角でこんな事は当たり前と思えば如何って事はないのだろうけれど、それではアカンやろうと喧々囂々(けんけんごうごう)の批判が高まらないのは、マスコミも同罪だからだろう。何とかの容疑で逮捕されただけで犯人扱い。現行犯逮捕と明確な証拠書類(それでも今回の様に検察で書き換えられた物)なら兎も角、容疑だけでそれが間違っていた時(今回の様に)新聞テレビは検察の所為にして、頭を下げる事はない。

こんな出鱈目が許される訳がない。大阪地検のインチキは今に始まった事なのだろうか?大阪だけでは無い。全国の検察の体質が問われても徹低的な解明が為される事無く、一検事の問題として片付けられるのだろう。この国が法治国家と良く言われる。本当にそうなのだろうか?若い頃からの疑問は今読んでいるレ・ミゼラブルでも問われている。

そんな事を考えていたら日本の南海上(日本の領土?台湾?中国?)の尖閣諸島で、日本の警備艇に拿捕された中国の漁船を、起訴もせず釈放?バカタレ、何を考えている?中国から恐喝されて御免なさいか?この国の検察はその程度なら拿捕などするな?

親父は中国の政治体制を否定している。親父が如何考えようと勝手だが、国の主権は中国の脅しに屈したと、この国の間抜けなマスコミは中国の様に何で自己主張が無いのだろう?中国は日本の政府に損害賠償を請求し陳謝を要求している。

そんな国と経済協力、バカも休み休み言って貰いたい。今回の中国政府の強硬姿勢はこれからも続く。両国の経済の関係を考えると何時までもそれを続ける事はプラスではない。その事を総理と外務大臣は明確にしなければ政治家失格と言われるだろう。

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2010年9月24日 (金)

静かな静かなウイークエンド テレビの音を消してお気に入りのジャズを聞いている

レ・ミゼラブル 以外に手ごわい。ヴィクトル・ユゴーはこの本の中で何を語ろうとしているのか?日本では「ああ無情」と訳されている、有名なジャンバルジャンの銀の燭台の話は、簡単な話ではない。その心理の描写が長い。その意味を掴み取るのに飽きて来る。

でもそんな事で諦める親父では無い。面白くない処は飛ばす。何も連読して読む必要はない。多くの人が本を読まない訳は其処に在る。面白いと思えばどんどん進むが、その反対は当然、本を投げ出すしかない。その必要はない。その先を読む。それでも面白くなければその先。そうして面白い所を探す。それが出来ればどんなに面白くない本でも、読み返す事が出来る。(ほんまかいな)。ホンマです。読書の秋、一冊ぐらい完読して下さい。

先日サライの悪口だけタイトルにして中味の事を何も書きませんでしたが、今週の特集は奈良の秋、親父の好きな室生の寺の紹介は悪くない。女人高野というには余りに厳しい奥の院への階段。息を切らせながら歩いて上がる先に見る景色は、山寺立石寺{山形)のそれに似ている。今年の秋は忙しくなるかな?それでも去年君といった長谷寺の歓喜の時は無理かも。

この前、書きかけた親父のこれからの夢。それは見果てぬ夢の実現です。どれだけ行けるか分からないけれどサライの本日発売の(列車で訪ねる日本の秋ならぬ原風景)でしょう。一眼レフを手にしてまだ見果てぬ日本各地の原風景が斬り撮れたら、最高でしょう。

君からプレゼントされたスイスの旅の写真集の、お返しがどれだけ出来るか御期待下さい?サライの今週の特集も780円で安くはないが、写真だけ見ていても飽きない。本当はもう少しリーズナブルな紹介もあって良いのでは?そんな紹介も出来るかも。この国の本当の良さをまだまだ知らない。

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2010年9月23日 (木)

雑誌ステラ発売中 でも中味は手抜き?値段は150円アップの650円

大阪市内も流石に涼しくなっていた。地下鉄から地上に上がると秋の空が広がっていた。少し前迄に大雨が降りすっかり涼しくなっていた。暑かった夏が行き束の間の悦びの時、それも一時の快感で一気に寒くなる。その時迄に今日手にした「レ・ミゼラブル」の大作を完読出来るだろうか?ビィクトル・ユゴーの思いは意外に大きかったと言ったら笑われるだろうか?

466ページ5巻 親父の知っている話は何処で出て来るのだろう?ジャン・バルジャンの話は135ページにある。此処にユゴーが前書きに記した言葉を紹介して読み始める。

「神が作った運命。地上に無知と悲惨が在る限りこう言う本も無益では無い」

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これから空海の話の他に読書感想文が書けるかな?興味が在ればお楽しみに。

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秋分の日 今年は名実ともに秋を分ける日 それでも我儘な生き方

お昼の弁当を何時もの総菜屋さんに買いに行く。御主人は休憩。小雨で自転車に乗らず歩いて行くと季節は一気に進んでいる。ほんの先日前迄山下清スタイルで半ズボン、上は半袖の下着、ガニ股で自転車をこいでいたのが、内股で歩いている。(それは無い)。

それでも草履をつっかけてガニ股で歩いていると、後ろからアベックに追い抜かれる。おねえのハイヒールの音が耳触り。最近老若男女を問わず何でだろう靴の音が気になる。当人達は全く気にしていないからそんなもんだと思っているのだろうが、親父が若い頃そんな靴は目立つから言ってバカにされた。水商売でもあるまいしと言われた言葉も死語なのだろうか?

親父さん古い。そう言われても靴の音を心地良く鳴らす術を知らない輩の顔を見ると、その程度の顔をしていると思っていても口には出来ない。昔、誇り高き男とか孤高の人とか言われた新田二郎の小説の社会を知らない人も少なくない。スイスのアイガー北壁の見える小高い丘で新田二郎はどんな顔をしているのだろう。実際に見たプレートは質素で、はにかんでいた。

最近、何故かこれからの生き方を真剣に考えている。大好きなFM放送を聞いていてもシンガーソングライター(古い。今は何と言うのだろう。)もアンゼラ、アキが同じ様な歌を歌っている。勿論年代の差は大きいけれど何処かで繋がっているのだろうか?うーん、何とも言えない。

これからの生き方はオマケの人生をどう生きるかです。(親父さんマタマタ、大上段)。首が又、だるおもに為るから止めて下さい。では胡瓜を食って血の巡りを戻すか。?(意味が分からない)。花見月(?)ひととよう。このパソコンも流石にこの歌手の漢字変換は出来ない。親父も花の名前を知ったのも歌手の字が読めるようになったのは最近だもんな。

(親父さん、親父さん、これからの生き方)。それよりも歌手の名前違うかもしれない。(頼みますよ。まだボケないで下さい。)まあ、こんなもんです。胡瓜、食って来ます。ナシも。(よう食いますなあ)。難しい文章を書いていると肩がこる。親父のこれからの生き方は次の機会に?(エー、信じられない。) お楽しみに。(フン、もう聞きたくない。)さよか。それもよか。

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祭日の朝 久しぶりにトースト2枚焼いてコーヒーを飲んでいる

季節が一気に変わる。部屋の外の温度計を見ると23℃。この前迄クーラーの効いた部屋から出ると熱帯のねっとりした空気が、上高地の梓川の爽やかな空気になっている。何時までも暑い暑いと顔をしかめていた今年の暑さも、これからは一気に下がる。

小さい頃(と言っても小学校の高学年)、おふくろが東京の自分の姉に手紙を書くから「あんたも何か書き」と言われて、鉛筆を取ったのは良いけれど「暑さ寒さも彼岸まで」と書いて、その先が進まず母に笑われていた。「ええカッコをせずに有りの儘の近況を」と怒鳴られていた。

皆亡くなってしまったけれど来世で仲良くしているだろうか?この季節になるとそんな事を考える。母さんの戒名をつけて呉れた静岡掛川大雲院の大和尚は、仏教には多くの宗派は在っても元をただせば一つと言われていたが如何だろう?

和尚が元気な時はいろいろ話を聞かせて貰ったが、80の歳を越えてもバイクで走り回っていた親父の師匠は、今でも鑑真和上木像の柔和なお顔の様に、優しい顔をして何でも答えてくれるのだろうか?美味そうに煙草の煙をくぬらせながら、何時までも何処までも親父の話に付き合って呉れた。大阪に来て逢えなくなって電話で何回か話をしたのが最後となる。

今、司馬遼太郎氏の「空海の風景(上)(下)」を何度も何度も読み返し、これから何度読んでも漢字と意味が分からない、最澄との決定的な対立の話を和尚は何と答えてくれるだろうか?きっと笑いながら明解な答えをしてくれるだろう。(偉い人には我々の考えが及ばない)とでも答えてくれるのだろうか?それも分からない。大雲院さんにテレビのクルーが来た時、いろいろ話をしてくれたが採用されず、それでも親父には最高のお寺さんでした。

秋分の日。各地のお寺さんでは多くの参拝客が多いと思われるが、大阪の天気は今日は最悪。大雨では無いのに寒々として大変だろう。親父は今日は大阪に行きます。何でも揃う本屋さんでレ・ミゼラブル(題名が違うかな)。結構な大作。しかし人の生き方が描かれている?

トースト5枚切りのパンを2枚食って、コーヒーも飲み終えて今、昨日買った20世紀梨とにらめっこをしている。「食うべきか?喰わざるべきか?それが問題だ」 歌舞伎役者ではあるまいし大上段に構えて首を揺らすと、骨の詰まりが解放されて頭がくらくらする。オイオイ。

胡瓜の一本浅漬けもあるしお昼のオマケだなと思い直して、これから新聞買って来ます。最近は新聞の悪口も良く口にするのに、これも習慣かな?それも一番面白くない経済新聞。160円の価値が在るとは思えない経済ニュースを何で目を通すのだろう?

君はエリートサラリーマンだからそうは思わないかも分からないが、人の通らない道にお金が落ちていると言われても、今はそんな生き方は飯が食えないのだろう。それにしてもテレビも新聞もなんで個人的な考えがコラム記事になるのだろう?アン・ビリーバブル(信じられない)

最近は新聞記事も目にしないサラリーマンも少なくないと言われるが、それでは話のタネにもならないが経済ニュースも実の結ぶ話は多くはないね。円高は困るとか物造りの空洞化とか中小企業対策とか、何時までもそんな事を言っていては厳しい経済戦争には勝てないだろう。それでも多くの人が多くの事を政治家先生に期待するのは何故だ?それが問題だろう。

久しぶりに2年前の隔週発売の雑誌を取り出す。今でも発売中?と思いながら調べて見ると廃刊とはなっていない。サライ。2年前に買った時は「奥の細道を旅する」が特集だった。今取り出して読み直して見ても、一度訪ねた芭蕉の道が鮮やかに甦る。

最近の特集は(奈良の旅」とか。本屋に有れば手に取って見るかな?今、聞いているFM放送でも偶然俳句。句題がしゅうてん。しゅうてん、しゅうてんと言われて何のこっちゃと思いながら聞いていると秋天。成る程。でも秋の天気をしゅうてんと芭蕉も言っていたのだろうか?

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2010年9月22日 (水)

雨は降らず でも散歩は今日もパス アカンなあ 野球も完敗

遅い食事を済ませました。と言ってもお気に入りの冷凍チャンポン。ニッスイの冷凍食品。何故かこれは一袋一人前。これで358円だから不味い訳がない。これに白ネギ一本をみじん切りにして放り込めば味は言う事無い。これだけでカロリー、栄養も満点だけどこれに胡瓜の漬物198円、ナシ1個198円、栗おこわと高菜入りのおにぎり2個。(寂しーい)。でもこんな生活にもすっかり慣れる。これから銭湯に入って来る。暑さも今日で終わり。これから寒くなる。この続きあるので又見てね。

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夕方 まだ6時前だと言うのに外は暗い 夕立かな?

昨日、デジカメちゃんの修理の件で大阪のオバちゃんと、ノリノリの話をしていたら暗くなり散歩に行けなかった。今日は頑張るどと気合を入れて夕食前のおやつを口にしたのに、なんか外の様子がおかしい。西の夕日が黒い雲に目隠しをされている。今にも降り出しそう。

2日も続けて散歩を休むとお腹廻りがむずむずするし、歩きたいけれど雲行きは怪しいし、天下分け目の野球は始まるし、どうしょうと思案中。そうこうしている内にタイムオ-バー、一気に暗くなる。秋の日はつるべ落としと言うけれど本当にそう。野球も始まるし誘惑に負ける。

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御立派。白モクレンのつぼみ。携帯の画面近づき過ぎて異様な感じもするが、これから花開く迄どれだけの日々を重ねるのだろう。空海は遣唐使の期間を2年で終える。国の代表でもない留学生の空海の任期は驚くなかれ20年だった。国からの経済的支援が無くても自らの目的を2年で終える。天才が多くの教典と仏具をこの国に持ち込んだ時、白モクレンのつぼみは何を見ていたのだろうか?空海の教えは高野山と四国遍路に今も残る。

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2010年9月21日 (火)

デジタルカメラ

デジタルカメラの使い方にようやく慣れたと思っていたら、電源を入れても明るくならない。黒いまま。何たる事だろう。部品の交換?それよりも買い替え?一眼レフ?そんな事を考えながら大阪梅田の修理センターに電話する。

対応が明るい。こちらの話も良く分かる。それでも何が悪いのかは通じていないと思うが、修理は一律1万円弱とか。ホンマかいな?分かり易いけれどそんなもんなのだろうか?デジタルの意味もイマイチ良く分からない親父にとっては、それの方が分かり易いけれど・・・。

カメラだけでなくテレビもデジタル受信に変えなければいけないが、これもイマイチ良く分からない。国の政策としてもデジタルを盛んに宣伝するけれど、テレビとインターネット、衛星放送の融合(難しい言葉だね)の方が親父達には良く分かる。

マスコミの報道が今日ほど興味本位、お粗末になると後は何を見るのだろう?。昔、大宅荘一氏が言われた「1億総なんとか」の言葉は現実の話になるのだろう。テレビのニュース番組のキャスターがどんだけインチキな言葉を口にしても、その影響がこれ程に大きいと流石の親父も考えを変えなければいけない。

そんな斜(はす)に構えたひねくれた事を考えていると、壊れたカメラの修理を考えている。考えて見ると(考える迄もなく)この便利な文明の機器を、めちゃくちゃに使っている。説明書を読まず、勝手に自分の思うが儘に使い文句を言っていた事を反省する。(ホンマですか?)

