今日はお休み。休みの日の行動パターンは決まっている。予定が無ければ9時起床。テレビの経済ニュースを見て近くの喫茶店。モーニング食って家に帰って雑用。11時から再び経済ニュース。お昼近くまでのんびりして弁当。これも決まり。午後は夕方までのんびりして山に行く。夕飯は近くのスーパーで買い物をして一人で済ませる。このパターンが長く続いている。何時まで続くのだろう?死ぬまでだろう。最近、こんな一人暮らしの親父が多くなっている。色々事情があろう。それでもがんねん(田舎の方言で体のゆう事、自由)が効かなくなると一気に哀れになる。その時人は何を思いどんな生き方をするのだろう。絶望?人は希望と共に若く失望と共に老い朽ちる。これはアメリカ、サミエルソンの言葉だけれど、この国の老後を考える人々は何と表現するのだろう。
10年近く前に全国紙で姥捨て山の事を語られていた御婦人は今、どんな生き方をしているのだろう。閻魔(えんま)大王の面接を受けられて天国で幸せに暮らしているだろうか?そんな馬鹿な事を考えながら難しい漢字と言葉を飛ばして読んだ司馬遼太郎の「空海の風景」を読み直している。
今、(下)巻の前半空海が遣唐使で行っていた唐(今の中国)から戻り大阪和泉の槇尾寺に謹慎している頃の話。何故謹慎かと言えば遣唐使の派遣期間は20年。(びっくり)それを2年で切り上げて帰ってきたから。朝廷の指示待ち。しかし、この頃の朝廷も藤原氏との癒着で権力闘争に明け暮れ、朝廷を支持する藤原氏も一枚岩では無かった。4つに割れそのうちの一つは既に勢いが無く3つの勢力が抗争を重ねていた。そう仁義なき戦い。今も昔も政治を司る(つかさどる)人達の醜さは変わらない。
空海が遣唐使の20年の期間を全う(まっとう)しなかった事を、司馬氏はこう解説する。空海が自分から志願して遣唐使船に乗ったのは当時の仏教に愛想(あいそう)をつかしていたからであり、その教えを唐で学べば20年の歳月は無用であったと。凄いと思うよね。
十分の一の期間で目的を達成しただけでなく、類、稀なき書道と言葉の才能はいかんなく発揮され真言密教の教え、教典、仏具を自分が持参した砂金(家が讃岐の豪族、支持者の寄付)で賄った(まかなった)と言われる。
それでも期間短縮の司馬氏の表現は興味深い。この後、遣唐使船は50年後となりその時帰らなければ、今日の空海の評価は無い。帰国後、福岡筑紫の地で1年、大阪和泉の地で暫くの時を待つ。この時今日の都も混迷の時を重ねていた。
空海の能力はこの後、京都高尾山で大きく開花する。一緒に唐に渡り先に帰国していた最澄との確執もこの時から始まる。本当の事は分からない。最澄は比叡山延暦寺天台宗の開祖。若くして朝廷の庇護(ひご)を受ける。空海の乞食同然の若い頃と大きく違う。
しかし、それも最澄の打算(ださん…計算、策略)ではない。朝廷の平安京の鬼門とされた。その意味では最澄も悲運だったのだろう。空海と言う真言密教の天才がいなければ言われなき誹謗の言葉を空海から浴びせかけれれる事は無かっただろう。
最澄は自分の非才(真言密教)を空海に告白し教えを乞う。空海もそのつもりだったと言われる。しかし、両雄並び立たず。最澄がどんなに努力をしても空海のもとで長い修行が出来る筈も無い。最澄はやむなく空海から教典を借り本で学び取ろうとする。それを空海は理解出来なかった。
四国八十八か所。今日多くの善男善女を弘法大師の悟りの道を歩く。同行二人とも言われるが天才空海の教えは天才であるが故の悲劇も又、歴史が証明する。彼の教えは今尚、高野山に登れば脈々と教え継がれているが、多くの凡人にはその真言は理解されていない。
