明日の京都の最高気温30℃ 薄暑では無く夏日 いくらなんでもそれはあんまり
柊(ひいらぎ)南天の実は完熟の時を迎えている。一見ブルーベリーに見えるこの実は口には出来ないほど不味い。
これだけの多くの実を何故付けるのかも分からない。それでも良く見ると感嘆の思いが込み上げて来る。
感無量と言うには大袈裟だけれど多くの人の目に触れづ、これだけの営みを重ね人知れず実を落とし、繁殖を重ねる。
何の為とか全く意味が無くてもお構い無し。生命の循環。親父も今、全く同じ生き方をしている。この雑然とした茂みの中で、命の交換の実が整然と行われている。
この植物も手を掛けてやれば綺麗な庭木になる。それも無用と放置されてもこれだけの生命力に枯れる事は無い.
桜の若葉もこれだけ大きくなる。この葉が夏の日差しを受け止めて更に成長する時、来年の桜花を約束するだろう。
この桜の実も不味い。この実を完熟して落下すると新たな生命力と成るのだろうか?桜の苗はなかなか育たないと言われる。
それでもこれだけの多くの実は、健気にも(けなげにも)色付きを重ねて落下の時を待つ。その時は何時の事だろう?
梅雨だな。天地の潤いが満たされる時。葉を叩く大粒の雨がその時を呑み込むのだろう。それでも根を付ける実は在るのだろうか?難しい。
桜の苗はそれ程に育てるのが難しい。それでも飽くなき挑戦。それは桜木の無言の営みです。
雨にバラが打たれて頭を下げている。このまま日差しが強くなればかま首を持ち上げるが、これ位の下向きの謙虚さも必要かもしれない。
今朝、出勤時、駅前広場で政党のスーピーカーが、が鳴り立てていた。親父からぼろ負けだと怒鳴られる。
私が決める。5月末までには結論を出します。出来もしない事を尤もらしく語っても支持されると思っているのだろう。
バラの花を見習え。この花を胸に飾って誇らしげに政策を語ったのは、そんなに前の事ではないだろう。
バラの花が頭を下げても人間様が不遜な生き方をしていたら、そのしっぺ返しは小さくない。その事を何時思い知るのだろう。
桜の幹が完全に若葉で隠れる。4月の時には予想も出来なかった若葉の芽吹き。そして眼を見張る茎の伸び。
来月の梅雨の時は近いが、その時までにはもっと茂るだろう。そして雨水を貪欲に吸収するのだろう。
夏の暑さをどれだけ遮れるのかは問題では無い。CO2を吸収して光合成をかさねる。どれだけ養分を取り込めるのだろう?
養分?根元に魚粉を撒いて下さいと言われている。お頼み申します。根に力を。精一杯、葉は広げるからと言っている。
梅雨のはしり。そう、もうすぐ梅雨の時。明日は日差しがきつくて夏日?それでも来週は又、冷える。風邪引くな。
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