今週の土曜日。大阪梅田の修理センターに出掛ける。其処でもう一度正しい操作の方法を聞こう。(嘘でしょう?)。ウソではありません。本当です。ホントかどうか分からないけれど、其処では製品の正しい使い方を説明して呉れると言う。楽しみ。

期待外れになるかもしれないが本当のサービスとはそんなもんだろう。それが物を売る基本。それが出来れば鬼に金棒。どんなに煩い親父でも満足して喜びを爆発させるに違いない。楽しみだなあ。期待に答えてくれるかなあ。一眼レフの話も聞けるかなぁ?

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白モクレンの力強い枝。つぼみも良く見ると垣間見えるが、名残りの日差しを浴びて萌えている。其処までもして今年の暑い暑い夏を乗り越えた力は、この枝が支えている。少し離れて見るとこの幹の生命力が見えて来る。

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2010年9月20日 (月)

読書の秋 今年の本は決まったな

昨日のブログのタイトル ああ無情。何か今の親父の思いを書き切れなかったけれど、人の思いは時として自分の思いを越える。何も好き好んでこんな生き方をした訳では無くても、振り返って見るとそんな思いを強くする。それでもフランスの文学者ビィクトル、ユーゴのレ、ミゼラブルのあらすじをきっちり覚えている訳ではない。

それなのに何でそんな思いを強くするのだろう。秋はもの思いにふける時と言われても、どちらかと言うと(言わなくても)食欲の秋を満喫していた親父には、久々に文学小説に挑戦の秋が訪れたのかもしれない。人の無情感はそれぞれでも実際は他愛も無い事かも知れない。

大阪は今日はすっきりしない天気です。3日間お休みの最終日。テレビを見ながらぼんやりしていると、背筋の廻りに脂肪の塊を両手の指先で実感する。雨が降りそうだったけれど西の空が明るくなってきたのでお決まりのコース歩いて来ます。今夜は楽しみなボクシング。

エキサイティングな格闘技見れるかな。(親父も若いな)

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その前に今日も歩く。たわわに実る柚子の数。どれ位あるのだろう?数え切れない。しかし、この後デジカメが真っ黒になる。何でだろう?失明?自分の眼でなくて安心。眼が見えなくなるとはこう言う事ですと教えてくれる。それだけで無く直前の画像をきっちり残している。

それでもデジカメは完全にダウン。スイスに迄一緒に行ってサンモリッツでは、タクシー中に置き忘れて一時は完全に諦めたのに戻って来た。殆ど使い方も分からない儘にようやく慣れて来たのに残念無念。でも修理は部品交換しかないだろう。

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2010年9月19日 (日)

ああ無情

人の生き方を思う。久しぶりに阪急十三(じゅうそう)駅乗り換えで京都に行く。この駅は大阪梅田を出た電車が淀川を越えて最初に停車する処に在る。梅田から宝塚線、神戸線は2番目の駅。京都線は最初の駅。此処から電車は3方向に分かれる。大阪池田から京都神戸に行く時は此処で乗り換え。しかし、神戸に行く時はそうでもないが京都に行く時は、ここで乗り換えるとまず座れない。如何しても座りたければ始発の梅田まで行くしかない。

ラッシュアワーともなれば東京の中央線並みの混雑かもしれない。これから観光シーズンともなればますます込み合うだろう。こんな時席を譲らなければいけない妊婦の人、体の不自様な人、老人、幼い子供ずれの人が乗り込んで来ると本当に難しい。

ホントはさり気無くさらりとその声を掛けられると良いのだが、「結構です」ときっぱり断られると身の置き所が難しい。反対に席を譲られて当然の様に狭いスペースに腰を降ろす人、難儀な事にこれからそんな人が多くなる。年寄りばかりかと思いきやそうでもない。

今日のニュースでは男性の5人に一人は65歳以上。女性は4人に一人とか。これからの生き方は足腰と心に余裕がなければ電車にも乗れない。久しぶりの電車でそんな思いを強くする。大勢の人が利用する交通機関。人に不快な思いをさせずに利用する事がこれからは一層難しくなる。

都市の人と人の息使いが分断されて、限られた人との会話しか出来ない空間は非常識な振る舞いだけが幅を利かせるのだろうか?気持の良い5月の風。そんな風は期待するのが無理になっている。親父にも気の効いたヘッドホーンが必要になっている。

ヘッドホーンと言えば最近、耳元で流石にカシャカシャ言わせる人も少なくなったが、お気に入りの歌とか言葉とか覚えたい事を繰り返し繰り返し再生するプレーヤーは無いのだろうか?有ったらヒットすると思うけど聞いて見よう。

潜在意識。この感覚は意外に大きい。人間の意識は自分の意識とは違う暗示に掛けられている部分も少なくない。簡単に出来る事が出来ない事も少なくない。出来る事が簡単に出来ないのもおかしいが、それも良くある事。それを意のままにコントロールできればこれ程心強い物はないだろう。その事を最近痛感する。

先日、意外な自分に気付く。内科の検診で言われた心臓肥大と前立腺肥大。人間は凄いと思うのは意識してもしていなくても、何処かで自分の生き方を精神的だけでなく、肉体的にもコントロールしている。肥り過ぎは欲求不満。簡単に自分の思いを叶える為に食っている。

その結果がトドの様な体型になっているが、その事に気付けば後は自己管理だけだろう。親父はこう見えても決意をすれば行動に躊躇(ちゅうちょ)は無い。嫌な人とは付き合いたくないし、それよりも自慢できる事は喫煙とパチンコを止めた。どちらもなかなかやめられない。やらない人には分からないけれど・・・。

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バカもおだてりゃ木に登る

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京都行って来ました。親父がこの先の烏丸中学前で市電に乗り降りしていた頃、この建物は無かった。同志社大学の立派な建物。学生は如何なのだろう?この建物が無い時この古い建物の前で学生運動の赤旗と、やかましい拡声機の音があった。今はその面影も無い。

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行って来ました。相国寺。そうこくじ、そうこくじと言っていたがお寺の正式名称はしょうこくじ。臨済宗相国寺派大本山。歴史は古いが度重なる戦禍(京の街が焼け野が原となった応仁の乱)の後、慶長10年(1605)豊臣秀頼が現代の法堂を建立している。流石の親父も知らず。

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この庭は広くはないが京都の多くの寺の庭に影響を与えている。今は水が流れていないがかっては生活用水が流れていたという。本当だろうか?違うかもしれない。オイオイ。

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これは良い。この先に御所が在る。この石が何を語っているのだろう?分かりますか?

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ここからはデジカメの電池が切れ携帯の画像となる。差が出るかな?腕でカバーしょう。

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社務所。

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境内の宝物殿(美術館)への道。この景色に眼を止める人は少ない。

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木漏れ日の庭は意外に明るい。今は緑のもみじの葉っぱも紅葉の時は錦の衣を見せてくれるのだろうか?何故だろう?近くに住んでいた独身の頃、この庭を見ていない。これから紹介する圧倒的な法堂も記憶の中に鮮明では無い。それだけ生きる事が精一杯だったのだろう。

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法堂正面。正面の障子を開けると御本尊が見れたのだろうか?今日では御開帳は何時なのだろう?本日の一般公開は右側から入る。親父の親父が職業軍人で御所の警備に来た時、この景色を見たのだろうか?親父からその話を聞いた事は一度も無い。

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わが国最古の法堂。金閣、銀閣両寺を始め九十余ヵ所を数える末寺を擁する臨済宗相国寺派の総本山。御本尊様は釈迦如来。天井の啼き竜は狩野光信作。今回の一般公開は何年ぶりなのだろう。啼き竜の下で拍手すると反響すると言われたが音が小さく反応なし。

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この右側から参拝。御同輩が多い。しかし、こちらから廻り込んで覗き込む人は少ない。

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正面は烏丸通り。この道を歩いた記憶が消えている。何をしていたのだろう?その程度の生き方をしていたのだろう?涙は無いけれど再びの時も無いのだろう。言葉が無い。

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それでもあの時はあの時なりに精一杯生きていたのだろう。松が慰めてくれる。過ぎたるは及ばざるが如し。カツです。

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御多幸を祈る。「開運毘沙門天」。オイオイ。門天が切れている。この罰当り。

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この桜木も逞しく生きている。境内でお賽銭を入れたご婦人に10年は生きれると声か掛けると10年ですかと不満足のご様子。10年をバカにすると10年を越えられない。10年生きさせて貰えば後10年。その謙虚な思いが無ければこの桜木の様な逞しさは、手に出来ない。

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入口の女性の人気のお寺。庭が綺麗だと言う。女性と一緒の時、入るか。もう一枚。

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入口から覗きこんで見るとこんな感じ。苔までも上品。女性の寺か?でも一概には言えないな。

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親父がお世話になったクリーニング屋さん。下宿の部屋は裏の路地の2階。今でもどっこい健在。それでもご覧の通りクリーニング屋さんは今は店じまい。下宿もやってい無い。隣の家も取り壊されて空き地になっていた。時代の流れと高齢化の波は確実に京の町屋を浸食している。政党の看板も風前の灯か?この大通りの市電が無くなり地下鉄は開通して久しい。京都の街は活性化しているのだろうか?

親父の相国寺の画像は意外に携帯でも綺麗です。今年の秋は久々に錦秋の景色をお見せ出来そうです。御期待下さい。

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2010年9月18日 (土)

久々のウオーキング 夕日も綺麗に撮れたかな?乞うご期待です

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パチパチ。中国に来たみたい。(行った事もないくせに)。空海が見た唐の都は如何だったのだろう?昔の人は凄かった。現代人は如何だろう?親父はスイスまで行ったよ。(連れてって貰ったくせに)。空海も遣唐使船の中で運を天に任せるしか無かったよ。レベルが違う。

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オー凄い。スイスの平原見たい。池田の城跡公園。芝生の上にさっきから此処に立っている。それにしても意外な景色。狭い空間が西の空に向かって広がっている。最近、難しい事をわめいていたから、頭を冷やせと囁かれている。でも何も考える事は無かった。

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少し沈む夕日の劇的瞬間を拡大して見ました。一眼レフならもう少し自然に撮れる?でも今日は天気に恵まれてリングが出ていました。まさか。ですよね。でも少し自慢しています。今日は何時もより少し早く来たので、御褒美でしょう。ありがとう、サンキュウです。

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不自然?ではこれでどうだ。ほぼ同じ時間のスナップです。

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日は沈み日は又登る。久々に静かに沈む夕日を満喫。昔の人が西の空に何も言わないで手を合わせた思いが良く分かる。家康は心に迷い起こらば困窮したる時を思い起こすべしと教えているが、親父の苛立ちの思いは夕日を見ていると、全てが呑み込まれていく気がしてならない。

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天守閣の外から西の空を見ていると、殿が肩を叩く。「今日の夕日は見事じゃのう。うむ。久しぶりじゃ」 あごひげをを撫でながら親父と同じ方向を眺めている。この方角は極楽浄土でしょうか?親父の質問に何も答えず何も否定していない。静かな夕暮れです。この画像も顔を近ずけると街中の景色が見え、顔を離す山肌が暗くなり空が輝やいている。

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出て鯉出て鯉、池の鯉。能舞台で手を叩いていると、鯉の全員集合の儀式が始まる。今日は遅いから餌は無しとつぶやいても、パフォーマンスを止めない。仕方が無いな。食い過ぎるとメタボになるよとメタボな親父が言っている。一瞬、動きが止まったかな?ん?

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親父さん、少し痩せたのと違います?ゴマをすられたら親父も大盤振る舞い。何時もは1個の餌を3つも奮発。鯉も親父に負けずにメタボになるから止めて下さい。

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親父さんありがとうございます。又、来て下さい。歩く事は健康に一番ですからサボったら駄目だよ。池の鯉に言われている。お陰さまで心臓も前立腺もどうにか大丈夫の様です。「さあ寝るか」 鯉に無視されている。

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夕日が沈み天守閣で殿と話をして、池の鯉と遊んでいたらすっかり日が暮れる。今日も最後は親父かと思いきや、アベックが残っている。それでもそろそろ引き上げの時。腰を上げる。

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最後の4枚はおまけです。夜景モードでフラッシュをたいていますが、少しボケています。でもこの4枚も顔をつけたり離したりすると、明るさが変わりますよ。それでも今日の何よりの傑作は沈む夕日でしょう。デジカメでこれだけ撮れたら上等でしょう。如何かな?

