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2010年5月 9日 (日)

五月は五月晴れの時のイメージが強いけれど、今年は暑くない?

今月の初めの連休中、晴天が続いて天気には恵まれたと天気キャスターが言っていたが、この時期暑いのは何とも不快。流石に空気は乾燥して気持は良いけれど余り暑いとそれもあまり感じない。人間の不遜な生き方は自然の天候まで変えられると思っているのかもしれない。そのくせ一方ではエアコンや車の排気ガスをまき散らし、それが文化的な生き方と勘違いしている。歴史に詳しい中西でも昨日のニュースには違和感を感じなかっただろう。

昨日大阪港から中国上海の万博会場に向けて再建された遣唐使船が出港した。歴史を知らない人なら、何にも違和感がなく受け入れられる、平安の昔の偉業を感じさせられるニュース。しかし、このイベントを企画した人の感覚に作意が感じられる。

親父も司馬遼太郎氏の「空海の風景」を読むまで知らなかったが、当時の船は天候に為す術が無く、遣唐使船の華やかさに比べ命懸けの航海だった事を彼等は知らない。否、知っているのかもしれない。それでも尚遣唐使船の偉業、造船と航海の技術の無い時から命懸けの文化使節を讃えたいのだろうか?そうではない。上海万博の成功を願ってのイベント位にしか思っていないのだろう。

平安の遣唐使は選抜されただけで生きて帰れる保証は無い命懸けの旅だったと言われている。遣唐使以前に遣隋使がありそれより前にも中国からの渡航は行われている。その全てが命懸けで在り安全に玄界灘の波頭を乗り越えた船旅は少ない。奈良時代、天皇の招きで東大寺の僧侶の指導に来た鑑真和上は10年の歳月と度重なる難破の試練を越えている。

この国のおかしい処は命懸けの船旅であっても船の作り方、航海術の確立を計ろうとしない。玄界灘の荒海を何とか安全に航海できるようになったのは室町時代、御朱印船の時と言われる。しかしこの時はこの国の仏教、密教の為では無く金儲け、民間の貿易の為だった。御朱印船。この話は中学の時歴史の時間教えて貰った事が有る。

野球の監督。厳しい先生だったけれど歴史の話は面白かった。遣唐使船は空海が中国(唐)に20年の約束で行った後、次の便は2年後、その後は50年途絶える。空海はその船で帰るがそうでなければその後の高野山の歴史は無い。この前後の司馬氏の小説は本当に面白い。事実は小説より奇なりと言われるが事実が在るから小説が面白いのかもしれない。

このブログは歴史に興味のある中西の為に書いている。次は坂本竜馬暗殺の下手人の真実。その前に休憩です。一服して夕飯です。

夕食済ませました。今夜はお気に入りの巻き寿司。一人の侘しい食事をする様になる迄は考えられない粗食です。でもこの巻き寿司はスーパーの総菜店の物。298円では上等です。侘しいと言えば寿司飯に空気が入っていない事。そうあのふっくらとした何とも言えない口の中に広がる満足感はこの値段では無理でしょう。ホントは稲荷も一緒に口にしたいが此処の稲荷は流石の親父も口にしたくはありません。阪急デパ地下のジャンボと豆いなりはお薦めです。御寿司はネタとシャリが値段と言われる意味を一人になって痛感です。(余談)

食い物の話をすると長くなりそうで昨夜見たテレビのネタ。そう中西に聞いた話の続きです。坂本竜馬の生きた時代の話が昨今、まことしやかに語られたり高知の桂浜とか京都の先斗町は大勢の観光客で賑わっているそうですが、暗殺の悲運を語る人は少ない。

歴史とはそんなもんです。後の世の人がどんなに偉人の様に語ってもそうではない事実は明確ではない。坂本竜馬の何処にその素晴らしさが在るかも知らずに、多くの事が綺麗事の様に語られるのは滑稽でしょう。空海の話もそうでした。何も知らない過去の人がその時代に苦難の道を歩いた先人を断片的に語る事は罰当りでしょう。

でもそれでも何も知らずにヘコヘコと他愛も無い事に、廻りの迷惑顧みずにデカイ声でわめくよりかはマシでしょう。坂本竜馬が剣の達人であった事は某国営放送の大河ドラマの予告編で知りましたが、実際は剣術では身を守れない事を実感してピストルを胸に忍ばせていたのでしょう。それでも闇打ち同様の抜き打ちには為す術もなく眉間と脳天を切られて無念の死を遂げねばならなかった理由は今日でも明確ではありません。

テレビでも暗殺の理由を明確にされていませんでしたが、明治の時代も今日の学識者が声高に叫ぶ程の物ではないのも一面でしょう。武士の世が終わり文明開化の時を迎えたとしても、その時代の寵児にも成れず無念の思いをしながら死んで言った数多くの人の偉人を忘れてはならないのでしょう。同時に生き永らえて維新の歓喜を味わった人の多くも不遇だったのでしょう。結局武士の世が終わり貴族と平民の時代に替わっただけだったのかもしれません。長崎のグラバー邸で取引されたイギリスの武器がこの国の武家社会を崩壊させただけでなく、多くの人の新国家の思いを打ち破ったのでしょう。

そう考えて見ると坂本竜馬の生き方はある意味、悲劇だったのかもしれません。幕府を倒した薩長連合は明治新政府を作りましたがその中に坂本竜馬の名前は有りませんでした。新政府の生みの親は明治の時代の大いなる変革の時を知らずに誰に殺されたのでしょう。

「邪魔者は消せ」アメリカの西部劇の映画にそんなタイトルが在りましたが、明治政府の成立は古き時代の関わりを断つ事から始まったのでしょう。歴史上は暗殺の下手人は新鮮組の配下の下級武士になっていますが、君は今でもその事を信じていますか?

この歴史の汚点は昭和の初めの軍国主義に繋がり、軍部青年将校の問答無用の暴走に繋がったのでしょう。表面上は平和な今日でも日常茶飯事に弱い者いじめの風潮は変わりません。この時代を生き抜くには冗談で無く格闘家精神と肉体が必要なのかもしれません。

では又読んで下さい。御朱印船の話は非常に面白い話ですが、この国の国内の治安が乱れに乱れた室町の世の末期、東シナ海は日本の海賊の天下でした。この海賊は中国、朝鮮では倭寇と呼ばれ海の盗賊でした。彼等は盗人。自分達は堅気の商人。その印を家康が天下統一の後、与えたのも鎖国のイメージの強い江戸時代とは何たる皮肉でしょう。

この話はもう少し勉強してうんちくを語る事と致しましょう。では又です。金曜日行きます。

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