« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »

2010年3月

2010年3月30日 (火)

風は冷たいけれどやっと春。天気は下り坂だけれど・・・

P1000299 チューリップの花がなんかおかしい。花弁が開いてしまったのだろうか?それ程に昨夕のなごり雪は思いがけないパンチだったのだろうか?

どんなつもりか知らないが大阪の花博会場跡地のチューリップの900本が折られている。心が痛まないのだろうか?

富山のチューリップの生産者がその被害分は補って呉れた翌日、又、被害に合う。何たる不心得もんだろう。

この小さい花壇の花も呆れて(あきれて)ふてくされている。花は何も言わないけれど、そんな生き方をしていると何時かは罰が当たる。それ位の事が分からないのだろうか?

P1000298 桜のつぼみが大きくなる。如何だ。この立体感。幹のしわと花弁のぼやけ。3Dテレビ顔負け。眼鏡なしにこれだけの立体感が出れば、親父の腕前も自慢できるかも?

花弁はこれから日一日と変化する。開花の時は来週になりそうだけれど、今年は開花までの温度差が大きく、感動の一瞬は何時になるか微妙。それでも昨年以上の開花の時になるのは間違いないだろう。

昨年開花の後、幹の半分が枯れ切り落とされて寂しい体になったのが、嘘のように見える。嘘では無い。そのうちお見せできるだろう。

人生の幸不幸も糾える(あざなえる)縄の如しと言われるがその事もこの桜木が教えてくれている。その姿をもうすぐお見せできる。乞う、ご期待です。

P1000297 昨日の季節外れのなごり雪も東に去り今日は抜けるような青空に桜のつぼみも開花の身支度をしていた。

未だ歓喜の時は来たらず。冷たい風が生暖かく感じる時は少し先の事。その事をこの老木は良く知っている。

幹のあちこちを無残に切り落とされてもどっこい生きているのは、この樹の生命力だろう。いずれ枯れてしまうその時まで満開の桜は一時の美しさを競う。

左上のつぼみは良く見ると女性の顔に似ている。背中に子供を背負いながらその時を待っているのだ。

枯れ枝が輝きに包まれる時、春は来る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月29日 (月)

季節外れの寒波 これが今季最後のなごり雪 空はもう春

P1000296 もうすぐ4月なのに春が足踏みを続けている。テレビの天気予報で春の陽気は何処に行ったのでしょうかと言っているが、すぐ其処まで来ているだけだろう。

桜のつぼみも身震いをしながら、それでも開花の準備をしている。その時はこの青空を見れば遠くない。

後ろの雪雲が奇しくも富士の山に見えるが、この雲は六甲の山に小雪をまき散らしたちぎれ雲。一時、山は白くなる。

それでももうすぐ四月。寒いと肩をすぼめて処で根雪とはならず、山肌と地表を濡らしただけ。季節外れのなごり雪もこれで今季の見納めだろう。

寒気が抜けると桜花は一気につぼみを広げて開花の時を迎える。この寒波で開花の時が一週間遅れる。

京都御室仁和寺の遅咲きの桜も、満開の時は予定より遅れるだろう。来月の8日は早いかも。開花情報は?

パソコンの開花情報で見ると、この画像と同じ位。違うのは遅咲きだから遅れそう。数年前の満開の画像を見ると日付が4・21。無理かな。でも久しぶりに見る満開の時は感動でしょう。

日本の春は本当に美しい。日々の生活と仕事の追われているとゆっくり、何も考えないで桜花と向き合う事は少ない。親父の様に風情と関係の無い様な人間でも、季節の変わり目だけは記憶に残る生き方をして来た。それが自分の心の中でどれだけプラスになったかは、未だに実感する事も少ないけれど、そのお陰でこれ程に品格の無い男でも生きて来れたのかもしれない。楽しい時もそうだったが桜の花見は本当は、一人寂しく見上げるのがお似合いかもしれない。花見見物とは名ばかりの馬鹿騒ぎほど興ざめのものはない。大阪市内の桜の名所の境内でバーベキューを断れないと住職が嘆いて、来年から解放を中止すると言っていたが花見客のマナーの悪さは年々加速している。これも又、事実だろう。

帰りのバスの中で時間が何時もより遅れて、仕事帰りの人と一緒になる。何時も座る位置に座れず2人掛けの席に座る。間もなく後ろの席の年配のオバはんの会話が耳に入る。後ろの席だから姿形は見えないけれど話の中身が暗い。職場の話。人の姿形の貶し(けなし)。親父の一番嫌いな話が止まらない。こんなオバはんが今、一番元気なのも一時の事。その事が分かっていない。話を聞いて居ると居た堪れない(いたたまれない)。一気に不愉快になる。それでも終点の一つ前の停留所まで辛抱し席を立つ。何時もなら顔位見るのだがそれもせず出口に近づく。最近、電車の中でも喫茶店でもこんな人が少なくない。(アンタも同じ)

そんな時、大体感情をむき出しにしてゴリラの様に相手を威嚇する。ゴリラと違うのは言葉で窘める(たしなめる)。でも空海の本を持ち歩く様になりそれもマシになる。この本を開くとこの国の哲学の天才(仏教では無い)に会える。平安の昔にこの国にもこんな人がいたのかと思うと日常の些細な怒りが何処かに消えて行く。それでもバカは死なねば直らない。

4月の時は桜の開花と人々の心に歓喜の思いを重ねるのだろうか?様々だろう。懲りない面々が多くの言葉を口にしながら、大きな時の流れを見失う時、一瞬にして奈落の底に叩き落とされる事に思い知らされるだろう。人の思いは移り気で薄情な事をこの国のリーダー達は未だ理解していない。景気は回復基調?なんか歴史は繰り返される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月27日 (土)

春が来た 山には未だ 里に来た

P1000294 今年もやってきました。お待ちかねの開花です。寒い雨の日がやっと過ぎ去り、今日は少し花冷え、それでも幹の先には春の時が輝いていました。

八重の花は小枝の先に満開となるのが普通だけれど、幹から伸びる小枝の先の花も良いもんです。

会社の桜も五月山の親父お気に入りの桜もこんな感じだけれど、それでも桜の果敢なさは小枝の先まで、垂れ下がる八重の重なりかも。

今年の桜は開花の時は早いけれど、風が冷たいので長持ちがするとか。桜の花の醍醐味は一気に咲いて、一気に花弁を散らす事だけれど・・・。

P1000295 この画像も幹と枝葉の関係が崩れている。最近こんな桜木が多いのかと思いきやそうではない。こんな種類だろう。

こんな写真を見せつけられると、勘違いされるかもしれないが、親父達が小さい頃には大きな幹と小さな幹があり、この写真の様に大きな幹から小枝が伸び、そこから花が咲く様な事は、余り気付かなかった。

最近の出来事も同じような事が少なくない。出来事が直接的で幹から伸びるそれなりの枝葉何処に行ったのだろう?

心配ありません。昔馴染みの八重の桜をそのうちアップします。世の中の出来事も同じです。世間の風はマスコミが伝えるほど単純ではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月26日 (金)

春の雨も止み今日は気持ちの良い天気

P1000288 近くの公園のモクレンンの花。これだけの剪定(せんてい)された樹と咲き誇る花も珍しい。モクレンの花言葉は?

花の色は紫。白い花は白モクレンと言われ、花の歴史は古い。日本の古い奈良、平安の昔から多くの人の思いは特別だった意味が分かる。

しかし、この花が現代人に歓迎されないのはこの花を良く見ると解る。桜以上に満開の時は短く、落下の時はハラハラと音がする。昔の人が畏敬(いけい)の思いで見つめた感じが良く分かる。

昨夜までの雨に洗われた公園の片隅で密やかに満開の時を迎えて、明日には花びらを落として満開の桜を見るのだろう。

誰も居ない公園に心地良い空気が流れ無風の静寂がモクレンの開花の時を歓迎して、春の訪れを告げていた。

このスナップは歯医者の帰り。今処置して貰っている左上の奥歯は、ブリッジの差し歯になって久しい。

17~8年になるだろうか?もっと長いかな?そうして最初に外れたのが12年前。あれから何度も外れて、それでも親父の分身になっていた。

歯は命。入れ歯でも良いと考えていたがその間違いを今の先生から言われる。口の中に異物が入る。その相性は意外に難しい。

最近は不況で子供達の口腔が崩壊していると言われる。子供達だけではないだろう。大人も親父達高齢者も歯は命。健康管理、メタボな体質の事は言われても歯が健康に与える影響の大きさを多くの人は知らない。景気が良くない。仕事が無い。それでも保険が無いと体もアウトになる。

今日はお休み。これから国保の払いに行かなければならない。親父の様な低所得者でも一月の保険料24000円。この国は国民皆保険とか言われて久しいが、この制度も疲弊し今は保険も払えないほどに高くなっている。医療の保障を誰に求めるのか?

