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2010年6月

2010年6月30日 (水)

先週の今頃はグリンデルワルドのホテルで美味い物を食っていた

帰国して5日目。暑い日が続いている。成田で(東京かもしれない)噴き出る汗をぬぐっていたが大阪の暑さも半端ではない。北海道も暑いとか。でもスイスは涼しく爽やかな気候。住めば都と言うけれどどうせ住むなら空気の良い所に住みたいね。アイガー北壁感動した貰ったので爽やかさを満喫して下さい。感じは上高地の河童橋から見上げる北アルプスの感動です。(明日は山開きです。)

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正面の山がアイガー。左の絶壁が北壁。ここでユングフラウに向かう電車に乗り継ぎ。

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アイガーの隣の山。乗り換えの電車はこの山の頂上近くまで行く。(ほとんどトンネル)。このトンネルを明治の初めに手掘りで完成させてと言うから驚きです。スイスの観光立国のスケールの大きさにタダタダ感服。言葉もありませんでした。

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北壁の写真は意外に少ない。電車乗り換えに手間取り他の事に気が取られていたのだろうか?もう少し正面のレストハウスのテラスからのスナップを探すが見つからない。

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これは新田二郎の記念碑を君が探して呉れている間に撮った画像。北壁が良く見える。一番の難所は壁の右側。遠くからではその高低差が良く分からないが世界有数のアルピニストが2日~3日かけてよじ登る最後の難所。日本人女性今井(旧姓)道子さんも登頂。

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有りました。少しボケているけれどこれがレストランのテラスで見上げた風景。でも感動は無し。スパゲッテーの味に気を取られていたかな。トマトスープ味はなかなかでした。其れでは最後に一番のアイガーを。(出るかな)

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これは帰りの電車の中から。ほっとした気分が良く出ている。折角高い処まで行って少ししか景色は見れなかったのにニコニコしていた。この中継点迄の電車賃は高くない。ここクライネ・シャイデックからユングフラウ・ヨッホ迄が高い。それだけの景色が見れたの外にも出れずその反省も無かったけれど心の中では手を合わせていた。(ホンマカイナ)本当です。本当にありがとう。天気に恵まれて最高でした。今は無事帰れて感謝しています。

誰に?(その気持ちだけでも忘れないで下さいね)。ユングフラウの頂がヨッホの展望台から見れなかったのは強ち(あながち)、高所だけの所為では無く自己中心の生き方が責められていたのかもしれない。でも人間万事塞翁が馬(中国の昔の格言)。何時までも悪い事ばかりは無い。良い事も同じ。スイスでハイジに会えなかったけれど高い高い空のその上から、チェックされていました。相変わらずです。何も変わっていません。進歩なし。それでも何故か元気です。これからの生き方は分かりませんがこの旅の思い出は心の中に深く刻まれることでしょう。では最後にオマケを並べます。

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車窓から。左の木が流れている。何気ない景色にも風情がある。

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グレッシャー・エキスプレス。(氷河特急)サンモリッツからツェルマット迄8時間。でも退屈はしなかった。そうして見ると成田からスイスチューリッヒ迄が13時間(帰りは11時間)。飛行機は早い。それでも狭い。良く辛抱したね。もう行けないね。(この罰当り) 御免なさい。

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もうすぐツェルマット。写りこみの顔は君。何を真剣に見ていたのだろう?失礼。カメラを構えているな。行動が同じ。行く川の水は絶えずしてしかももとの水に非ず。(鴨長明)

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フィスプ駅。首都ベルンに向かう電車に乗り換え?(次のブリークだったかな)

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鉄路は谷あいの傾斜地をどんどん下っている。元々は旅客のみならず木材、建築資材を貨物列車で運んでいたので歯車のレールは無い。当時の鉄路工事技術が結集している。

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今回の旅の目的はスイス鉄道の旅。地球の歩き方byトレイン(鉄道)この本は買ったばかりで余り読まなかった。それが良かったのかそうではなかったのか分からないが、予備知識が無かっただけに全てが驚きでした。

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ツェルマット。山が高い。町が綺麗。町が静か。車の走行が規制され街中は業務用の電気自動車、ライトバンしか走っていない。ホテルの迎えも山の中腹の為電車。迎えも手違いでなし。親父はふてくされていた。

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ホテル到着。これは帰る日のスナップ。来た時はマッターホルンは何処と聞いて笑われる。眼の前に広がっていた。

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2010年6月29日 (火)

旅の記録 スイスは涼しかった そして高かった

これは今回の旅のまとめです。親父の一度失われたデジカメも381枚の記録を残していました。一度は行きたいと思っていたスイスの旅も君のお陰で行く事が出来ました。本当に感謝です。税関のお姉さんに叱られたりホテルの人と握手が出来たり、食事の時、アコーディオンの叔父さんがエーデルワイスを弾いて呉れたり、親父が案外、高所恐怖症になっていたり。記録に残せぬ思い出も全てが頭の片隅に鮮明に残るでしょう。これは感謝の記録です。しかし、肝心な処が抜けていますがそれはデジカメを失くした時と、高所でうずくまっていた時でしょう。老いては子に従えと先人は言われましたが、この親父には釈迦に説法でした。スイスは綺麗でした。それでも高所と英語が強くなければ親父並みの旅しか出来ません。最後にツェルマットでTBS(東京放送)の撮影とディレクター、現地案内の女性に会いました。衛星放送で最高のマッターホルンが見れるでしょう。(放送日時は未定とか) 確認してください。

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ユングフラウ、アイガー、メンヒからグリンデルワルドのホテルに帰る時。天気最高。

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グリンデルワルド駅前。車の規制はないが歩行者優先。ドライバーのマナーが違う。

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グリンデルワルド駅前。前の山の右奥にユングフラウがある。正面の山は違う。

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ここは登山鉄道(ユングフラウ)の乗り換え駅。正面にアイガーが見える。この山はアイガー北壁と呼ばれて多くのアルピニストの命を奪っている。

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この山を愛した小説家新田二郎の記念プレート。奥さん(藤原ていさん)がこの碑を設置。場所がなかなか分からず。でも意外に質素で日本人観光客しか知らなかった。

ここで登山電車を乗り換える。トンネル内で2回停車し1回は外の景色が見れる。多くの人が下車し君も子供連れの奥さんから進められ景色を見に行くが、親父はじっとしていた。子供と一緒。この頃からおかしい。ガイドブックで読んだ高山病らしき人は誰も居ない。

2回目の停車は対向車待ち。ここから展望台は近い。登りが下りに変わると頂上は近い。出口に全面ガラス張りのテラスが有るがそこには食堂テーブルもある。その一番外が見える椅子から立ち上がれない。歩く事は平気だが見晴らしが良すぎる。本当に申し訳ない。

君の写真で編集が済んだら見せて下さい。絶景です。でも早く帰ってねとお願いしていたから見れなかったかも。それはそれでしょうが無い。この時ばかりは立場が変わった事を痛感する。横の窓際のインド女性も身動きすらしなかった。頭上に見えるドームが天文台。スミマセン画像無しです。足もとは怖くて見れない。

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下の展望台。正面の電車で下の街(グリンデルワルト)に下る。メンヒの山裾?

