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2010年2月11日 (木)

ねんごくせえ奴やのう (大分の方言で小生意気な奴やなあ)かな

今日はお休み。5年前、半年間働いた職場を見に行く。北摂箕面外院で2年と8ヶ月、それから甲子園で1月足らず、その後だった。あの年は台風が週末になると関西を直撃し、大きな爪痕を残したが親父にとっても、厳しい時でもあった。あれから5年。懐かしさと人の生き方が考えさせられ感無量になる。それでも感情の起伏は何も無く年の流れさえ感じる事は無かった。それでもあれから間違いなく多くの歳月が流れ、多くの事が思い出として残る。

Img_1395 あの時は冬の始まりの前だったが今年は冬,真盛り。それなのにこの松に絡まる赤いバラは何も語らず親父の今を祝福していた。加藤登紀子の100万本のバラに優るとも劣らないこのバラは、一人の思いが松に絡んでいる

Img_1396 この道を歩いたあの頃は未だ君に助けられていた。冬の丁度今頃、この松にこのバラの棘は無かった気がする。無かった。間違いない。そうでなければ到底優しい目でこの松の樹も見れなかったに違いない。おかしいよね。反対を見ると綺麗な花の喝采。しかし、裏で支えているこの厳しさがあの時の親父には欠けて居たのだろう。そう思う。でもあの時それが分かっていたら今の自分は無かったかも?

Img_1394_2 この金網に手を掛けて下を覗き(のぞき)込む事は無かったが、この橋の下を走るのが昔の山陽本線。今のJR神戸線。上下4本の線路は九州大分に続く鉄路。この道を何度行き来した事だろう。若い時から多くの思いを込めた路。今はその面影もないがこの頑丈な金網も足元すら及ばない大動脈。久々の再会。

Img_1382 このお店は今でも繁盛していた。この画像では見えないがノレンの下に良く見ると客が立っている。この右外に行列が出来る。通りを隔てた反対には競合店があるが、今でも負けていない。味が良いのだろう。この左50メートル先に職場があり仕事振りも変化が無い。このお店同様、どっこい生きていた。

流石にお店の前は通らず画像もなし。何故か照れる。別に遠慮は要らないのに何故だろう?何も変わっていなかったがそれは外見だけで、それが分かるから遠慮したのかもしれないが、親父の心の奥底に恥ずかしさがあったのだろう。知られたくない秘め事。それ程の物でもない。知り合いに顔を見せたくなかったのだろうか?それも違う。知り合いも5年経てば変わるだろう。変わらなくても過去の話。過去の思いは忘却の彼方に過ぎ去って懐かしさしか残っていない。そんなもんかも。余り大事にもされなかったし。(オイオイ、愚痴か)

Img_1383 これは近くの公園。暖かな晩秋の時、何度か此処で食事をした。店で買った弁当を食いながら何を考えて居たのだろう。寒くなると待機していたボイラーの前で食っていた。(蟹工船と大差ない待遇にも不満の思いはなかった)。何だかんだ言った処で人は落ちる処まで落ちれば、己の無策にすら思いが消える。この仕事は春、4月で終わるが、何の未練も無かったと言えば嘘になる。

Img_1384 南天、千両の実ではない。それは昨年で終わる。この実はクロガネモチ。5年の間にこれだけ大きくなる。何時までも後ろを見ないで明日を見よと教えている。君の行く道は果てしなくと遠いと歌われた若者達は、今、後ろを振り返らずに実りの明日を探せと教えているのだろう。だのに何故、その事を思い知らないのだろう。good, by good, by good by, by. 次に合う時はマングローブの林の中かもしれない?

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この道は半年間通った道。でもこの松の古木の印象は無い。何故だろう?その当時から在った筈なのに。その先の工事中の▲コーンはこの下をトンネルで道を造っている。バス通りの右側は川。天井川。前のJRの複複線の鉄路もこの道と川の下を走っている。

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ハイハイ ドウドウ 私に腰かけて飛び跳ねて下さい。

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この道が国道2号線。この橋が業平(なりひら)橋。御存じないだろう。藤原の業平。今は昔藤原の業平が神戸兵庫の港に通った橋?当時も道は有ったのだろうが画像中央の自転車が、信号待ちをしている位の幅だったのだろう?この正面の家。豪邸です。お金持ち。

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この石橋の重みが分かる。先の阪神大震災にも先の大戦の神戸大空襲にもびくともしないで凛としている。地震と爆弾の直撃が無かったとは言えこの橋の力を学ばなければならない。何を?不撓不屈(ふとうふくつ) 何物にも負けない何物にも屈しない。何者にも。

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仕事を終えて何時も眺めていた下りのホーム。当時と何も変わっていない。変わった事と言えば親父が5つ年を重ねて事。あの当時血圧が高い事も無く、無い物と言えばお金だった。今は如何だろう?帰りの電車を待つ間疲れていた。確かに歩いた事もあるけれど着実に体力の衰えが進行している。お金の心配が無くなっても体に老いを感じたらアカンでしょう。

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帰りも西宮北口で特急乗り換え。流石にこの時は疲れていた。時間は1時過ぎ席は空いていた。右隣で外人がイチャ付いて居た。元気が在れば一言ある親父もすぐ目をつぶる。停車駅十三はじゅうそう。ここで乗り換え。君にメールしていた5年前を思い起こす事も無かった。

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