終戦記念日?違うでしょう? 敗戦記念日?それも違う
暑い暑い8月15日の歴史を知らない人が多くなり、戦争の悲劇と嘆き、悲しみ、苦しみ、別れ、多くの悲惨で絶望の日々を親父達も知らない。戦後は親父達の生きた歳月とも重なり、今尚、南の島々と深い海の底で遺骨さえ回収されない人も少なくない。インパール作戦。今のMyanmar(昔のBurma)のジャングルには幾万の人骨が放置されたままだろう。信じられないでしょう?この国の戦争責任者(陸軍、海軍参謀)の多くも今は故人となり、多くの悲劇も語り継がれる事もなくこの国は今年も又、今日の日を迎える。午後零時の黙とうも平和の尊さを祈念しても、悲惨な戦いを知る人は年寄りだけとなる。若者に戦いの悲劇は過去の出来事でしか無い。マスコミの反省もない。戦争に加担して多くの若者と広島、長崎の悲劇を引き起こした報道の責任も語られる事はない。今夜の放送で元国営放送の解説者池上氏はどう語るのだろうか?アメリカが多くの犠牲を払ってこの国を単独で占領出来た成果を語るのだろうか?当時のソ連(現代のロシア)が終戦間際の朝鮮半島と北方の島々にドサクサ紛れに進駐し多くの人命と財産を略奪し、戦後の長い間無条件降伏の軍人をシベリアの大地に抑留出来た歴史はどう説明するのだろう?アメリカ大統領トルーマン、ソ連の独裁者スターリンの過ちは未だに捌かれていない。(もっともスターリンはとっくの昔に銅像が引きずり倒されているけれど)。トルーマンの間違いはその後のアメリカの戦争悲劇、そして今尚続くテロとの戦いに引き継がれている事を語れるのだろうか?サラエボの悲劇、戦いの悲劇は今尚、続く。
親父が若かった頃(どれ位だったのだろう…20代前半?)、帰省した田舎の座敷で爺ちゃんとテレビを見ていた。あの当時爺ちゃんは今の親父の歳位だったのだろうか?それよりも若かった気がするが・・・。暑い暑い外の静寂が何とも涼しい風で扇風機の音だけが聞こえていた。午後零時正午の黙とう。爺ちゃんも親父も何も語らず、ばあちゃんは行商の仕事で弟は部活か何かの用事で出かけていた。今は亡き昭和天皇の重々しい追悼の言葉を聞きながら親父は爺ちゃんの言葉を期待していた。それでも爺ちゃんは顔色を変える事無く、何も無かったかの如く新聞の紙面に視線を落としていた。
親父に何も語る事無くやっと手にした安息の日々。その想いを噛みしめていたのだろか?職業軍人の親父の戦後は悲惨だった。台湾沖で戦艦金剛はアメリカ戦闘機の攻撃を受け大破。その時戦死せず台湾に上陸できたのは運が良かったのだろうか?戦争に負けて無条件降伏の時、中国東北部、朝鮮半島北部に取り残されシベリヤに抑留される悲劇も無く、無事帰国できたのは中国の当時の指導者蒋介石のお陰だったのだろうか?