明日と明後日も休み。5月のゴールデンウイークに対抗してシルバーウイークとか。なんか舐めてないか?お役人と現役社員は有給だけれど親父達高齢者と派遣社員、パート、臨時社員は無給だろう。まとまったお休みで優雅なバカンスを楽しめるのは一握りだろう。

そんな事をつぶやいていたら中国の企業が、尖閣諸島の漁船拿捕に抗議して日本観光旅行を中止するとか。中止して下さい。そんなに面白くないなら。ずーと来ないで下さい。親父達も中国には行きたくない。でもそんなアホは一部です。多くの人はそんな狭い了見は無いでしょう。相互の理解はギブandテイクでしょう。学ぶべき物が無ければ交流は無意味です。

人の生き方も同じでしょう。人に多くを語ったとしても全てを受け止める広い心が無ければ、何も始まりません。口先だけのノーサイドは不信感を燃え上がらせるだけでしょう。折角夕日を見ながら静まった怒りの心がメラメラと燃え盛る。全てを許せる優しさは現実の厳しさでなかなかです。それでも是が非でも許せ合える阿吽の呼吸は理屈では無いのでしょう。

これからもそんな人が一人でも増えたら、それで満足です。親父は相変わらず何も変わっていない。あなたのつぶやきが聞こえて来ます。

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京都市上京区相国寺西門前町 懐かしい住所 でも正確ではない

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昨日言った泌尿器科医院の待合室の花。余りに眼を引いたので名前を聞く。「三友花」。この名前も通称で正式には違う気がする。昨日の診察で心配していた異常は無かったが、尿の出方を見る検査が残っていたので気になり再び出掛ける。

知らない事は多くないと思っていても花の名前でも、今日の検査でも知らない事は少なくない。それを知るだけでなんだか嬉しくなる。昨日のエコー検査は知っていても、その精度と検査結果の早さには目を見張る。健康は日々の自己管理の延長線上に在り、おかしいと思ったら、速やかな検査が何よりと再認識させられる。それでも手遅れと為る事も少なくない。

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フラッシュをたいているので花びらは白く飛んでいる。葉っぱが造花の様だけれどそうではない。花の印象もこれだけ変わる様に人の生き方も、見方と考え方で大きく変わるのだろう。尿の出方にもそれも検知する機器があり、グラフで結果がプリントアウトされるのに驚く。

結果は悪くはない。(良くも無いが・・・)。尿の出方に富士山型と箱根方がある事に苦笑する。若い時は前者。歳を取ると後者。親父は幸いにも前者だがスイスの高所で動けなかったように8号目にも行けない。情けない。それでも後者になると山登りも出来ず箱根の山登りも力まないと出来ないとか。そうならない様にこれからの節制が求められる。頑張れメタボ。

治療は無し。薬も貰わなかった。これからは腹廻りだけでなく下腹部にも掌を当てて、撫でてやらなければならない。今日は本当は京都の相国寺の一般公開に出掛ける処だった。涼しくなったし秋の観光シーズンの前の有名でないお寺さんの見学は、最高と思っていたのに残念。それでも京都に住んでいた頃、下宿の近くだったので外観は何度か見た事がある。

立派なお寺さん。下宿の住所も忘れていないが西門前町は略称。京都の住所は正式には通りの名前を言う。初めに南北、次に東西。そして入る、上るを付ける。では正式に言って見ましょう。京都市上京区烏丸通り寺の内西入る上る000番地。00様方。結婚前の五年。あの時の再びの輝きは今は無い。新婚の挨拶に行った時、下宿のおばちゃん母さんの顔を見て、「まあ、写真とえらいちゃいますなあ」と言って言い訳をしていた。あのおばさんも今はボケている。でも元気が何より。そして昔の事はすっかり記憶に無い事も、ある意味幸せだろう。

三友花 花の名前は正式名称。失礼しました。でも如何にも曰くあり気な名前。三つの友の花?違うのかな?今度京都に言った時、久しぶりに植物園を覗いて聞いて見るかな?でも分からないだろうな?御存知でしたら教えて下さい。それ程に綺麗な花でした。ではこれから阪神ー巨人戦です。予想外の展開に両チーム苦戦中。優勝は違うのかな?アホな・・・。

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2010年9月17日 (金)

秋。

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昨日仕事の帰りバス停から見た大阪上空の雲。それでも秋の空気は其処此処に感じる。暑い暑いと嘆いている内に、秋は着実に忍び寄っている。この雲だけを見ているととてもそうは感じられないけれど・・・。これからは一気に涼しくなる。最後の力を見せつけたのだろう。

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バスの終点。阪急宝塚駅の乗り換え通路から見た。上下の薄雲にサンドイッチされた夏雲もこれで今年は見納めか。中央右前方のとんがり屋根の下は昔の遊園地。今は住宅展示場。

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昨日、見つけられなかった泌尿器科医院を今日は見つける。紹介して呉れた人は待ち時間は少ないと言っていたが、如何して・・・・。1時間以上。近くをふらつきながら昨日の道に出会う。方向は間違っていなかったが、確実な場所が特定出来なければ、およその方向では見つけられない。そう思いながら苦笑する。

スパゲティとケーキのお店で時間をつぶす。ケーキセットは種類が豊富で目移りするけれど、流石に一人では恥ずかしい。お勧めのスパにする。味は合格。ゆっくり時間を潰して戻る時交差点の上空には、白い月が点となっていた。

検査結果は予想通り。異常とは言えなかったがその傾向は出ている。間違いなく脂肪の付き過ぎ。優しい先生は関係ないと言っていたが、しっかり歩いて腹廻りを凹ませないとホントの病人と為る。前屈をするのにお腹がつかえるのはシャレにもならない。

大気が変わる。夏から秋の大気の変化。暫くは残暑が続いても空を見上げると、間違いなく秋です。この交差点も良く見ると大阪に来て何度も走った道。一人で無表情な顔をして何を探していたのだろう?仕事でこの奥の町に交換の商品を乗せて走った道。

テレビのニュースを見ていると親父の見方もすっかり変わっている。これ程にえげつない現実を見せられて、多くの人が多くのコメントをしている。間違いないコメントは沖縄の人の言葉だと思うが、その言葉の重みを殆どの人は実感せず、多くの言葉を重ねている。

この内閣に期待する事は何も無い。何たる不幸だろう。個人的にどんなに素晴らしい人でも組織の中ではこれほどに無能な事を、如何して明確にしないのだろう。昨日も書いたが円高対策が単独の為替介入?今の行き過ぎていると言われる円高に歯止めを一時的に掛けられても、所詮、流れは変えられない事を如何して明確に語れないのだろう?

親父の考えが間違っている?そうではない。問題が複雑で分からないだけだろう。違うと思うならそのうち結果が証明する。アメリカの陰謀は誰がストーリーを書いているのだろう?

今尚、アメリカの政治家が日本の政治に多くの注文を付けるけれど、日本の政治家がアメリカの政治にどれだけ注文を付けているか?「NO.と言える日本」。石原慎太郎東京都知事の言葉は完全に過去の遺産となっている。防衛大臣留任。アメリカの大臣か?

経済政策もアメリカになんだかんだと言われる事はないだろう。あの国は本当に何様だと思っているのだろう?自国の赤字の垂れ流しの始末も出来なくて経済対策?冗談では無い。先日のブログで明確に出来なかったアメリカ国債の引き受け国は、何処だと思っているのだろう。ナンバー.ワンは中国と日本。その中国がこれからナンバーワンになるにはそう遠くでは無い。今、中国に対しても偉そうな事を言っているけれど、それも言えなくなる。

この国がアメリカの国債を毎年どれくらい買っているのか?知っていますか?聞いて驚くな30兆円。そのお金は何処から出ているのか?マスコミも政治家も財務省も何も語らない。それだけで無く政治とお金の問題。冗談では無い。政治とカネの問題をこれ程にゴチャゴチャにして尤もらしい事を言っていると、どえらい目になると名古屋の河村市長は言っている。

日本が貯めこんでいるアメリカの国債どれ位あると思いますか?財務省は明確にしていないから分からないと言われている。それでも1年間に30兆円も買えばどれ位になるか分かるでしょう。驚くなかれその殆どが売れないと言われている。どうするの?アメリカから注文を付けられる筋合いは何も無い。有言実行。この人の信頼感覚は宇宙人を越えている。

この国はこれまでに多くの難局に直面している。親父もそうだったけれど違うのはこの国を助けてくれる国は無い。自分の国の自分達の生活は自分達で守らなければならない。その当たり前の事をこの国のマスコミは如何して明確にしないのだろう。

テレビを見て見ろ。お笑い、オチャラケ、食い物旅番組、地デジに変わる。お間抜けなテレビ放送がデジタルで何をどう放送するのだろう?親父達が若い頃涙し考えさせられた社会派、硬派の番組は深夜のなんか訳の分からん時間にちょっこら放送され、これからは3D放送とか。バカタレ。そんなテレビ誰が見るか?そう怒りながら親父もテレビの買い替えを考えている。(でも最近、間違いなくテレビを見る時間は半減している。)テレビもその程度のもんだろう。尤もらしく多くを語るな。そして放送されるコメントは完全に無視しょう。あれはやらせです。(放送の趣旨に反する言葉は必然的にカットされている。)

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2010年9月16日 (木)

円高単独介入

円高と言われても分からんのに単独介入と言われても分かる筈が無い?

では説明しましょう。(説明しなくても良い?分かりました。ではこの先は読まないで。)

為替。基軸通貨。経済の専門用語は意外に分かり難い。

為替…手形、小切手、送金(正確には為替では無い。現金為替がある。)

基軸通貨…今は国際取引、貿易の代金決済はドルで行われる。基軸通貨はドル。

ここからがポイント。

ドルと円の為替レートが上がるとは円の価格が下がる。昨日の政府のドル買いはいくらだったか金額が公表されていないが2兆円を超すと言われている。その結果82円台の円が85円に下がっている。ここがポイントです。此処のところを良く理解して下さい。此処が分かれば為替のプロです。笑われても今日の為替を尤もらしく語る人も先行きの見通しは出来ません。その事をこれから説明します。

貿易で国の経済の多くが稼いでいるこの国の経済は、学校で勉強したが貿易立国。材料を輸入して加工して輸出する。その差益が国の稼ぎ。今、輸出企業、中小の部品加工企業は円高になると手に出来るおカネが少なくなる。その金額が半端ではない。

1円の円高で企業の利益は大きく左右される。その金額が企業の生死を決める。円高が困ると口を揃えて言われるのは単純に言えば其処に尽きる。本当は違うのだけれどニュースや経済界の話を聞いていると、異口同音に聞こえる。

当事者の悲鳴は深刻だけれど、経済専門家(名前だけだけれど)、解説者も同じような事を言っている。資本主義経済のイロハは自己責任でしょう。どうして儲からない事をやろうとするのか?国内で物造りは出来ないと言いながら何で国内で作るのだろう?

日本を代表する企業の為替レートは最悪90円(対ドル)と言われている。今日の85円でも輸出企業は経営が厳しいと言われても、企業の内部留保(お金の貯め込み)は少なくない。一番しんどい中小の企業はこのままでは成り立たない。

ここが第二のポイント(但し、これは親父の独断と偏見です)

昨日の為替介入は経済に弱いと揶揄(やゆ)されていた総理と担当大臣のクリーンヒットと言われているが、出来ないと思われていた日本単独の円高介入。周到に準備されたとも言われるが、実際は82円に突入した市場の思惑に、鉄槌(てっつい)を食らわしたのが完全にハマったのだろう。ハマりました。でも市場の大きさは300兆とも言われる。

その市場にどれくらいのお金(政府、財務省のおカネでは無い)をつぎ込むのだろう?財界と円高に悲鳴をあげている企業は90円迄買い進めと要望している。それでも関係企業の生き残りは楽で無く、総理が口にする程雇用の改善は無いだろう。

これまでの為替介入で単独での成功は無い。最近ではスイスがユーロに対抗して単独介入に失敗。1兆円以上の損失を出す。日本がこのままでは円高で経済が行きづまる。さりとて円を90円に引き戻す事は出来ないだろう。アメリカもヨーロッパも中国さえも自国通貨を上げる政策は取らない。此処がこれまでと一番条件が違う事だろう。

最後のポイント。(ここ迄はエコノミストも言わない)。此処まで読んで呉れた人に親父の自慢です。当るかな。外れるかな。唸って呉れるかな。首をかしげるかな。馬鹿にされるかな。では一気に言ってみましょう。当るも八卦、当らぬも八卦。でもまだまだ負けないど。

この国の経済がナンバーワンと言われたのは1980年代。当時から政治は3流と馬鹿にされた。誰に?アメリカとヨーロッパ。それだけは今では完全に定着してジャパンパッシングとも言われる。日本はアメリカの従属国。情けない国になっても経済は如何なのだろう。

アメリカの国債保有は今は中国に負けたと言われても大差はない。それだけの経済力は一朝一夕に出来たのではない。この国の防衛力がアメリカに丸抱えと馬鹿にされても、それだけの国力は持っている。経済力から考えると対ドルの価値は70円台になっている。

ある大学の女性教授は対ドルの円通貨は50円台も考えられると言われるが、それは無いとしても暫くはもみ合いだろう。円は間違いなく80円台の前半を推移する。アメリカの経済、金融政策がドル安に動くのは間違いない。その時この国の財務当局は何処迄円を買い続けるのだろう?6年前の為替介入は四十兆前後と言われているが、其処までの介入が出来るのだろうか?出来たとしても円高圧力を弱める事は無理だろう。

結果として円の価格がこれ以上下がるのは難しい。今求められている事は中国、韓国、台湾の競争に勝てる品質と物造りだろう。円安政策をどんなに政府に求めたとしても、世界的な自国通貨安の流れに勝てる訳が無い。経済に弱いと言われる総理に期待する事が無ければ、マスコミが言うほど国内の政治の安定は無い。

何時までも綺麗事を言っていないでどうすればこの厳しい現状を打破できるのか?政府にお願いをするだけでなく自らの知恵と戦略を見出せなければ、資本主義の荒波に淘汰されるだけだろう?そう考えて見ると経済の反転は難しいだろう。体力が無ければ潰される。

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白モクレンのつぼみが大きくなっている。冬が来る前に花開くのだろうか?空海が長安の都で見た花は本当に白い色だったのだろうか?冬が来る前に君はどんな色を見せてくれるのだろう?

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涼しくなった秋の空に夏の空がふんどり返っている。世代交代と言われて久しいけれど、本当の世代交代とは年寄りの引退だろう。夏の空が黒い雲に覆い隠されて輝きを失う前に、今年の暑さを若い世代に伝えてやらなければならない。厳しい冬が来る前に。

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秋が来ると言うのにこの雲は何だ。近くの倉庫と建物が影を失って真っ黒になっている。それ程の今年の夏は暑かったのあろうか?秋の訪れはまだ?

