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2010年4月27日 (火)

太平洋から日本海を結ぶ桜街道

この国が目覚ましい経済発展を遂げたのは昭和40年代後半。今から40年前後の事。親父が25の時、大阪万博が開かれる。今は亡き両親が九州から出て来て京都、伊勢、志摩、そして万博会場を見学した。あの頃は会社も大阪大淀、淀川近くの薄汚い建物だった。

翌年の46年、工場は大阪府三島郡島本町に立派な工場が完成する。この工場は今でも会社の主力工場として活躍しているが、当然工場のメンバーは当時から多くの年を重ねて世代交代をして親父も知る由も無い。

太平洋から日本海を結ぶ桜の街道も往時の面影を知る人は今は無い。名古屋の名鉄バスセンターから富山のJRの駅を結ぶ国鉄バスの車掌佐藤さんの夢を知る人も無くなっている。国鉄バスもJRに替わり今は採算悪化で直通バスも廃止されている。

親父がこの話を最初に知ったのは新婚の時。大山崎のアパートでテレビドラマで見る。佐藤さんの夢はバス路線の両側に桜の街道を造る。それは壮大な思いで在り大変な自己負担だけでなく、安くない貴重な苗木も枯れる事が多かったと伝えられている。

あれから40年弱の風雪が重なっている。それでも人の思いは多くのこんなを超越する。歴史は無名の人の思いで造り上げられるとは正にこの事だろう。それでもこの話はテレビドラマ、ドキュメンタリーの話でしか知らない。そんなもんだろう。それでも親父はその偉業を言葉で語れるがその話も知らない人も少なくない。

今年は6月にビッグイベントが控えているが必ずこの道は歩かなければならない。親父の好きな司馬遼太郎の「街道を行く」にもこの話は語られていない。この国には多くの地域を結ぶ街道があるが名古屋、岐阜、富山を結ぶ街道の名を今では高速の道でしか知らない。

名古屋から岐阜を結ぶ国道のほぼ中間に一宮がある。その国道添いに名古屋工場がある。一宮から岐阜の道は会社の慰安旅行でしか通った事が無いが地図で見ると遠くない。昔、信長が斎藤道三の息子を滅ぼし手に入れた金華山岐阜城は長良川畔にある。

この道を歩く事は100%ないがバス路線が在れば行かねばならない。無ければレンターカーだろう。岐阜からは美濃加茂、この街は馴染みの街。此処から飛騨川を北上し下呂、高山までの道、そこから富山に抜けた思い出はある。佐藤さんの桜街道は此処から左に折れ美濃市に出る。この道は10年前(正確には9年と半年)に土方仕事の下見に社長と言った事がある。あの社長元気だろうか?仮設モノレールと地質調査の会社、繁盛しているだろうか?

此処から郡上市、白鳥、ひるがの高原の道はこの街道のハイライトだろう。この先が太平洋と日本海の分水嶺。佐藤さんはこの景色をどれ位見ながら生きていたのだろう。今、この街道沿いには立派な桜の街道が続く。(でもこれは全て想像の世界。実状は如何だろう?)

細かな処は違うかもしれないけれど大筋では間違っていないだろう?そんな気がする。本の半世紀前には日本各地の何処にもあった地方の風景。其処には高速道路も舗装された国道も無かったけれど、この国の原風景があった。

今日、都市の道は言うまでも無く地方の街道も整備され、人々の生活も豊かになっている。それでは人の心は如何だろう?今関西では奈良平城京遷都1300年祭とか言われて大極殿とやらが再建されているけれど、今日言われている程に人々の生活は華やかだったのだろうか?歴史検証を間違うと後世の人は歴史に思いを寄せる事は出来ても学習は出来ない。

1300年の昔の暮らしが人々の大いなる犠牲の上に成り立っていただけでなく、人々の生活は歴然とした身分の差が明確で哀れであったのも事実だろう。その事が全く語られず煌びやかな(きらびやかな)建築物を見せられた時、立派、凄い、唖然とする位の言葉しか言えない。

現代のお金でどれだけの税金が賄われたのか?それは大和の国から藤原の世の朝廷の無駄遣いで在った事を現代の常識人なら考えなければならない。再建された遣唐船の凄さを語る人にこの船が玄界灘の荒海の前では難破船でしか無かった事を教えてやらなければならない。

公共放送なる言葉のいい加減さはこの事実を見るだけで良く分かる。平城遷都の時代、当時の権力者がどれだけ人々を食い物にしていたかは、司馬遼太郎の空海の風景を読むと少しは分かる。確かに物の見方は千差万別。それだからこそ多くの人はその中に其れぞれの思いを重ねられるのだろう。

そう思いながら名も無き人の想いを訪ねると歴史の見方も変わる。司馬遼太郎が書ききれなかった歴史の想い、街道の想い、そうして宗教家、哲学者、密教の思いも其処に在るのかもしれない。太平洋と日本海を結ぶ桜並木、それは又一味違うこの国の歴史街道に違いない。

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