戦後の親父は悲運だった。志を果たし海軍に志願し独学で勉強し海軍兵学校入学。今では考えられない研鑽と努力。親父(俺)が中学生ぐらいの頃、貧しい生活の中でも機嫌が良い時、爺ちゃんは戦艦砲手、大砲の軌跡の話をさり気無くしてくれた事がある。
それでもその後に本当に寂しげに「何にもならなかった。多くの人を亡くした。戦争はしてはいけない」とつぶやいていた。あの言葉は今でも忘れてはいない。爺ちゃんが亡くなりオカンの3回忌を済ませた後、広島呉の江田島の海軍兵学校跡を訪ねた事がある。
爺ちゃん達も走っただろうグランドの片隅には、40キロ先の戦艦を攻撃できる砲弾が展示されていた。明治日露戦争の戦果を昭和のアメリカとの戦いでも生かせると思った戦争責任者の戦術。そのお粗末な思い込みの結果をその後、この国の軍事専門家?は生かしているだろうか?日本国憲法には戦争の放棄を高らかに宣言しているが、戦いの無い歴史は無い。
非武装中立。この国は敗戦の教訓としてこの言葉を親父達世代は国是としてきた。この国の法律日本国憲法でもアメリカと共同でこの国を守るなどの言葉を何処にもない。日米安保(日米安保条約)でその軍事協力が明記されアメリカ軍の日本本土と沖縄の駐留はその根拠とされているが、日本は非武装中立(実際はそうではないが・・・)そのかわりアメリカの軍事力でこの国を守る。それが戦後65年の今でも脈々と続き、その事に国民は馴らされている。
血と汗は流さないけれどお金は出すとアメリカから馬鹿にされても、その見直しは無い。憲法改正反対、核持ち込み反対、軍事基地反対と馬鹿の一つ覚えの様に叫べば、平和は実現するとでも思っているのだろう。国内の治安に警察が不可欠の様に国を守るには最低限度の軍隊が不可欠の事を戦争に負けたこの国の多くの人は認めようとしない。
国の財政は破たんしても消費税反対の思いと共通する。軍隊が無ければ国の安全は誰が守るのか?国の財政が破たんしたらどうすればいいのか?その答えは共産党が答えてくれると言うのだろうか?親父も共産党宣言を読んだ事はないが、共産党国家には軍隊は無いのだろうか?それとも北朝鮮、中国、ロシアは共産主義国家ではなく軍隊なき平和国家なのだろうか?そんな馬鹿な事はない。
親父達が若い頃、原水爆禁止運動が分裂する。帝国主義の原水爆と共産主義の原水爆は違うとぬかされた。どう違うのかと尋ねた時、侵略の為の原水爆と自衛のそれは違うと。いくらなんでもそれは違うでしょう。今日、中国もソ連も当時の仮面は脱ぎ捨てて世界平和を口にするが、民主主義を否定する国にその絶対的な信頼感が無いのは親父だけでは無い。
そしたらどうすればいいのかと問われる?親父に聞くな。それ位の事は誰でも分かる。自分の身は自分で守る。それが出来なければ警察に守って貰う。(今日日の警察はストーカーの被害さえも守れないが・・・)それが出来なければお金を払ってヤクザさん?(やめて下さい)
国の安全はお金を払ってアメリカさんに守って貰いながら非武装中立。バカタレ。それは無いだろうと叫ぶ人は少ない。核廃絶を叫ぶならこの国を核の脅威から防ぐ手立てを明確にしなければイカンだろう。世界平和を口にすればその事が実現できるとは世界のリーダーは誰一人として考えていない。反戦平和、非核三原則の法制化。そんな言葉を口に出来るのも敗戦の教訓なのだろうか?暑い暑い日差しの中で飢えと苦しみの中でこの国の未来を信じた英霊の前に行く日も遠くない。その事を忘れるな。親父の親父は何も語る事はなかった。
今日のお昼。暑いのに良く喰えますなあー。
近くのスーパーの弁当売り場にはサバ寿司が揃えられていたが、今イチインパクト無し。
竹のチクワは298円。期待に適う美味さ。
トマトは如何かな?シーフードのカップ麺アカンヤないけ(無視)
一度に喰ったと思ったでしょう?。いくらなんでもそれは無い。暑い暑い日差しの中で空手の突きの真似をして、今年も海に行けなかった懺悔の思いで涼しい部屋の中で、パソコンをカチャカチャさせながら遊んでいました。君から勧められたパソコンの買い替えも済ませていないので動作が遅く機械も夏休みかと思いきや、システムトラブルとか。ニフティさん、頼みますよ。今は復旧。親父は完全に機器のダウンと勘違い。NECのパソコンでなくても暑さに負けず親父の遊び相手になって呉れてありがとう。お陰で休みもアト一日です。
シーフードのカップ麺。どないしはりました?ハイ先ほど汁迄きっちり頂きました。親父、汁は残せと言ってるだろう。君の声を気にしながらニンマリとしていた。スイスのユングフラウの展望食堂で身動きも出来なかったくせに、激辛の拙いカップ麺食ったがあれに比べると月とすっぽんでした。
あれからカップ麺食っていないので親父にしたら優秀でしょう。涼しい部屋でゴロゴロしていたのでこれから近くの城址公園迄、歩いて来ます。まだ日暮れの時には時間がありお肌が少し焼けますが、それも健康的で又よろしいでしょう。ひぐらしの声、聞けるかな。
ウオーキングシューズも靴底が凹んでアンバイ悪いので、セッタでパタパタ、行って来ます。夕暮れの写真撮れるかな?
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