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2010年5月10日 (月)

駄目でしょうと叱るにはそれなりの知力と体力が必要?そうです。

24節気の立夏の時を過ぎ次は小満。立夏の時と言えばお馬鹿なマスコミのコメンテーターは暦の上では夏かと言われるがそうではない。正確な表現は「夏も近付く八十八夜」だろう。そう立春の時から数えて八十八夜。お茶摘みの頃、夏模様になる頃。そう言った方が良いのだろう。今年の按配(あんばい)は正にそんな感じで昨日は暑い日差しの中に季節が在った。

今日は一転して雨模様。それでもまとまった雨には為らなかった。ぽつぽつと涙を流す程でも無く、それでも傘が無いと雨が気になる感じだった。朝出かける時には邪魔になり持って行かなかった傘も、帰りはちゃっかり置き傘を借用していた。

帰りのバスも電車も空いていたがガラガラでは無く、途中から乗り込む客の先客を無視した相変わらずの無神経な甲高い声が気になる。最近は親父は読書にハマっているが、ヘッドホーンで音楽を聞いて居ないので平常心をぶち切られる。

電車の中で始発の車内は程々に空いていた。親父の指定席は入り口横の角か車両の端。席に座ると共にお気に入りの本を広げる。前のオバはんは水筒の水を飲み食い物を探している。小さい音をガサガサさせているが無視する。斜め前少し離れた席、ホントは親父の指定席に先に座っている女は何故か腰を浮かせて携帯を触っている。この車両は先頭車両で携帯禁止(電源オフ車両)。それも無視。ところが次の停車駅でムードが一転する。

乗り込んだ女一人と男二人の計三人。デカイ。何時の間にか携帯を触って居た女は居ない。席に座る前から盛り上がっている。さり気無く顔を伺うと正気。酒は飲んでいない。最近、この手の非常識は珍しくも無い。日常茶飯事。何故か女の笑い声が耳に障る。

無視すれば良いのに親父の神経がイラつく。難しい漢字が読めない。平常心が保たれてず飛ばしながらの黙読が止まる。気を取り直そうと初めの間は行きつ戻りつしている視線が完全に停止。本を閉じて改めて女と男の顔を視線が追う。ヤバイ。相手は無視しているが親父は咽喉元まで怒りの声がこみ上げている。「うるせー。」「電車の中はお前らだけでは無い」

何時もなら口から飛び出す啖呵(タンカ)が何故か出て来ない。それでも視線に優しさは無い。2、3回眼(がん)を飛ばしても敵もさる者、視線を合わさない。そんな時、声を出すのは決まっていた。その親父が言葉を呑み込んで瞼を閉じる。情けない。相手の勝ち誇った笑い声が耳を突く。その時、親父はさり気無く今朝買った経済新聞をバックの中から取り出し、両手で広げて相手の顔を隠す。舌を出しながらほくそ笑む。「バカタレ」「貧乏人」。親父にも少し任侠の心意気が在れば、マッチョな腕っ節が在れば、小僧の若気があれば、注意が出来たろうか?そんな事を考えていた。

P1000364 仕事場近くの薔薇(ばら) 今年も人の生き方を無視して深紅の中に、自己主張をしています。深紅の色が見る角度で濃さが変わる。眼を動かすか、画像の角度を変えて見て下さい。

人の生き方も人の見方も考え方さえもそんなもんでしょう。絶対的な物は無く変わらない物も無く、それ故に人の生き方は高崎山の猿と同じです。

人は猿の生き方を馬鹿にしても人らしく生きるには知恵と生活力と体力が不可欠である事を、どれだけの人が理解しているのでしょう?

仮に出来たとしても(出来る筈も無くそう思うのも思い上がりに過ぎない)、一時の見方である事に気付かなければならない。

P1000368 雨に濡れる若葉。一気に桜の若葉が伸びて桜木の生命力を感じる。しかし、皮肉な事にこの幹に来年の春、花びらが春の歓びを爆発させる保証が無い。

親父同様、多分、いいや間違いなく今年並みの桜花を広げるのは大丈夫かも。この壮年の桜木を知る吉野さんは、幹からこれ程の新芽と葉っぱが伸びるのは、この樹の栄養状態が良くないからと言われる。

樹齢50年足らずのこの樹は根元に掛けられた除草剤の所為で成長が止まる。昨年、3分の一が枯れた。今も枝先の幹の一部が枯れている。

それでも何とかして花と葉を広げて健気(けなげ)にも生きようとする力。お前にその力は有るのか?有ります。

P1000363 製品の引き取りに来た大型トラックの尻

モンドセレクション最高金賞受賞

霊峰高野山

大師の水 御存じ?知りませんでした。

大阪では売って無いもん。

売ってたとしてもホンマに価値ありまんのか?罰当りの親父に信心の気持無し。アカンでアカン。信じて飲むべし?

親父が高野山に行った時、奥の院手前の川で信者が白装束で入水し、一心不乱に南無大師遍照金剛を唱えていた。

信じて行えばそれ行者なり。親父にそれ位の気概が在れば、人生は変わっていたかもしれない。今からでも遅くない。?

P1000362 夏も近づく八十八夜。この葉はお茶ではないが静岡掛川諏訪原城のお茶は今年も緑の絨毯(じゅうたん)を広げている事だろう。

大雲院のお和尚は亡くなっても広い茶畑のお茶は、摘み取られている事だろう。静岡のお茶。今は口にする事も無い。

親父が京都で下宿住まいだった頃、田舎のお袋が手揉みのお茶と佐伯の城山まんじゅう(ひき茶饅頭)を送って呉れていた。

この時期になるとそんな事を思い出す。

流れに浮かぶ泡(うたかた)は久しく留まりたる試し無し。人の世もかくの如し。(鴨長明)

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