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ランド、バスター橋。ベストショット。これはサンモリッからツェルマットに向かう途中。この頃からオーストラリアの夫妻と話を始める。但し親父は日本語オンリー。

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谷あいの村を抜けて山を下る。アプト式のレールの音は余り気にならない。

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心配された天気はご覧の通り。これは3日目。車窓から見える風景にもスイスの生活が有る

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これも車窓の風景。景色が停まって消えるのはカメラの性能?デジカメのPRでした。

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これがアプト式のレール。急こう配でも中のギアーがかみ合いながらスムーズに走れる。

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少しピンボケ。場所は違うがこんな景色もあり。寒さは全く感じない。

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2010年6月28日 (月)

スイスの旅 結構個人的写りこみあり 君の画像です 整理して見るとこれは良い

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チューリッヒ中央駅(ZurichHB)。空港で入国の手続きを終えるとSBB(スイス国鉄)で10分~15分。空港駅は終点では無いので行き先注意。旅の途中で君が何度も確認していた。親父が何番ホームと聞く度に日本と違うと教えられていた。日本は本当に親切、丁寧、明解。

日本の常識が外国では非常識。もたもたしていると旅は出来ない。此処でもまだ雨。それでも人々の顔に暗さが無い。日本人だけだろうか?天気の事を悪く言うのは。雨の風情が感じられない。ここで初めて固いパンを口にする。でもソーセージにはニンマリ。美味い。

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ここから本日の宿、サンモリッツ迄の快適な旅。初めてのスイス。眼は車窓の外に釘づけ。それでも言葉の心配と旅先のスケジュールに無関心の為か、何故か子供のピクニック気分。こんな親父を横目に見ながら君にも無事到着の安ど感。列車は1等空いていた。

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簡単な食事も何故か気分が高揚して空腹感は無し。スイスはまだ食事もサービスも良しと言われても首を傾げるだけ。しかし、その言葉を実感にするのに長い時間は掛らなかった。それでも例外はホテルの食事。サンモリッツはイタリアの影響が強く口に合わなかったが・・・。

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オイ。親分。役者じゃのう。この画像、何故かサングラスしてないし、腹は出ているけれど、リラックスこの上無し。旅の始まりにしては疲れが出ている。何とも言えぬ哀愁と期待感が感じられ、ナイスなショットです。(全く気付いていない)

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北海道。でっかいどう。親父の故郷の高原にもこんな景色は有るけれど、とにかく爽快。これから始まる景色に期待が膨らむ。スイスの国土は九州と大差ないのにこの広さは何だろう。

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段々、スイスらしい風景。この時の親父の風景が上の写真。ハイジの村を探していた。こんな処で生活しているとどんな気分になるのだろう?意外に大差ないのかも。それにしてもこんな風景が何処までも続いている。これがスイスと思うのは日本人の錯覚かも?

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山に掛ると霧で景色が霞む。これもなかなか撮れないスナップ。鉄路に生活道路が重なっている。驚いた事に別の路線で停車場が踏み切りと重なっていた。遮断機が下りて車が停まっても運転手は平然としていた。ここは峠道。列車はスイスイと登る。

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一転して2日目。この時親父のデジカメはまだ出て来ていない。その所為かな?元気が無い。このエキスプレスはサンモリッツからイタリア国境のティラノ迄のベル二ナ急行。雪の国境越えは壮観。2駅目で車掌からパノラマカーの予約が無いと降ろされたけれどね。

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サンモリッツの朝、起きると雪が降っていた。カメラはなくすし雪は無いだろうとしょんぼりしている親父の替わりに君が撮って呉れた。何故か外の温度は下がっていたが心は温かく、駅まで行く内に心は晴れていた。寒くは無いし景色に心が解けて居たのだろうか?

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この朝は雨が雪に替わっていたが寒くはなかった。なごり雪をスイスで見るとは思ってもみなかったが、サンモリッツは高原の街。そう納得していたらこの街の晴天日は年間平均322日とか。嘘でしょう?それとも今回の珍道中の幕開けにふさわしい天気だったのかも。この夜、タクシーの運転手がデジカメ届けて呉れたしね。まずこんな幸運は2度とは味わえないだろう。

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外は冬景色。鉄路は道路を簡単に横切る。車も日本とは全く運転マナーが違う。お互いの思いが重なり合いながら安全運転が続く。車内にも寒気は全く感じられない。

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良くは見えないが峠の国境?この時親父が分水嶺の講釈をしていた。峠を越えると息をのむ高低差が続く。高原列車の域を完全に超えている。

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車窓から見下ろすと高所恐怖症の腰が引けている。そのくせ口は達者。

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もうすぐ峠を下る。その最後にお目当てのループ橋。「また君に恋してる」CMソング。

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出ました。親分。無精ひげがまだ出始め。このひげが旅の終わりには立派になる。真剣に見ていたからこのスナップも気付いていない。頼みますよ。勝手に撮らないで下さい。でも真剣に景色見ているね。そろそろ、着くよ。お腹も減ってきたな。

残念ながらこの先の画像は動画で撮られた部分が重なり、ブログにアップできない。親分の顔が無言の圧力になったのかも。でもこんな感じで旅していたのかも。と言っても鉄路とロープウエイの旅だったけどね。これに懲りずに又来て下さいと言われていた。

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2010年6月27日 (日)

スイスの旅(君のメモリー)流石カメラの映像が違う

無事に帰ってきました。この映像は君から貰ったメモリーの編集です。

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出発の前日は成田。雨の中。森が綺麗。スイスの天気もネットで見ると良くない。大丈夫かな

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飛行機はエコノミー。2列、3列、2列の窓側。しかし機体は広くない。これでの長旅はしんどいしかし、ビジネスクラスの料金を聞くと納得。それでも行きも帰りも時差を感ぜず。感じたのは団体客のマナー。ひどくは無いが帰りの後ろの話声。居るね。人の神経無視自己本位。

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機内食。?美味くない。時間つぶしの鶏の餌?失礼。見た目良いのにね。