この事がこれから一層深刻な問題となる。医療のお金は政府と行政の補助で曲がりなりにも成り立っている。親父達が若い頃と違いこれからは高齢者と保険料を払えない低所得者が多くなる。医療費が国の予算に占める割合もこれから間違いなく多い。

その問題を如何するのか、その事を出来るだけ先送りをして口を濁している。本当は医療費を抑え保険料を下げ保険制度の財政を良くしなければならないが、現実の問題は非常に厳しい。保険で治療が出来れば医療費はタダだと思っている人も少なくない。

そうではない。これからの一番の問題は保険制度の改善だろう。殆どの人がその深刻な問題を当事者にならないと分からない。昔、総理大臣が貧乏人は麦飯を食えと言われたが、これからはこの国も間違いなく貧乏人は医者にも掛かれない時代が来る。否、来ている。

保険制度、保険の管理者、そうして当事者の医者と患者。全ての人が他人事で無く自分の問題として対応しなければ長く生きられない時が来る。関係無い?その言葉が少しの支えにもならない事は自分が病気になれば良く分かる。元気な時はそれでも関係無いだろう。

モクレンの花はその事を教えて呉れている。自分の廻りを見ても自分自身の行動を振り返って見ても、そんな気持が無い事をこの花は見透かしているのだろう。この花が殆ど(ほとんど)見向きもされないのは、そんな冷たさと厳しさがあるのかもしれない。

これから近くの総菜屋さんで弁当買ってきます。

Img_1502 お休みの日はお昼はこの日替わり弁当です。写真の撮り方でお米が多く見えるが、そうでもない。おかずは魚。惣菜屋の女将さんがエビを一尾オマケに入れて呉れました。

親父の栄養源は色々ありますが、このお弁当は500円。仕事の時はかまどやの和ジャコ400円。他にもあるのに変わらない。

ではこれから市役所に行き会社に行って来ます。(仕事ではありません)

市役所で今年度の税金完納の確認と来年度の話を聞く。税金の話を聞く度に思う事は、知らない事が多すぎる。年金の受給の話を聞いた時もそうだったが、親父の様にしっこい人でも年金や税金の話は一度聞いただけでは分からない。年金の話は受給資格を得てから手続きを済ませるまでに何度話を聞いただろう。

お役所仕事と良く言った物で解り易い説明をする前に、一方的な話をする。良く聞いて見るとそれは法的根拠を説明している。説明を求めている人が理解出来るかではなく、説明の為の説明。大概の人はそれで煙に巻かれる。分かった様で何も分かっていない。

何度も聞いていると突き放される。其処で怯(ひる)んではいけない。分からない事を明確にする。それでも敵も然る(さる)者。こちらの様子を推し量る。最近親父の聞き方も上手くなり相手の上を行く。そうすると態度は一変する。今日もそうだった。

聞いて見ないと分からない。介護保険。介護の時は先の話と思っていたがそうではない。親父も昨年の誕生日で前期高齢者(65歳以上)。昨年、後期高齢者の保険料年金天引きが問題となり中止となったが、親父達は関係無し。次の保険料から年金天引きとか。

年を取ると公的機関の介護制度も必要になるけれど、その実態は全く分からない。体の自由を失い身動きが取れなくなった時、どんな介護を受けれるのかは分からない。そして現在の実態は多くの問題がある事も明確ではない。間違いなく言える事は要介護の審査は厳しい。そして自分の体は自分で気をつけてそれが出来なくなった時はこの世とおさらばだろう。

今から13年位前の時、朝日新聞の「声」欄に拙文を乗せて貰ったあの時から、確実に老いの時はカウントダウンされている。姥捨て(うばすて)山の話は知らなくても介護の悲劇は益々切実になる。その時、どんな思いで空を見上げるのだろう。介護の現実の話を聞きながらそんな事を考えていた。今からでも遅くない?備えがあっても憂い無しとは行かないだろう。

P1000290_2 市役所の外で見上げた空。手前の梢(こずえ)が銀杏の木。葉っぱを落とすと秋の面影はないが、枝先には新芽が芽吹いている。

空は久しぶりに快晴。少し前の通り雨も嘘のように何処までも青い。これからやっと本格的な春になるのだろう。

「風誘う花よりも我は又、春の名残りを如何にとうせん」と、辞世の句を詠んだのは浅野匠の介(赤穂城主)

信号待ちの婦人は何を思うのか?春の訪れを感じる市役所前を後にする。

電車の中は夕方のラッシュには未だ早いのに座席は無し。窓際にも人がいて一つ前の乗降口近くに移動する。

次の駅で乗り込んできた中年の女性。親父が読んでいた本迄接近し、背中を向けて相手と話を続ける。

結構煩い(うるさい)。最初は本を自分に寄せ顔をしかめていた親父も声を掛ける。「失礼でしょう」。女性は素直に認めるが失礼なのは親父。

座っている客はそんな目で見ていたが無視する。

P1000291 得正の親父お気に入りのナス天おろし。店内の照明で良く撮れたと喜んでいたがブログにアップして愕然(がくぜん)とする。

何この色?良く見るとこの色は右上の間接照明。なんのこっちゃ・・。中西が一生懸命携帯の性能褒めてくれたのに。

でも味は親父が保障。今度は色が良く出るデジカメで撮りますから悪しからず。空海の世界、文庫本の大きさでは漢字の振り仮名が少なく、流石の歴史好きの中西も読書のペースは親父に負ける。

得正のうどんはカレーうどんが売り。今度、それもアップします。お楽しみ。それで勘弁して下さい。

帰りは551の豚まん、2個入り3個を手にする。お休みは後2日です。

| | コメント (0)

2010年3月25日 (木)

冷たい雨も午後から明るくなる。それでもまだ寒い。

Img_1493

冷たい雨の中でも息を潜めて開花の時を待っている。それは来週?四月一日(April、fool)

Img_1494

今年伸びた小枝につぼみが一杯。黒々とした幹を良く見るとすっぱり切られている。お分かりか?分からんでしょう。ブルーの自販機の右下。この幹は昨年の秋、枯れて切られた。それでも若い小枝がその下から伸びている。親父もこう在りたい。無理かな?無理だな。

Img_1482

高校野球今日も雨天中止。この写真は先日の残り。入場料1200円の値打ち有りか?緑の芝生は天然芝。甲子園球場は阪神のホームグラウンド。今週末開幕の公式戦は高校野球に占領されてオープニングは来週です。この位置からの観戦はまず無理。

Img_1496

カラスが枝にとまっている?イエイエ良く見て下さい。紫のカラスは無いでしょう>これは空海が昔中国の唐で見た?モクレンの花。春の雨に煙って色が鮮明では無いけれど。空海は志願して遣唐船に乗る。目的は真言密教の教えと教典を手にする為?

それでも空海はこんなモクレンの風景以上の景色を中国の都長安で見たのだろう。20年で学ぶべき事を2年で終える。2年で帰らなければ以後の船は40年中断する。日本に帰っても福岡に留め置かれる。一年。それからも上方(大阪)に戻っても和泉のお寺で時を待つ?

Img_1498

このアングルで見上げればモクレンンの花が良く分かる。この花は紫だけれど白もある。空海がこの国に持ち込んだ教えは哲学でもある。宇宙の事を空海がどれだけ探究したのかは凡人の親父には分からないが、人の生きる道を追い求めた天才も最期の時は絶食。

メタボな親父も体脂肪だけでは断定できないと言われたが、この体系は間違いなく道を踏み外している。その体型は一朝一夕には変わらないけれど、日々刻々と変化している。今、予想以上の変化の中で見えざる形は、意外に自分の中に在るのかもしれない。

| | コメント (0)

2010年3月23日 (火)

花冷えの時 開花も一休み でもその時は近い・

P1000283 今日は朝、仕事場に入るまでは何とか降らなかった春の雨も、帰る時はすっかり冷たい雨となる。

それでもこの前紹介した桜のつぼみもこんなに大きくなる。今にもはち切れそう。今週は冷たい小雨が続くけれど、来週は満開間違いない。

去年まではこんなに写真撮られるとは思って見なかったかも。今年は葉と共に若かりし頃に見た仁和寺の桜にも会える。

君と同じ様に背の低い仁和寺の桜も、君の逞しさには負けるかも?このアングルでは見えないが半身が枯れて、切り落とされてもそんな様子は微塵も見せない。

成人の時を迎えて、君もやっと春を愛でる事が出来る。春の風は香しさの中に多くの希望がある。今年こそその風を思いっきり吸いこんで元気に成れ。

芝生を踏み締めて歩く感動も、長い間感じる事が無かったけれど、良く見るとゴルフ場の芝生とは違う柔らかさがある。

足首まで埋まりそうな芝生を踏み締めて歩いていると、涙が出るほどの喜びがある。それが本物の春かもしれない。

P1000284 このオブジェ(事物、物体、対象物)庭木です。人工の鉄製ではない。分かっている?こりゃ失礼しました。

でも幹がクの字。開花している「モクレン」?花も何故か付けたしの様。でも本物です。

春の花もこうして見ると結構芸術品。このスナップは小雨の合間をみて撮りました。なんか躍動しているね。

春はこうして見ると冷たい雨の中でも、確実にすぐ其処まで近づいている。それだけではなく、タップダンスを踏んでいる。

何気ない風景。見逃されている風景の中に春の息吹が感じられてても、気付く人は少ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月22日 (月)

40年振り?の甲子園 連休も終わりこれから開花が進む

Img_1478

Img_1477

Img_1481

Img_1479

連休最終日 目的地の帰りに阪神甲子園駅で下車、42年振り位の思いがけない訪問。親父が最初に見た阪神ー巨人のナイターからはもっと多くの年が流れている。あの頃は今より貧しく今より厳しい日々であったが、初めてのあこがれの甲子園に眼を輝かしていた。

