一気に夏?マダマダマダ 明日は又、雨。そして低温?
今日はお休み。大阪府庁別館でパスポート受け取る。約30年振りのパスポートは何故か嬉しい。写真館で撮った写真が何故か厳しい顔をしている。偽造防止の処理が華やか。
地下鉄谷町線から中央線乗り換え、阿波座の駅を下車して地上に上がった処。完全に空の景色が夏バージョン。暑い。夏が近い。
岡崎橋交差点のツツジ。満開の時はまだだが早くも開花している。若い頃、営業の仕事でこの交差点を市電で通っていた頃には、考えられなかった景色。あの頃は街中も心も埃(ほこり)に塗(まみ)れていた。
段々失われゆく希望と現実の厳しさ。誇り高い男が失意の中で喘(あえ)いでいた。自分の道は自分で切り開け。そう言い聞かせるだけだった。
あれから多くの時が流れる。こうして自分が歩いた道を振り返ると多くの思いがこみ上げて来る。日の当る時、日陰の時、木漏れ日の時、長い間自分の歩いた道を振り返る事が無かったが、静寂の中に間違いなく自分の息遣い(息づかい)が見える。
人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。焦るべからず。心に迷い起らば困窮したる時を思い起こすべし。(家康遺訓) 怒りは敵と思え。これは守られていない。怒りまくりの単細胞は多くの敵を生み味方を失う。それでも我が道を踏み締めながら貧乏くじを引いたのは自業自得と言えるだろう。大事な人を思いがけなく失っても尚(なお)歩き続けたのは何だったのだろう?この先に見える風景だろうか?司馬遼太郎が見た空海の風景をこの先、見る事が出来るのだろうか? 息を切らせながら汗を拭いていた。
帰りに電車の中で「空海の風景」を読み直していると、ラストに空海の弟子が空海の死を唐長安に報告している。司馬遼太郎氏曰く(いわく) 異域(異なる地域?)小さな国の僧の死が長安に報告される事は、空海以前にも以後も無いのではないかと。
何故、報告したかと問われれば空海は長安の青竜寺で師、恵果に密教の教えを受けている。師の期待に背かなかった事を報告し次の言葉で師匠の死を報告している。「薪尽き、火滅す。行年六二、嗚呼悲しい哉(なり)と。
司馬遼太郎は言う。「われわれ人間は、薪(たきぎ)として存在している。燃えている状態が生命であり、火滅すれば灰にすぎない。」 と。 空海死の報せを受けた長安青竜寺では、一山粛然とし、ことごとく素服をつけてこれを弔したと結ばれている。
(中西君、司馬遼太郎記念館の休館日は月曜です。一度、ご足労あれ。)
アクセス、近鉄奈良線、河内小阪下車、徒歩12分。です。
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