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美味かったのはアイスクリームだけ。良く見るとグリコでした。機内は結構暑い。

ここから画像の解像度が良くなりアップが出来ず。少し飛ばして見る。

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これはベル二ナ特急。スイス東側の山を越えイタリア国境ベル二ナに向かう途中。車内の映りこみが上手く処理されている。(偶然だな)。中央山肌の照明は車内の物。右側の光も同じ

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2日目の朝は雪。サンモリッツ。この時親父はデジカメを失くして君が撮った写真。

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信じられない事に寒くない。スイスもこれから観光シーズン。雪の歓迎に何故か心が晴れる

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氷河特急の名にぴったり。サンモリッツからツェルマット迄の8時間の旅。それでもこの旅のハイライト。途中迄同席の外人夫婦と息子通訳の会話。でも結構寝ていたな。

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親父のメモリーに戻る。やっぱり解像度が違いブログアップ出来る画を探すのに苦労する。

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今夜は此処まで。又明日。Good、knightです。やっぱり解像度が良いとブログにアップできません。

昨夜休んだのは2時半。起きたのはお昼を廻っていました。旅行時、時差の影響を全く感じさせ無かった元気な体も、久しぶりのお粗末なベットで解放されていました。旅先で殆どかかなかった汗も成田でも伊丹でも噴き出していました。

それでは昨夜の続きです。今、山を下っています。場所はどの位クールから来た処かな?

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やっぱり画像は暗いな。でも気分は完全にハイテンション。外の景色を見つめていた。

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車窓の近くまで牧草が迫る。この画像に写りこみは無いが山裾をしっかりと車道が走る。

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パノラマカーの旅は長くても退屈はしない。窓の外の景色は退屈しない。全てがスイス。

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その様子が良く分かる。山は高いし水は美しい。しかし、食事は不味い。水まで不味い。

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列車が段々上がって行く。登りが急になるとアプト式。(レールの間に歯車のレールが有る)

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もうすぐツェルマット。サンモリッツからツェルマットまで8時間。でもこのパノラマカーはスイスを代表する景色が見れて満足です。それでももう一度乗るかと問われると考えるかも。

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2010年6月26日 (土)

ありがとう。本当にありがとう。無事帰ってきました。

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サンモリッツの朝。山に雪が残る。それでもそんなに寒さは感じず。人の情けに感激。昨日、スイスに到着して税関で叱られ(勝手に写真を取って言葉が分からず君に説明して貰ったがその態度が悪かった?親父のふてぶてしさが許せなかったのだろう?)。その夜デジカメをタクシー内で置き忘れ。それも君がフロントで説明して呉れた時は信用されなかったがタクシーの運転手が届けて呉れた。そんな事は日本でも珍しいのに本当に感激。サンキュウの連発

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次の目的地ツェルマット迄は期待以上の風景とパノラマカーの展望が続く。合い席になったオーストラリアとニュージーランドの夫婦と君の通訳で親父節が時間つぶし。親父の腹もデカかったけれどあの夫婦も負けてはいなかった。一時の話が途絶えると後は寝るのみ。

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ツェルマットの駅前は日本人団体客様のお出迎え多数。親父達のお出迎えは無く宿に連絡を入れる君を見ながらこの我儘ふてくされていた。税関で叱られた事を忘れていた。それでも登山列車に乗り込むと何故か、手を揉みながら笑っていた。バカタレ。

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カフェテラス。どのお店も通りに面して花が飾られている。しかし食べ物に繊細さは無く大味。スイスの観光客だけでなく味に煩い(うるさい)のは親父位だった気がする。それでももてなしの心は日本人は学ぶべきだろう。空気が乾燥しているからだろうか秋の気配がしていた。

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これがお馴染みのマッターホルン。宿の正面。ありがとうございます。到着した日には霧で何も見えず。翌日快晴。朝起きた時には笑いながらそびえ立っていた。この写真はアップされているが実際の景色は言葉を失う。登山鉄道は左のずっと離れた処に展望台(ゴルナーグラード)がある。その右側にロープウエーで登った(目茶苦茶怖い・高所恐怖症の人は無理)

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ここが登山鉄道の終点。(ゴルナーグラート)正面の山はマッターホルンでは無い。ホルンは左側。これが雲海から首を覗かせている。親父はこの後レストハウスの中で身動きできず。スイスの代表的な展望台の意味は行かなければ分からない苦しさ(3089メートル)でした。

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残念。マッターホルンの頭が切れているが登山鉄道と雲海の位置関係が良く分かる。

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霧の上には青い空と白い雪、そして人と自然の同調が100年も前から続いている。

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これが宿の正面。夜明けの時。もう少し早起きしていたら山肌が黄金色に輝いていた。それでも贅沢は言えない。これで充分。先日の霧を考えたら・・・。霧の時と晴れの天気は大違い

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天気が悪ければ見れない景色を見せて貰ったのは君のお陰です。2度と見れない景色を笑いながら見ているとお天道様が笑っていました。マッターホルンが見える庭の一輪をプレゼントします。

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この後はマッターホルンがもっと近くに見える(苦しくて見なかったけれど)。それでも充分でした。その高さを実感して下さい。(実際は殆ど撮っていない癖に・・・トホホ)

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ロープウエーの中は外の景色を見る余裕もなく、最後の頂上への道はゴンドラが800メートルも上がり黒部の比ではありませんでした。他の人が平然として前後左右する様子を見ながら面球は宙を飛んでいた。そんな風景は君の記憶媒体(メモリー)が来たらアップします。この馬車は駅前の団体様送迎用です。長袖のシャツ、記念に買いました。ありがとうございます。

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これはアイガー北壁、ユングフラウヨッホ、メンヒのふもとの村。しかし、正面の山はシュレックホルン。お目当ての山は此処も登山鉄道。ユングフラウを正面に見る展望台までは列車で行ける。親父は此処でも動けず。御免なさい。本当に情けない。それでも満足。

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アイガー北壁。ユングフラウヨッホは展望台の外に出れず。電車の中で赤ちゃんが体調の不快を訴えていた。このスナップは帰りの写真。親父の気持が良く出ている。ユングフラウの展望台は3454メートル。その正面に4158メートルの頂上を見るには高所に強くなければならない。君にはゆっくりさせられなかったが親父にはあれが精一杯。アレッチ氷河も温暖化の影響で先端が後退しているとか。その姿を見れなかったが体調不良に成らなかっただけでも良かったと思っていた。

今回の簡単にまとめて見たが最後まで天気に恵まれた事、無事に帰れた事、それが何よりの旅の成果かもしれない。本当にありがとうございました。

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2010年6月16日 (水)

