青春の忘れもの 歌 あさみ、ちゆき 作詞 さくら ちさと
ストリートライブと簡単に言うけれど余程の幸運に恵まれないと陽の目を見る事はない。久々の感動と言われるけれど、多くの人はその言葉の意味を知らない。どんなに能力に恵まれていたとしても、その思いが大きく開花するのは偶然の重なりかもしれない。それでもこの世の中にはそんな現実を超越できる一握りの人も居るのかもしえない。この歌を聞いているとそんな思いがして来る。
司馬遼太郎記念館で偶然目にした「空海の風景」。あの時記念館のオバちゃんと菜の花に付いていた虫の話をしながら眼にした「活字が大きくなりました}の宣伝コピー。司馬遼太郎の偉業は親父が青春の時から愛読した「街道を行く」だけでは無かった。多くの著作。その中でも興味を持ちながら何故か手にする事も無かったこの本。
あの時、近鉄南大阪小坂の駅を後にして阪急北大阪池田の駅に帰る迄、その理由を考えながら分からずその文庫本を手にして答えが鮮明になる。「活字が大きくなった?」「これで?」それでも良く見れば文字の大きさでは無く漢字の難しさだったのだろう。「これ当用漢字では無いだろう」そう思っただけで黙読はそれ以上は進まなかった。
それでも諦めなかった。「漢字にルビ(ふりがな)のある新刊本(正確にはハード本)を注文しょう」。希望の本は大阪堂島のデカイ本屋にあった。大阪には親父の青春の頃から大阪駅の正面に大阪を代表する本屋があった。しかし、その本屋も区画整理で今は別の場所に移転している。その本屋を凌ぐ全国区のブック、チェン、ストアー。
そこで手にした(上巻)。それでも読めない漢字、理解出来ない言葉、表現、意味が少なくなかった。そんな時はその漢字に拘らず(こだわらず)飛ばしていた。(オイオイ)。読み終わると下巻。これがまた難しかった。そして、何度も読み返して感じた事は天子、天才、鬼才、そして現在人が感じる空海の理解。親父もそうだったけれどこの国の人には歴史を学ぶ感覚が疎い。それだから些細な事に一喜一憂したり地道な努力の積み重ねを軽視出来るのかもしれない。今、自由、平等で民主主義な時代と言われるけれど、決してそんな時代は何時の世にもなかった事を痛感している。そんなお間抜けな親父が今、この歌手の歌声に涙する
苦節10年と言われるけれどこの言葉も違う。苦節の時を感じていたら何時迄も喜びの時は無いだろう。彼女がストリートライブを始めたその時は知らないが、東京井の頭公園、あの静かな公園で管理者に追いだされる事も無く(在ったかもしれないが)、散策の人の足と止めて語り掛けたメローディーは空海の求道の思いが重なる。(言い過ぎかな?)
空海の生きた平安の時代にも権力闘争が有り計略と策略の人の道に外れる行いが、咎められる事も無く日常茶飯事だったとしても、現代人にとって平城京の都は感嘆の都なのかもしれない。そうでなければ平城遷都1300年等と浮かれる事はできない。そんな時代を生きた空海は仏教の教えに疑問を感じ道教の教えを説く。しかし、今は如何だろう?その意味も教えを知る事も無く四国八十八か所を巡る人も少なくない。
それでもそれは空海の責任ではない。空海は天才であり鬼才で在っただけで後の世の人がそう感じただけだろう。静岡掛川大雲院の亡くなった大和尚が教えて呉れた様に「元は一つ」宗派間の対立は皮肉にも空海が先駆者なのかもしれない。しかし、それも彼の責任ではない。あさみ ちゆきのCDを何度も聞きながらそんな罰当りの事を考えていた。合掌です。
先日、暑さで息苦しくなった日の夕方の買い物で精を付ける買い物の序でに(ついでに)何故かコーヒーシュガーを手にする。
本能的に疲れには砂糖と思ったのだろうか?コーヒーに砂糖を入れる飲み方は基本的にはしない。入れるのはインスタント。
余程、疲れていたのだろう。
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