早春賦 春は名のみの風の寒さや
昨年撮った櫻の老木。今は目覚めていないけれど後半月もすると景色が変わる。今年は開花が昨年より遅いのかな?イエイエそうではありません。ほぼ昨年並み。これはカメラマジックかも。枝の大木の露出が後ろの青空に取られている。
此処まで下がると桜のつぼみも良く見える。開花の時はもうすぐ。しかし、その事に気付く人は少ない。今日は未だ寒いけれど春爛漫の時も遠くない。
梅は咲いたが櫻は未だかいな?just moment please (ちょっと待ってて下さい)
近くの花壇。パンジーが笑っている。今日はお休み。近くの喫茶店でモーニングを食う。広くない店内はほぼ満席。空いた席に座ると隣の席の客が食事と飲み物を一杯残して席を立つ。若い女性。感じが悪い。気にせず飲み物とトースト、卵を注文すると右側のオバはん2人が食事を済ませて何か、斜め前を見ながら批判している。でもそれも一時。すぐ席を立って勘定を済ませる。{やれやれ}と思ったのもつかの間、2人連れのおっさん(身なりは良い)と婦人がしゃべりながら一つ横のテーブルに座る。横のテーブルの灰皿におっさんが手を延ばす。
「オイ、オイ、煙草かよ」と思いながら経済新聞を読んでいると、近くの携帯が鳴る。相手の人が通話の了解を取ったのだろう。おっさんが平然として「オー良いよ」と言い放つ。ブチ切れる。おっさんの横顔を見ても無視。親父はおっさんの相方を見ながら「何、考えている。このおっさん」と言いながら視線を新聞に戻す。それっきり横を見る事も無く苦虫をかみつぶしながらトーストと卵を口に入れながら、コーヒーを飲む。
帰りにパンジーが笑っていた。「親父さん、つまらん事に目くじら立てていたらアカン」 子供のパンジーはベソかきながら顔をしかめていたが、親父らしい朝の一こま。あの店も客層が悪くなった。でも本当はあんなおっさんが多くなったのだろう。人の思いを推し量れる度量が無くても天に唾(つば)しても、他人の思いなどどうでも良い人が多くなる。
そんな生き方をしたらアカンと言われる事も無く、天上天下、唯我独存 これは釈迦の言葉?そうではない。この世の多くの苦難を和らげるために私はこの世に誕生したとも言われているがこれも間違い。そんな大それたことを釈迦が言う訳が無い。後の弟子のしかもアホが尤もらしく釈迦の尊さを讃えた間違いに他ならない。人間万事塞翁が馬。その言葉の意味もも不運と幸運は背中合わせと思えば不遜な生き方は出来ない。しかし、最近本当に無礼千万。其処に直れと声を掛けたくなる輩は少なくない。親父もそれだけ爺になったのだろう。
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