。仕事の帰りに靴を買い替える これで一安心

P1000427 懐かしい駅。多くの思いが重なる駅。二十歳前後の多感な時、この駅のホームで多くの思いを重ねていた。本線は阪急宝塚線。この看板を良く見るとここがこの線の終着駅。左に見える駅で乗り降りしたのは2年間位だったろう。

あれから多くの年が流れ、思いがけなく兄貴が近くの大学に入学し下宿もこの駅の近くだった。何度も乗り降りしたホームをその後又又思いがけなく一月近く仕事で利用する。

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この踏切は桜井の駅の先。二十歳の時とさほど変わらない。この踏切を失意の思いで歩いたのはそう遠くない。それでも今日は淡淡として目的地に急いでいた。そう靴を何とかしなければならない。そうでないと足にストレスが掛る。何としても靴を買い替える。そう思っていた。ここからバス通り迄意外に遠い。石橋の駅中コンビニでおにぎり2個買って食ったので、一緒に買ったペットボトルのお茶でのどを潤す。

目的のお店はこの前パスしたお店。フランス資本で大々的にオープンしたカルフールのショッピングモールがイオンに身売りされていた。

アルペンのウオーキングシューズは此処に在ると思ってきてが、お店の名前が違う。それでも諦めなかった。此処まで来てこれだけの労力を払って辞める訳にはいかない。何としてもストレスの掛らない靴を手にしなければ帰れない。いじましくも固い決意を秘めていた。

お店の名前は靴のABC。同じお店が大阪駅前に在り一回買った事が有る。それでも駄目だった。親父のメタボな体型を棚に上げて草鞋(わらじ)の様なストレスの掛らない靴を求めるのが無理だろう。これ迄も殆ど期待外れだった。靴は歩行の大事な相棒。それが最近ミステークばかりでは話にならない。安物買いの何とかだろうか?

店員に声を掛ける。「4Eの甲高、ウオーキングシューズ有りませんか」。若い店員が数点紹介して呉れる。履いて見るがイマイチ気に入らない。これはと思うとサイズが無い。「売り切れ?どないなってるの?」段々イラついて来る。何としても手に入れる。その執念が実る。

ホーキングの牛革。つま先も広い。軽い。そして5000円。文句無し。それにしても何でこんなに安いの?その疑問が大きくなる。店員が笑いながら執念ですと冗談を口にしながら生産国がミヤンマーと種を明かす。それでも製品に間違いは有りませんと念を押す。

スリッパ感覚。草鞋感覚。文句ありません。これで決まり。これで靴の懸念は消える。帰りのバスの中で若い女の声が気になるが見向きもしない。意気揚々と感情を抑えていた。

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準備は着々と出来て居ない。何とかなるかな?何とかなるさ

明日と明後日が仕事。その次の日(金曜日)が旅立ちの日となる。旅行鞄は色々あったが物は狭い部屋の右前にでんと鎮座している。数日前から一週間分の着替えを詰め込む予定がまだ半分も済んでいない。明日と明後日で何とかなるだろうが冬物が足りない気がする。

明日と明後日で何とかなりそうで為らないかもしれない。その時は寒い所は止めにして暖かい処から眺めるしかないかもしれない。老いぼれと意気地(いくじ)無しの根性を考えるとそれがお似合いかもしれない。(オイオイ、行く前から戦意喪失かい?)

そうではない。この歳になるとこの程度の意気込みしかないのかもしれない。これから何度も行けない海外旅行もこの程度の意気込みでは先が思いやられる。(そうかな。そうは思わないけれど。この程度の気持で丁度良いのかもしれない。)

昨日のお休みの時、気合を入れて手にした靴も履き具合がイマイチ。一番、フットワークが求められる足元が軽くならないと、意気が上がらないのも理解出来る。無駄になるけれど足元には替えられないので買い替えしかないかも。手にしたい靴、足に合う物、快適な旅の必需品は案外そんな処に在るのかもしれない。

そう考えて見ると日常の生活も到る所で無意識のうちに大きな間違いをしている。人の感情は意識する部分とそうでない部分が有ると言われるが、夜、テレビのチャンネルを替えながら今更ながらの事に苦笑する。(ありゃ見る番組が無い)。食い物、グロテスク、ゴシップ、エンターテーメント(日本語がない)

先日、旅の健康チャックで眼科と内科に行った時、先生から面白いレクチャー(説明)を受ける。ウイルス感染、肥満の悲劇。言われるまでも無いと思いながら結構知らない事が少なくない。それだから人は尤もらしく多くの事を語れるのかもしれない。

少し考えて見ると誰が考えて見てもおかしい事が何のチェックも受けずに笑い飛ばされ、人の迷惑顧みず平然と正当化されている。勝てば官軍、負ければ賊軍と言われる戦いの常識がスポーツの世界でも何の躊躇(ためらい)いも無い。

たかがゴルフ、されどゴルフの格言もゴルフをやらない人には分からないが、遼君フィーバーの老若男女には関係の無い事で在り相撲界の野球賭博も同じ事だろう。相撲協会が何で文部科学省の干渉を受けなければならないのか、分からない。監督官庁がどれだけの事をしたと思っているのだろう。思い違いも甚(はなはだ)だしい。申し訳ないのはあなた方も同じでしょう。そんな事を思っているとテレビでは№oneキャパ嬢同伴グルメ?オイオイ、世も末じゃのう。

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2010年6月13日 (日)

待望の梅雨入りと思える人は異端児 そうかもしれない 

北海道は梅雨が無いと言われるけれど、長い長い冬が在る。本当の冬の寒さと厳しさを知らない人はウインターシーズンとか横文字を口にするが、そんなに甘いもんやおまへん。格言う親父も厳冬の冬を知らない。としたけて老いくたばる前に森繁さんが口にした知床の岬を眼にしたい。九州男児の男気も身も凍る寒さには形無しかもしれない。

同じ事が梅雨の時にも言える。田舎の米作り、野菜作り、農業、漁業、林業を知らない都会の人間は、暑さにも寒さにも梅雨のじめじめした天気にも簡単に打ちのめされる。多くの人がそんな天気を嫌うけれど親父は変り物でそんな天気も愛おしさを感じる。

高速道路をタイヤの轍(わだち)を気にせずに雨を切り裂いて走る快感、あの頃の若さは無くても高速道路のアスファルトの上を川の様に流れる雨水に、ハンドルを握りしめる興奮は自然の大きさに圧倒されている。人間がどんなに大きな顔をしてもそんな物は何の支えにもならない。自然の大いなる存在にひれ伏しながら生きている。生かされている事をどれだけの人が理解しているのだろう。その事を感じる旅がもうすぐ始まる。

ブログにアップ出来る写真。これも簡単な様でそうではなかった。君に買って貰ったデジカメ。君にネットカフェでプリントして貰ったデジカメの画像をブログにアップする手順。パソコン教室の先生に教わった編集の仕方。最後は親父の執念だった。その画像もデジカメ技術のお陰で殆どボケる事も無い。ピントはシャッターボタンを半押しすればまず間違いない事を君から教わる。

景色の写し撮りは記録媒体のメモリーカードさえ入れ忘れなければ大丈夫。1年前の島根の旅の時はその失敗をしたが同じ轍は踏まない。他にもうっかりミスを無くすにはチェック、確認が必要だろう。梅雨の思いも様々です。明日は靴を買いに行きます。

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2010年6月11日 (金)

ラジオ体操が大好き パパが大好き そして叔父さんも?

