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2010年5月 3日 (月)

岐阜 荘川には行けず。予定変更,高野山に登る。

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弘法大師像に参拝者がひしゃくで水を掛けている。その飛沫(しぶき)が捕えられている。

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奥の院に向かう参道。多くの廟と杉の大木がある。家康、信長、何故か秀吉はない。彼は太閤の名で貧乏農民の倅から天下人になるが、その後の生き方は最悪。側室淀が生んだ幼子の所為で人を育てられず、多くの後継者を惨殺する。朝鮮出兵も歴史に汚点。この大木の右側にその過ちが刻まれている。しかし、その事を見上げる人も無い。

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杉の大木は見ながら奥の院に向かう。多くの善男善女に出会うが殆どの人は上を見ていない。雑談しながら平穏の時を過ごせる幸いを日差しも歓迎しているのだろう。太陽の日差しで杉の幹が欠けるのは珍しい。この時刻お昼過ぎ、昼飯に買ったイナリはまだ食っていない。

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偶々(たまたま)参拝帰りの人波が途絶えた処でイナリを取り出す。空海がこの高野の地に真言密教の道場を開いたのは平安の時。それからどれだけの歳が流れたのだろう。そして人々の心はどれだけ開かれたのだろう?皮肉な事に空海が生きていた頃、高野の寺院は未開の土地だった。空海からその教えを引き継いだ弟子達も50年足らずで、この地は全く違う教えが正当化される。その検証はなされたのだろうか?短い時間でその話を聞く機会は無い。これから学習しなければならない。イナリを食いながらそう思う。この罰当り。

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苔蒸している杉の大木。どれ位の年輪を重ねているのだろう。白いプレートは大樹の証し。

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この大木も強風に倒される事も無いのだろうか?樹の支えは自然の力と思惑だろうか?空洞が開けた処に人の思いが有る。永い永い人のささやかな思い。心に迷いが生じた時、心の鎧(よろい)を外して先人の思いを訪ねて見るのも良いかも。この樹の力は一体何なのだろう?

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樹の間に光が差し込んでいる。長い長い混迷の時を切り開くのは意外に近いかもしれない。

この高野の地を開いた空海も意外に、今日の人が想う弘法大師、南無大師遍照金剛の印象は薄い。真言密教の教えは意外に理解されていない。教えが難しいからなのだろか?そうではない。人の生き方が濃密で無いからだろう。この国の一部の人を除いて。

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司馬遼太郎氏の文学碑。格言う親父も「空海の風景」を読む迄は何も知る由も無かったのだから。尤もらしい事を言う資格はありはしない。連休の中日。多くの人波の中で何も考えずに歩いていた。帰りは流石に多くの人波にうんざり。大阪の南のターミナル難波の替わり様に眼を見張る。それでも南海電車の車両の古さは変わらず。高野の道は遠かった。

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此処の左が奥の院。弘法大師が祭られている。ここから先は撮影禁止です。

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南海電車高野口終点からケーブルで上がる。そのバスターミナルからバス専用道路の道が有る。高野の街は意外に高い。この空中都市で4000人近くの人が生活していると言われる。連休の時で無い静かな時、心通じる人と再訪して見るのも一考かもしれない。

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帰りのケーブル。右に移り込んでいる彼女はスイスの旅の事を語っていた。彼氏は34.好青年だった。お幸せに。

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南海難波駅。コンコースの上に広がるビル。この奥に難波球場跡に建設されたショッピングモールと高層ビルがある。それでも親父が18~22の時彷徨った面影は無い。

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