今は如何だろう?あの時から3倍の歳月を重ねて手にしている物は喜びでも哀しみでも無い。多くの思いが重なり感慨無量ではなく淡淡としていた。何も感じない訳ではなく何故か久しぶりに見る球場は外野席が眼の前にあった。こんなに小さかったかな。その思いを噛みしめる間もなく飄々(ひょうひょう)としてグランドを眺めていた。

Img_1467 今日は何故か明石の先を目指す。今考えて見ると司馬遼太郎の屋形(記念館)で見た菜の花の景色を瀬戸の海に重ねていたのだろう。

それならばもっと先の岡山位まで足を延ばせば良かった物を、何故か中途半端に下車。しかし、此処まで大阪十三から直行。乗り換えは在ったけど。

Img_1468 此処で乗り換え。この地点で網干を目出す。若い頃、営業の仕事で先輩と一緒した鉄鋼メーカーの近くまで行きたかったのだろう。

しかし、その目的は達成できず。事前調査もせずに行き当りばったりでは、時の流れが記憶を消している。

それでもこの辺りまでは何とか行く気でした。

Img_1469 終点到着。しかし感じが違う。先輩と来た時は此処からタクシーに乗ったのか?駅前で客待ちの運転手に聞くまでも無く、引き返す事を考えていた。来た電車には間に合わなかったが次の電車は10分後。近くのコンビニで弁当を買う。

客は少なく入店しただけで一瞥(いちべつ)される。目線を合わすな。声を出せ。出していました。商品棚の品数も多くない。それでも迷う事は無かった。

Img_1470 吹きっ晒しのホームでコンビニで温めて貰った竜田揚げ弁当食ったら眠くなる。それでも明石の乗り換え迄は辛抱する。

この海は明石の海。四国連絡橋は過ぎている。須磨海岸も春の景色になっている。「春の海、終日(ひねもす)のたり のたりかな」。蕪村

車窓からの風景にしてはGoodです。

Img_1471 此処が須磨公園。少しピンボケ。この時は少し慌てていたのだろう。まあ、こんなもんです。

Img_1485

阪神の懐かしいツートンカラー。このボデーカラーは親父が18の時に見た急行の色。この電車は甲子園で乗車したので阪神電車。親父が網干で乗車したのは山陽電車。今は神戸の街中が地下で結ばれ阪神、阪急、山陽の三電鉄が相互乗り入れ。それでも終点までは阪神と山陽だけ。阪急は無い。

Img_1486

此処は阪神電鉄の改札出口。この先の階段を上がると梅田の地下街。地下鉄、阪急への連絡通路。此処で写真を取っていると体を押される。こんな処で写真を取っている親父が邪魔だが、まともに押されると親父から怒鳴られる。男性は謝るが女性には無視される。

両端にエスカレーターは着いたが、階段を上がる人の後ろ姿は親父が20の頃と何も変っていない。これからこの景色が変わらない保証は何も無いが、10年先は分からない。それ程にこの階段も年を重ねている。

Img_1488 これが階段を上がり、後ろを振り返った景色。これは間違いなく変わるだろう。阪神百貨店のこの地下への降り口も本当に変わっていない。それでも建て替えの時が迫っている。

スクラッピング&ビルディング。次にお見せする写真は正にその現代進行形です。気になる事はこの景色の中は多くの人が通勤と買い物で行来(いきき)している事です。

万一の時、大丈夫なのでしょうか?

Img_1492

この時間帯は夕方の4時過ぎ。祭日だから通勤客は無いけれど平日の通勤帯は? 一方通行でしょう。この通路は仮設。この上と左側は今工事中。これで雑踏警備の重要度が分かる。最後に完成した地下街の入口をお見せする。

Img_1490

この出口(地下鉄、商店街)は何度も変わる。親父が18の時上り下りした急な階段は今は無い。あの時、阪急のターミナルはデパートの中まで乗り入れていた。今、大阪のキタは阪急、JRと工事中。完成の暁は(あかつきは)どんな人の流れに変わるのだろう。

関西の地盤沈下が叫ばれて久しい。それでも関西は商いの街でしょう?吉本のお笑いとタグマッチを組んだかの地方自治?本当の関西の再生は民間活力だと思うが、関西のおばちゃんだけでなくおっちゃんも頑張らなければあきまへんで・・・。この正面の文字がその事を暗示している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月21日 (日)

春の嵐は駆け足で通り抜ける 今日は黄砂も到来

Img_1460

Img_1464

Img_1461 今夜のおかずは近くの総菜屋の親父から日本海で釣り上げた魚を貰う。おっかあが元気な時、魚は見ただけで顔をしかめていたけれど、今はこんな刺身もイケる様になる。

親父が魚に塩を打ったのでポン酢が良いと言われ、お気に入りの四国高知馬地村特産の「ゆずの村」で頂く。Goodでした。天ぷらも上等。

汁椀の中身は親父特製の野菜炒め。これに焼き魚のサバをいつも入れているが、今日は野菜だけ。野菜もキャベツだけのカットでも炒めるだけで上等。誰かが売れない時これをおかずにしていたと言われたが、これはこれで上等。豚の細切れを入れるだけで御馳走になる。

Img_1465 おまけ。家で缶コーヒーを口にする事はまずないけれど、今日はお気に入りのパンがあったのでコンビニで買う。戦国時代の武将シリーズ。その所為でも有るまいが味は上等。

家でコーヒーを入れる事も少なくなる。コーヒー党の親父は意外に缶コーヒーでもOK。それでもまずいと思ったら2度と口にしない。

今夜は疲れて寝ていました。休みも中日。明日もう一日充電して又、頑張ります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月20日 (土)

空海の風景読み終わる?一応?下巻は最澄の確執と教典の話

下巻を真剣に読んだのは途中迄。流石の親父もギブアップ。最後まで漢字と教典の事は分からない。中西君は如何だった?来週行くからその時,聞かせて下さい。別に聞かなくても分かると言ったら怒られるかな。でも中西は優しいから笑って誤魔化すかもな?

司馬さん、難しすぎる。何でもっと読み易くしてくれなかったのでしょうか?それとも親父の読解力が無かったのでしょうか?しかし、下巻の途中までは何とか読めたのだけど、最澄との確執(かくしつ・・・互いに自分の意見を強く主張して譲らない事、その為の不仲)の話が長い。それでも求める物が違えばこれ程の不仲になるのだろうか?

空海が求めた真言密教。でもその教えも難しい漢字と言葉の意味を飛ばしたので、ほんの少しも理解していない。この罰当り。それでもこれで空海の時代の話が少しは分かる。今迄は名前だけしか分かっていなかった言葉の意味も、これからはこの本を開けば分かる。

それでも分からない事は自分で調べれば分かる。空海は最澄のそんな理解の仕方を嫌ったが親父の様な一般平民は、それも許して呉れるだろう。否、それ程の物でも無いだろう。今日の混迷の時を開くのはそれ程に容易い(たやすい)事ではない。

これから親父の命尽きるまで求道の修行をする事もないだろうが、人が生きる証ぐらいは爪の先には灯さなければ極楽往生は出来ないだろう。今生の別れの時に何を思い何を悔い改めようとするのだろう。そのな物は誰にも分からない。

奈良時代、聖武天皇に請われて中国高僧の地位と高齢の立場も顧みず、この国の仏教の礎を(いしずえ)を固めた鑑真和上、そうしてその奈良仏教に疑問を感じた空海、比叡の天台宗を開いた最澄、更に後の世の親鸞。この国の仏の道を探究した賢人の教えを少しは知る事も、これから大切な事だろう。

| | コメント (0)

春の嵐とプロ野球開幕 空海の風景

空海の風景(上)(下)347ページと370ページ 今、下巻の残り100ページ。司馬遼太郎はこの連載を中央公論に昭和48年1月から始めている。思い起こせば28の時。当時この月刊誌は堅くて難しい本だったが、年に何回か買っていた。そうして見ればこの連載も眼を通した可能性があるが記憶にない。それ程の難しさだったのだろう。

今回、南大阪の司馬遼太郎記念館に行った縁でこの本と出合う。(正確には文庫本)。文庫本の字が大きくなったと言われても読むのに難儀し、新刊サイズ(ハード判)を買い直して読む。空海の風景。今日と大きく違うが人の生き方に大差が無いのは何たる皮肉。

今の社会。当然ながら多くの矛盾の中に生きている。それなのに救いの無い生き方を多くの人がしているの何故だろう?空海の時代、奈良の仏教に失望して唐の密教に教えを乞い、人並み外れた超能力にこの国の先人は何を学んだのだろうか?