朝の体操。工場で働く人がスピーカーから流れる音楽に合わせて体を動かす。そんな朝の風景。保育園に行く途中、パパの自転車後部座席に収まってその景色を見るのが好きになっていた。それでも工場の敷地から少し離れた通りの反対に停まって音楽を聞きながら喜んでいた。親父が声を掛けたのはそんな姿を眼にした時。最初はさり気無く手を振り、次はパパに声を掛けた。娘の喜ぶ姿に照れながら「休みの日だけ、こうして送るんですよ」と言いながらニコニコしていた。娘の名前はミーちゃん。親父に負け無い笑顔が絶える事が無い。

それでも何時(いつも)は愛らしい顔を見る事は出来ない。最近は(今日は居るかな)と思いながら期待が外れる。今日もそうだった。体操が始まる。リラックスしながら緊張していると声を掛けられる。まだ4歳だけれど姿を見なくても声で分かる。声までも笑顔が溢れていた。

何を言っているのか言葉は分からなくても声の高さで歓びの高さが分かる。久々のパパの送迎。大好きな体操が見れ音楽が聴ける。それだけで充分だったのだろう。オマケで叔父さんも居る。今日はパパの好意で工場敷地のすぐ下まで自転車を寄せて声と顔が近くなる。

体操が終わり引き上げる時、「バイバイ」と声を枯らしながら他の言葉も言っているが聞き取れない。それでも歓びの気持ちは充分伝わる。(車に気を付けて)(パパの言う事を良く聞いてね) 親父も笑顔を重ねながら声を掛けながら踵(きびす)を返して職場に戻る。

今日(こんにち)多くの人が多くの言葉を語る。子育て支援、少子化対策、高齢化対策。しかし、多くの言葉に疑問を感じる事は政府、政治家、経済界、労働界、その他大勢に多くの事を丸投げしていないだろうか?そうではなく自分に出来る事を些細な事からやる事だろう。

間違いなくどんなに多くの事を語っても何も変わらない。何かを変えると有利不利があり痛みを分かち合うとか国民的合意とか言われても、総論賛成核論反対の庶民性は何も変わる事は無い。その現実を直視すれば今求められている事は健康と日々の糧だろう。

P1000229 静岡県掛川市新幹線のホーム。高架の壁にはめ込まれている親父の好きな西行法師の句。鎌倉時代、東大寺再建の為、東北藤原氏に金の寄付を求めて、東海道の難所を越えた時に詠んだ句

掛川に住んでいた時、思いがけなく登った旧道で知ったこの句は大切な人を失って言葉の意味を痛感する。後の祭り。後悔先に立たず。言葉を失いながら何度この句の前に立ちすくんだ事だろう。

あれから多くの歳月が流れて、今、やっと笑いながらこの言葉を眺められる。「いのちなりけり、小夜の中山」。いのちの重みを語るには元気でなければならない。

P1000179 2度と眼にする事は無いと思っていた素足のウォーキングの道。足の裏には体の全ての神経が集中していると言われるが、足裏マッサージの本当の効果を知る人は少ない。子供達が大きくなり2人でデートする事も無くなっても、ここだけは別だった。この道を素肌で歩く快感は何とも言えず、それでも悲鳴をあげていた。

あれから10年以上の歳月が経ち、気持ちに変化が出たのだろう.昨年の暮れも迫った11月。急に思い立ちこの地に立つ。今でも足裏の快感を忘れていない。この庭は化粧品メーカーS社の協力で完成して久しいが、今はどれ位利用しているのだろう?。

あの時、全てを紹介したが改めてこのコースの凄さを紹介します。

P1000181 P1000187 此処ぐらいまでは誰でも歩ける。それでもはだしで歩くと結構きつい。現代人がどれだけ不健康な生き方をしているか、思い知る。

小さい頃は田舎の河原を草履(ぞうり)か運動靴で、走り回っていたが都市の生活の中でそんな生活環境は殆ど無い。そんな生き方をしていると足の裏はどんどん不健康になる。

足の裏を親指で押さえてご覧。土踏まずに鬱積(うっせき)した血液は行き場を失っている。今日、仕事の合間に靴下の上から玄関マットの固いゴムの上を踏む。今でも足裏がポッポとしている。

これで深い銭湯に身を埋めながら、足の裏を抑えると最高かも。今、固い体に鞭打ちながら太極拳の真似事をしているが、酔拳の域に到達するには少林寺の門をたたかなければ無理かも(笑い)

それでもラジオ体操第2の体をゆする運動、足を開いて踵(かかと)から下りれば体のバランスまでとれるかも。(大笑い)。ロッテはこれで強くなりました。(冗談でしょう)

P1000189 これが最大の難関。此処を素軽く歩くには授業料が要る。1月位は通わないと普通は無理かも。殆どの人がここで悲鳴を挙げる。オイオイ、怪我をしないのか?