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いっこ手前の駅で降りて泌尿外科医院を探す。見つからず。足を棒にしてもナビ無しでは徒労。この画像も良く見るとホームに電車が入っているのが分かるが、そう言われなけれな分からない。時代を見る目も厳しさが求められている。

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2010年9月15日 (水)

一気に秋の気配が・・・。親父のメタボは変わらないけれど・・・。

秋冷と言うにはホンのおしめりだけれど雨が降る。雨が降れば当然、季節が進むけれどこの程度の雨でも大地は大きく反応している。一週間前までは熱帯夜が続き、香港顔負けの熱波が続いていた大阪も、一気に涼しくなる。日中の温度は30℃を越えても朝夕は間違いなく虫の声が高まる。それでも今週末はまだ残暑でざんしょとか。今年は本当に暑かったなあ。

今日はお休み。夕方のウオーキングもお休み。夕暮れが早まり天気も悪く体調も良くない。季節の変わり目と同様、疲れが出たのかと思いきや、脇腹のはみ肉は一時の勢いはないがまだまだ衰えていない。明日からはもう一度、気合を入れ直して目標達成に挑戦です。

目標達成には明確に数値の変化を公表するのが良いとも言われましたが、余りにもひどい数値は余程の事が無ければ明示は出来ない。それでも今日の内科検診でドクターから心臓、前立腺肥大の問題を指摘された時はドッキリでした。

久しぶりに見せられたレントゲン写真のフィルム。煙草は止めているし肺がんの心配を全くしていなかった。「心臓がこんなに大きい」。笑いながら語るドクターの言葉は説得力があった。歩く事は第二の心臓です。その言葉を聞きながら決意表明をしている親父が居た。

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朝夕だけでなく日中も涼しくなりました。 正に天高く馬肥ゆる秋でなければ・・・。

親父は今、メタボな体質を改造中。人間という生き物は本当に不遜な生物だと思う。格言う親父もそうだった。自分が恵まれていたと言われても実感は何も無かった。自分がそのような生き方をしている。自分が努力すれば手にする物がまだまだ少ないと、不満の言葉と態度をあらわにしていた。「文句があれば努力せよ。努力もせずに文句を言うな」公言して多くの人に嫌な奴だと思われても、平然として謙虚に為る気持などサラサラなかった。

その生き方が叩きつぶされて屈辱の日々となった時、人はどんな生き方が出来るのだろうか?考えても見なかった暗黒の日々が突き付けられて久しい。君はお母さんが亡くなった時をその日の様に考えているかもしれないが、実際はもっと前だった。

懸案の仕事が時代の流れにも恵まれ経営者に先見の明があれば、その奇跡と思われる成長の連続は当然だったのだろう。それまでの既成観念を打ち破リ、野火が枯れた草木を舐めつくすように荒野に広がれば仕事は面白い様に拡大した。

親父が屈辱を味わう様になったのは、会社がそのような時だった。何をやっても面白い様に成功すればうっとおしいのは不遜な生き方しか出来ない親父の様な仕事のやり方だった。何度も注意されてもそのやり方を変える事は無かった。決定的な洛印は反抗的な態度。

どんなに仕事が出来てもどんなに自分を支えて呉れると思っている部下でも、噛みつかれれば撥ね退けるしか無かった。今度の民主党の代表選挙を見てもその事は変わらない。外野席のサポーターや支持者でもない多くの人の声は直接関係無くても、連日の様に連呼されると不思議にその思いは刷りこまれる。「あいつは駄目だ」「あいつは外せ」。

本当に駄目なのは自分自身とその支持者なのに、その事が見えて来ない情けない人間の性(さが)。感情。気持。実際にその信じられない結末は意外に早い。栄枯盛衰。奢れる者は久しからず。何時かは追い落とされる。何時かは後ろから撃たれる。多くの人が多くの事を語るけれど、ホントのターニングポイントは後になって見ないと分からない。

それでも大事な事はその時どう生きるかだろう?今、多くの人が尤もらしく多くの事を口にするが、それは人がやる事。人の事は何とでも言える。自分に何が出来るのか?その事が問われていない。だからコメンテーター、評論家、政治家、大学教授、元検事、経営者、多くの人の言葉は聞き流すぐらいでちょうど良い。その代わり自分でもっと多くの事を学べ。

良く分からないと言われるけれど、分からなければ学べ。学びの心が無ければ何も前には進まない。それでも良いと言われ「私は馬鹿です」と言われていた人は馬鹿では無かった。今、如何しているだろう。歳を取ればいずれ物事の判断は衰える。その時でも人の生き方は問われる。何たる非情な現実だろう。その事が絶頂の時には分からない。悦びの先に絶望がある事をどれだけの人が感じているのだろう。アホか。

秋は天高く馬肥ゆる秋と言われるが、人間様は如何なのだろう。その前におまえはどうだと問われても、この歳になると笑って堪えて(こらえて)と誤魔化すしかないのだろう。人が人らしく成長を重ねるのは幾つになっても同じだと言われても、それは違う気がする。

これからは肥えなくて良い。やせ衰えるのも早い。為らば悠悠自適の生活か?それもまだ早い。やがて来る老いの時を如何生きるのか?今から考えていても早くないだろう。今日はお休み。眼科の定期検診に行く。今日の検診機器の凄さは目を見張る。

眼球の奥(眼底)の血管が見える。血圧が高いと血管が詰まると脅されて久しい。親父は年の割に視力は良いが、血管も強いと脳外科医から言われた事がある。これは遺伝、親に感謝しなさいと言われたが血液は食事で決まる。メタボな親父だから良い訳が無い。

良くこんな食事で生きていられますね そう言われて久しい。そう言われたら自分で自分の血液を替えるしかない。それが今自分に問われている最大の試練だろう。それだからこそ歩く事に躊躇はない。もう時間的に余裕はない。そう宣言されれば誰でも神の憐みを請うしかない。その時は既に手遅れだとしても。そう考えれば自分の生き方は変わる。変わらなければあまりに情けない。そう思いながらもたいした変化はない。それでも良い。同じ季節を生きたと言ってくれる人は君だけかもしれない。 あさみちゆきが黄昏シネマを歌っている。

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キング牧師の言葉 久しぶりに思いだす

アメリカの黒人牧師キング氏が1963年8月28日、リンカーン記念堂に向かうワシントン大行進で演説した有名な言葉がある。「I have a dream」 私には夢がある。その言葉を思いがけなく今日の民主党首選挙で小沢、菅の両氏から聞く。小沢氏の夢は官僚政治の排除、菅氏は良く分からなかった。民主党首は菅氏に決まるがイマイチ感動は無い。何故だろう?皆でやろう、力を合わせて、その言葉の裏を親父は知り過ぎているからだろうか?間違いなく何も出来ない。何も劇的な変化も無いままに無駄な事しか出来ない人が、支持されるのだろう?それとも小沢の第二劇場が在るのだろうか?

キング牧師の言葉は黒人差別が無くなる夢。今から50年弱前の無抵抗の反対運動は、暗殺の悲劇を乗り越えて今日は当時の面影も無いが、それも条件付きだろう。お金さえあれば。今度の民主党の選挙で問われた政治とカネの問題。何時までもこんな事を言っていたら民主党の支持は無くなる。今、多くの国民が政治屋さんに期待する事、それは綺麗事では無い。泥臭くても汚くても良いから泥まみれになってでも、やると約束した事はやれ。それしかない。

キング牧師はアメリカの大統領ケネディ同様銃弾に倒れるが、多くの言葉を今でも残している。キング牧師の言葉。「私には夢がある。何時の日にかジョージア州の赤い丘の上で、かっての奴隷の子達と、かっての奴隷の所有者の子達が、兄弟愛というテーブル席を共にする事を。」 菅総理は今日の選挙の演説で信頼という言葉を口にしたが、この国でこの言葉ほどいい加減に使われている事を如何思っているのだろう?

そして多くの支持者達も本当に今日の難局を替えられるとでも思っているのだろうか?テレビでまことしやかににもっともらしき事を語る大学の教授達。彼らの倫理観の中に罪悪感はないのだろうか?あなた方は何をしたのですか?そしてこれからも学識経験者として多くの事を語るのですか?この国は間違いなく自己防衛の出来ない体では、身の置き所が無くなるだろう?それより前に政治屋さんや行政に何かを期待する愚かさだけはやめた方が良い。

そんな馬鹿な事を考えていたら散歩に出掛けるのが遅くなる。なんか体がしんどい。それでもおやつを口にしたらガソリン満タン、出発進行。足は今朝こむら返し。(足がつる)。サロンパスを貼っているが歩くのに支障は何も無い。

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これだけ食ったら歩る感と行かんわ。これだけ食ったの?いいえ、うどんに卵を入れたので饅頭は半分づつ。えー、(絶句)

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ふくらはぎのサロンパス。近くのマンションの側溝の上に足を乗せている。右が後ろ。左側が前。なんか良く分からん様に写している。こうして見るとまっ事山下清バージョンです。

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不気味な時代劇のセットの様ですがこの前紹介した夕日の見える第一ポイント。スタートから出遅れ。黒い雲も出て夕日は既に沈んでいる。明るいのは残照。暗いのはカメラの悪戯。

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市内を南北に走る幹線道路。ここは歩道が広くて車道は一車線の対面通行。朝夕のラッシュ時は車が動かなくなる。それでも苦情が無いのは諦め?この街の先にも住宅地がある。

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親父さんが根っからのトラキチ(阪神タイガース)。数年前に改装してきれいになったが、何故か親父が行く時は入れ墨のお兄さん、おっちゃんがいる。不快。それでも色んな人が見れる。体をさっぱりするには銭湯が一番。この湯は炭酸沸かし風呂。血圧の高い親父には何よりの効果がある。

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今日は城跡公園も休館日。時間も遅くなりひっそりしている。画面に顔を近ずけると大手門が近ずいて来る。まさか?やってみなはれ。明るさが変わるでしょう。自慢している。

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立派な体育館。煌煌と電気が付いて誰が(市民?)どんだけ(人数)利用しているのだろう。室内プールも併設され親父も利用した事があるが、最近は御無沙汰。利用者が限られている。なんか勿体ないな。

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立派なだいだい。大きいなあ。料理に使えるのだろうか?小さい頃、掌(手のひら)に載せて真っ二つにして小指を深く切った事がある。あの時のだいだいはカボスと言っていた。

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これは一杯。幾つあるか?問題です。6個・残念でした。もう一度良く見て下さい。

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これも立派な盆栽。チャウ、チヤウ。植え込みですか? いいえ、敷地の境?です。

今日は少し遅くなりましたが、フラッシュが使えて満足です。歩くだけでは無い喜びは見慣れない風景との出会いでしょう。歩く目的は腹を凹ませる事でしたが、この調子ではなかなか目標達成までには紆余曲折(うよきょくせつ)がありそうです。でもそれはそれなりに楽しい事かも知れません。生きると言う事はそういう事なのでしょう。では又、明日です。

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2010年9月13日 (月)

白ネギ一本頂きました

少し夏の疲れが出たのだろうか?それとも血圧と血糖値を下げる薬の影響だろうか?食欲が無い。それでもこの親父食い気(くいけ)だけはある。夕方日課となった散歩に出掛ける前に、コシあんの柏餅(何故か昔懐かしいこもち)3個を口にする。ニンマリ。オイオイ。岳が顔をしかめている。(これで食欲が無い?信じられません。) 腹が減っては歩けません。アカン

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暑い暑いと言っている間にも季節は確実に進んでいる。歩き始めた頃に比べて15分は日の入りが早い。今日は雲が多くてまんまるい夕日は拝めそうにない。それも又宜し。靴の紐を少し締め直して歩き始める。この靴も底が凹んで歩くのが不快。それでも引き返す事はしない。

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これは今日の夕日では無い。今日は雲が多くて画像が皆暗い。せめてこれ位の夕日で無いとお見せ出来ない。正面の山が毎度おなじみの六甲山。右側が宝塚です。その間に見える高架の道路と建物は殿は知らない。その部分がすっぽりと抜けたら戦国の時代と何も変わらない。

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青い空、白い雲と言われるがこの雲は青く染まっている。この景色も今日では無いがこれからは天気が良ければ何時でも見れる。秋は大陸の高気圧に覆われ空が澄んで来る。白鳥は哀しからずや空の青、海の青にも染まず漂う(ただよう) 若山牧水 それとは反対のこの景色。白い雲が夕焼けの空に青く染まるのも珍しい。

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これは家の近くの夕焼け。これも今日の景色では無い。廻りの家とマンションを影にすると夏の終わりの夕焼けも感動です。暑い暑い夏が行くと一気にひんやりとして来る。今年の夏は本当に暑かったけれど、秋は短く木枯らしの寒さを体感するのも近いのかもしれない。

近くの草や木の葉っぱが枯れているけれど、それ程に暑かった夏も過ぎ去ると愛おしく感じるのかもしれない。今年の秋はそれ故に言葉を飲み込むほどの美しさを見せて呉れるだろう。長い間足を延ばしていない京都洛北の秋は、どんな装いで親父を迎えてくれるのだろう。

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すっかり暗くなりました。公園の管理事務所も電灯の明かりで照らされています。来た道を帰る足は軽くなっています。靴の底が凹んでいるので下り坂はストレスが掛るが、それも苦にはならない。今夜の食事は冷凍のチャンポンに決める。それだけでは知恵が無いので昨日買って使っていない白ネギ一本を刻んで入れる。

刻み方も白い根元はみじん切り。少しずつ刻み幅を拡げる。それでも2ミリ以上にはしない。青い葉先に近ずくと包丁を斜めに入れる。斜めのぶつ切り。これを出来上がりの鍋に火を止めて入れる。意外にイケる。予想以上の旨味が出るのは何故だろう。ネギが合うのだろう。

食後の果物は山形県産のデラウエア。生産者の顔が見える。味は口にしなくてもぶどうを冷やさなくても分かる。2房のうちヒト房を水道で洗って口に入れる。甘い。甘過ぎる。それでも一気に頬張ると懐かしい味が口の中に広がる。御馳走様でした。(それだけ食えたら充分)

これからお風呂です。今日は仕事場横の藤棚の弦(ツル)が伸びたので、その剪定(せんてい)を手伝う。(と言っても冷やかし程度。手伝いになったかな?)。緑虫にも飛び付かれたので綺麗にして来ます。お風呂に入ってすぐ寝れば明後日はお休みです。

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2010年9月12日 (日)

夕焼け小焼けで日が暮れる

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日中の暑さも流石に夕方に為ると涼しくなる。先月の終わりまではそうは行かなかったが半月足らずで確実に季節は進んでいる。今日も天守閣で夕日を眺めていたらアベック2人組に邪魔される。山下清風のおっさんがデジカメ片手に夕日を眺めていても、お構い無し。

早々に退却したお陰でこのアングルをゲットする。天守閣から見た夕日とは一味違う。何でだろう。昨日は来なかったが毎日来て呉れる親父に、褒美を呉れたのだろう。画面を見る角度を替えると夕日の濃さも変わる。

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昨日紹介したダンスする木はしだれ梅で間違いなし。今日は角度を替えてカシャリ。でもこのアングル無機質ですなあ。アングルを替えてもう一度見て下さい。

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これは良い。でもしだれ柳は知っているがしだれ梅は知らないだろう。親父も知らなかった。この木どう見ても梅の木には見えない。梅の種類では無いのだろうか?

