暑い それでも今年は蝉の声が涼しい 何故だろう?
梅雨明け10日と言われて、梅雨前線が太平洋高気圧に日本海に押し上げれると、町も村もそして野も山も(当然日本アルプスも)快晴の天気となる。じりじりと照りつける太陽は「俺の時が来た」と笑っている。ついこの間までうっとおしい天気でじめじめしていた日常がガラリと変わる。そうなると暑い暑いと言いながら涼しい日陰が何よりの憩いとなる。
田舎の水泳場は家から歩いて15分ぐらいの処。深さが最高の処で4メートル位で底に潜ると、水面から白いパンツを探すのに難儀した。(何でパンツを探すの?)東京のいとこが帰省した時、田舎の水中のかくれんぼを教えた事が在る。淵の上には大きな雑木が茂り大人は其処で涼しい風に吹かれていた。昔は日本の何処にも在っただろう風景も今は無い。
大雨の時は川幅一杯の濁流もいつもは水の流れも枯れている。それでも今でも田舎に帰ればその川は見れる。しかし、そこで多くの歓声をあげて水遊びをしていた子供達の姿は今は無い。その時の団塊の世代は今、都会や田舎の片隅でひっそりと生きている。昔と変わらぬ思いを重ねている親父でも、神戸須磨の海岸で早い潮の流れに負け無かった勢いは今は無い。
今年の夏は久方ぶりにお腹に海パンを引っ掛けて(失礼)トド顔負けのパフォーマンスと思っていたが短い夏はその時を待って呉れるだろうか?最近冬の寒さに負ける事は無いが、そろそろ夏の暑い海辺の日差しで背中の皮をやかないとオホーツクの冬は見れない。
先日、足の裏を見て愕然としたが皮が剥けている。(不潔)。そう不潔です。でも親父は自分の体臭に気をつけている。この歳になると口臭同様どんなに自分で気をつけてもそれは分からない。その対策で一番の効果は夏の海水浴。塩水と暑い日差しと砂浜。大阪も海水浴場は遠くなっている。青い海、白い砂。親父が高校生の頃、田舎の海にそれは無かった。それでも部活の仲間と見た島の入江は、今でも変わらないだろうか?大入島の海水浴場。
今年の夏は何故か蝉しぐれを聞かない。大阪に戻って最初の夏、近くの寺の竹林から大合唱が聞こえていた。まだ早いのだろうか?それとも今年の蝉の誕生は不作の年、少子化の波は蝉の世界にも押し寄せているのだろうか?それは無い。おかしな気候の所為かも知れない。
今朝は何時もの時間に起きて何時ものテレビは見なかった。そのかわり昨夜録音のジャズを聞きながらトースト一枚にはちみつを付けながらスターバックスのインスタントコーヒーを口にする。本当はこれにゆで卵と野菜サラダがあれば文句は無いが一人暮らしではそうはいかない。それでも食い物にうるさい親父、その内自分で始めるかも知らない。
君から言われる様にインスタントに慣れた食事をしていると長くは生きられないだろう。長い間、そんな言葉に耳を貸す素直な気持ちも無かったが、最近少し変わったいる。良く知人に笑われるが昔の親父を知る君には大きな違いかもしれない。それでも未だ実行力に欠ける。おそらくそれが完全にはできないまま、ジエンドの時を迎えるのだろう。
今日はテーブル一杯の調味料、不用品、台所用品を整理してすっきりします。スターバックスのインスタントコーヒー、ハワード、シェルツの思いが籠っています。2.1グラムが12本で1000円はちと高いがそれだけの味と香りは有ります。かな?近くの喫茶店の女性が「うちは求める物が違う」と言っていたが確かにそれは在る。それでも京都四条烏丸のイノダコーヒーでも変わらぬ味と家庭で気軽に飲めるコーヒーを追い求めている事を忘れてはならない。
多様な価値観。自分だけのカテゴリー{枠、価値観?}で物事を決めていると時代の流れに取り残される。今、多くの人が多くのの事を語るけれどタカがインスタント、されどインスタントです。全英オープンで18歳の石川遼に多くの人が多くの事を期待するけれど、ジ、オープンはそんなに甘くは無い。彼はあと10年もするとどんな選手になっているのだろう?その時親父は?そして君は?その事が問われている。今日も暑い。
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