空海の風景 司馬遼太郎
先週の休みの日。南大阪小坂にある司馬遼太郎記念館に行く。最近の若者の中には司馬遼太郎と言われても分からない人も少なくないが、歳を重ねた同世代でも知らない人は少なくない。それでも人は生きてい来る。自分の生きた歳月と経験知識は左程に(さほどに)限られている。知るは一時の恥、知らぬは一生の恥という言葉さえ知らぬ事も珍しくはない。
ほんの少し前、国の税金の事業仕分けをした時に、この国を代表する学者、ノーベル賞受賞学者が口を揃えてそんなお金の節約を口にしたら、後世の批判に耐えられないと言われていたが間違いなくその域を超越した税金の無駄使いは、その思い上がりだろう。この国の多くの人は知らぬ恥をかきながら、それでも懸命に働き税金を納めている。
司馬遼太郎記念館で見た夥しい(おびただしい)書籍、あの多くの書物を手にしながら司馬さんは何を語り何を語ろうとしたのだろう。そんな事を考えながら手にしたのがこの本だった。空海 通称弘法大師。四国讃岐の生まれ、四国八十八か所の開祖、それ位の事しか知らない。司馬氏はこの小説の始まりで空海の生まれた讃岐、佐伯の生まれについて解説する。
小説は余りに読みずらい。難しい。眠くなる。46ページ迄進んだ所で乱読の目線が止まる。此処でFMのクラッシック音楽に負ける。この続きが面白くなるまで暫し休憩。
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