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百日紅(さるすべり)の花。今年の夏が暑過ぎたからか葉が見事に紅葉している。

それでは今日の収穫、様々な夕日を一気に紹介しましょう。

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夕焼けもこうして見ると不気味だけれど、少し角度を替えると和らいでくる。夕日がこれだけ綺麗に見えるのは、沈む太陽と雲の位置が微妙に重なるのだろう。夕焼けがこんなに見えると天気が崩れると言われた話も、幼い頃の思い出となっている。

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公園のベンチに座り西の空を見ていると、空の色が刻々と変化する。この空の果ては何処に続いているのだろう?馬鹿な事を考えていると廻りに人影がない。日は沈み日は又登る。沈まぬ太陽の思惑は人の思い上がりでしか無い。何時までも何処までも会社を社会を国さえも食い物にした人間の愚かさは、いつか必ず極楽浄土の西の空で断罪されるのだろうか?空海の教えを垣間見たと思った人さえも肉体が朽ち果てた時、何も手にしていなかった哀れをどれ位実感したのだろう。(アホか。肉体が滅びた時には精神は既にない)。

今生の生き方が問われている。空海の真言密教はそれ故に栄え、そして滅びたのかもしれない。(それもおかしいんと違う?高野山、もう一度行ってみなはれ)。

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今年の猛暑が物語る 近年余り目にした記憶が無い立ち枯れ

庭の草木が枯れる程の酷暑も後半月。日差しはきついけれど秋の到来も遠くない。

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洗濯と布団干しが済んで一服中。と言っても喫煙を止めて久しい。元々、煙草がうまいと感じた事は殆ど無かったが長年の喫煙に決着を付けたのは、止まらない咳と痰、それと健康への不安、貧しい生活だった。煙草を止める事は健康に良いと分かっていても、なかなか出来ない。ニコチン中毒。それは並大抵の決意で出来る事ではない。親父の場合は煙草が吸えない程に肉体も経済力も落ち込んでいた。それでも辞められない人も少なくない。

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枯れる草と茂る草。夏の暑さにやられた蝶も秋の気配を感じ取っているのだろうか?日差しはきつくても吹き抜ける風は秋の気配と言いたいけれど、まだまだ熱風です。軽やかに涼やかに羽根を動かしている蝶は、その事が分かっているのだろうか?

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大阪は暑い日が続いていますが、季節は確実に進んでいます。本当の秋の深まりはこれからですが、今年はこれまでにない紅葉の時が見れるでしょう。昨年は(そうでは無く一人になってずーと)錦秋の秋を愛でる事も無かったけれど、今年は違う。そんな思いが実現するといいな。柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 正岡子規

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2010年9月11日 (土)

ウオーキングの成果が出るのは晩秋の頃?イエイエそうではありません

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暮れなずむ街の光と影の中、夕焼けの空が西の空に広がっていました。駅前のひとコマ。大阪は9月ももうすぐ中旬だと言うのに、猛暑日は続いています。部屋の外は熱帯夜。室内は心地良いジャズの音が流れてエアコンは効いて、最高です。これに気の効いたつまみとお酒があれば言う事無しでしょう。前のブログで何かわめいていた事が嘘の様です。FM万歳。

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不思議な事に池の水も少なくなっていますが、どんなに暑い日が続いても水位の調整は自在です。噴水のバルブを開ければ池の水が無くなる事は在りません。戦国の世は如何だったのでしょうか?近くに井戸は在りますが池の水を今ほど自在に調整は出来なかったでしょう。

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池の水面に波紋が広がっているのは鯉が遊んでいるから。お休み前のひと泳ぎ?違うだろう。今日はお休みで週末。流石に夕方は子供連れ、恋人達、親父達、おばさんも居たが宵闇が迫ると親父しかいない。もうすぐ門が閉まる。殿もお休みだろう。

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宵闇迫れば何とかというリバイバルソングがあったが、流石の親父も最近ボケて来た。夕日もボケている。(親父さん、一緒にしないで下さい。私がボケているのではなく雲、雲ですよ。)分かっています。歌の文句も思い出しました。悩みも果て無し。違うかな。古い歌だし親父も最近、デリケートな気持ちが乾いている。(親父さんそれがボケですよ。ボケ。)じゃかましい。

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親父のみずみずしい気持。優しい気持ち。何かピンボケの様でそうでない白モクレンのつぼみ。空海も長安の都で眺めたのだろうか?どうだ。親父にもこれ位の感受性は残っている。恐れ見よ。(親父さん、それも言うならオーソレ、ミヨでしょう。)意味は?知らんじゃろ。

百科事典ウイキぺディアで引いて見ました。オー・ソレ・ミオ(私の太陽)です。イタリアンはジャパニーズと違って歌の文句も情熱的です。

晴れた日は何て素晴らしい。嵐の後の澄んだ空。まるで祭日の様な爽やかな空。晴れた日は何て素晴らしい。

夜が来て太陽が沈みきった時、憂欝(ゆううつ)が蟠り(わだかまり)始めた。君の窓の下に私は留まる。夜が来て太陽が沈みきった時。

日本にはこんな歌は無いな。(アンタの心の中にも無かったじゃろ。)在りません。

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イロハもみじの実。葉っぱの着き方が素晴らしい。実がおちる時クルクルと回転しながら軟着陸するのだろうか?自然界の営みは観察すれば感動です。(オーバーでしょう)

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園内の茶室の入口。頭上注意?何故が門が低すぎる。昔の人はこんなに背が低かったの?(違います。これも一つのシャレ。)何の為に?ワビさびの心です。分かった様で分からん。違うだろう?ワビさびもう一度ウィキペディア引きます?やめときます。失礼しました。

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この木何の木気に為る樹。しだれ梅と思って撮ったら支えの棒とダンスをしている。梅の木にしては葉っぱが違うかも。(親父さん、しっかりして下さい。)大丈夫。足腰がしっかりして来たから。(それでも頭がおかしい。)コラコラ、親しき仲にも何とかじゃろう。

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立派な五葉松。御用。御用。松を触った事のない人は知らないだろうがこの一本、一本が結構しっかりしている。松の何て言うのだろう?教えて。又、ウィキぺディア引きます?考えときます。(ではその言葉お忘れなく)。分かりました。でもその前に突いても良い?止めて下さい

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余り見つめないで下さい。恥ずかしいから。初々しさは幾つになっても良いな。秋の花。

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それではまた明日。夕日が沈み誰も居なくなった城跡公園は静寂の時を迎える。まだ行く夏を惜しんで日暮の鳴き声が聞こえるが、その声も大きくはない。秋の虫の鳴き声に変わる時もそう遠くない。

メタボな親父が汗を流しながら息を切らせながら登って来た道も、これから涼風が吹きぬける。歩く喜びは確実に下腹部に効いて来る。体の固い親父が太極拳の次にやるべき事が見えてきた気がする。

健康は食事と運動のバランスとか言われるが、親父的には歩く事にこれからも飽くなき執念を抱いて続けて行きます。(まあ、そう気張らずにやりなはれ)。息を切らしながら歩いていた道が散策の道に変わる時、秋が深まるのだろう。

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天下分け目の戦い

ペナントレースも終盤を迎えてセリーグもパリーグも厳しい戦いが続いている。セントラルは阪神、パシフィックは西武と思いきや、ライバル球団が喰いついてもう暫く一喜一憂しなければいけない。プロ野球は御愛嬌で済むがもう一つの戦いはそうは行かない。

その厳しい現実は現職が有利と言われているが、昨年の秋の選挙で実現した政権交代の重みが何処かに消え失せている。総理が短い期間でころころ変わるのは良くないとか、対立候補の政治とお金の問題が明確にされていないとか、色んな事が言われているが親父はそうは思わない。多くの人がほとんど関心のない事がマスコミでは世論調査までされて、多くの事が語られている。

どちらが勝っても関係無いと言われる意味の軽さが、親父には気になってしょうがない。多くの人は気付いていないが、今度の民主党首の選挙は天下分け目の戦い。政治的にも経済的にも日々の生活にも大きく左右する。

ホントは昨年の政権交代の選挙でそれまでの政治、行政、経済の在り方が一掃され大きな変化を求められたが何も変わらず、多くの期待が裏切られた。その原因は今迄何度も思い知らされた官僚の力。エリート官僚が手にした美味しい利権をそう簡単に手放す筈も無く、マスコミの殆どがそのえげつなさを問題にする事も無かった。

マスコミの責任は多くの言葉を重ねてもそのオピニオン、リーダー(世論形成に大きな影響を与える人達)達すらも、それは関係無いかの如く一刀両断に切り捨てる。今、多くの事が問われているが、その多くがこれまでその問題に対して先延ばしにして来た責任を問いかける自浄能力さえない。具体的に言えないもどかしさが少なくないが、何かを変える大きな犠牲を払わずに問題の解決は無い。今日、経済の在り方が問題になっているが、何時までも何処までも政治に丸投げの私達の意識を変えないと真の解決は無い。

現職の総理が景気対策として雇用の問題を口にする。アメリカのオバマと同じ様な事を言うのは官僚のお間抜けだろう。雇用の問題を総理が口にして何かが改善出来ると本当に思うなら、これ程に多い失業者が何故生まれたのか?少し考えれば分かるだろう?

今日の経済状況は大きな曲がり角に立っていると言われた久しい。この20年近く、否それ以上かもしれない。この国の経済活動にダイナミックな成長力が失われた時、必然的に潜在的な失業率が高まって当然だった。その時行政は一体何を改善したのだろう?マスコミも同罪だっただろう。何を今更、尤もらしく雇用、雇用と絶叫出来るのだろう。お笑いとしか言えないその政策が支持されたとしても、景気の改善は無理だろう。

それでは親父、改善の策は対抗馬が勝つ事。そうです。

政治とお金の問題、世代交代の問題、官僚政治から決別?多くの事が問われるとマスコミは尤もらしく語られるが、どちらが勝っても昨年の政権交代の意味は無い。。多くの矛盾を解決するには発想の転換が必要です。

発想の転換。そうこれからは読書の秋です。どうでも良い事だけでは無く少しは難しいと思われる歴史を少しは学んで見て下さい。徳川の代が如何してあれほど続いたのか?そんな事はどうでも良い。失礼しました。では空海と最澄の対立。そんな事は知らない。アカンワ。

少し、難しい事を語りました。(よう分からんわ)。でもこれからの時代は間違いなく今まで以上の厳しさでしょう。格差社会、高齢化社会、貧富の差が大きい社会、少子化、円高、多くの言葉が語られてもその解決策が口に出来るのはほとんど居ません。

それ程に難しい時を生きるのはある意味幸せかも。これからもっと難しい事が語れればそれだけ仙人に近ずける道かもしれません。?これから歩いて来ます。健全なる精神は健全なる肉体に宿る。最近アホが多いのは何でやろう?親父さん、今も昔も変わらない。そうかもね。

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2010年9月10日 (金)

雇用 雇用と言うけれどハローワーク行ってみなはれ

何時もの散歩コースの途中にハローワークがある。名前はハロー。昔の名前は職安。この名前も職業安定所。職を求める人にこれ程ふだけた名前はない。親父は18の時から52まで幸か不幸か失業の経験はなかったが、52の時自らの意思で会社を辞める。

あれからもうすぐ14年。3年間は彷徨いながら仕事探しもしなかったが、4年目からはそうは行かなかった。その気になれば何でも出来る。しかし現実は甘くなかった。市場の配送、仮設モノレールの現場の仕事、訪問販売のインチキ商売、派遣会社の寮と出勤管理。

色んな仕事をしたが歳を重ねると、何でもやる気があればと言われても、なかなかそうは行かない。お陰で今は年金と仕事に恵まれているが仕事探しをしていたら、難しいだろう。そういう意味では雇用雇用と絶叫するほど、簡単ではない。

菅のおっさんはどんなつもりで言っているのか知らないが、雇用を政策論争の種にしても胡散臭い(うさんくさい…意味は辞書引いて下さい)..・・・疑わしい。怪しい。打算がある。