大丈夫。無理なら止めれば良い。あの頃、笑いながら歩いた余裕は今の体形では無理だな。がっくし。

でもこうして見ると石の棘(とげ)。はだしで歩けば流石に肌に刺さる。それでも人の肌の凄さは想像の域を遥かに超える

腰痛、マシに成りました?少し、刺激が強かったかも。それでもこの道は大阪には有りません。流石の大阪人にもこの道は厳しいかも。

現代人は口ほどに強くは無いのかもしれません。医者要らずの言葉も最近はすっかり死語となり何でも検査かも。

それでも体の訓練はこれからは欠かしているとそれだけの生き方しか出来ないかも知れません。ご自愛を。

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2010年6月10日 (木)

記事数600件達成 おめでとう 言うは易し、行うは難し

パソコン買って貰ったのが3年と半年前、デジカメがその1年と半年後。待望のブログの1号はパソコン教室で先生に作って貰った3年前の五月の時。もうそんなに為るのかな。多くの人が多くの想いを重ねながらこの拙いブログを読んでくれているが、正直、面映ゆい(おもはゆい)こんな言葉あるのかな?そんな気持ち。でもこのブログは息子と親父の片道切符です。

人に見せる程の物でもありませんが、毎日毎日飽きもせずつぶやく種が多いのも一人暮らしの時間つぶしかも。まあその程度に眺めて下さい。そろそろ来週末からの旅の準備を始めました。まず手始めに1週間分の着替えと夏と冬物が入れられる旅行鞄を買う。

結構デカイ鞄。その割にしっかりして軽量と思いきやこれが結構重い。かばんの重量5.6キログラム。かばんを立てて上の引き手を持ち上げ気味に引き摺るとそうでもないが、斜めにして引くとこれが結構重い。これに荷物を入れると着替えと衣装だけでも軽くは無い。後悔先に立たず。軽いのに変えようと思っても後の祭り。これで旅をするのかと思うだけでうんざり。何事も経験に優る知識無しだろう。替えては呉れないし次からは絶対買わない。新婚旅行の白いかばんも恥ずかしかったが今回は恥だけでは済まない。汗をかくだろう。でも自己満足は出来るかも。それ位高い買い物。君に笑われるな。交換するか安物と。それが賢いかも。

慣れればこれでもイケるかも。そう自分に言い聞かせながら納得はしていない。お店の対応もそっけなかったがこれも教訓。そう思えば不快の思いも高い代償にならないかもしれない。お店の担当もお客の不満をどれだけ分かって呉れただろう。その思いが力関係だけで解決できると思えば大きな間違いだろう。その事もいずれ分かる。

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2010年6月 9日 (水)

一年振りの再会 京セラドーム オリックスージャイアンツ

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一年ぶりに京セラドームに行く。昨年と同じバックネット裏。(ここでもバックネット裏)。昨年は正真正銘のホームベースの後ろだったが前列から48列。選手の顔が見えず。(後ろ過ぎて)今年は4列目でギリギリで顔が確認出来る。此処は1塁側。オリックス応援席。それでも前の席にジャイアンツの熱狂的応援組。(写真では視野から外している。)ドナイ為ってマンネン。試合の後半になって左にオリックスの助っ人が来る。それでも試合は負け。気分が良かったのは右側の高校生2人。最初は嫌な感じだったが話をして見ると意外に素直。親父節が炸裂する。それでも適当に合図ちを打ち話を合わせる。7回試合途中引き上げる時、がっちり握手して別れる。高校2年生。1人は進学、1人は就職。幸運を讃え合う。

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この巨大ドームは大阪市の第3セクターがバブルの時建設。当然今は採算が取れずに宝の持ち腐れ。オリックスバファローのホーム球場だけれどオリックスの持ち物ではない。今、このドームの前に空き地を整備中だけれど、お役所仕事では如何だろう?

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2010年6月 8日 (火)

山百合も観賞用?でも美し過ぎて荒々しさがない

P1000424_2 うつくしい花には棘(とげ)があると言われても、この歳になると無条件にウエルカムと思われているのだろうか?

御同輩が横に座ると気になる匂いも自分の事は分からない。多分、無臭と思ってもこの花の様に顔を近づけると違うだろう。流石にアップには耐えられないかも?。

それでもこの山百合、顔を離すと逆に色が濃くなる。30センチ位放して見るとこの花の強烈な印象が強くなる。

50センチも離れると完全に色が濃い。10センチ位顔を近ずけて見ると、花びらが笑っている。笑いながら何かを訴えているがそれが何かは分からない。

この花と対象的な白く可憐な高山植物エーデルワイスは映画「サウンド・ミュージック」でしか見た事が無い。上の山百合は田舎の野山にいくらでも咲いていた。今度、スイスで見れるか分からないけれど花は多くの人の心を揺さぶるけれど、実際は如何だろう?

同じ事が今の生活、政治、経済、生き方にも言える。政権交代で多くの事が語られるが間違いなく言える事は何も変わらない。ぼやぼやしていると間違いなく今より良くなる事は無いだろう。その事を忘れなければ今迄とは間違いなく生き方が変わる。

「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき」 これは与謝野晶子の歌だけれど人の生き方は自分が決めている事を思い知らなければならない。この歳になる迄、それ位の分かり切った事が分からなかったのかと思えば胸をかきむしられる。お人好し。頑固。不撓不屈。そんな物は何のプラスにもならない。明日の生き方は分らないけれど体に気を付けて逞しく。

先日、日本年金機構から年金振り込みの通知書が来て愕然とする。介護保険料、国民健康保険料が引かれている。55000円。介護保険料は予め聞いていたが国保は予想外。しかし、この保険料が月21500円。これが2ヵ月分となると43000円。

これが無条件天引き。これに住民税が重なると幾らになるのだろう?年金天引きで無くても月づきの支払いは変わらないがこれに病気をすればどうなるのか?考えただけで身が引き締まる。月付の定期検診(眼科、内科)の費用も3割負担。年寄りも若者も生活困窮者から生活保護者が減る事は無い。税負担の見直しが語られても総論賛成、各論反対では何も進まない。政権交代で尤もらしく語られた「ムザのカット」がどれだけ出来てこれからもどれだけ出来るのか新政権でも間違いなく出来ない。ナンダ、カンダ言いながら参議院選挙の結果を見るだけだろう。それも何も出来ないと見放された時、何を語るのだろう?

政治屋(家ではない)に求める事が多すぎる。マスコミも耳触りの良い言葉が多くて実情を伝えていない。大体、3面記事のノリで政治と経済を語り過ぎる。面白おかしく尤もらしく眦(まなじり)を決して(けっして)言葉を語るな。事実を知れば愕然とするだけだろう。

格言う親父もこれからの事は分からない。これからの生き方の延長線上でしか物事を語れないが、多くの人々と違う事に関心を持たなければ同じ生き方しか出来ない。最近その事を痛感する。声高に多くを語る輩の声に耳を傾かなくてもこの国にどれだけの未来が期待できるのか暗澹とした思いが込み上げて来る。何か問題が起きると人権とか判断能力が問われるが、結果の責任は誰が取れるのか?最近、本当にお間抜けが多い。

親父も又、同じ。人の事を語る事は無い。その事を肝に銘じて淡淡と生きる。今、自分に求められている生き方は自分に言われるまでも無く、そんな生き方だったのだろう。狭い視野で物事を考えるのでは無く大きな視野で自分を見つめる。その時、本当の何かが見えるのかもしれない。難しい事だけれども。

