謹賀新年
謹賀新年。今年も又、新たなる想いで新たなる出会いを求めて、新たなる挑戦です。新年早々、又南天かと言われてもこの写真は屋根瓦が雪をかぶった感じで、年賀状の写真に使いたかったお気に入りの一こまです。今年もこの写真の南天の様に困難を物ともせず、全力投球で悔いのない生き方をしたいと思っています。困難を転じて福として下さい。
今年も昨年同様、ニューイアー駅伝を見ながら穏やかな元日の朝を迎えています。違う事は朝起きて食事をする前にコンビニで160円になった経済新聞を買った事。駅伝の画面を見ながら平穏な一年の始まりを感じている事です。雑煮は昨夜口にしなかった年越しそば。雑煮は白菜と薄味で無いと不味い。長い間、美味い雑煮を口にする事は無いが、これも努力の足たらなさかもしれない。(どんな努力?)
そんな事を感じながら昨日久しぶりに手にした朝焚き納豆(甘なっとう)を食っている。甲斐の国の天然水でふっくらと炊きあがられた白花豆はしっとりとした口当りで、甘過ぎず食い過ぎ注意です。昨年末、一念発起して桑抹茶を買いました。多くに人に笑われても自分の体は自分で管理をし、健康を維持しなければ人の事は言えない。
人の事はどんなに批判出来ても、自分の事を自分で批判できない。昨年、景気の低迷とデフレの進行、自分の心の病でも自分に何かが出来たから変化があり、何も出来なかったから問題の解決を政府、金融当局に求めたのだろう。その事は納豆を食いながらお茶を飲めば良くわかる。己の無策を棚に上げ然も他人が何もしていないと思うのは、問題の解決ではなくボヤキであり嘆き、愚痴でしかない。その事が分かれば今年は色んな事の分岐点であるかもしれない。
年末の国民的全国放送、紅白歌合戦を見なくなって久しい。「なんで」と訝る(いぶかる)人に格闘技と答える親父の馬鹿さ加減に自分では結構満足するようになった。格闘技と言えば元ヤンきーとか馬鹿が多いが、例外も少なくない。今回王者吉田に挑戦したのはオリンピック金メダリストの石井。試合には負けたが間違いなく世代交代。
殴られても蹴られても前に前に進むチャレンジャー精神は、久々の清涼感。試合は王者の上手さに交わされ為す術もなかったが、その姿は間違いなく次の時代を背負う姿だった。最後の試合は親父の嫌いな選手の引退試合。それもショウとは見えない迫力が有った。
今年は間違いなくテレビがその役目を終える。皮肉にもデジタル放送が始まる前。テレビが話し相手の高齢者の楽しみは娯楽番組。そのテレビが興味本位、視聴率本位の番組編成。その自覚も無いまま、口も拭かずに尤もらしい正論?を語る。テレビは次の時代で何を語るのだろう?
赤城降ろしも今年はテレビの解説者が言うほど強くない。静岡掛川の遠州空っ風は如何だろう?関西でも寒い新年になっているが雪国の事を思えば、比べ物にならない。その事を思えば今年の生き方も又、違ってくるだろう。正月休みは5日まで。9日に掛川に行く。
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