立春寒波も一段落 昨夜はニラ玉の食い過ぎで下痢でした
天気予報を見ると冬型の気圧配置が崩れ、一気に暖かくなる。雨模様になるが今週はこれまでの乾燥して寒い天気が一段落する。その後又寒さがぶり返し暖かくなる。3月の初めに奈良のお水取り。それでもこの頃はまだ寒い。マスコミの報道を聞いて一喜一憂する事は何も無い。政治も経済もそうだろうと思いきやこれはそうは行かない。政治のお間抜けは国民のお間抜けだろうが経済は如何なのだろう?これは景気の先行き見通しをする財界人とエコノミストに先見の明が無いからだろう。
この国の歴史をひも解いても時代が変わる時の兆しは、一部の人にしか見えないのだろう。マスコミ、報道の責任が問われた事も少なくないが多くの時にその役割は小さい。何故だろう?それ程に新聞、テレビの影響が大きく変革の動きを伝えられないのだろう。
天気予報は大気の流れと変化、日本各地の観測地点が整備され予報の外れが本当に少なくなったが、景気動向の判断が適格になるのは何時の事だろう。それが出来ると何なのかと言われるかもしれないが、これからはそれが出来る様に学習しなければならない。
それが出来ればこれからの(これまでもそうだったが)厳しい経済、(国レベルでは無い、自分自身の切実な日々の生活)が激変するに違いない。今迄が余りに無知で成り行きに流され先見の明もなく、それ故に惨めだった。要領とペーパーテストに長けた(たけた)輩に何時までもデカイ態度を許すだけの器量はない。反対に生活困窮者に輝ける明日は無い事も知らなければならない。
幼い頃、田舎の霧島神社の急な石段を片足の膝から下が無いおじさんが雨露を凌ぐために上がって居た。子供心に凄い生命力、生活力と思っていた。今の生活、高齢化の生活を考えた時、あのおじさんの柔和な表情を思い出す。明日の生活、明日の命の保証が無くても不自由な体で大地を尺取り虫の様に少しずつ動きながら、何を考えていたのだろう。
とっくの昔に命は無くしても安楽の時を手にしたに違いない。これからの生き方を考えた時あのおじさんから教えられた生き様は出来る術も無いが、五体満足、雨露を凌げ贅沢な食事が出来、貧しいながらも簡易ベッドのうえで眠れる日常に感謝しなければならない。
それだけでなくお腹の出っ張りが凹まなければ、老い先も長くはないだろう。これから先高齢化の人は多くなる。それでも健康で自分の足で歩ける人は間違いなく少なくなる。日々の生活で自分の健康は自分でなければ他人は分からない。どんなに人の事を言った処で自分の体は待ってくれない。酒飲みが太った人を馬鹿にするけれど自分の肝臓の事は知らない。
景気の話も同じである。多くの人が尤もらしく先行きの不安を口にするが、問題は自分に何が出来るかだろうう?人の事や口先では何とでも言える。問題は自分に何が出来何が見えるかである。その一番の事を棚に上げて尤もらしい事を語るから先行きが見えなくなる。
その事はテレビを見ると本当に良く分かる。政治とカネの事を開けても暮れても口角泡(こうかくあわ)を飛ばしても経済の最前線の話は無い。アンタの個人的な話は如何でも良い。どうしてもう少し地道な事実の報道が出来ないのだろう。政治に金が掛るのはそれだけオイシイ思いが出来るからだろう。その本質を棚に上げてどんなに多くの事を語ってもお笑いだと思わないのだろう。それも簡単。それがこの国のお馬鹿な処だろう。
昨日の朝、グルメ番組で(親父も結構見ている)ニラ玉の美味そうなシーンを見る。ジャンボなそれは如何にも美味そうだった。その影響で夕食材の買物に躊躇は無かった。ニラ一束、卵10個入り。にらは久しぶりに手にする。何故だろう?独特の臭みが無くシャキシャキ。卵はプライベートブランド。しかし300円を超す高級品では無い。やっぱリ味に高みが無い。
親父が小さい頃(マタか)、家で卵を買う事は無かった。それ程の高級品ではなく鶏を飼っていたからである。餌の当番は大体親父か博多の叔父ちゃん、餌は近くの道端のポンポン草(正式名称は知らず)と米ぬかと水、それで充分だった。大人しいニワトリで黙々と餌を食い卵を産んでくれた。それが我が家の御馳走だった。それでも贅沢品でもなく何気なく口にしていた。
そう自給自足。今の様にスーパーやコンビニは無く野菜や米は買う事はなく、それでも親父は職業軍人だったので戦後は今で言うフリーター。日銭稼ぎの土方仕事しか無かったが、貧乏だった。それでも親父の恨みつらみを聞いた事は無かった。それだけに未だにアメリカの軍事力の傘の中で尤もらしい国の防衛論議は許せない。先の大戦で多くの人の命と価値観は台無しにされた伝承は過去の物になっている。
戦後50年を過ぎこの国は軍隊を憲法上は放棄しているが、世界のどの国もそうは思って居ない。三権分立(知らんだろう)司法、行政、立法の権限は独立していても、この国に軍隊が無いとは誰もが思わない。それでもそうは言えないのだろう憲法上は。
話を経済に戻せば世界的にはアメリカの経済が今、大きな変革の時を迎えている。戦後50年以上続いた繁栄も昨年の金融危機を境目に崩れている。温暖化の進行で北極海の氷が溶ける様にこれから紆余曲折を経ながら経済大国の座を何処に明け渡すのだろうか?
