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2010年1月

2010年1月30日 (土)

阪急今津の駅。

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阪急今津駅の停車駅の案内。この案内図では良く分からないが今日、宝塚から西宮北口乗り換えで今津駅まで行って来ました。何の為に?内緒です。(それ程の物でもないが・・・)。図右上の6本の線が阪急神戸線。今津線は宝塚と今津を結んでいるが阪急北口の駅で乗り換え。この図はそれを示しているがこれを見ただけでは良く分からない。

又、阪神国道の駅も以前、国道2号線に路面電車が走っていた時の名残り。今は国道に路面電車はない。親父が大阪に出て来た18の春から大阪梅田を出た阪神電車は2番目の駅、野田阪神で国道2号線を走る路面電車と天神橋6丁目を結ぶ路面電車が走っていた。

親父が18の時就職した会社は野田の駅から北大阪線(野田ー天六)で2番目海老江だった。今もその会社は在る。当時の薄汚れた明治時代の面影は無く綺麗に立て替えられているが、国道2号線の路面電車も長い間、野田と甲子園(浜甲子園)を結んでいた。

今津の駅はその少し手前。少しこの駅から足を延ばせば大阪湾に出る。昔は交易の盛んな港だったのだろう。(大阪と神戸の丁度中間)。今はヨットハーバーにその面影を残している。しかし親父はその浜を知らない。大阪湾は今は薄汚れて昔の面影は無いが、以前紹介した堺の浜寺公園も昭和30年の前半は海水浴場もあり、関西の避暑地だった。

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このバス停は宝塚の親父が乗る場所。昨日日の出の時を撮る。この時偶々(たまたま)バスの停車が無いが何時もはそうでもない。仕事の時このバス停で7.25に発車。バスの座る場所も決まっている。立つ事は無いが指定の席以外の時は落ちつかない。

バスの中では大体寝ている。時々でかい声で話をする馬鹿も要るが殆ど無言。その中に整然とした静かさがあり満席の客は大体同じ事を考えているか、寝ている。この生活も1年を過ぎた。後、どれくらい続くかそれは誰も分からない。それまでは健康に気をつけて頑張る。

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所望のあま栗を3つ買って帰りのホームで西宮のでかいビルを2棟を写す。右のビルは高層マンション。西宮北口の駅南口に完成している。親父が5年前、芦屋川西で仕事をしていた頃完成していた。阪神大震災で大きな被害を出したこの地もやっと整備されている。

この地に来て見て驚いた事は商業地が少なく住宅地が多い。この地がこれから発展するのは何が核になるのだろう?飲み屋さんの看板を見ながらそんな事を考えていた。大きな小学校も見た。整備された校舎と校庭で子供達が親と遊んでいたが、掛川の小学校を思い出していた。

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てっちり半額か。フグも長い間食って居ない。近くにフグの安い所があるがなんかお一人様では恥ずかしい。しかし、この店ならそんな思いも無いかも。フグは下関が有名だけれど浜松が意外に穴場とか。遠州灘のフグは下関の原産地とか。浜松は餃子も知る人ぞ知る穴場。美味いもんは関西だけではおまへんがなあ・・・。

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敵に塩を送る こんな言葉は聞かれなくなった?

何と世知辛い世相となったもんだろうか。昨年からマスコミの報道を嘆く度に君から馬鹿にされた。流石の親父も最近はテレビのチャンネルを早めに切るようになり、不快の思いも軽くなったがそうでなければとてもではないが聞いて居られない。

この国の多くの指導者が信頼と尊厳を集められないのは、多くの事を語り過ぎる。テレビでも新聞でもどうしてこんなに大学の教授とか学識経験者が多くを語るのだろう。尤もらしくどんなに多くの正論らしき事を語ってこの国が変わらないのは何故だろう。

今日(こんにち)、こんな教授達に多くの知識と学問のすすめを学んだいわゆるエリートが、どれだけ国の為、地域の為、会社の為に役に立っているのだろう?大学で人の為に学ぶのでは無くいかに自分の為になるかしか考えていない学生達に、あなた達は何を教えているのだろう?

先行き不透明のその中に見えている物は一体何だろう。その事すら見えないで多くの問題の解決を政府に求める不条理。そんな事が一朝一夕に解決したら何の苦労も無いだろう。苦しみながら苦渋の決断を迫られながら少しずつ良くなっていく実感。そんな生活苦も無くて誰が手を差し述べて呉れるのだろう?これからその事が問われる。間違いない。

最近、テレビの見方が変わる。人の話は聞かない。音量を切る。何を言っているか分からなければ腹が立つ事も無い。大体、見るのは絵だけで充分。新聞は全国紙の支持が無くなりテレビも薄型テレビの売れ行きとは裏腹に高齢者と暇つぶしの相手しか出来なくなるかも。