先日、奈良西の京、唐招提寺の鑑真和上木像が年に一度の御開帳が行われる。大勢の団体客で見れなかったがその時、和上の声が聞こえる。(人が多くて顔は見えなくても心は見える。人の心は誰にも見えないが自分には見える。以心伝心(いしんでんしん)。心を以って(もって)心を伝えよ。そうすれば未来が見える。そんな言葉を掛けて呉れた。

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思い立ったら吉日成らず 唐招提寺の開山祭は何故か人、人、人

6月6日は奈良、唐招提寺開祖、鑑真和上の命日。年に一度の御開帳。弟子達が師の大往生を予知して作られたと言われる和上の木造座像は、盲目の瞼の中に言い得ぬ慈悲の想いを感じさせてくれる。木像の前で瞑目しないで見つめていると眼の見えぬ和上がほほ笑みをを浮かべる。それでも今年は大勢の団体で足元にも寄れず。諦める。

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此処が鑑真和上の御影堂。意外にこの場所は新しい。昭和50年に払い下げられたとか。その時東山画伯が障壁画を奉納している。中国の山水画、玄界灘の波頭。鑑真の偉業を讃えている。残念ながら境内は撮影できない。人波で溢れていた。この賑わいは最近の事。

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これが良く見る唐招提寺金堂。我が国現存最大の天平建築。平成の大修理がやっと終わる

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鑑真和上も見た?風景。今では見向きもされない八朔も当時は貴重品?だった。

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田植えの済んだ水田。この土が鑑真和上の中国の土と同じ香りがしたと伝えられている。

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西瓜の花。この景色も和上は眺めたかもしれない。西瓜はその当時伝来していたのだろうか

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右の土塀は薬師寺。遠くに塔の先端が見える。

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2010年6月 6日 (日)

歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄、JR 朝日新聞出判発行

毎週火曜日発行のこの週刊誌?も今週で46号。後4号全50号で昨年6月からの発行が終わる。来週8日は待望の伯備線。親父の故郷を走る日豊本線と共にある意味で期待した鉄路。明治の文明開化は今日の多くの人の思いを越える。それよりも親父を含めて知らない。

その事を痛切に感じたのは昨年3月の宝塚から山陰米子の先木次の旅だった。一人で旅をする事が初めてだったが9年前の仕事で行かなければ木次の駅も知る由も無かった。8年振りの訪問は鉄路だったが山陰、日本海の旅は山陽道と比べて意外に明るく、それでも時間は掛った。その帰り中国山地を縦断し岡山から新幹線で帰る。その時利用したのが伯備線。米子から中国山地に分け入り急峻な山脈をトンネルで越すルートは感動の路(みち)だった。

この国が急に大きく変わった明治の半ば(なかば)。国の財政の多くを注ぎそれでも足りずにイギリスから多くの借金をしながら全国に張り巡らされた鉄道網。当時の為政者の国運を賭けた鉄道建設の壮大な困難を目の当りにした。今日の様に土木技術の進歩が無い時、外国のお抱え技師の指導が有ったとは言え、大変な工事だっただろう。その思いを痛感する。

親父の故郷日豊本線の完成が大正の初め。日本各地の鉄道網が完成するのは何時の事だったのだろう。しかしこの鉄道インフラ(トンネル、橋梁、測量、工事の技術)がこの国の経済発展の基礎となる。今、利用者の減少と共に多くの幹線までも廃線の憂き目にあっているが、その歴史に学ぶ事も忘れてはならない。

日々の生活と仕事に追われた働き盛りの時は過ぎ、これから親父達に出来る事は全国全ての鉄路を巡りながらその足跡に確かな功績を感じる事だろう。しかし、そんな贅沢が出来る人は少なく多くの人が静かに消え行くのみだろう。親父は違うと思って見ても如何だろう?

親父達年寄りが生きる事はそんな事だと思うけれど、なかなか現実は厳しい。それでも自分の人生の完結編に予告は無い。今、多くの人が多くの事を尤もらしく語るけれどその人自身が全うに生きられる保証は何も無い。一番の問題は其処で在る事を知らなければならない。

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2010年6月 5日 (土)

焼き肉のたれ ジャン これはイケる 何時もの料理がガラリと変わる

焼き肉のたれと侮るなかれ。これがイケる。眼から鱗(うろこ)が落ちると言われても、その言葉の意味が分からんと平然と開き直るガキが少なくないが、親父がこの歳になって分かった事は料理の美味さはたれ、味付けが全て。味付けが味噌、醤油、塩が全てを左右する採れ立て、新鮮、産地限定は別にして大概はこれで決まる。

一人暮らしの侘しい食事の味付けは専ら(もっぱら)塩コショウ。それも塩分取り過ぎを考えると控えめにしなければならない。そうすると味が薄くて不味い。味にうるさかった親父も流石にフライパンの野菜炒め、細切れや生姜焼き豚炒めでは文句も言えない。

そんな時この焼き肉のたれは重宝出来る。不味い安物の肉も味気ないカット野菜も美味くなる。入れ過ぎに気をつけないと辛くなるがその時は飯を入れると箸が止まらない。(ほんまかいな)ホンマです。この焼き肉のたれは少し高いが焙煎ごまの香りとりんごなしのまろやかな甘さ、ニンニクなどの薬味感が特徴。(宣伝文句そのまま)。肉野菜炒めにぴったり。

日々の生活も同じかもしれない。どんなに頑張って見た処で人の生き方は胡散臭い(うさんくさい)。言葉の意味は何処となくおかしい、疑わしい、インチキ臭いかな。本当は其々が(それぞれが)それぞれの思いの中で健気に(けなげに)頑張って見てもしれている。

その事を自覚した処で何も始まらないが、多くの人は自分自身の事は棚に上げ他人を批判する。人間の性(さが)と言うには余りに寂しい事でも、意識しなければ何も気にする事は無い。歳を取ったからだろうか?最近その事が重く(そうでもないけれど)気になる。

そんな時、焼き肉のたれを口にして見るとその矛盾が氷解する。そう氷が解けるように。それはオーバーでしょう。ウンニャ(大分の方便…否定の言葉)。ごく自然かも。そう思えば多くの不快の現象が陳腐(ちんぷ)に見える。(おや又難しい言葉を口にする)。陳腐・・ありふれてつまらない事。しかし、当事者にとってはそうでは無く大事な事かもしれない。大概は声高に言葉を重ねているから。そんな時鼻先でせせら笑えば良いのだけれど・・・。