それは他人事でも無い。自分自身の不甲斐ない生き方。この様は一体何だったのだろう?その事が今、自分自身にも問われている。宗教は哲学、哲学は学ぶ事。空海は経典を読む事ではなく間違いのない真理の追究を自分に問えと教えている。

多くの人が多くの事を語っても真理は語る事は出来ない。口で言える事位いい加減な事はないとしたら、多くを語る無意味さに言葉を失って当然だろう。今度の日曜日は春の嵐。それが過ぎた頃にはこの本の報告も出来るだろう。

P1000281

P1000282

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月18日 (木)

風は未だ冷たいけれど 春はすぐ其処まで来ているね

寒い寒いと言っていた時が去り、コートからジャンバーの時となる。厚手の敵(かたき)の様に来たよれよれのコートから、お気に入りの薄手のコートももうすぐ暑くなる。そうなるとジャンバー。昨年まで着ていた、いっちょら(一つしかない)も今年は着れない。何で?肥り過ぎ?それもあるけど安物はその程度の物だよ。(年を重ねるほどに良さが出る値打ちが無い)

最近、衣料品も安くなり良い物が安く手に入ると言われるが、あれは嘘。made in Chinaに最近はVietnam(ベトナム)、Malaysia(マレーシア)Thailand(タイ)も出て来たけれど、肌触り、着心地、満足感を求めて国産の新素材(繊維)が売れるのも理解できる。

今、物が売れない時と言われているがそうではない。必要な物は売れ不要な物は売れない。必要な物、買いたい物が無くなったと言われるがそうではない。欲しい物、買いたい物は在っても先立つ物が多くない。そしてその状況が改善どころか先行きも明るくない。

それでも政府に景気回復の施策を求める、政権与党のつまみの様な連立党首が声高に景気対策を求めても、労働者の所得が増え無ければ景気の回復は一部に留まるのは当たり前だろう。経済エコノミストの話を聞いてもマスコミに登場する人の話は明るい話だけ。

彼らの話の反対を考えておけば景気の先行きを見誤る事はないだろう。間違いなく今年度の終いは今月末。後半月の間に大幅な数値の改善が期待できる訳が無い。その場その場の楽観的見通しに振り回されながら、新年度を迎えるのだろう。

政府も新年度の予算が今月末に成立すれば、下落を続ける支持率も持ち直すとかお間抜けな事を言っているけれど、一度落ちた信用は余程の施策を打ち出さない限り、改善は期待できない。その事を痛感するのは皮肉にも風薫る5月の時(gogatunotoki)親父のブログアドレスと同じなのだろうか?

P1000280 桜のつぼみは確実に開花の時を予感させている。今年もこの幹から短く伸びた枝葉の間から、春の時を教えて呉れるのだろうか?

この幹の半分は昨年、途中から枯れた。それでも生命の息吹は今年も確実に受け継がれている。

春の時、霞の中を何の憂いも無く開花の時を愛でたのは、昔々の事になってしまったけれど、今年は40年振りの桜と再会出来るかも。

京都の春は春霞(はるかすみ)の中にあるが、今年の春は四条大宮から京福電鉄の路面電車で御室仁和寺の桜に会える。 かも?

「私、仁和寺御室の桜、花(鼻にかけている)は低ても、人は好く」

P1000279 何度も紹介した何とか南天。やばい、言葉がのどに詰まり出て来ない。ど忘れ。否、いいや、確実に脳も老化している。

老化は間違いなく進行している。気持は若くても脳細胞は年と共に老いる。その事を忘れなければ、その進行は遅れるのかもしれない。反対にある日突然、発症するのかもしれない。

やったやった.思い出した。様見ろ。

何とか南天では無い。柊(ひいらぎ)南天。辞書を引くと葉は固く葉先に棘(とげ)が在ると。その通り。

原産地は中国南方。江戸時代、庭木として国内に入ると。親父の家にもあった家の守り。花言葉は「先見の明」

今読んでいる空海の風景。難しい漢字と文章を飛ばしながら読んでいたが、下巻はそれではイカンと思いながら、難しい漢字にマーカーで印をつけている。

こうすると黙読が止まった時、前をめくり直して漢字が読める。空海も最澄も平安の初期に生きた人。

今は忘れ去られてもそれは全てでは無い。

しかし、この庭木に花が咲く事を知ったのは最近の事。その花言葉が先見の明とは何たる皮肉だろう。確かにこの花にはそんな風情も無い事はない。(何やその言い廻し)。有るんかいな。有ります。そう見えません?見えない。そうですか。それにしても何たる皮肉。そうして何たる偶然。今、手にしている空海の風景の本もそんな感じがする。

司馬遼太郎がこの本を書いたのが1976年。今から36年前の事。その頃の親父は静岡に居た。当時、この本を手にしていない。39歳の時と言えば兄貴が小3、君が小Ⅰ、工場では二つ目の工場がようやく仕事の柱を手にしていた。今は昔の話。あの頃、この本を読んだとしても難しすぎて手にする事は無かっただろう。その本を今、下巻迄読み進み間もなく読み終わる。その時どんな思いに浸るのだろう。遣唐使の時代、この国は平安の都の創世の時。その当時、否、その前の奈良の都(平城京)から権力闘争があり、人々の生活と価値観に貧しさがあったとすれば、今日の問題は採るに取らない御笑いに過ぎないのだろう。

君から言われた言葉、兄貴から言われた言葉、そうして多くの人から言われた言葉の意味が段々、分かって来た。その度に自分の価値観と生活信条を隠れ蓑(かくれみの)にして来たが、ようやくそんな哀れな生き方も変わるかもしれない。(変わらないかも)

先日、大阪に来てずーと自分の眼を見て貰った医者からも言われる。親父の喋りはそれ程にうっとおしいと思われているのだろうか?それとも余りにも本音の言葉が多過ぎて腹が立つのだろうか?そんな事は如何でも良い事で自分も又、選択されている事に気付いて居ないだけだろう。今は経済的にも選別の時、本当の価値観が問われている。医者と言えども例外でない事が分からなければ生き残る術は無い。空海の時代も又、非常に厳しい。

| | コメント (0)

2010年3月16日 (火)

志を果たして何時の日にか帰ろう

Img_1455 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR №36昨年の6月中旬から毎週火曜日 そうして待望の日を迎えました。小倉から鹿児島まで九州の東側を貫く鉄路。

親父が18の時、志を立てて後にした佐伯の駅は今はすっかり寂れてしまった。それでもどっこい、生きている。

Img_1456

親父が18の時故郷を後にして47年。故郷は右下にある。その場所が良く見えるように画像を大きくしたが佐伯の街に今は活気はない。造船不況、大企業の撤退、それでも人々の生活に絶望は無い。それなりの生活に満足しているからだろうか?親父の生まれ故郷はその下にある。直見。多くの人には初めての地名。親父の多くの知識もその程度だろう。

Img_1454

そしてあの時急行高千穂で18時間かけて足を踏み入れた大阪駅は今、大改造中。駅の改造では無く空間の有効活用なのだろうか?ホームの上に移動空間を作る発想は吉と出るのだろうか?そしてターミナルの発展は大阪の再開発に繋がるのだろうか?

Img_1450

同じく大阪駅東口左側(今は呼び名が違う)にそびえる阪急。デパートの上の建物は完成?連絡通路とこの画像では見えない左側は只今工事中。圧倒されるこの建物の中に何が入るのだろう?そうして人の流れと飽くなき消費の波は何処まで拡張するのだろう。

Img_1448 そう、これが47年前の風景。親父が見た風景は此処では無かったけれどこの建物は阪神百貨店。このデパ地下は全国的に有名。

何で?売り上げが半端ではない。でも地上の売り場は如何なのだろう?近くの百貨店が新装オープンの時、建て替えが始まるのだろうか?

Img_1443 大阪駅前の建物の地下。人の波は少ないけれどこのホテルは稼働率が良いのだろう。景気の悪い話は聞かない。親父が今日買い求めた空海の風景(下巻)もこのビルの5Fに売り場が在る。

次から此処に行こう。そうすれば少し近くなる。

Img_1442 堂島の地下街。看板では良く分からないが左が四ツ橋に行く地下鉄。この先に本屋は在る。目的の本は手に入れたが阪急梅田駅からは結構歩く。足腰が達者でも中々此処までは道に迷わず歩けない。

帰りは流石に地下街は息苦しく、途中から地上に上がる。正面に阪急の建物を見る。

今日はお休み。歯がぐらぐらして舌で押すだけで動く。長い間支えて呉れたブリッジもいよいよ年貢の納め時かも。予約無しで押し掛けた馴染みの先生は快く見て呉れた。普通ならとっくに入れ歯の用意をされてもおかしくないのに、何とか持たせてくれる。医は算術、医は押し付けの時代、本当に感謝です。日づけが変わる。又明日。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

空海の風景 (上巻) もう少しで読み終わる

この本は前にも書いたが非常に読み難い。作者は司馬遼太郎。彼はこの本を誰かに読ませようとしたのではなく、自分自身の空海に対する問いかけだったのではないかと思う。難しくて読めない。漢字が難しい。意味が分からない。それでも司馬はこの漢字と文章を選択したのは、空海が生きた時代と問いかけた生き方其の物の探究だったと思う。

現代の社会は当然、価値観、人生観、哲学、生き方、過ごし方、考え方が多様化しそれ故に難儀な事も少なくない。これ程の豊かな国が貧しく、これ程に賢い人が多い社会にそれ以上の自己本位の人が少なくない。自分を支える大事な物を見失っても平然として生きて行ける。しかし、当然ながらそれでは満足は出来ない。だから自分を支える何かを求めるのだろう。難しい本を難しさを飛ばしながらどうにか残り80ページとなる。

この本は一度読み終えただけでは理解出来ない。それでも明日、下巻を求める。親父の独断と偏見に満ちた生き方が変わるには歳を取り過ぎたが、それでも悔いはない。どんなに蔑まされた(さげすまされた)ところで今更生き方は変えられない。

それで良しとすれば良い。怒りは敵と思えと家康に言われるまでも無く、家康自身、それ程の人間でも無い。この本で司馬遼太郎が言いたかった事は空海が生きた風景。これは親父の知らなかった風景であり知識でもある。人は何故生きるのか?親父が若い頃、何度も自分に問いかけた青臭い疑問、その事を少しは解消できるかも知れない。

そうすれば昨日君から言われた言葉のお返しが出来るかもしれない。どんなに仲が良くても人の思いは何かを思い知らなければ本当の理解は出来ない。口先だけの言葉では何も解決しない事も同じだろう。

山茶花(さざんか)の花が終わり、ひと足早い青葉がイマイチ輝きが無い。これから脱皮するのか?