仕事はお役人が作るものではないだろう。お役所仕事、無駄な仕事を減らす事が出来ない役人が考える事は税金、補助金のばらまきでしか無い。それでもこれだけ景気が悪くて失業者多ければそれも止むを得ないのかもしれない。

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刈り込みの上に落ちた落ち葉を拾っているとバッタが飛び出してくる。バッタを見るのも本当に久しぶり。幼い頃に追いかけまわしていたあの荒々しさはない。透きとおる様な体を見ているとクチバシ迄もが、秋の訪れを語り掛けている。

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カマキリの霧子はこのアップの写真を残して見えなくなった。最初に親父に見せて呉れたグラマーな姿が既にスマートになっていた。役目を終えたのだろう。親父に負けないドングリ眼(まなこ)でお別れをしたつもりだろうか?お疲れでした。又、何処かで会えると良いね。

今日はウオーキングをサボる。暫く血圧を下げる薬を飲んでいなかったので?血圧値が元通りに為る。先日から飲み始めて3っ日目、何故だか体調が良くない。疲れる。今日はデジカメの電池が充電マークが付いていたので、それを口実に止める。他にも雑用があった。

明日と明後日は又、歩けるし無理をする事はない。洗濯機に洗濯物をほおり込んで、内科に大腸がん検査の容器に入れた大便を届ける。がん保険に入っているけれど、綺麗な話ではないけれど、自分の排せつ物をマジマジと見るのも健康判断に欠かせない。

でもそんなに顔を背けたり、どん引きする必要は何も無い。最近の検便、小水の容器は意外に綺麗。最近疲れが小水に出るしメタボな体は下腹部に違和感がある。歳を取ると自分の体は自分で管理しなければならない。誰よりも自分の体調に詳しくなければならない。

それでも検査結果は15日に聞く。これだけは自分で判断する事は出来ない。

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2010年9月 9日 (木)

お疲れモード 睡眠不足だな それでも歩く事は止めず

Img_2972 城址公園の芝生をはだしで歩く。

芝も刈り込んでいるので、気持良い。

甲高の幅広の足もこうして見ると、可愛らしい

秋が深まるとゴルフ場の芝も濃くなるかなあ。

Img_2975 夕暮れの一時。今日は夕日が平凡。

反対側を写真撮っていると、ベビーカーの座り心地が悪いのか、砂利道を歩いている赤ちゃんがグズっている。さり気無く声を掛ける。

男の子と思いきや女の子。8ヶ月のベイビー。

Img_2976 芝生公園一人占め。裸足で歩いていると何とも心地よい。ゆっくりゆっくり歩きながら感触を楽しむ。芝生を踏み締めているのは親父だけ

さっきまでグズっていた女の子も、大人しくべビーカーに収まり帰って行く。親父はもう少し歩いて見る。帰るのが惜しい。

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天守閣から殿が見ている。(まさか)。池田の城が戦国の時代に果たした役割は殆ど無く、織田の配下に組み込まれる。圧倒的な軍事力に為す術も無かったのだろう。今、この国の通貨も経済も政治体制すらも大きなターニングポイントを迎えているが、同様なのだろうか?

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日は沈み、そして暑い日が明日も続く。戦乱の世を統一したのは秀吉。しかし、その絶対的支配も長く続く事は無かった。300年物安泰の世をむさぼったのは徳川の時代。それでも最後は哀れだった。何時までも何処までも続くと思われた武士の世界。そうでは無かった。

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もうすぐ閉園放送が入る。今日は疲れたけれど又明日。

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2010年9月 8日 (水)

台風一過と言うには少し感じが違うけど・・・。

司馬遼太郎氏の「空海の風景」の本の中に遣唐使船の記述がある。貧弱と言うより余りに悲惨な当時の造船技術と航海術、そして天体観測。玄海の荒海を乗り切る術を全く手にせず、命懸けでは無い運を天任せの遣唐使船の歴史。当時の現実は遣唐使に指名されただけで今生の別れを覚悟しなければならなかったと言う。

その季節が今頃だったのだろうか?夏の玄界灘は季節風が大陸から日本列島に向かって吹く。今は風向きに関係なく航海できる船も当時の帆船は風任せだった。その風に乗れなければ航海は難しい。その事が当時の船乗りと政務を司る朝廷に知識が無かったと言われる。

当時の唐の高僧、鑑真和上が聖武天皇の招きでこの国に渡って来れたのは、度重なる難破のあげくだったと言われる。失明はしても何とか目的を達する事が出来たのは、幸運以外の何物でもない。空海は自ら希望して遣唐使船に乗る。そして遭難。それでも運良く大陸の南方に漂着。国の代表でも僧侶の代表でもない空海は類稀(たぐいまれ)ない天才的な能力を発揮したと言われる。

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今日は昨日借りた傘を返すつもりで出かけました。残念ながら借りたお店の閉店時間に間に合わなくて返せず。それでも城址公園の夕焼けは間に合いました。今日はこのシーンの写真だけです。

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明日も台風一過とは行かないが、少しは涼しくなりそう。甘い。天気予報は今週末の猛暑を予報している。夕焼け空が涼しい風に吹かれる時は秋分の時が来なければ駄目かも。この国の経済も政局も親父達の生活も、そして君達の生活も今大きな分岐点に立っている。

読書の秋、天高く馬肥ゆる秋、食欲の秋、芸術の秋、そして収穫の秋。長年の苦労が実りの秋に変わるのは、何時の事だろう?メタボの体型が少し変わり始めた時、その時はやって来るのだろうか?夕焼け空が首をかしげていた。

メタボな体型を改善するには鏡に映った自分の姿を良く見る事です。その事に気付いた時目標の半分は達成出来たと言えるでしょう。何事も自然体で臨まなければ結果は附いて来ません。その事もこの歳になってやっと分かるようになりました。出来るかな?出来るとも。

その証明画像が高らかにここに乗せられた時、親父の得意げな顔を見せられるでしょう。

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祝700号 親父のつぶやきも進化しているのかな? それは無いな

本日3本目のブログです。一本目は嘆きのセレナーデ 2本目は怒りのボヤキ 3本目がこれです。文章は疲れたので手抜きになりますが、親父の散歩コースにお付き合いください。メタボな体型の中に結構笑いの部分が多く、遊びの気持が少なくないと安堵?しています。

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このお店。散歩の途中に横目で何故か覗きこむ。今日はお休みでゆっくりメニューが見れる。どれがお得かな。何時見てもカウンターが空いているのは値段の割に味がイマイチなのかな。一度、覗いて見るかな。メーンデッシュがポイントだな。

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散歩中、このお店のウエディングドレスが何時も気になっていた。なんか良く見ると細いな。そう思いながら一枚。山下清と何も変わらない。違うのは親父さん何か下げていますな。バレたか。お気に入りのサンドイッチ2個とグレープジュースです。オイオイオイ。なんにもならん。

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何時もの城跡公園。今日は休み。門が閉まっている。この前来て知っていたので写真のみ。良く撮れている。(自慢すな)。入口の車止めの石に腰を掛け一服。流石に汗が噴き出している。何気なく廻りを見渡していると今来た道を歩いて来る人が親父を見て怪訝そうな顔をしている。ニタリと笑うと大概、顔をそらす。

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横の木を見上げると名札が下がっている。パチンコの新台で親父が最初に大当たりを引いてパンクしたのは静岡掛川の話。あのお店も今は経営者が変わっている。(関係無いか)名前も違うし。花華月 違ったかな?昔の話だな。

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花水木の実 ドングリの実に似ているが傘が無い?今日は久しぶりの霧雨 雨宿りしょう。

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久しぶりの公園に向かう。でも公園が目的では無い。再会の時を心待ちにする樹はこれだ。

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どてっぱらに大きな穴が空いた桜の木。上も枯れている。それでもどっこい枝葉を伸ばして今年の夏も生き伸びている。来年の春の桜の開花も間違いない。親父を励まし親父から励まされている。ここから下の写真は何故かアップ出来ない。見せたくないのかな?

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何とか全景を見せて貰う。空洞の処は樹根が枯れて朽ちていた。その部分を親父が取り除いたのは大阪に来て間もない平成11年の春、あれから11年の歳月が流れている。段々、寄る歳並みに勝てないが、それでもどっこい生きている。この木を見る度に元気を貰う。

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今年も新しい枝を伸ばしている。その生命力は何処から出ているのだろう?それでも間違いなく老いの時は迫っている。キノコも取り除いてやりたいが手が届かない。しかし、久しぶりに見る姿は迫力に溢れていた。

これから山に入ります。このコースは階段コース。足腰が悲鳴を上げる。一気に行きます。

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さあ帰ろう。ここから家まで2.5キロ。と言う事は往復5キロ。やりますなあ。

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デカイ。凄いな。どんだけの出来事を見たのだろう。親父の大先輩です。

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大木の中に木像が覗いている。それは冗談です。帰ってトマト、サバ味噌のイタリアンです。

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オイオイ食い過ぎやろう。折角のウオーキングがなんにもならん。

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2010年9月 7日 (火)

頼りなさと非現実性 外交安保、具体論欠く?政党はしっかりして呉れないと困る ?

このコメントは日経の東大教授のインタビュー記事。今日の大学でどんな講義が行われているのか知る由も無いが、この記事の教授の記事を読んでいると大学不要論も分からない事はない。最高の国立大学(国の税金が使われている)その大学の教授の言葉としては言葉足らずだろう。それだけで無く政党にしっかりしろとはどういう意味なのだろうか?

そうでは無く大学の現代置かれた立場を考えると感謝の言葉はあっても注文を付ける余裕はないだろう。何様だと思っているのだろう。この国の最高学府の教授の言葉としては実に不快に思う。(親父が不快に思って見ても何の事はない)。では理由を述べる。

親父の学歴は佐伯豊南高等学校。商業高校。進学校でもない。それでもこれ位の事は言える。沖縄の基地が無ければその方が良いに決まっていると言いながら、中国の軍事費、東シナ海、南シナ海の中国海軍の行動を懸念する。

こうした中国軍の膨張にどう対応していくのか、そんな疑問に答える政策を示せと。アホと違うのか。中国の軍事費、中国海軍の行動をに対抗して何時迄も何処までもアメリカの軍事力の傘の中で中国ににらみを利かせようとするのか?そんな事を言っていたら何時まで経ってもこの国は独立国とは言えない。

それよりもこの国の経済界は中国の拡大する経済力を頼みとしている。この国の外交、安全保障、の在り方が何時迄も何処までも変わらないのだとすれば、中国との経済協力、経済発展、東シナ海、南シナ海の天然ガス共同開発なんてあり得ない。其処まで否定するのか?

そうではあるまい。経済的には結びつきを強くして、軍事的にはアメリカの核の傘の下で圧力をかけるのか?中国はそんな日本の足元を見て10年先、20年先の戦略を検討していると言われる。この国の最高学府(親父はそうは思っていない)ではそれ位の研究すら無いのだろうか?アホは吉本では受けるが教授の言葉では話にもならない。(話は分かり易いが・・・)

次はアメリカの軍事力に頼らず自衛隊を強化するのならばどれくらいお金を掛けるのか?このおっさんの頭の中には国の大指針、憲法すら頭に無いのだろうか?日本国憲法は押し付けられたとか非現実とか言われて来たが、ここ迄完全に無視されると言葉が無い。

どんなに否定されたとしてもこの国の安全と安心の基本はアメリカの軍事力だけでは無い。確かに他国を圧倒する軍事超大国を否定は出来なくても、その在り方が見直されなけれな世界の安全と平和は無い。アメリカの軍事力だけではテロとの戦いすら勝てない事を知らない事はないだろう。平和ボケとか言われてもこの国の空港に兵隊が居ないのは何故だか、分かっているのだろうか?(アメリカ国内にも居ない?だからテロとの戦いには勝てないのだろう。)

本当に自前の防衛力でこの国が守れないと国民が思えば、あなた方に言われるまでも無く軍事力を強化するだろう。繰り返しに為るがこの国の誰一人として自国の生命と財産を安い費用でアメリカに下請けさせているとは思っていない。自分の国は自分で守れ。それを子供達に教えるのがあなた方の義務ではないのか?それが出来ないのだとしたら尤もらしい言葉で誤魔化して貰いたくない。(親父は怒っている)

現代は幕末の動乱期に似ていると言われる。その事は同感です。しかし、そうした体制を改革したのが本当に薩長の軍事力だったのでしょうか?確かに幕藩体制は叩き壊されても新時代の幕開けは私達が歴史に学ぶほど凄い事だったのでしょうか?

今はそんな事を望む術も無いから政党にしっかりしろと言われても無理です。政党を支える国民の一票、一票にその事が託されている。この民主主義とやらのもどかしさを、も少し分かり易く解説しなければこの先の混迷は拭い去れないでしょう。

今、この国がおかしいと思われるとしたらその一端はあなた方です。訳の分からない事を言いながら、何時迄も何処までもアメリカの手先はもう御免です。アメリカ本体も世界の警官を何時までも続ける事は無理でしょう。そのアメリカがこの忠実な同盟国を利用しつつ、中国とも手を握ろうとしている汚なさをどれ位、分析されているのでしょうか?それともアメリカは何時までもこの国を無視はしないのでしょうか?国の利害は意外に脆い(もろい)事をも少し説明して下さい。

菅総理にもっと勉強しろとは論外です。知らない事は聞けば良い。知らないのではない。知らない振りをしているだけです。総理大臣はこの国の親分です。子分が出る幕はありません。その為の代表決定戦です。それ位は弁えて(わきまえて)下さい。

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15年目の記念日 もう悲しみも寂しさも無いと言ったら 怒られるかな?