アメリカの一国支配の時は終わり世界の富は変動するだろう。日本の繁栄は終わり、これからはじり貧を続けるとか言われているが、国土の狭いこの国が高い人口密度の中から生み出してきた技術力はそう簡単には揺るがないだろう。精密な物造りの技術は暫くは他国の追随を許さないと思うが、それは違うらしい。韓国のサムソンや台湾の新興勢力は一部に置いてこの国の技術を凌いでいる。しかし、その事がこれからも続く保証は何処にもない。
全体のレベルを比べればこの国の豊かさは過少に評価されている。これからはその熾烈な競争が始まる。その多くの現場をマスコミは殆ど伝えないのはそれだけの情報が求められて居ないからでこの国の現場力は言われるほど、空洞化はしていない。そうでなければ飯が食えないからである。これからその事も少しは知らないと先行きを正確には見通せない。
下痢止めには正露丸。親父の下痢はこれで完全に止まる。だから旅に出る時もこれは手放せない。それと眼薬。最近はデジカメも必需品となる。正露丸は独特の匂いがあるが何故かメーカーまでも決まっている。値段は安い他のメーカー品に替えた事があるが駄目。
薬もゼネリックの時代と言われているが如何だろう?親父的には効き目だろう。効き目に変わりが無く値段が安ければそれが一番だと思うが、そうは如何だろう。これからはどんなに安い商品が出ても、価値の無い物は2度と買っては貰えない。
今日、安い商品に人気があるが安さだけではその場限りの買い物になる。価値が認められた物が安くては無くても求められる時が見直されている。多極化。安物競争に眼の色が奪われていたら取り残される事を教えている側面を、これから知るに違いない。
made in Japanが安かろう悪かろうと言われたのは昭和の30年前半。あれから経済の爆発的な発展がありこの国の経済も変わる。それでも人々の生活は豊かになったのだろうか?なりました。親父は元に戻ったけれどこの国の豊かさを疑う人は貧乏人だけ。
今、同じ事が隣の国でも進んでいる。経済大国China でもこの国は発展途上国とか。違うだろう。経済大国の条件に発展途上はないだろう。それとも都合の良い時だけの仮面なのか?この国は私達の国と違って余りにデカイ。そして余りに価値観に飛躍がある。この国が本当に共産主義の国であるならもっと多くの人が豊かでなければならない。
今日はお休み。久しぶりに親父のプロフィールを見ると減量中とある。2年と9ヶ月の間にそれどころか9キロの増量。それが全てお腹廻りの脂肪となっている。お腹の脂肪をつまみ上げ電話帳と比較するお話があるが、電話帳が2冊になっている。どれ位の厚さ?それは余りに言えません。FMの昭和歌謡を聞いて居ると遅くなりましたが、これから歩いてきます。
城 卓也さんの「骨まで愛して」 しらんやろ。親父が22,3の頃のヒット曲。今から43年前の曲。愛の昭和歌謡。来週は口づけの昭和歌謡とか。愛有る一週間とか言われたが人を愛する事は自分を愛する事です。ラジオって良いですなあ。砂山の歌が始まりました。ああ。
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