風は冷たいけれどやっと春。天気は下り坂だけれど・・・
チューリップの花がなんかおかしい。花弁が開いてしまったのだろうか?それ程に昨夕のなごり雪は思いがけないパンチだったのだろうか?
どんなつもりか知らないが大阪の花博会場跡地のチューリップの900本が折られている。心が痛まないのだろうか?
富山のチューリップの生産者がその被害分は補って呉れた翌日、又、被害に合う。何たる不心得もんだろう。
この小さい花壇の花も呆れて(あきれて)ふてくされている。花は何も言わないけれど、そんな生き方をしていると何時かは罰が当たる。それ位の事が分からないのだろうか?
桜のつぼみが大きくなる。如何だ。この立体感。幹のしわと花弁のぼやけ。3Dテレビ顔負け。眼鏡なしにこれだけの立体感が出れば、親父の腕前も自慢できるかも?
花弁はこれから日一日と変化する。開花の時は来週になりそうだけれど、今年は開花までの温度差が大きく、感動の一瞬は何時になるか微妙。それでも昨年以上の開花の時になるのは間違いないだろう。
昨年開花の後、幹の半分が枯れ切り落とされて寂しい体になったのが、嘘のように見える。嘘では無い。そのうちお見せできるだろう。
人生の幸不幸も糾える(あざなえる)縄の如しと言われるがその事もこの桜木が教えてくれている。その姿をもうすぐお見せできる。乞う、ご期待です。
昨日の季節外れのなごり雪も東に去り今日は抜けるような青空に桜のつぼみも開花の身支度をしていた。
未だ歓喜の時は来たらず。冷たい風が生暖かく感じる時は少し先の事。その事をこの老木は良く知っている。
幹のあちこちを無残に切り落とされてもどっこい生きているのは、この樹の生命力だろう。いずれ枯れてしまうその時まで満開の桜は一時の美しさを競う。
左上のつぼみは良く見ると女性の顔に似ている。背中に子供を背負いながらその時を待っているのだ。
枯れ枝が輝きに包まれる時、春は来る。
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