待望の梅雨入りと思える人は異端児 そうかもしれない
北海道は梅雨が無いと言われるけれど、長い長い冬が在る。本当の冬の寒さと厳しさを知らない人はウインターシーズンとか横文字を口にするが、そんなに甘いもんやおまへん。格言う親父も厳冬の冬を知らない。としたけて老いくたばる前に森繁さんが口にした知床の岬を眼にしたい。九州男児の男気も身も凍る寒さには形無しかもしれない。
同じ事が梅雨の時にも言える。田舎の米作り、野菜作り、農業、漁業、林業を知らない都会の人間は、暑さにも寒さにも梅雨のじめじめした天気にも簡単に打ちのめされる。多くの人がそんな天気を嫌うけれど親父は変り物でそんな天気も愛おしさを感じる。
高速道路をタイヤの轍(わだち)を気にせずに雨を切り裂いて走る快感、あの頃の若さは無くても高速道路のアスファルトの上を川の様に流れる雨水に、ハンドルを握りしめる興奮は自然の大きさに圧倒されている。人間がどんなに大きな顔をしてもそんな物は何の支えにもならない。自然の大いなる存在にひれ伏しながら生きている。生かされている事をどれだけの人が理解しているのだろう。その事を感じる旅がもうすぐ始まる。
ブログにアップ出来る写真。これも簡単な様でそうではなかった。君に買って貰ったデジカメ。君にネットカフェでプリントして貰ったデジカメの画像をブログにアップする手順。パソコン教室の先生に教わった編集の仕方。最後は親父の執念だった。その画像もデジカメ技術のお陰で殆どボケる事も無い。ピントはシャッターボタンを半押しすればまず間違いない事を君から教わる。
景色の写し撮りは記録媒体のメモリーカードさえ入れ忘れなければ大丈夫。1年前の島根の旅の時はその失敗をしたが同じ轍は踏まない。他にもうっかりミスを無くすにはチェック、確認が必要だろう。梅雨の思いも様々です。明日は靴を買いに行きます。
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