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2010年2月 4日 (木)

あいた口が塞がらない(ふさがらない)立春大吉

立春大吉 静岡掛川の大雲院大和尚から貰った唯の紙。それでも親父にとっては唯の紙ではなかった。今は昔、これからも住む事はないだろう大きな玄関にこの紙を貼る。大きな主をなくした日当たりの良い玄関は照れながらも季節の変わり目に目を輝かしていた。

あの時から15年の春を迎える。お間抜けなテレビは春とは名のみの風の寒さとか茶化しているが、言葉の意味と人の思いを理解していない。この日を境に日一日と春めいて来る。関西では本当に春に成るのは選抜の時から。弥生三月も下旬にならないと春にはならない。

立春大吉. この言葉の意味は親父的にはそう理解しているがなかなかそうは行かない。仕事場の窓の外は明るい日差し。屋内に居ると外の寒さは解らないが外に出て見ると風は冷たい。雪国の寒さと大雪に比べると笑われるがこの寒さも一時だろう。

今週末から又、暖かくなる。三寒四温。この言葉も最近は余り聞かれないが段々と暖かくなる。去年は桜の開花の時を愛でる間もなく若葉の時を迎えた。今年は如何だろう?6月に君と約束したハイジの故郷を見る為に血圧を下げなければならない。

血圧だけでなくメタボな体もスリムにしなければ、ユングフラウヨッホの展望台には立てないだろう。14年間の時はその日の為に在ったのだろう。その為にも立春大吉の時があるのだろう。今はどんなに寒い時も一月もすれば様子が変わる。 

そんな他愛も無い事を考えていたら、トヨタの会見の様子が視界に飛び込んでくる。品質保証担当。懐かしい言葉。親父は不良品の対応に振り回されていたが流石にトヨタ。対応がスマート。しかし、平然とした顔で淡淡と語られる言葉にあいた口が塞がらない。

その前に朝青竜が引退した。そのニュースのコメントを限られた人が尤もらしい顔をして、良かったとか遅かったとか言っているが何様だと思っているのだろう。自分が当事者に成れる訳も無いが辞めた人に叱責の言葉は無いだろう。品格とか国技を語る前に人間としてどう有るべきかをどれだけの人が語れるだろう?それ程に人の生き方は人を語れないだろう?それはあなたも同じ。これは又失礼しました。

そう言われるとプリウスのブレーキの問題も迂闊な事は言えないが、製造物責任の言葉の重みが感じられない。担当取締役は感覚的な問題で品質的ではないと言われたが、これはアカンだろう。車は走る凶器。安全を売り物にする車のブレーキは感覚的にもシャープでなければならない。その事を忘れた時王者の座は明け渡さなければならない。

今日はもう一つの事を呟かなければならない。本当は政治の事は如何でも良いのだがそうも言えなくなっている。政治とカネの問題は親父が若い頃から言われている。マスコミの間抜けな処はその問題の本質を明確にせず、短絡的な興味本位の報道は厳しく追及されるべきだろう。新聞やテレビの社会的責任を口にしながら日々何たる報道だろう。

政治にお金が掛ると言われ今は政党助成金なる税金が投入されても、企業、団体の政治献金は禁止されていない。政治資金を明確にして不正なお金の流れをなくすと言われながら、どれだけの政治家がその事を実行しているのだろう。それが出来ていないから政治とカネの問題が事件となる。自民、公明、野党もマスコミ同様不正なお金がないのか説明責任とか言っているが、それだけの事を本当に言えるのだろうか?その程度だろう。

今、この国の民主主義が問われている。親父はこの国の民主主義は形だけと思っているが、憲法には国民主権と明確にうたわれている。しかし、民主主義とは一体どんな物だろう。全体主義、共産主義とは違う国民主権?もっと政治に関心を?自分の生活を変えなければ人の生活は変えられない。

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