信じられない事だが高野山は空海没後50年足らずで、空海が否定した教えが主流となりそれが明治の世まで続く。空海が唐の高僧から教えられた言葉。真言とは一体何だったのだろうか?空海は多くの言葉を書き遺しているが、密教の言葉の意味さえもが死語となり、現代人の精神的支柱にすら成り得ていない。空海が命を削って求め悟りを開いた言葉は、以外に今日でも通用するのではないだろうか?何の為に行き何の為に死すのか その言葉の回答は無い。連休の時高野山に登り奥の院の参道を歩きながら、多くの人の思いと杉の大木に眼を奪われていた。
今年も老木に若葉の頃が重なる。今年は開花の時を見れなかったが、どっこい生きている。幹の様相に比べて若葉の茂り方は半端ではない。
これが生きる力だろう。この画像をアップし直してみる。
凄いよね。このこぶし。握りこぶしでもカラオケのこぶしでも無い。幹のこぶし。
これは又高く、そして天空に緑の若葉を広げている。早苗の森の銀杏の大木。どうだ。
若葉の影が幹に写り込んで結構見づらい。それでも公開したのは若葉の勢い。どうだ。
しつこいけれどこれでおしまい。樹齢250年の大木は今年も元気でした。
これはもっとひどい楓の樹。楓(カエデ)紅葉の時にもう一度お見せするが、枯れていない。左上に伸びる中枝はその先で二股に分かれている。幹の中心がVの字に裂け、その先の枝がVの字に伸びている。これが空海が教えて呉れた人の生きる力、生命力だろう。違うか?その事を見誤ると人の生き方も変わってしまう。その事を忘れた人も少なくない。この画像はその事を教えている。これからどう生きるかが問われている。
二つの樹が重なっている。左は楓の樹。右は雑木。五月の時、それどれが自己主張している。
常夜燈。刻まれている文字は宝永と読み取れる。江戸時代からひっそりと鎮座している。
公園のベンチ。流石のお親父も座らず。それでも今年の夏は避暑に来るかも?その為にはもう少し日陰がほしいね。
これからの若葉の成長でどれだけのエリアが確保できるかだね。近くの山の方が涼しいかもね。今年の夏は暑そう?エアコン必需品だね。
それまでにメタボな体重。ベルトが切れる様な腹廻りを何とかしなければならない。親父が週末手にするスポーツ紙のコラムに減量進行形のコラムが在る。その人の体重親父より少ない。それでも足腰に負担が掛りぎっくり腰。心機一転。貧乏な生活改善の一石二鳥の食費の切り詰めをやって成果を出している。親父は其処までは出来ない。それだけまだ切羽詰まっていないのだろう。しかし、腹を凹ませるには腹筋と食事量を減らすしかない。それが出来るか否かの勝負だろう。禁煙もそうだった。成功の秘訣は決意ではなく追いつめられる日々の生活に違いない。それが無ければ欲の塊の人間の決意程軽い物は無い。
本当の賢さは其処まで追い詰められるまでに事を為す事だろうが言うは易し、行うは難し。腹の廻りの贅肉の廻しを弄り(まさぐり)ながらそう思う。まさぐるとは言い得て妙。最近、そんな喜びも無いが人間の活力は思いも寄らぬ物かもしれない。
健康に留意をするのは必然の事であるが、一時期高かった血圧も薬を飲み始めて標準値の範囲に入る。血圧が下がっても高脂肪、高血糖の体質は変わっていない。今日、掛り付けの内科医で血液検査をして体質の変化を見る。結果はすぐに出るが今はその結果を聞くのも医療費が掛る。健康もお金。でも予防はお金に替えられないかもね。
医療費もバカにならない。それでも自己管理が出来ている人はどれ位居るのだろう?健康食品も多くなりそれぞれがそれぞれの方法で自分の体をコントロールできる。その事も忘れ去られた時親父も要介護者になるのだろうか?
自分の体は自分で管理しろと言われるまでも無く、18の時大阪に出て来た時から心掛けて来た。一人の生活になって14年。一番、その事を思い知らされた時の事を忘れてはならない。家康遺訓。{心に迷い起こらば困窮した時を思い起こすべき}。そう元気が在れば何でも出来る。女々しく生きるな。雄々しく高く伸びる銀杏の様に存分に生きよう。
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