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2010年9月23日 (木)

祭日の朝 久しぶりにトースト2枚焼いてコーヒーを飲んでいる

季節が一気に変わる。部屋の外の温度計を見ると23℃。この前迄クーラーの効いた部屋から出ると熱帯のねっとりした空気が、上高地の梓川の爽やかな空気になっている。何時までも暑い暑いと顔をしかめていた今年の暑さも、これからは一気に下がる。

小さい頃(と言っても小学校の高学年)、おふくろが東京の自分の姉に手紙を書くから「あんたも何か書き」と言われて、鉛筆を取ったのは良いけれど「暑さ寒さも彼岸まで」と書いて、その先が進まず母に笑われていた。「ええカッコをせずに有りの儘の近況を」と怒鳴られていた。

皆亡くなってしまったけれど来世で仲良くしているだろうか?この季節になるとそんな事を考える。母さんの戒名をつけて呉れた静岡掛川大雲院の大和尚は、仏教には多くの宗派は在っても元をただせば一つと言われていたが如何だろう?

和尚が元気な時はいろいろ話を聞かせて貰ったが、80の歳を越えてもバイクで走り回っていた親父の師匠は、今でも鑑真和上木像の柔和なお顔の様に、優しい顔をして何でも答えてくれるのだろうか?美味そうに煙草の煙をくぬらせながら、何時までも何処までも親父の話に付き合って呉れた。大阪に来て逢えなくなって電話で何回か話をしたのが最後となる。

今、司馬遼太郎氏の「空海の風景(上)(下)」を何度も何度も読み返し、これから何度読んでも漢字と意味が分からない、最澄との決定的な対立の話を和尚は何と答えてくれるだろうか?きっと笑いながら明解な答えをしてくれるだろう。(偉い人には我々の考えが及ばない)とでも答えてくれるのだろうか?それも分からない。大雲院さんにテレビのクルーが来た時、いろいろ話をしてくれたが採用されず、それでも親父には最高のお寺さんでした。

秋分の日。各地のお寺さんでは多くの参拝客が多いと思われるが、大阪の天気は今日は最悪。大雨では無いのに寒々として大変だろう。親父は今日は大阪に行きます。何でも揃う本屋さんでレ・ミゼラブル(題名が違うかな)。結構な大作。しかし人の生き方が描かれている?

トースト5枚切りのパンを2枚食って、コーヒーも飲み終えて今、昨日買った20世紀梨とにらめっこをしている。「食うべきか?喰わざるべきか?それが問題だ」 歌舞伎役者ではあるまいし大上段に構えて首を揺らすと、骨の詰まりが解放されて頭がくらくらする。オイオイ。

胡瓜の一本浅漬けもあるしお昼のオマケだなと思い直して、これから新聞買って来ます。最近は新聞の悪口も良く口にするのに、これも習慣かな?それも一番面白くない経済新聞。160円の価値が在るとは思えない経済ニュースを何で目を通すのだろう?

君はエリートサラリーマンだからそうは思わないかも分からないが、人の通らない道にお金が落ちていると言われても、今はそんな生き方は飯が食えないのだろう。それにしてもテレビも新聞もなんで個人的な考えがコラム記事になるのだろう?アン・ビリーバブル(信じられない)

最近は新聞記事も目にしないサラリーマンも少なくないと言われるが、それでは話のタネにもならないが経済ニュースも実の結ぶ話は多くはないね。円高は困るとか物造りの空洞化とか中小企業対策とか、何時までもそんな事を言っていては厳しい経済戦争には勝てないだろう。それでも多くの人が多くの事を政治家先生に期待するのは何故だ?それが問題だろう。

久しぶりに2年前の隔週発売の雑誌を取り出す。今でも発売中?と思いながら調べて見ると廃刊とはなっていない。サライ。2年前に買った時は「奥の細道を旅する」が特集だった。今取り出して読み直して見ても、一度訪ねた芭蕉の道が鮮やかに甦る。

最近の特集は(奈良の旅」とか。本屋に有れば手に取って見るかな?今、聞いているFM放送でも偶然俳句。句題がしゅうてん。しゅうてん、しゅうてんと言われて何のこっちゃと思いながら聞いていると秋天。成る程。でも秋の天気をしゅうてんと芭蕉も言っていたのだろうか?

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