暖かな一日?でもそんな実感は無し。それでも穏やかな一日。
今朝は冷え込みも無し。24節気では大寒なのにとテレビはわめいているが、他に言葉は無いのだろうか?この国のマスコミは社会的責任を人には求めるけれど、自己統制は出来ないのだろう。季節の話なら視聴者の判断に何の間違いも与えないが、政治経済の話になるとそうは行かない。関係者の話によればとか、一方的な意見をどうして公共の電波で流さなければいけないのだろう?政権交代の影響と言ってしまうには余りに聞き苦しく、自分達は如何にも正義かの姿勢は見苦しい。何事も多くの要因が重なり単純でない事の方が多い事も伝えなければならない。
親父の血圧も色んな人からいろんな事を言われたが、人の体のメカニズムは事ほど左様に単純ではない。人の体は自分が一番知らなければいけないのに、自分の体の事をどれだけ理解しているのだろう。人の事は色々言えるけれど自分の体の事をどれだけ知っているのだろう。血圧測定 朝は161-88 夕方は149-79 未だ少し高いけれど血圧を知る事の喜びは又、一つの喜び。次は今は無い体重計を揃えてグラフ管理をしょう。
先日、散歩の帰りに商店街のはずれで頭に鉢巻きをしながら足を頭の上まで挙げている青年を見て感心した。親父には真似の出来ない事。あれが出来る様になるのは何時の事だろう?年寄りの何とかで出来る前に、後ろにひっくり返るかも。マリアにまさかと言われたが、この親父、ひょっとしたらひょっとするかも。その為には標準体重62に近付かないと。まあ、無理だな。心配するな。誰が?「為せば成る。為らぬは人の為さぬなりけり」 止めて下さい。
物には順番があると若い頃盛んに言われたが、この歳になるとどんなに努力しても、出来る事とそうでない事が明解になる。それでも体の賞味期限は外観では計り切れない。決意、決心。仕事の研修で守屋さんに習った「私は何時も本願の本を心がけて生きて行きます」は今でも忘れては居ない。本願の本。本気、本心、本物、本当。 アンタは若い。
これからの10年は老いとの戦い。それを忘れたら神の哀れもを乞うしかない。これからの時は体力の衰えとの勝負だろう。布袋さんの腹では商売繁盛は適っても健康な体は無い。介護されながらの生活は生き永らえる哀れだろう。勝手に生きろと言われてもそうではない。
考えて見ると人の幸せは他人には分からない。いわんや身内でも。親鸞上人は悪人でも往生できると説いているが念仏を唱えるだけの生き方は凡人には分からない。それでもこれからは人の意見にも耳を傾ける度量も必要かもしれない。お互い様だけど。
昨日、面白いドキュメントを見ました。ガイアの夜明け?納豆屋さんの話。安売り、大量販売の話を断り、高級感、手作り感の方向転換。このデフレ時代の逆行。痛快でした。親父も全く同感です。安ければ安い方が良い?バナナのたたき売りでも儲かる事を知らないと嘯かれても(うそぶかれても)そのカラクリを知ったとしても、自分が貧乏人である事を認めるのだろうか?背に腹は替えられなくてもその先はただの物を求めるしかない事が知られていない。
今年も賃上げどころか仕事の確保すら難しいと日経連の叔父さんが言っている。叔父さん、アンタの会社の飛行機に乗れない人が多くなり、安売りチケットを求める人が多くなるんだよ。それでもファースト、ビジネスクラスのお金持ちは減らないと思っているのだろう。
日航の破産は他人事のように思えるのだろう。この番組の親父には納豆屋の心意気があり安売りでは生き残れない必死さがあった。これからの経営者に求められる事は商品とサービスに求められる価値観だろう。価値が在ればそれなりの対価を払い、それが無ければどんなに安くても要らない。その見極めが求められる。そんな事を感じていた。
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