P1000275

P1000278

P1000276

替って桜のつぼみが膨らむ。後半月もすれば開花する?今年は京都御室仁和寺の桜が見れる。「私、お多福 御室の桜 花は低くても人は好く。」

P1000277

| | コメント (0)

2010年3月13日 (土)

デフレ脱却 デフレって何?インフレは何と無く分かっても・・・

親父はこの言葉の意味が分かってこのブログを書いている。今一生懸命に読んでいる司馬遼太郎の空海の風景は本当に難しい。司馬遼太郎はどんな思いでこの本を書いたのだろう。そう、空海の風景の小説。この本は一度、手にして下さい。本当に難しい。漢字が読めない。意味が分からない。文節の言葉が分からない。親父が一番理解出来なかった空海と最澄。比叡山と高野山。この大霊場がこの国のどれだけ多くの人に多くの信仰と祈りの思いを与えたのか、今となってはそんな思いさえも無くして平然と生きている。

経済の問題、政治の問題、生き方其の物の問題、人を愛する事、人を信じる事、人を支え支えられる生き方、そんな多くの生きる糧が平然と踏みにじられても生きて行く意味。そんな事を口にしても誰も相手にしない。否、出来ないのだろう。普通の人は普通にしか生きる事が出来ない。普通の人が在る日、突然おかしくなっても何も出来ない事にその時に為らないと気付く事はない。その意味でこの本の意味、意義が在るのか分からない。

親父が文庫本からハード(新刊本)に替えたので文庫本が不要になり、それをあげた中西君も匙(さじ)を投げただろうか、それ程にこの本は難しい。(読めない)。親父は分からない所を飛ばし読みしているのでこの上巻も半分迄来た。でも言葉の意味はあと数回、読み直さないと分からないだろう。それでも空海の生きた時代と彼自身の生き方が難しい漢字と言葉の一部から、心を揺さぶられている。空海と最澄が遣唐使となり中国に行ったのは当人の希望であり、目的が有った事を知る。目的意識。今でも求められている事が昔から行われていたとしたら、現代人も後世の笑いものかもしれない。その程度の物だよ。

この本の感想は未だその程度しか語れないが、中西は如何だろう?今度行った時には間違いなく親父は完読しているけれど、何も語る事はないかもしれない。そんな事はない?そうかも。間違いなく独断と偏見に満ちた言葉で君に多くを語るに違いない。

それでも笑いながら語り合える空間を心良しとするのは何か、時代と生き方を超越した面白さが有るのかもしれない。人が人に出来る事は多くの事が有るけれど、一番の喜びは語り合える事かも知れない。多くの事を知らないアカの他人が口角から泡を飛ばしながら、語り合える事、それが本当は最高のもてなしに違いない。

それでは本題。デフレとはインフレの反対。今の経済状態を指すらしい。お金が回らない。何処に?消費者。消費者とは誰。消費をする人。物を買う人。でもその区分もおかしいでしょう?物を買う人と言っても様々。お金持ちもそうで無い人も。お金の無い人でも生活のレベルに応じた金が要る。消費者と一括りせずに物が買える人、買えない人と分けた方が分かり易い。そうでもないらしい。所得が低い人、所得が無い人が多くなりお金廻りが悪い。この方が分かり易い?

それではこれで如何だ。デフレは需要が供給を下回り物の値段が下がる。フンフン。物の値段が下がると有り難い。結構な話。これが結構で無い。物の値段が下がると企業の利益を確保するためにコストを下げなければならない。親父達が現役の頃もそれが企業の利益確保の生命線だったが給料迄を下げたらアウト。それが背に腹を変えられなくなり労働者の手取りが下がる様になり購買力が落ちる。これが長く続けば消費の勢いは下がる。これがデフレ。景気が低迷し政治に不満と不信が重なる。だから政府はデフレの克服を口にする。

でもこの景気の低迷は長い。景気の回復が声高に叫ばれ戦後最長の景気回復と言われた時は数年前の事だった。しかし、それは景気の一部分、実態は働く人の生活は厳しい。その時が10年も続けば完全に所得格差は定着し、全体の所得の伸びは期待できない。

今はそんな処だろう。そしてこの状況は誰が何と言おうと間違いなく、ずーと続く。何年?経済には大きな波が有るからこのままと言う事はないだろうが?間違いなく貧乏人は何かを変えなければずーと貧しく、隣のおっさんの様に自炊生活しかないだろう。それも又、良きかな?哀れじゃのう。クゥイ、クゥイ、クゥイ。空海の様に乞食僧になっても求道者になるしかないのだろうか?それは違う。空海はその事に何の躊躇いの(ためらいの)思いも無かったと言われている。何故、だったのだろう。?これからその事が分かる?

| | コメント (0)

2010年3月12日 (金)

棘(いばら)の道 でもその先に見える物

いばらの道ってどんな道?困難の道?イヤイヤそんな生やさしい物ではなく喘ぎ(あえぎ)ながら絶望感に身を震わせながら、安らぎの時と場所さえも手にする事も無くあても無く彷徨う(さまよう)。そんな道が棘の道?そうだとしたらキリストは十字架に磔(はりつけ)にされてもその先に見える安らぎの時に、歓びを感じたのだろうか?

キリスト教徒で無い親父に分かる道理も知識も無い。今、司馬遼太郎の空海の風景を読みながらそんな事を考えている。何でそんなアホな事を考えるのか?この本を読むと不思議にそんな感覚になる。司馬はどんなつもりでこの小説を書いたのか、知る由も無いが難しい。

最初手にした文庫本の所為かと思ったがそうではない。空海が見ただろう風景が途方も無く難しく、何故、恵まれた行政官の道の勉学を捨て乞食僧になったのかが分からない。空海が生きた時代は平安の初期、同じようで全く違う生き方を鎌倉の時代に西行法師がしている。

今も昔も官僚、行政、宗教のエリートになるには優れた学力と経済力が必要なのだろう。空海の生まれは四国の讃岐、家柄は佐伯氏。(親父の高校が九州、大分、佐伯市)。関係無いけどその事もいずれ分かる。今、新刊本のサイズに替えてやっと144ページ。

未だ、空海の生き方が見えて来ない。それでも空海の偉業は四国八十八ヶ所めぐりで分かる。人の生き方、人の在るべき姿を差し示している。これからその事を読み取らなければならない。親父の生き方が段々見えて来た。そうでなければ何の為に苦労したのか分からない。

| | コメント (0)

2010年3月10日 (水)

早春賦 春は名のみの風の寒さや 

Img_1431

昨年撮った櫻の老木。今は目覚めていないけれど後半月もすると景色が変わる。今年は開花が昨年より遅いのかな?イエイエそうではありません。ほぼ昨年並み。これはカメラマジックかも。枝の大木の露出が後ろの青空に取られている。

Img_1433

此処まで下がると桜のつぼみも良く見える。開花の時はもうすぐ。しかし、その事に気付く人は少ない。今日は未だ寒いけれど春爛漫の時も遠くない。

Img_1434

梅は咲いたが櫻は未だかいな?just moment please (ちょっと待ってて下さい)

Img_1436

Img_1440

近くの花壇。パンジーが笑っている。今日はお休み。近くの喫茶店でモーニングを食う。広くない店内はほぼ満席。空いた席に座ると隣の席の客が食事と飲み物を一杯残して席を立つ。若い女性。感じが悪い。気にせず飲み物とトースト、卵を注文すると右側のオバはん2人が食事を済ませて何か、斜め前を見ながら批判している。でもそれも一時。すぐ席を立って勘定を済ませる。{やれやれ}と思ったのもつかの間、2人連れのおっさん(身なりは良い)と婦人がしゃべりながら一つ横のテーブルに座る。横のテーブルの灰皿におっさんが手を延ばす。

「オイ、オイ、煙草かよ」と思いながら経済新聞を読んでいると、近くの携帯が鳴る。相手の人が通話の了解を取ったのだろう。おっさんが平然として「オー良いよ」と言い放つ。ブチ切れる。おっさんの横顔を見ても無視。親父はおっさんの相方を見ながら「何、考えている。このおっさん」と言いながら視線を新聞に戻す。それっきり横を見る事も無く苦虫をかみつぶしながらトーストと卵を口に入れながら、コーヒーを飲む。

帰りにパンジーが笑っていた。「親父さん、つまらん事に目くじら立てていたらアカン」 子供のパンジーはベソかきながら顔をしかめていたが、親父らしい朝の一こま。あの店も客層が悪くなった。でも本当はあんなおっさんが多くなったのだろう。人の思いを推し量れる度量が無くても天に唾(つば)しても、他人の思いなどどうでも良い人が多くなる。

そんな生き方をしたらアカンと言われる事も無く、天上天下、唯我独存 これは釈迦の言葉?そうではない。この世の多くの苦難を和らげるために私はこの世に誕生したとも言われているがこれも間違い。そんな大それたことを釈迦が言う訳が無い。後の弟子のしかもアホが尤もらしく釈迦の尊さを讃えた間違いに他ならない。人間万事塞翁が馬。その言葉の意味もも不運と幸運は背中合わせと思えば不遜な生き方は出来ない。しかし、最近本当に無礼千万。其処に直れと声を掛けたくなる輩は少なくない。親父もそれだけ爺になったのだろう。

| | コメント (0)

2010年3月 9日 (火)

なごり雪 寒い一日 もう一日続いて春になる?