その程度になり下がったのは番組制作者の時代錯誤の視聴率第一主義。民間放送だからそれも有りだろうが行き過ぎの制御が出来なければ自業自得とも言える。視聴者は見たい番組を見たい時に見たいだけ見れば良い。見たくも聞きたくも無い御託を不快な思いで付き合う時間の浪費も無くなる。結構毛だらけ猫灰だらけ。寅さんに言われるまでも無い。

「敵に塩を送る」。この言葉も多くの人は知らない。だから何だと開き直られても言葉も無い。でもこの言葉は長い間この国の人の美談でもあった。その言葉が聞かれないのは良し悪しはは別にしてこれが現実になっている。人の難儀を踏み付けてでものし上がろうとする哀れさを、誰が教えて呉れるのだろう。

この言葉の意味。戦国の時代甲斐の国(今の長野)武田信玄が駿河の国今川義元を攻めた時、塩の道を断たれる。戦国の昔と言えども塩がなければ生活は出来ない。戦いどころではない。武田信玄は天下統一の呼び声高く、今川を攻めたのはそれなりの勝算があったのだろう。それでも塩を断たれると苦境に立つ。それを救ったと言われるのが越後の上杉謙信。武田とは川中島の戦いで敵であり助ける筋合いは何もなかった。それどころか一気呵成に背後を突いてもおかしくは無かった。それをせず塩を送り武田を助ける。

今のせこい政治家、経済人、現在人には考えられない事かも知れない。自分より強い立場力が在れば立ち向かえず、少しでも弱みが在れば徹底的に叩き潰す。自分のあくどさと弱みは棚に上げて。ヤクザさんにはペコペコしても堅気の弱き人には強い。これからその事も問われる。今こそ上杉の生き方を学ばなければいけないのかも知れない。上杉も武田も今川もそれどれ悲運の最後を遂げる。

天下統一は織田信長。彼も性格が桁外れで馬鹿殿と言われるが、部下の反逆で本能寺で倒れる。信長を倒した明智光秀もその後の戦略も武力もなく、知略を巡らした秀吉が豊臣の世を実現する。この秀吉も大阪城の繁栄で哀れな悲劇を残す。朝鮮出兵。負け。

現代人も同じだろろう。光陰矢の如し。悲運の時を嘆く前に幸運の時を願え。禍福は糾える(あざなえる…重なり結び合う)縄の如しと言わる中国のことわざも知れ。レベルは違うが庶民、下々(しもじも)の生活も同じだろう。倒れたら起き上がれ。言うは易し、行うは難し。

何でだろう?その事は自分の胸に手を当てて見ればよく分かる。どんなに簡単な事でも天地仁の味方が入る。人はどんなに親父の様に多くの言葉を重ねても運気下降の時は起き上がれない。おかしな物よ。それ故に淡淡と生きよ。多くの言葉をどんなに重ねても何の支えにもなりはしない。だから多くの格言も知らない人が多くなったのだろうか?それは違う。無知だろう。多くの言葉を知り多くを語るな。それでは飯が食えない。そうかもしれない。、

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2010年1月28日 (木)

あま栗を戴く。一度も自分では買わなかった気持が変わる。

先週の土曜日に御馳走になった郷土の先輩からあま栗を戴く。正直、天津甘栗は若い頃何度か口にした事があるが、皮を割る術が分からず幼い頃田舎で口にしていた丹波栗の食べ方しか出来なかった。丹波栗は大きい。天津の栗と比べて4倍はあるかも。それ以上かも。

食べ方は茹でるだけ。天津甘栗の小石焼きでも甘みも違う。親父達の栗の思いは甘みより栗独特のホクホク感。あの何とも言えない満足感は天津甘栗とは全然違う。そう思って長い間口にした事も無く、進められても顔をしかめていた。それが今日、すっかり変わる。

あま栗が入っている袋から高級感を感じる。不思議ににんまりとしながら昼食の後、袋の裏に書いてある皮の剥き方を見つめる。爪でかたを入れる?意味が分からない。皮を爪で割る。親指と人差し指で両側を抑える。渋皮も取れ中身が出る。ふんふん。それでも最初は上手く行かない。コツを掴んで居ない。上手く行かないと歯で噛み割る。こうなると最悪。

今迄食わず嫌いだった訳が分かる。丹波栗の食べ方と全く違う。その事が理解出来れば中身をうまく取り出せる。その事に気付く迄夢中になっていた。美味い。渋皮も少しぐらいは渋くない。猿が夢中に中身を取り出しているのと同じ。少しだけが半分になり残したのが少しだけになっていた。成る程、さり気無く渡されたが美味い。帰りのバスを待つ少しの時間、お礼を言う。ナカナカの物でしたと世辞が口先だけでなく、真にこもっていた。

土産に持ち帰れなかったので、今度は自分で買う。今、物が売れない時と言われ今日も四条河原町の百貨店が今秋閉鎖とか。四条通りと河原町通りが交わり、祇園祭の山鉾巡行の引き廻しが行われる交差点。どんなに人通りが多くても店内に呼び込めなければショバ代にもならない。京都は活気のある町と言われても肝心のデパートも生き残れない。何たる皮肉だろう。それでも京都人は京都の街に誇りを持つのは何故だろう?