6月の始まりから梅雨模様そこのけのカンカン照りの日差しも長くは無い。間違いなく梅雨空の時が来る。じめじめとしたうっとうしい空を見上げながら恨めしそうな顔をするのも近い。その先に来る暑い日差しの事を考えもしないで。そんな時、焼き肉のたれを重宝すればきっと青い空、青い海、白い砂浜、ビキニと黄金色をした肌を見れるかも。(いやらしい)

政権のたらいまわしが始まり当事者が嬉々として多くを語るけれど、人々の生活は如何なのだろう?多くを期待するのは酷だろう。何故なら課題が山積している。綺麗事を言い過ぎる。国民の国民の為の政治。そんな物は世界どこを探しても無い物ねだりだろう。

焼き肉のたれ。 そんな美味しい調味料を誰が用意して呉れるのだろう?空海は堕落した仏教を否定し、それでも最澄の様に奈良の伝統迄もは否定しなかった。なんでも役に立てると思っていたのではなく全てを否定しては、肝心の真言密教の布施の場すら無くなると思ったのだろう。

完璧に迄完成されたその教えも皮肉な事に高野山では彼の死後間もなく継承されなくなる。人の世だけではなく信じる事の無常を知るのは何時の世でも同じかもしれない。今でこそ人は仏に縋る(すがる)思いを無くしても生きて行けるが、そんな罰当りの生き方は平安の昔では考えられなかった事に違いない。

今生を生きる術は己のか細い生命力に縋るしか無いのだろうが、焼き肉のたれ位は誰でも手に出来る。自分で自分の位牌を手にする事は出来ないが、簡単に手に出来る多くの事にもう少し感謝の気持ちを重ねたら未踏の明日が晴れやかに為るかもしれない。

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ブルーグラスを聞いているよ

6月に入りもうすぐ芒種(今度の日曜日)。と言われても何のこっちゃさっぱり分からん人も少なくない。否、親父の様に余計な事まで語れる人が少なくなったのです。芒種とは中国の旧暦で種まきの頃。簡単に言えば田植えの頃。今では田植えの頃も早くなっているが、親父の小さい頃迄はこの時期が田植え時期。田舎の農村だったので田植え休みが有った。

それが済むと梅雨の時と成り、こぬか雨の日が多くなっていた。それでも今の様に異常気象には為らず、当然、集中豪雨も水不足も無かった。村の中央を流れる川からポンプで揚水された農業用水は整備された用水路で隅々の田畑を潤していた。親父の家も通称「いぜ(用水路)んへら(の近く)。一軒家の前を流れる小川を上流で堰き止め眼下の細長く狭い田んぼの横を流れていた。田舎の風景も今は大きく変わる。人々の生活が激変するのも仕方無いのかもしれない。

それでも最近は多くの人が環境を語る。田舎の生活のみならず都会の生活も替わりエアコンや冷蔵庫、テレビ洗濯機、車無しの生活が出来なくなっても環境は大事なの?エコカー、エコ家電が求められてもその減税の負担は税で賄われ、しかもそれが国債で後世の人に先送りされてもその是非は問われない。自分達でその負担も出来ない事を国際会議でまことしやかに語った政治家は結局、退陣せざるを得なかったが、それでもその施策の見直しは無い。本当にこの国の有り様を語る資質はその程度なのだろうか?ブルーグラスを聞きながらそんな事を考えている。あんたも変わりもんだ。

P1000422 先日も画像挿入したが、アパート前の家の垣根の外。田舎の家でも良く見た野草花。名前は知らない。

今日は夏日より。それでも室内は空気がひんやりとしてFM放送を聞いているとこの絵の日差しが嘘の様に見える。

最近はブログ更新を少しサボるが体調は可もなく不可も無し。強いて言えば肥り過ぎのお腹に腹筋の成果が見えて来ない。

ブルーグラスって言葉も最近はジャズの様に聞こえない。親父が青春の頃、耳にしたアメリカ南部に移民した白人のカントリーソング。黒人霊歌とは違う望郷の歌

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2010年6月 1日 (火)

結果責任 それでもどれだけの事が出来るのだろう?

昨年8月の政権交代。多くの政治的経済的課題の克服が期待されたが、1年弱の成果、政治責任は少なくない。それでも誰がやっても同じと嘯く(うそぶく)人も少なくない。本質的に激変を好まない国民が長年の保守政権にノーの政権選択をしたが、政権公約が殆ど進まなければ支持率下落も当然かもしれない。その中で今月から始まる児童手当、高校の授業料無料。革新的な政策も財源の裏付けが明確で無ければ、お金のバラマキと冷笑される。

鳩山総理は体制の立て直しも求められても為す術も無い。昨年の圧倒的支持は一体何だったのだろう。それでも続投の意思は表明しているが結果責任は求められる。多くの人が多くの事を尤もらしく語るけれど、夏の選挙が戦えなければ退陣するしかないだろう。

その時が目前に迫っても当事者は何故か責任を痛感せずやり直しが出来ると思っている。今、殆どが歴史に学ぶ知恵に欠け多くの事を語るが、そろそろ目を拓け(ひらけ)。そうすれば必然的に自分の未来が見える。その努力が欠け実行が無ければ人の憐みすらも、手にする事は出来ない。何故か最近その事が思い知らされる。

それにしてもこの国のマスコミの報道は酷いね。民間放送だからスポンサーの影響が色濃く反映されるけれど、どうしてこんなに時事ニュースに報道のコメントが入るのだろう?報道のコメントと言われると聞こえが良いが、それは個人的偏見、独断でしょう。何で其処まで言わなければならないのだろう。これからこの報道の姿勢が問われる。それでも影響力の大きさを多くの人が思い知るのは何時の事だろう?客観的、公共性、普遍的、そんな物は期待するだけが無駄だろう。江戸時代の瓦版、それが電波で垂れ流されているだけだと思えば、合点が行くかもしれない。

結果責任。「我が党が一致団結して・・・」「反省すべきは反省して」「粛々と政権を支える」。政権のリーダーだけでなく閣僚、連立与党の一部に問題の認識の甘さを感じるが、これも公共放送の情報操作なのだろうか?この期に及んでは何を言っても手遅れだろう。

今日はお休み。定時前に起き快晴の空を見て布団を干す。昨夜洗濯をしていたので今日はゆっくりできる。テレビを切ってラジオを聞いているとテレビで伝えていないローソン子会社の役員の不祥事を伝えている。120億円の損失?オイオイ、桁が違うだろう。投資の失敗?

会社の社会的責任が問われる。企業の危機管理が出来ていない。テレビで多くを語る社長の責任も厳しく問われる。近くの喫茶店で良い年をしたオッサン3人組が愚痴をこぼしている。本当にこれからの年寄りと生活困窮者は生き方を変えないと生き残れない。

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