三寒四温は天気だけでは無い 最近その事を痛感する
これだけアップされると流石の柊(ひいらぎ)南天の花も良く分かる。その代わり全体の姿が見えなくなる。
もう一枚の画像を見ると、良く分かるが日々の問題も同様かもしれない。最近の記事で経済の事を書いている多くの人が、多くの事をコメントする割に全体像が見えてこない。
最近の景気は言うまでも無く良くないが、多くの人が良く分からない。分からない事を分からないままにして、分かった様な事を言っている。
この国の経済の実態を何処の誰が分析して適確に分かりやすく伝えているのだろう?。最近の経済ニュースを見聞きする度にその事を痛感する。
一番ひどいのはマスコミの伝え方だろう。政治ニュースと同様、国民の日々の生活に直結する出来事位、勝手なコメントを差し挟まないで事実のみ、簡潔に伝えられないのだろうか?
そんな事を呟いて居たら、この画像に教えられる。強弱、感情挿入の方が良く分かる。
そうそう、この絵を見ても柊(ひいらぎ)の紅葉した葉と花の関係を説明できるのは余程の知識人か園芸人でしょう。
画像下の折れた幹に気付く人は略(ほぼ)稀(まれ)でしょう。多くの人は言われなければ分からない。
言われてもどれだけの人が興味を示すだろう。自分の手にするお金、価値に関心はあってもそうでなければ如何でも良い事だろう。
その事が実際はそうでなくても、後になって思い知らされなければ(否、思い知らされたとしても)その時は分からない。
その時だけでなく、ずーと分らないままかも知れない。そんなもんだよ人生は。最近、この歳になってその事を思い知る
さよか。左様です。人間知らないと大きな廻り道と後戻りもしなければならない。真面目に生きてもそうでなくても、大事な事は先見の明かも?
今日、帰りの電車で空いた席に腰を降ろし、朝、買った経済新聞に眼を通していると、前の席に母親と娘が座る。
嫌な予感が現実になる。娘がカサカサ音を立てながら母に何かを渡している。新聞から半分顔を覗かせて見ると、謗らぬ(そしらぬ)顔をして口にする。
それと前後して声が大きくなる。親父の顔が段々、上気する。次の瞬間怒りの思いが何故か、一気にしぼむ。何故?
母と娘と言うより姉妹の感じと天真爛漫とした無礼?(そんなの有りか?)に言葉がない。知らん顔をして紙面に視線を落とすと会話のテンションも下がる。親父の不快の思いが通じたのかもしれない。そう思いながらメガネを外し新聞を閉じると視線を感じる。降りる駅が近づいていた。
それでは本題。経済の話。その前に暫しタイム。(休憩)
景気の先行き見通しは暗い。景気が何故悪いのかは人によって見方が違う。多くの人が難しい事を言うから凡人には分からない。分からないから分かる人に何とかして貰いたいのだが、難儀な事に分かる人が居ない。其れドレの経済人、エコノミスト、学者、経営者、政治家が其れドレの立場で思いつきの事を口にする。
しかし、経済の事が分かる多くの人は今の状況を打破するためには、更なる金融の緩和が必要だと言われる。確かに経済の活力が失われお金の廻りも良くない。それでも有る処には有るだろう。無い所に無いからと言って更なるお金を日銀が金融機関に安い金利で貸し付けたとしても、そのお金が無い所に廻る保証は何も無い。
今でも金融機関にはゼロ金利に近い預金が貸し付けを大きく上回る。金融機関にお金が足りないのではなく一般庶民と中小零細の先行きの見通しが無い処にお金が無い。お金持ちはお金を使わないし、お金廻りの良い大企業は銀行からの貸し出しでは無く自前で資金を調達する。だから景気が良くないのだろう。
政府は景気対策、金融機関の貸し渋り対策として日銀からの短期金利を金融機関に貸し出してまで何をしようと言うのだろう。お金を必要とする人の貸し出しには担保とする物が不足し優良貸出先の金利は今より下げるしかない。必然的に株式、商品相場、金融投資にお金が流れる。
デフレ対策が皮肉にも今日の価格破壊(値段が下がる)を加速する。政府に出来る事はこんな間抜けな事では無くて成長戦略(評論家の言葉)が必要と言われても、それが何なのか明確ではない。それ位の事は親父でも分かる。
経済が行き詰まりを見せた時、国内だけでなく国外にその活路を見出してきたが、世界にその市場は発展途上国しかない。しかし、どんなに中国、インド、東南アジアの市場が大きいと言った処でその恩恵に預かれる個人と企業は多くはない。
その事が分かれば政府が為さねばならぬ事、人々が求める事は効率化しかない。今、国内企業は乾いたタオルを絞りに絞って効率化の余地はないと言われているが、見方を変えればそうでもないだろう。コストダウンも今のやり方と違う方法も有りかもしれない。
日本企業の凄さはトップでもミドルでもない。ボトム。底辺の肩書も経験も無い人達。パートのおばちゃん。改善活動に終わりはない。民間企業の血のにじむ努力に対して役所仕事ののうてんき。税金を何だと思っているのだろう?自分達の物。その年度で使い切るもの。足りない物は取り立てるか、補助金を貰うか、債券を出すか、その程度にしか考えていないのだろう?否、何も考えていないのだろう。余計な事は考えず言われた事しかやらない。言われた事もしんどい事はやらない。役人に改善とか改革の言葉は禁句だろう。
これからその事を問わなければならない。そうして仕事をする。仕事を造る。雇用をを生む。その事を今日の経済教室の中前氏も提言している。しかし、無理だろう。この国は小泉前総理に言われるように、ぶっ壊れ無ければ分からないのだろう。その小泉氏がぶっ壊れた様に(本人は息子にやらせているつもりだろうが)。しかし、本当にその重みを伝えているのだろうか?
景気は今、じっと息を潜めて開花の時を待っている。新年度予算がコンクリートから人へと言われても経済の柱が明確にならなければ、桜吹雪の美しさが嘆きの貧困に重なる時が遠くない。親父は新年度の柱は省エネ(エコではない)、都市と地方の結合、送電網の地中化、サービスの多様化(介護、医療、余暇)etc.と思うけど如何かな?
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