自分で買い物も料理も洗濯も家事一切をした事の無かった生活が、一変したのは君が突然のがんを告知されてから。今でもあの日の事を思い出すと涙が溢れて止まらない。不安の思いはあったけれど現実にその言葉の意味を実感すると愕然としていた。

それでもあれから半年。君は親父と同様に否、それ以上の思いをして懸命に生きた。それまではそんな思いも罰当りの言葉を口にしながら笑い飛ばしていた生き方が一変する。元の健康な体を望む術の一片すら無くても、その事が信じられないのだから果敢ない願望は最後の最後まで失せる事は無かった。それだけが何も出来なかった親父の何よりの癒しだった。

別れの朝は突然だった。朝、普通に会話をして親父が家に帰りシャワーを浴びている時を見計らったのだろう。別れの言葉は無かった。親父が病室で見守っていたとしても同じだっただろう。それ程に気の強い人だった。あれから14年。今日もあの日と変わらず快晴の天気です。

親父の気持に区切りが出来たのは何時の日だったのだろう?お墓を作って納骨の時1000ページの別れの言葉を収めたが、あの時では無かった。遠からず行くと声を掛けた時、断られていた。あの時?違う。(そうでしょう。あまりに早いもの。)

では何時だったのだろう。3回忌の時でもないし、7回忌は出来なかったし13回忌の時だったのだろうか?それも違う。気持ちに区切りが出来たのは生きる事を再び考えるようになった時からだろう。長い長い時を彷徨いながらそれでも涙しながら女々しい生き方をしていると笑われていた。否、嘆かれていただろう。口では偉そうな事を言っても何も出来ないではないか?

そう。区切りでは無く本当の別れを目前に突き付けられた時、生きるか、死ぬかだった。情けない事に生きるしかない事を悟った時、モーゼの言葉ではないが道が開けていた。それも多くの人に助けられながら。今でもあの時の思いは忘れていない。どんなに苦しい思いをしてもあの時の事は考えると、それに優るものはない。

それでも言うは易く生きる事の厳しさは容易な事では無かった。何度も何度も転びながら助けて貰いながら何とか一人で生きて行く生活が苦にもならなくなった。10年ひと昔と言われるけれど14年間の歳月は長くはなくても短くは無かった。その証はこれからの生き方で決まるのだろう。

今年は本当に暑かったけれどこうして秋を何とか迎えられるのは、見守って呉れたお陰だろう。今年の夏は思いがけなく墓参りが出来ただけでなく暮石にタワシ迄、掛ける事が出来ました。暑い暑い昼下がり、下着も脱いで暮石にすがり付いていました。

今日久しぶりに内科の検診に行って来ました。血圧180-100.がーんです。血圧を下げる薬を飲んで正常値(130-80)近くを保っていたのはスイスに行くまででした。あの時、今の血圧ならユングフラウの食堂で動けなくなっていたでしょう。最近、流石にこれではいかんと決意して近くの山に登って来ましたが、これから薬を飲んで正常値に戻します。

自分の体を手で触って見ると肌の色はよくても、はみにく、腹の肉(脂肪の塊)、筋肉の衰えが良く分かります。メタボの体はどんなに鍛えても体脂肪を落とさなければ、心臓に掛る負担は小さくありません。その事が分かれば息のコントロールだけでなく体その物を作り替えなければ長くは生きられない。長く生きてもこれからの日常は健康体でなければ哀れでしょう。

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2010年9月 6日 (月)

股関節が痛い 昨日の反動 それでも歩く 

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見上げると空は秋の紋様となっている。青い空、白い雲。夏空と違うのは見れば分かる。

今年の夏、未だに暑い暑いと言っているが残暑と言うにはひどい酷暑。今年の夏はエルニーニョの反対で南アメリカペルー沖の海水温が低いのだろうか?。太平洋高気圧の勢いが親父の腹と同様に勢いが強くて、日本列島に覆いかぶさって腰を上げようとしない。

天気予報では今月中旬迄続くとか。夏バテでは無く体力がどんどん吸い取られていく。

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それでもこの空の色はどうだ。暑い暑いと顔をしかめていないで空を見上げたらどうだ。額にしたたり落ちる汗をぬぐいながら、もう少しの辛抱と思えるだろうか?思えないだろうな?

人間万事塞翁が馬。禍福は糾える(あざなえる)縄の如し。幸せの反対に不幸せがあり、不幸せと思っていると何時迄も不幸せ。幸せと思っていても長くは続かない。笑って暮らすのも一生、悲しみに打ちひしがれても一生。多くの人が多くの事を語るけれど、良く見てご覧。大した事はしていない。その一番のサンプルが円高問題。円高で株価が下がるのはこの国の経済がそのような構造になっているから。どんなに多くの人が困っても許しては呉れない。

円が強いと輸出企業の利益が減る。だから困ると言われて日本企業はどんどん海外に進出して国内の雇用が失われる。これ程インチキな説明はない。目的は政府に為替介入をさせる。(円を売ってドルを買う)。この事を政府の単独為替介入と言われるが、円高の原因は円が高いのではない。ドルの価値を下げて輸出入の差益を多くしないとアメリカも財政が厳しいから。(ここから先の話は親父にも出来ない。言える事は円高容認。ウエルカムしかない。

為替の問題は本当に難しい。これから円がどちらになびくのか(円高or円安)。その事を明確の予想出来ればそれだけで飯が食える。コンサルタントに為れると言う事です。親父的にはアメリカの金融政策次第と思うのだが。アメリカは間違いなくドル安容認。円高が続く。

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この国のエリートが無い知恵を絞ってもそれ位の事です。今求められている事はこの大木と同様新しい息吹です。今迄の延長線上で物事を考えても新しい物は何も生まれません。政府に何かをお願いするその体質が今、この国に1000兆に為らんとする借金を抱えさせ、尚増やそうとしている。もう少し、考え方を変えないとこの国は本当に情けない未来しか掴み取れない。そんな大切な事はどうでも良い?そうではない。もっともっと暑い現実を知らなければならない。

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この暑さで白木蓮(はくモクレン)の葉が落ちている。枯れ葉散る初冬の風(六甲おろし)はまだまだ先なのに。秋の風情では無く酷暑の悪戯(いたずら)。それでも秋は其処まで来ている

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この桜の枝も何とか夏を越す。あちこちに枯れ枝をもぎ取られながら秋の空を迎える。台風の直撃を受けると一たまりも無さそうで、どっこい生きている。幹は痛々しいが枯れずに葉を茂らせている。夏の間にエネルギーを貯め込んだ生命力は、来春今年以上の開花を見せてくれるのだろうか?空の雲は秋の雲です。

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2010年9月 5日 (日)

喘ぎながら登って来ました やったね やればできる 

暑い暑い昼下がり、正午のニュースも聞かないで御褒美のサンドイッチを手にして、今日は城址公園は目もくれず、高原コース歩いて来ました。どれ位しんどいかは画像では分からないかも。それでも本当に久しぶりにこのコースをくたばらずに歩けたのは喜びです。

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突き当たりの道路を渡ると山に入る。目的の展望台は右上頂上近くに見える。

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ここは既に登りになっている。奥に見えるのはこの前紹介した温室。これから道はダラダラと登る。この道を登り切るには結構体力を使う。

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これで見ると高低差が良く分からないが結構登る。重心を前にかけて一歩一歩前進。

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後ろを振り返ると六甲の山並みが見える。仕事先も左の電話線の延長線上にある。

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いらっしゃい。暑いのに御苦労さまです。お待ちしていました。肥りましたね。天高く、親父肥ゆる秋なんてね。さんざん、からかわれているが何と言われても躊躇(ちゅうちょ)する事はない。言われる通り。登れるかな。不安の気持を振り払いながら一歩を踏み出す。

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左の空を見上げると夏の雲が盛り上がっている。冬はこの雲は冷たい木枯らしだけれど今は上昇気流が幅を利かせている。丹波篠山も暑いのだろう。

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整備された散策道。この上の道を見ると相当の労力と機材、お金を掛けた事が分かる。それでも今から半世紀以上前の公共工事。何の目的でどれだけの人が汗を流したのかその記録がない。今ではこんな立派な道は作れない。そして歩く人も多くない。何たる事か。

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それでも親父がぼやく事は何も無い。歩く人は少なくても道は凹んでいる。歩く人はこの道を見ると良く分かる。親父もなかなかこの道は歩かない。それ程にしんどい。

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多くの人に見失われた散策の道も先人の苦労を考えながら写真を取ると不思議な事にブログにアップできない画像がある。何故だろう?何かが写っているのだろうか?まさか。

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切り開かれた山肌をきっちりと石のコンクリートが固めている。誰にも見向きもされない所でこのずり(石)を見ていると、山肌を支えている角度と大小の大きさが先人の思いを語っている。(親父さん大丈夫ですか?暑さにやられていません?大丈夫。汗はかいたけど)

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展望台横の桜の木。行く夏を惜しむかのように蝉が鳴いている。デジカメのレンズを拡大しているので少しピンボケ。セミを捕えている。下界を眺めながら蝉の声を聞いていると何とも言えない解放感に包まれる。下着を脱いで裸になっても下から吹き上がって来る風に涼しさはない。熱風。この風が涼風に変わる時、秋は深まるのだろうか?

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下界の先に伊丹空港が見える。左上煙が流れている。この煙はボヤ?でも飛行機の離発着には関係ない?見ていると飛行機が飛び立っている。

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正面遠くに見えるのが神戸市街。スモッグが掛って良く見えない。天気が良ければ淡路島まで見える。夏が終わり涼しい秋が深まるとここから見る景色も涼しくなる。この展望台は目前の林の中を一気に登る。次に来るのは何時の事だろう?片道4キロ良く歩きました。

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この看板は登り口に在る。片道小一時間。決意が弱いとここまでは来れない。今年は気合を入れてこの道を歩きたい。先日腹筋をしていて愕然とする。腹の両脇のはみ肉は当然だとしてもお腹の真ん中に脂肪の盛り上がりがある。腹が出ると言う事はこんな事なのだろうか?

それが分かればやれる事は決まっている。歩くしかない。食事制限も在りだが腹が減っては戦が出来ない性格を変える事は出来ないだろう。為らば歩け。歩く事は体の脂肪を燃やす。こんなに醜い体になったのも食い過ぎ、運動不足。その認識が無かったのだろうか?

その事を思えば歩く事に何の苦痛も無い。それよりも快感だろう。残念ながら未だその成果は出ていないが、親父の凄さは自分で気持を変えれば全てが変わる事だろう。出来もしない事をぐずぐず言わないで出来る事をやれ。出来ない事はやらない事。小さい頃お袋から言われた言葉が今でも、頭の片隅にこびりついている。3つ子の魂100までか。目指せウエスト88.(今ナンボ?それは言えません。100を越えている。良く生きていますなあ)。

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栗の実が美しく光っていた。そう言えば最近栗拾いも栗ごはんも口にしていない。小さい頃人の家の栗を拾らいに行って猟銃をぶち込まれた事がある。あのバカ、タカが栗位でと今でこそ言えるがあれ以来か?今年は近くの観光農園に行ってみるか?親父だけで?それは止めて下さい。栗ぐらいスーパーで幾らでも買えるから。でもこの栗を見ているとそんな気分になりました。そう言えば松茸の土瓶蒸しに栗ごはん。何とも言えない贅沢ですなあ。唾が出る。そんな秋も目前です。それにしてもこの暑さ、何とかなりません?これからサウナです。

それから秋刀魚の塩焼きでビールで一杯。たまりません。そんな幸せな日々は再び巡って来るのでしょうか?分かりません。でも今の親父なら歩く決意と同じかも。その気になれば叶わぬ程の物でもないでしょう。田舎なら兎も角大阪はなかなか大変ですよ。

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大阪の夜 撮って来ました でもその前に 感謝です

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スイスのフォトブック 受け取りました。ありがとうございました。キヤノンのフォトサービス。(ブックを作る、ゲストルームに招待する…パソコンで見れる、ブックを譲る、ギャラリーを公開する。)これからいろんな使われ方が出来るといいね。(一部お見せします。・・これは感動です。)

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親父がメタボな姿でインディアンの歓喜の踊りをホテルの前でやっています。

ではもう一ページ。

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いやー思いがけない旅がこんな形でまとめられると言葉もありません。親父の姿は別にしてもスイスの風景が甦る様です。本当のありがとうです。

それではお約束の大阪の夜景。同じ景色を2回見ると流石に迷子にはならずに暑さと空腹で目が変わりそうでした。でも阪急東通商店街は昔のままでした。一気に行きましょう。

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この陸橋は拡張されているが最初は松下幸之助氏の寄付。大阪駅前阪急百貨店前。親父が若い頃、この位置に陸橋はまだ無かった。トロリーバスが走っていた。トロリーバスと言われても知らない世代が多くなっている。オバちゃんがバスの回数券をちぎって売っていた。10枚売って一枚分の利益。100枚で10枚か。45年前、一枚いくらだったのだろう?

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阪急前からこの横断歩道を渡ると阪急東商店街がある。

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大阪鉄道管理局。通称大鉄。今はその面影も無く大型電化量販店になっている。その他に今、大阪北ヤードの旧国鉄の跡地は建設ラッシュ。大きく変貌している。それでも大阪の地盤沈下は地質では無く経済的にも大阪の活力さえも限定的になっている。大阪人のど根性は何処に行ったのだろう?