今日は寒い一日でした。なごり雪は見れなかったけれど遠くに見える六甲の奥山は白く霞んでいた。寒い寒い一日。雪道に慣れないドライバーがあちこちでスリップ事故を起こして、渋滞情報が各地で発生していた。関西のドライバーは当然ながら雪道に弱い。当然、今日の様な天候の日は交通機関を利用して当然だが、そうでは無いのだから事故は当然かもしれない。同様の事が最近少なくない。高齢者、運転操作の下手なドライバーが多くなっている。

何故だろう?車が人の足となり車無しでは仕事も生活も出来ない人が多くなったからだろうか?そうでは無い気もする。車は走る棺桶だと言われたのは今は昔。今は安全も安心も快適すらも当然と思われて久しい。信じられない事故。アクセルとブレーキの踏み間違い。高速道路の逆走行。危険予知も出来ない運転。それでも車の性能と価格は確実に反比例している。親父が車を手放して7年。これからも再びの時が無いのは少し寂しいが、事故の悲惨さを考えると丁度良かったのかもしれない。

昨日は司馬遼太郎の空海の風景の文庫本、少ししか読めなかった。司馬遼太郎記念館では文字が大きくなったと紹介されていたが、所詮文庫本。馬鹿にするなと言われても親父の歳では読み難い。新刊書の大きさで本文の難しい漢字に振り仮名が有り、欄外に言葉の解説。そんな希望叶うかな。本屋で在庫を探す。取りあえず一週間後にお取り寄せ。どうだろう?

明日はお休み。大型書店の行きつけを覗いて見る。お取り寄せになると一週間待ち。本当は今週の金曜日には欲しい。でも無理だろう。空海の風景。読んだら感想を書きます。

| | コメント (0)

2010年3月 8日 (月)

空海の風景 司馬遼太郎

先週の休みの日。南大阪小坂にある司馬遼太郎記念館に行く。最近の若者の中には司馬遼太郎と言われても分からない人も少なくないが、歳を重ねた同世代でも知らない人は少なくない。それでも人は生きてい来る。自分の生きた歳月と経験知識は左程に(さほどに)限られている。知るは一時の恥、知らぬは一生の恥という言葉さえ知らぬ事も珍しくはない。

ほんの少し前、国の税金の事業仕分けをした時に、この国を代表する学者、ノーベル賞受賞学者が口を揃えてそんなお金の節約を口にしたら、後世の批判に耐えられないと言われていたが間違いなくその域を超越した税金の無駄使いは、その思い上がりだろう。この国の多くの人は知らぬ恥をかきながら、それでも懸命に働き税金を納めている。

司馬遼太郎記念館で見た夥しい(おびただしい)書籍、あの多くの書物を手にしながら司馬さんは何を語り何を語ろうとしたのだろう。そんな事を考えながら手にしたのがこの本だった。空海 通称弘法大師。四国讃岐の生まれ、四国八十八か所の開祖、それ位の事しか知らない。司馬氏はこの小説の始まりで空海の生まれた讃岐、佐伯の生まれについて解説する。

小説は余りに読みずらい。難しい。眠くなる。46ページ迄進んだ所で乱読の目線が止まる。此処でFMのクラッシック音楽に負ける。この続きが面白くなるまで暫し休憩。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 5日 (金)

三寒四温は天気だけでは無い 最近その事を痛感する

P1000272 これだけアップされると流石の柊(ひいらぎ)南天の花も良く分かる。その代わり全体の姿が見えなくなる。

もう一枚の画像を見ると、良く分かるが日々の問題も同様かもしれない。最近の記事で経済の事を書いている多くの人が、多くの事をコメントする割に全体像が見えてこない。

最近の景気は言うまでも無く良くないが、多くの人が良く分からない。分からない事を分からないままにして、分かった様な事を言っている。

この国の経済の実態を何処の誰が分析して適確に分かりやすく伝えているのだろう?。最近の経済ニュースを見聞きする度にその事を痛感する。

一番ひどいのはマスコミの伝え方だろう。政治ニュースと同様、国民の日々の生活に直結する出来事位、勝手なコメントを差し挟まないで事実のみ、簡潔に伝えられないのだろうか?

そんな事を呟いて居たら、この画像に教えられる。強弱、感情挿入の方が良く分かる。

P1000273 そうそう、この絵を見ても柊(ひいらぎ)の紅葉した葉と花の関係を説明できるのは余程の知識人か園芸人でしょう。

画像下の折れた幹に気付く人は略(ほぼ)稀(まれ)でしょう。多くの人は言われなければ分からない。

言われてもどれだけの人が興味を示すだろう。自分の手にするお金、価値に関心はあってもそうでなければ如何でも良い事だろう。

その事が実際はそうでなくても、後になって思い知らされなければ(否、思い知らされたとしても)その時は分からない。

その時だけでなく、ずーと分らないままかも知れない。そんなもんだよ人生は。最近、この歳になってその事を思い知る

さよか。左様です。人間知らないと大きな廻り道と後戻りもしなければならない。真面目に生きてもそうでなくても、大事な事は先見の明かも?

今日、帰りの電車で空いた席に腰を降ろし、朝、買った経済新聞に眼を通していると、前の席に母親と娘が座る。

嫌な予感が現実になる。娘がカサカサ音を立てながら母に何かを渡している。新聞から半分顔を覗かせて見ると、謗らぬ(そしらぬ)顔をして口にする。

それと前後して声が大きくなる。親父の顔が段々、上気する。次の瞬間怒りの思いが何故か、一気にしぼむ。何故?

母と娘と言うより姉妹の感じと天真爛漫とした無礼?(そんなの有りか?)に言葉がない。知らん顔をして紙面に視線を落とすと会話のテンションも下がる。親父の不快の思いが通じたのかもしれない。そう思いながらメガネを外し新聞を閉じると視線を感じる。降りる駅が近づいていた。

それでは本題。経済の話。その前に暫しタイム。(休憩)

景気の先行き見通しは暗い。景気が何故悪いのかは人によって見方が違う。多くの人が難しい事を言うから凡人には分からない。分からないから分かる人に何とかして貰いたいのだが、難儀な事に分かる人が居ない。其れドレの経済人、エコノミスト、学者、経営者、政治家が其れドレの立場で思いつきの事を口にする。

しかし、経済の事が分かる多くの人は今の状況を打破するためには、更なる金融の緩和が必要だと言われる。確かに経済の活力が失われお金の廻りも良くない。それでも有る処には有るだろう。無い所に無いからと言って更なるお金を日銀が金融機関に安い金利で貸し付けたとしても、そのお金が無い所に廻る保証は何も無い。

今でも金融機関にはゼロ金利に近い預金が貸し付けを大きく上回る。金融機関にお金が足りないのではなく一般庶民と中小零細の先行きの見通しが無い処にお金が無い。お金持ちはお金を使わないし、お金廻りの良い大企業は銀行からの貸し出しでは無く自前で資金を調達する。だから景気が良くないのだろう。

政府は景気対策、金融機関の貸し渋り対策として日銀からの短期金利を金融機関に貸し出してまで何をしようと言うのだろう。お金を必要とする人の貸し出しには担保とする物が不足し優良貸出先の金利は今より下げるしかない。必然的に株式、商品相場、金融投資にお金が流れる。

デフレ対策が皮肉にも今日の価格破壊(値段が下がる)を加速する。政府に出来る事はこんな間抜けな事では無くて成長戦略(評論家の言葉)が必要と言われても、それが何なのか明確ではない。それ位の事は親父でも分かる。

経済が行き詰まりを見せた時、国内だけでなく国外にその活路を見出してきたが、世界にその市場は発展途上国しかない。しかし、どんなに中国、インド、東南アジアの市場が大きいと言った処でその恩恵に預かれる個人と企業は多くはない。

その事が分かれば政府が為さねばならぬ事、人々が求める事は効率化しかない。今、国内企業は乾いたタオルを絞りに絞って効率化の余地はないと言われているが、見方を変えればそうでもないだろう。コストダウンも今のやり方と違う方法も有りかもしれない。

日本企業の凄さはトップでもミドルでもない。ボトム。底辺の肩書も経験も無い人達。パートのおばちゃん。改善活動に終わりはない。民間企業の血のにじむ努力に対して役所仕事ののうてんき。税金を何だと思っているのだろう?自分達の物。その年度で使い切るもの。足りない物は取り立てるか、補助金を貰うか、債券を出すか、その程度にしか考えていないのだろう?否、何も考えていないのだろう。余計な事は考えず言われた事しかやらない。言われた事もしんどい事はやらない。役人に改善とか改革の言葉は禁句だろう。

これからその事を問わなければならない。そうして仕事をする。仕事を造る。雇用をを生む。その事を今日の経済教室の中前氏も提言している。しかし、無理だろう。この国は小泉前総理に言われるように、ぶっ壊れ無ければ分からないのだろう。その小泉氏がぶっ壊れた様に(本人は息子にやらせているつもりだろうが)。しかし、本当にその重みを伝えているのだろうか?

