景気の先行き不安。政治もお金の問題で混乱?
株式市場が国の経済を在りのままに表現しているとは思わないが、昨今の株価にその勢いが無い。この国の景気動向の多くの指数を見聞きするまでも無く、景況感は良くない。何故だろう?この国の経済が国内の消費だけでは成り立たず、アメリカの消費、景気、輸出に支えられている部分が長い間、当然の様に国内の輸出産業に在ったからだろう。
その繁栄の時が昨年のアメリカの金融危機で、皮肉にもアメリカ本国よりこの国に大きな影響を与えたが、その深刻な打撃も政府の財政支出で何とか回復したかに見えた。しかし、そんなに甘い紋ではないだろう。エコポインント、エコカー減税、エコ、エコと叫んでも全ての人がその恩恵に預かれる訳も無い。その事が分かれば暫くどころかずーとこの出口の見えない不況感は続くだろう。そう考えた方が正解だろう。
しかし、そんな言葉を語る人は少ない。馬鹿の一つ覚えみたいに人の批判ばかりしている。それも一部の人だけでなく多くの人がこの閉塞感の打破を政治家に求める。政治家も政権交代とやらで綺麗事を言う。それだけなら未だしも本気になっている。オイオイ。期待をさせて出来ない時は如何するのだろう?失態が眼に見える。その時でも白を切るのか?
景気の好転の絶対的条件は雇用の確保だろう。仕事に貴賎は無くやろうと思えば何でも出来ると言われても、自分の事は棚に上げている。誰でも人は楽をして良い暮らしがしたい。俺は違うと言われてもいざとなれば一番先に切れるのがこの類(たぐい)。人はそれ程に賢くも強くも無い。その事を忘れていないか?それとも本気にそう思うのだろうか?
久しぶりに大阪梅田のターミナル、地下鉄の混雑に身を置きながらそう思う。整然とした人の往来の中にそんな流れは無い。当然だろう。人の事を考えてやれる余裕の無い社会に何かを期待する事の無意味さを、どれだけ感じているのだろう。
18の夏から23の5年間。通いなれた電車の普通電車の中でそんな事を考えていた。梅田から各駅停車で4つ目の駅が庄内。19の秋アメリカとの衛星放送が通じた第一声がケネディ大統領の暗殺。暗澹たる思いで新聞の号外を手にしていた。
あれから45年。多くの歳月は流れたけれど何がどう変わったのだろう?今、政治も経済も親父のこれからの生き方もその事が問われている。そんな事を噛みしめながら庄内の街灯りを見ていた。親父が出口を間違えて逆方向に歩いていた道は当時の儘だった。
| 固定リンク
コメント