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夕焼け小焼けで日が暮れて、明日は明日の風が吹く。為る様にしか為らないと開く直るのではなく、恥をかき人に笑われながら、生きて行けば良いのかもしれない。笑う門には福来ると言われたが、どうも今はそうでもないらしい。人に笑われながらの生き方もつらいけれど、本当の辛さは喜びと哀しもの無い淡淡とした生き方かもしれない。そうだとしたらどうしょう。親父の今の生活が無条件にピッタシ。でもこの親父の凄い処はこの歳になっても、飽くなき挑戦を続けている事かも知らない。そうでなければ一人で長くは生きられないだろう。

夕日をカメラに収めただけで電車に乗る。まだ車窓の外は明るく入道雲は沸き立っていた。どないなってまんねん。どないもなってはいませんねん。万年に千年。シャレか。前に座っている若い女性の顔をちらちら見ていると首を傾げられる。幼子の様に読みかけの本に指を隠しながらピースの指を立てていた。(親父もまだ若い…気持ちと心意気だけはね)

大阪梅田の街は熱気にあふれていた。大きな夜の怪物が口を開けながら手招きをしても、道を急ぐ人の顔にそんな不安は微塵も感じられない。暑い暑いと言いながら夕暮れが迫る大阪駅の東口(今は御堂筋出口?)は多くの人出でごった返していた。

大阪に出て来た時は18の春。この出口とは反対の北側からタクシーに乗る。(大阪には何故か南出口が無い。中央出口と言われるからだろうか?)。それでもこの出口から地下鉄乗り場の前を通り梅田地下の商店街に進むと、馴染みの喫茶店があった。(今は串カツ屋さん)

大阪駅前の写真を取る為に地下に潜らず陸橋を上がる。阪急百貨店の上に完成間近の高層ビルがそびえて見上げると首が痛い。反対を眺めると正面は今は工事取り壊し中の中央郵便局が小さく見える。何度か少ない送金をしたビルも早日(そうじつ)取り壊される。

駅前の大通りの上を渡り終えると阪神百貨店。このビルは内装を何度も繰り返しているが外観は親父が18の時に見たまま、今はライバルだった阪急と経営統合しているので、いずれこの古い建物も建て替えられるだろう。その時、大阪駅前の景色は様変わりだろう。

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2010年9月 3日 (金)

大阪の街が変わる 親父の見た大阪は何処に行ったのだろう?

P1000064_3 阪神高速道路。

この路線の名前は分からないが大阪港から大阪城の前を通り、近畿自動車道に合流する。

近畿自動車道は大阪の東側を南北に走る。この道は数回走った事があるが、今では交通量が多くて県外車が走るのは難しい。

親父でも無理だろうな。今はペーパードライバーだしな。がっくし。

橋げたを見上げると意外にくたびれている。親父が知っている大阪の街には、意外な感がある。

これからこの道を維持、整備を重ねるのはどんだけのお金が掛るのだろう?

都市は地上、地下に無限の様に伸びている事をこれから問われる。

P1000065 市電が走っていた交差点。右から左奥に走る道路の下には地下鉄と思いきや、実際は1つ南の高速道路の下を走っている。

上の写真の下。親父が営業の仕事をしていた頃には川だったのだろうか?川と言っても利用されていなかったが。

市電が無くなって車の混雑は解消されたが、年寄りの姿が消える。

市内に年寄りの住まいはあるが、地下鉄はとてもじゃないが、利用できない。

何処でどんな生活をしているのだろう?大阪の再生は完全に息の根を止められている。

P1000066 親父が気を使わずに入れる店。カレーうどんのチェーン店。最近は暑くて冷やしぶっかけしか口にしないが、うどんの腰とカレーの味は他のお店では味わえない。

社長の武蔵の言葉と店内に流れる有線のジャズは、うどんの味を邪魔しない。親父が行く時間は夕方の込み始める前だから、待たされることも無い。

店長の中西は歴史に詳しく、親父節にも嫌な顔をしない。親父の話は聞く人の思いに土足で踏みこむので、殆どの人が不快の思いをする。親父も同じ。中西にはそれが無い。阿吽(あうん)の呼吸ではない。それ以上。それでも何時かは見向きもされなくなるだろう。その時は行かなくなるだけ?

夜の帳(とばり)の中で大阪駅の北側でうろうろする。昼間の風景と夜の景色は全く違うが今夜は正にその通りとなる。デジカメも手にしていなかったので感動の夜景はない。明日、もう一度出直したらアップします。それは親父も知らない世界でした。

大阪の街は目をつぶっていても歩けると豪語していた親父も形無しです。これから歳を重ねると益々歩けなくなるでしょう。その為にも今始めているウオーキングは続けるべきでしよう。今日、歩いて見てその事を痛感しています。流石に夜の街と人通りの多さには閉口したけれど、前回よりは確実に足の疲れが違います。これに草鞋(わらじ)の様な履物があれば、鬼に金棒でしょう。足の裏は第二の人生の扉を開ける鍵が隠されています。

今日、近くの薬局で洗剤を買ったらレジは3つが満杯でした。ドラッグストアー恐るべし。薬を買い求める客だけではないが、心斎橋の中国人の買い物の列を思い出す。買い物のケタは違うがこの行列も半端ではない。レジの順番待ちで新聞を読んだのは初めて。

健康な人には関係が無いが病院に行くとその多さに愕然とする。今日のニュースで東京の大学病院では抗生物質の効かない院内感染で死亡者が出ている。申し訳ありません。オイオイ、その程度の事なの。病院は人の命を助ける所では無いの?病気になっても大学病院には入りたくないね。抵抗力が無くなれば人間お陀仏です。

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山が呼んでいる でも今年の夏山は行く スイスの初夏が見れただけで良しとするか (いやな奴)

暑い暑い昼下がり、城跡公園(城址公園でしょう?でも園内放送は何故かこう言う)に行って来ました。これから大阪本社に行くので手抜きの画像だけになります。昼下がりの公園は流石に誰も居ませんでした。こんな暑い時、ばあちゃんは行商の仕事を黙々としていたんだと思うと何故か言葉がありませんでした。今、天国でどんな思いをしながら見ているのだろう。

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見下ろす池の鯉も閑散。

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親父が鳥になっている。この景色、何でだろう?何度も見ているのに飽き無いな。

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夏の雲と秋の気配が重なり合っている。日差しは裸に突き刺さるけれど風は心地良い。

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遠くに展望台が見える。ここまで来れないのかと笑われても恥ずかしながら言い訳しか出来ない。正面の白い建物の右上。白い雲の下。ここまで歩くには相当の気力が居る。今の親父にはこの天守閣から池田の殿と話をするのが関の山です。それでもそのうち行きますよ。

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天守閣を吹き抜ける風は涼しい。殿が見て居た風景とは全く違うが何も言われない。唯、時の流れを眺めていると正面の建物も霞んで見える。全てが一時の幻。何も嘆きかしみ苦しも事は無い。全ては時の流れに浮かぶ泡(うたかた)です。一時の人の想いを時の流れは無情に押し流していくのでしょう。それにしても殿、今年の夏は暑い。何故でしょう?馬鹿か、薄笑いを浮かべながら殿もうなずいていた。この暑さもこの登城で和らぐのでしょうか?

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古い体質からの脱皮

今から30年以上前に言われた言葉。「古い体質からの脱皮」。会社は変わらなければならない。国も組織も人間関係も。親子、夫婦、どんなに親しい間柄にも時の流れは厳しい。個人も組織も企業も国家さえも何時迄もの繁栄は無い。その事が当事者には分からない。

「古い体質からの脱皮」その言葉を口にする人達も、その言葉の重みを知らない。確かに何時迄も自分の事しか考えない輩は論外であるが、若ければ良いと言う物でも無い。若さの過ちは古さのお粗末以上に自他共に「自浄能力」に欠け問題も少なくない。

親父達も歳を重ねるにつれ老いぼれたが、古い体質を口にする人が意外に古い。「オイオイどっちもどっちだろう」。不覚にも先日のテレビ討論をニュースで見ながら叫んでいた。この国の指導者?総理になる人は数の力やお金に不明な古い体質から脱皮しなければと。

テレビでも素人受けを狙うのか、何を言いたいのか分からないが小沢さんが古い体質?菅さんが新しい?アホもここまで来ると救いようが無い。別にそんな問題意識も無いのだから何と言われても平気だろうが、民主主義の基本は数の力であり、綺麗事で多くの事を語る無知が正論の様に聞こえるのが何とも不快になる。

もっと不快な言葉は「政治とカネの問題」。議会制民主主義にはお金が掛る。議員に為るにのに使命感と志だけで支持者の思いは要らないのだろうか?馬鹿もここまで来ると救い様が無い。そんな事を言っているから支持者の気持が分からないのだろう。

支持者の気持が分からなくても、政治家先生になると何故か、偉いと思うのだろう。親父は間違いなくこの国の未来が分かる。どんなに綺麗事を行ったとしても歳を取り銭を失えば無縁仏になる人が間違いなく多くなる。政治の力を信じて何かを変えようと本当に思うなら、総理大臣何かになるものではない。官僚に取り込まれて無念の辞職を迫られた鳩山氏の想いを親父達は知る由も無い。(今日は如何したの?難しい事を簡単に語りますなあ。それで如何なりまんのや?……聞きたい?タダでは無理です。) そんな事でしょう。そんな事です。

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2010年9月 2日 (木)

役者が違うなあ 古い体質からの脱皮 どこかで聞いた事がある。

Img_2793 6時過ぎの夕焼け。日中はまだまだ暑いけれど、朝夕は流石に秋の気配が感じられる。

今日は夕日を公園で捕まえるつもりだったが、体内時計はなかなか進まない。何時もの時間より帰りが遅くなると、涼しい部屋で汗を凹ませていた。

Img_2796 城址公園迄の道は足は軽くなるが、胸は苦しい。立ち止まる事も無くウオーキングの速度も早くなっている。

歩き始めた時の事を考えれば、上等。この状態を続ければ間違いなく腹は凹むだろう。この夕焼けは天守閣からの景色。

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夕焼けは天気の変わりを現わしているが、明日も雨は降りそうにない。それでも来週8日は白露。暑い暑いと言っている間に季節は間違いなく替わっている。

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ぼんやりと夕日を眺めていると御褒美を呉れる。暗闇の時が迫っている。

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明日はお休み。夕方、大阪に出掛けるのでウオーキングもお休み。明日もまだまだ暑そうだけれど、少し歩いただけで自分の知らない景色に出会う。暑い暑いと言えばニュースになるが夕日が綺麗では話にもならない。私達の感覚はその程度の物。その認識が無い。

今、この国の経済は歴史的にも大きな転換期にある。経済は一流、政治は三流と言われた時が過去の話になり、政治は問題外(アメリカの言い為り、顔色窺い、従属)、経済力は大きいが決定力に欠ける。この国に今、勢いがあるのは中央。その中央もおかしくなっている。

政権与党の代表を決める選挙がある。何時?選挙権が無いので良く知らない。それでもどちらが勝つかは多くの人にとってどうでも良い事だろう。そう。どうでも良い。この国の総理に誰がなろうとどうでも良いと言いきる無能。それ程にこの国の国民は間抜けなのだろうか?

徳川家康は関ヶ原の戦いの前に戦いの後を考えていたと言われるが、どんだけの人がどんだけの批判を重ねても選挙結果は数で決まる。数の力とお金の問題を口にする人も少なくないが、石田三成の悲劇をどれだけ学んでいるのだろう。歴史は分からん?分からんかったら学べ。そんな暇は無い?それは言い訳。その事を忘れてはならない。

夕日の輝きの中に親父の想いも呑み込まれている。それでも良い。同じ時を生きたと喜べる時は来るのだろうか?今日、久しぶりにミーちゃんに合う。元気そう。幼い子供達に輝ける未来を親父達は渡せるのだろうか?その為にも歩け歩けだろう。

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2010年9月 1日 (水)

夕焼け小焼けで日が暮れて 山の向こうに日は沈む

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今日から9月。家に帰って腹ごなしをしていたら、散歩に出かけるのが遅くなる。この夕日を城址公園で撮りたっかったのだが、間に合わず。なんか急に日の入りが早くなる。気の所為かな。でも今日から9月。日中の日差しはきついが朝夕はめっきり涼しくなる。

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まだまだ城址公園は遠い。街中からこの道路を渡れば少し登りになる。ここまで陽が落ちると少しぐらい登った位では間に合わない。明日は少し早めに出よう。そうすればこんなに綺麗な夕日の日の入りを拝めるだろうか?それは何ともあなたの心掛け次第。小夜か。

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公園に辿り着いた時には予想通りの風景。先日までの沸き立つ雲の秋の空に変わっている。幼い頃、鳴いていたカラスも近くに恰好のねぐらがあるのに、大人しい。今は餌を求めて近くの山に遠征中なのだろうか?流石がのカアチャンもこの暑さでそんな元気も無いのかな

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正面の山は六甲山。左奥が神戸。見えないけどね。阪神タイガースは地元甲子園に戻って打線爆発。強いけれど心配は投手力。でも巨人よりマシかも。いずれにせよ勝負は下駄を履く迄分からない。それでも後一月もすると優勝チームは決まる。予想しろ?決まってるでしょう。(笑い) 勝負の世界は残酷です。でも本当の残酷物語は日々の生活の中に在る事を多くの人は知っているのかもしれない。それ故にひいきチームの思い入れは小さくない。

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この画像の方が街と六甲山の関係が良く分かる。左奥が神戸。池田の殿が見た風景は全く違うが、山の形と夕暮れの景色は全く変わりは無い。手前の住宅地が全て畑と開墾された田んぼで在ったとすれば、目を遮るものは何も無く煙たなびく弓削の(夕食の)一時だったのだろうか?この城は戦国の戦いの中で翻弄され廃城となる。この地は交通の要奨(かなめ)だったが、大阪と神戸の街道は左端に在り伊丹の城が信長の手に落ちる。

戦国の時代も今の世も勝つか負けるか、食うか食われるかだろう。一見平和そのものの池田の街も最近は雑然としている。天守閣で夕涼みをしていると閉園放送が入る。又明日。

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今日、食ったパンと最近ハマっている小岩井純粋ぶどう。小岩井農場の物造りはキリンに企業買収されても失われていない。118円。渇いた喉に一気に入る。パンは生活に困窮した時、本当に美味いと思った懐かしいパン。100円。これを食いながら飲みながらパソコンを眺めてから散歩に出る。ウオーキングは最近日課となる。何時まで続くかな?

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