景気は今、じっと息を潜めて開花の時を待っている。新年度予算がコンクリートから人へと言われても経済の柱が明確にならなければ、桜吹雪の美しさが嘆きの貧困に重なる時が遠くない。親父は新年度の柱は省エネ(エコではない)、都市と地方の結合、送電網の地中化、サービスの多様化(介護、医療、余暇)etc.と思うけど如何かな?

| | コメント (0)

2010年3月 4日 (木)

血液検査の結果は予想通り 司馬遼太郎記念館にも行って来たよ

血液検査の結果は予想通り。結果を聞いて薬の処方箋を貰うだけで自己負担1300円は意外。安い?とんでもない。医療にお金が掛る事を痛感しなければならない。それでも物は考え様だろう。同時に行った前立腺と大腸ガンの検査は異常なし。親父の体は完全にメタボリック体質。肥り過ぎ。高脂血症。糖尿病。肝障害。何れも要医療。異常無しは貧血と肝臓だけ。血圧と同様。これから体質の改善です。遅い?そうかもね。それでも手遅れでは無いでしょう。仮にそうだとしても人の体質は半年で変わる。5年前にあれだけ吸っていた煙草を止めたのだから。あのお陰でこれだけの体質になっても何とか生きて行けるのだろう。

検査結果で最悪の数値は肝機能GPTの数値。基準値の4倍。嘘だろう。良く生きて居られるね。GOTは2倍。中性脂肪も2倍弱。いくら飯が食えるとは言え自己管理が出来ない食事は栄養では無い。その実態を知れば少しは変わるだろう。変わらないとしたら地獄に落ちるだけだろう。食は己の生き方の大きなインパクト。どんなに尤もらしい言葉を口にしても説得力はない。それだけでは無い。苦しみと困難に立ち向かう力も生活力も無くして何に助けを求めるのだろう。その事を考えるとこれからの少しの努力に労を惜しんではならない。

薬はとりあえず1週間分の処方。お試しセットで薬と体の相性を試す。この程度で本当に良かったと思う。最近、急ぎ足、階段の上り下りでも呼吸の乱れを感じる。息切れ、動悸、ふらつき。その原因が肥り過ぎからだとしたら余りに惨めな生き方に懺悔しなければならない。

医者から帰って行きつけの喫茶店でコーヒーとゆで卵。トーストは家で一枚食っていた。それから南大阪の司馬遼太郎記念館を目指す。近鉄小坂の駅は意外に近かった。それでも池田から梅田に出て地下鉄で難波の駅。途中で蒸しパンと鶯(うぐいす)パンを買う。(食い過ぎ)大丈夫。蒸しパンは小坂の駅に着いてから。残りを食ったのは家に帰ってからだった。

Img_1416

Img_1418

菜の花が咲きそろった司馬遼太郎書斎の前庭。生前の仕事場がそのままに残されて今にも中から声をかけられそう。お目に掛った事は無いのにそんな幻想に駆られる。「おーい。仕事の邪魔になる」そんな事は言われなかったろうが如何だったのだろう?

Img_1421

記念館は建築家安藤氏の作品。内部は残念ながら撮影禁止。書架の高さに眼を奪われる。多くの本棚を見上げながら何故か各地の地名の起源を書かれた本の多さとその本の厚さに驚く。大分の地名でも暑さ10センチ。親父の生まれた直川の起源は直見と川原木村の合併。では直見はそれは分からない。この本買うか?そんな事を考えていた。

Img_1423 Img_1424

Img_1417 Img_1426

Img_1427

近鉄難波の駅。左のマスコットは平城1300年記念イベントの遷都くん。なんか不気味とも言われているが結構愛くるしい。日本人はイベントでしか街おこし、地域の活性化が出来ないのだろうか?司馬遼太郎が笑っている。21世紀を生きる君たちへのメッセージはどれだけの人が共感して読んでくれただろう?教科書にも紹介されていると言われているけど・・・・

日教組を批判し国会で政治とお金の問題を尤もらしく追及する何とか先生も、是非この言葉を紹介して下さい。21世紀もあと90年。今生きている親父達は勿論、君達もどれだけの人が後の世代にどれだけの言葉を語れるだろう。強くあれ。気高くあれ。誇り高くあれ。これは親父の言葉です。司馬先生の言葉は改めて紹介します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年3月 3日 (水)

明日は朝から雨 春の嵐 司馬遼太郎記念館に行けるかな?

P1000271 なんのこっちゃあ。この雑草。イエイエそうではありません。一本の立派な柊(ひいらぎ)南天です。昨年、撮ったお気に入りの写真の南天の実と比べれば何処にあるのか探さなければいけない。

もうすぐ密やかに開花する桜花の樹の下でこんなに大きくなりました。柊(ひいらぎ)の言葉の意味、知っていました?辞書で調べると葉は緑色、ギザギザの棘が在り魔除けとされた観葉植物。花は黄色。実はむらさきとある。

成る程。南天と言われると赤かと思うけど花は黄色、実は紫。。春先にさり気無く黄色の花を咲かせても、愛でる人は少ない。

葉も春先に紅葉するとは何とも言えぬ感動。葉の棘は鬼の眼も射抜く力が在ると言われ、災難を逃れる力を持つとか。

この繁殖力。南天の花も葉の紅葉も見れたし、こりゃ春から縁起が良い。この冬、親父と出会った時の細さは、何処にもない。今年も頼みます。お任せを。

Img_1189

これが昨年の秋撮ったお気に入りの写真。空の青、南天の赤、屋根瓦の白(雪では無い)。自慢の一枚です。これに上の写真が加われば禍転じて福と為すのも時間の問題でしょう。分からん?難を転じて福と為す。これで間違いなし。難転。南天。満天かな?

明日はお休み。先月末の血液検査の結果を聞いたら、南大阪(河内)に在る司馬遼太郎記念館に行く予定。天気予報では終日の雨模様。君と食った大阪駅東口近くのパン屋でパンを買い河内を歩きながらパンを食うか。雨がひどいとそれどころでは無いと鬼籍の先生に笑われるかも。この国の在り方を心配された多くの言葉が大河ドラマの中で消えている。

今日の日経。経済教室、慶応櫻川教授のレポートでソブリンリスクの言葉の意味をやっと理解する。聞き慣れた経済用語。日本語で何で言わないのだろう?それ位知っとけ?知らない人の方が多い事を知れ。投資家が外国債を買った際のリスク。リスクとは何?リスク(危険、危険度、予想通りに行かない可能性) 成る程。

多くの人々は外国債なんか買わないから関係ないと思いきやそうでもないらしい。今、ギリシャの国債が信用不安を発生させ欧州共通通貨ユーロが安くなっているがこの国(日本)のソブリンリスクも現実実を帯びつつあるとか。(親父はそうは思わないが・・・)

この国の新年度の予算支出92兆円。税収37兆円。国債新規発行44兆円。足りない分は剰余金の取り崩し?)10年度末の政府債務残高973兆円(11年度末には1000兆の大台を越える?)今日の国民総生産(GDP)が500兆。債務残高が2倍となるのはギリシャの1.2倍を大きく超えるとか。しかし櫻川氏も国債の大半を国内で消費している日本とギリシャ、スペイン、その他の国々の単純比較は出来ないと言われる。親父もそう思う。

問題は国内で消費されている国の債務。親父でさえ誰が買っているのか分からなかった。銀行ですよ銀行。金利の引き下げで利息は無いに等しい預金の運用は当然貸出をして、その利ざやで稼ぐのがこれまでの銀行、郵便局、信用金庫、金融機関。ところがこの景気の低迷。収入は減っても何とか預金するしかない。金融機関はその運用を貸し出しではままならず、金利の高い国債を買う。櫻川氏はなけなしの貯金で国債が買われていると言う。

これからは金融機関だけでは大量の国債の消化は難しく、政府は日銀にも国債の購入を求める言われる。そうではないだろう。これ以上の歳出を抑えて1年でも早い消費税の値上げ。櫻川氏は14年から23年度までの10年間10%の値上げが必要と言われるが、それは無理だろう。せめて現行の5%から10%に何時出来るかだろう。それが出来なければ司馬先生が生前言われた様にこの国の未来は暗い。

親父世代は後どんなに頑張っても後、20年だろう。働けるのは10年。健康で文化的な生活を続けるには太極拳の真似事しかないのだろうか?。嘆く事はない。そんな生き方をすれば先生も柔和な顔で見続けて呉れるだろう。沖縄、先島の波照間で見上げた夜空の煌めきの様にこの国の未来も同じでなければならない。

| | コメント (0)

2010年3月 2日 (火)

今週末は啓蟄 山茶花の花も残り僅かとなる 季節は春?

P1000269 今年も楽しませてくれた山茶花。流石に残り少なくなる。昨年の暮れから一杯元気をありがとう。金木犀(キンモクセイ)の様な強い香りも無く、花の盛りは一時だったけれど後から後から、満開の花弁の競演だった。毎朝、親父と会話をしながら音も無く花弁を落としていた。

又来年、見れるかな?(今年の暮か?)花弁も心なしか元気が無い。雨のせいかも知れないが一杯見せて呉れてありがとう。

親父も今はメタボですが、今年の暮は少しはシャープになれるかな?いまのままアカンかも。(ですね)。でもこの親父、結構、決意は固いから意外にやるかも

最後に綺麗な姿をアップしましょう。

P1000261 花の命は短くて苦しき事のみ多かりきそんな嘆きのセレナーデも霞んで見える時。花にそんな命が在るのだから人の命を弄ん(もてあそん)ではいけない。

輝きの時は一瞬でも苦しい時がどんなに多くても誰かがその一瞬を捕えて呉れる。与謝野晶子も後世の人が語るより愛する人との日々は輝いていたのかもしれない。

親父もこの歳になるとそんな熱情はとうに失せヨタヨタと五月山を歩くのが関の山かもしれない。

山茶花の花はそんな親父に一時の輝きを見せて呉れたに違いない。老いる事は健康との戦い。美しさとはそんな紋かも知れない。

今週末は24節気の啓蟄。冬眠をしていた虫達も長い眠りの時から目覚めて動き始める時。昔の中国の農村の風景が時空を超えて見えて来る。想像の世界。中国の風景は見ていないが田舎の昔の風景もきっとそうだったに違いない。田んぼに水を引きこみ雄牛に代掻き(シロかき)を引かせてゆっくりと農地に田植えに準備をさせる。それでも稲を植えるのは何故か梅雨時だった。昔の人は貧乏だったがそれ程に日々の生活がゆっくりと流れていた。

今日、日経で先週引用した日本経済研究センターの理事長が金融レポートを発表している。この人も途中迄は異論ないが結論には恐れ入る。君から親父の消費税ありきの意見をメッタ切りにされたが、この人の意見はもっと徹底している。この研究センターこの国の経済分析にどの程度の影響を与えているのだろう。意外に大きいのかも。そうだとしたら暫くはアカンかも。何が?経済の政治家の認識。

君は如何思うか分からないが、間違い無く次の国政選挙(参院では無い)では消費税増税の賛否が問われる。有権者、経営者の多くは反対だろう。それでも間違い無く2%は上げなければ国の財政が破たんする。本当は2%では無く6%とも言われるがそこまでは無理だろう。

君が言うように財政支出を減らす方が財政の健全化は早いが、現実は多くの利害と固定費(社会保障、軍事費、医療費、地方交付税etc.)があり、景気対策の減税も少なくない。この理事長は間接税の増税と直接税の減税を同時に行う事を提案している。

それだと±〇。イヤイヤ増減税を同時に行えば多少増税を多めにしても、景気刺激効果を引き出すことは可能とか。ほんまかいな。ここらになると嘘っぽい。具体的理論なの?それだけでなく環境税をプラスし景気対策、年金・医療・少子化対策の財源にも積極的活用に至っては論外。そうではないでしょう。徹底的な無駄使いの排除。でも出来ないでしょう。この国のリーダーには。間違い無く吊るし上げ。引き摺り下ろされるか。この国は次のkuraisisu(危機)に襲われないと何も変わらないのかも。それでもその時は間違い無く近い。

何故なら、昨日のブログにも書いたが財務省の役人は今、イギリスで日本国債の売り込みに奔走中とか。この国の国債残高が今、どれ位。このままでは間違い無く数年後には1000兆の大台でしょう。そうなると大した事は無いと言われたアメリカの国債を如何するのだろう?今、ギリシャの国債の信頼度が問題になっているが、次は何処だろう?その心配はない?そんな事は無い。そんな事を考えていたら政治家先生もとんでもない事を言われる。

デフレ対策。(この国の景気低迷の要因とか。デフレ…物の値段が下がりそれでも消費者の財布は軽い。物が売れない。物が余る。仕事が少ない。雇用が減り失業者が増える)。その対策が子育て支援?国からのお金はまず貯金だろう。これで消費が盛り上がると本当に考えているのだろうか?そんな余裕が在るのだろうか?

流石に政治家もこれでは先行きが不安。もっと財政支出をして(補正予算を組んで)景気の底入れを計るのだろう。景気は山谷の大きな波を繰り返す。個人の生活に明るさは無くても景気の先行きに暗さは無い。何故だろう?そんな政策を取っているからだろう。

日本経済研究センター深谷理事長の分析は非常に興味深い。それでもデフレの克服に決めては無い。企業の利益が売り上げの下落で激減すればコスト削減。今では例外となった労務費のカットが必然となれば物は買えなくなる。当然だろう。世界金融危機が一昨年の9月。あの時から一人当たりの年間所得は平均30万円の減少と言われると愕然とする。

それも平均でしょう。仕事が減った。無くなった。そんな人の生活が細く縮小するのは当然でその手立ては施し、バラマキだけでは駄目で政府の財政支出が期待されて当然だろう。しかし、そのしわ寄せが何処に行くのか考えなければならない。イギリスに国債を売りに行く前にやるべき事を間違えている。これがこの国の財政の現状かもしれない。

話が親父節になったが国債の発行残高は間違い無く次の世代に残る。その世代に何をしていたのかと言われない為にも、税金の無駄使いは許してはならない。それなのに政治とカネの説明責任?オイオイ、話が違うだろう。それでもマスコミは飯が食えるのだから笑いが止まらないだろう。尤もらしい顔をしてコメントを重ねてもその程度の物だと思えば丁度良い。

| | コメント (0)

2010年3月 1日 (月)

イチゴは温室栽培の今、何時でも食べられるけれど、石垣イチゴは早春の香り

Img_1395

Img_1413_2

イチゴは今では年中口に出来るが、親父が小さい頃はナカナカ、口には出来なかった。田舎の一軒家では八百屋で買う事も無く、近くにスーパーも無かった。口にする時と言えば他所の家の露地物を失敬する位だった。それでもこんなに一杯手にする事は無かった。写真も照れたのだろうか?テーブルの手前が光っている。上の松にバラの写真はそのごまかし。でもこのミスマッチの意味はその程度です。悪しからず。イチゴの画像、折角良く取れたのに、テーブルの乱反射、非常に残念。それでも光り方は良く見ると悪くない。

本当は水洗いをきっちりしなければいけないが、一個を残して完食。一個だけ腐り気味。

上のバラは芦屋川西のバス通りにはみ出した松に、近くの人がバラの樹を絡ませていた。先月冬の終わりの時、親父が5年前の時を思いながら歩いた道。あの頃は本当に貧乏でこんなイチゴも食えなかったが、松に絡む(からむ)赤いバラの様に夢中で生きていた。

しかし、今夜改めてこの画像を取り込んで見ると逞しさを感じるのは、松のカサだろう。冬の寒さにも赤いバラの誘惑にも負けず、気高さと近くを走る道の大気汚染にも負けていない。5年前の親父にこんな強さは無かったろうに。その証拠にあの時この松の表情を見ていない。

啼く事も嘆く事もそして絶望の思いさえ踏みつけながら、何も望まず黙々と歩いていた。仕事場と阪急の駅は少し離れていたが、この松を遠目に眺めるだけで当然、赤い賑わいも無く無表情だった気がする。駅の電車の時間と仕事場の交代の時間だけ気にしていた。

唯、あの時、この松の反対にあった(今でも在る)公園の砂場で薄汚れたホームレスの叔父さんがいた。雨と夜露を凌ぐ屋根も無いのに如何しているのだろうと余計な心配をしていた。時々、お店に来て生活必需品を買い求めていたが今は如何しているのだろう?

最近、生きる事に疲れた時何故かあの叔父さんの眼を思い出す。そう、この松笠に似た生命力、多くの人の期待と熱情を己の思いとは裏腹に無にしても、眼は生きていた。親父にはそんな生き方は出来ないと思って見ても、人の流転は実に果敢ない。それ故に全てを失う前に立ち上がれたのかもしれない。その事を思えばイチゴと松、バラの思いは強ち(あながち)ミスマッチでは無いのかもしれぬ。

この国の経済は出口戦略が政府に無いと言われているがそうではない。景気低迷の最大の原因は国内消費の低迷。大量生産、大量消費のイケイケドンドンの時が終わって久しい。何年の時が流れたのだろう。失われた10年とか国内生産の空洞化とか、グローバル経済ではこの国のコストでは対外競争には勝てないとか、多くの事が尤もらしく語られ国内の消費は低迷。物が売れない時が続いている。買いたい物が無いとか言われるが本当に価値のある物が売れる時代は消えてはいない。価値を求める消費者の感覚が多様化してもそれに附いて行けない安売りと規格化。それでも景気低迷の出口戦略を政府に求める感覚。

君は国の財政は歳入に見合う水準を求めていたが、そんな事は問題外。来年度の予算の歳出は歳入の2.5倍。国債の発行は歳入を大きく超える。それでもこの国の財政はアメリカのお間抜けな格付け会社に言われるほど悪くない。それが分かっているからこの国の財政当局もイギリス迄、国債のセールスに行くのだろう。イギリスも自国の通貨の信用度は高くない事を承知の上で日本の国債を買うのだろうか?親父が官僚を批判しても何も変わらないが、この国の官僚はこの程度だろう。そうでなければ円がドルにもユーロにも強くは無い。

マスコミの世論調査もバカの一つ覚えの様にワンフレーズの繰り返し。政治とお金の問題。この国もアメリカも中国さえもお金の掛らない政治が何時の世に出来たのだろう?政治の世界だけでなく新聞、テレビ、言論さえもお金に綺麗と誰が言えるのだろう。説明責任?マスコミの説明責任程おかしな言葉は無い事がこれから証明されるに違いない。

先生、コメントありがとうございました。親父のブログがこれだけ続けられ多くの人に支えられたのもご指導の賜(たまもの)です。画像の挿入も息子に手順を教わり、教室で小さい飾りを入れた時が始まりでした。これからも日々勉強です。又、教えて下さい。文章は過激でも心と体は何時までも未成年です。(心は善しとしても体は無理)

| | コメント (0)

« 2010年2月 | トップページ | 2010年4月 »