物が売れないのではない。物の売り方が間違っているのだろう。若者向けの品揃えと言った処で時代の流れに敏感でなければ魅力は無い。今、デパートからの客離れが頻り(しきり)に言われるが時代がそうだろう。デパートで買い物が出来る満足感は地方にしか無い。その地方でも厳しい時代を迎え繁盛しているのは一部だろう。大分のトキワでもアカン。佐伯の寿屋は潰れた。鹿児島の山形屋さん位かも。地方のデパートが駄目になる時代だから都会の店も発想の転換が求められている。

それでも今、JR大阪駅の売り場は拡張され来春には工事が完成する。どんな品揃えをしてどんなお客を呼び込むのだろう。近くの阪急も増築中。阪神は地下の売り場しか生き残れないかも?それとも起死回生の一手があるのだろうか?

親父も若い頃はおしゃれだったが今は近くのスーパーご用立つ。気の効いた服装をしないとアカン。それでも気楽に買い物が出来るお店が無くなった。今日の天津甘栗と同じ様に知らないだけかもしれないが・・・。スポーツも音楽も着こなしも靴も食い物も健康もこれからは無頓着ではアカンやろう。その為に生きているかもしれない。

本日の血圧。朝、154-87 脈88 夜、129-78?(計りなおし…大差なし) 脈88

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2010年1月27日 (水)

景気の先行き不安。政治もお金の問題で混乱?

株式市場が国の経済を在りのままに表現しているとは思わないが、昨今の株価にその勢いが無い。この国の景気動向の多くの指数を見聞きするまでも無く、景況感は良くない。何故だろう?この国の経済が国内の消費だけでは成り立たず、アメリカの消費、景気、輸出に支えられている部分が長い間、当然の様に国内の輸出産業に在ったからだろう。

その繁栄の時が昨年のアメリカの金融危機で、皮肉にもアメリカ本国よりこの国に大きな影響を与えたが、その深刻な打撃も政府の財政支出で何とか回復したかに見えた。しかし、そんなに甘い紋ではないだろう。エコポインント、エコカー減税、エコ、エコと叫んでも全ての人がその恩恵に預かれる訳も無い。その事が分かれば暫くどころかずーとこの出口の見えない不況感は続くだろう。そう考えた方が正解だろう。

しかし、そんな言葉を語る人は少ない。馬鹿の一つ覚えみたいに人の批判ばかりしている。それも一部の人だけでなく多くの人がこの閉塞感の打破を政治家に求める。政治家も政権交代とやらで綺麗事を言う。それだけなら未だしも本気になっている。オイオイ。期待をさせて出来ない時は如何するのだろう?失態が眼に見える。その時でも白を切るのか?

景気の好転の絶対的条件は雇用の確保だろう。仕事に貴賎は無くやろうと思えば何でも出来ると言われても、自分の事は棚に上げている。誰でも人は楽をして良い暮らしがしたい。俺は違うと言われてもいざとなれば一番先に切れるのがこの類(たぐい)。人はそれ程に賢くも強くも無い。その事を忘れていないか?それとも本気にそう思うのだろうか?

久しぶりに大阪梅田のターミナル、地下鉄の混雑に身を置きながらそう思う。整然とした人の往来の中にそんな流れは無い。当然だろう。人の事を考えてやれる余裕の無い社会に何かを期待する事の無意味さを、どれだけ感じているのだろう。

18の夏から23の5年間。通いなれた電車の普通電車の中でそんな事を考えていた。梅田から各駅停車で4つ目の駅が庄内。19の秋アメリカとの衛星放送が通じた第一声がケネディ大統領の暗殺。暗澹たる思いで新聞の号外を手にしていた。

あれから45年。多くの歳月は流れたけれど何がどう変わったのだろう?今、政治も経済も親父のこれからの生き方もその事が問われている。そんな事を噛みしめながら庄内の街灯りを見ていた。親父が出口を間違えて逆方向に歩いていた道は当時の儘だった。

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お土産はきんつばから豚饅(ぶたまん)へ

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何時も総菜を買うお店でミカンを貰う。娘さんから送って来たばかりの物。みずみずしい。スーパーで買うボンカンとも違う新鮮さと親を思う娘の思いが籠って(こもって)いる。

先日は大将が和歌山のすさみ沖で釣り上げたぶりの小ぶりを刺身でお裾分け。粕汁も貰う。刺身は本当に美味かったが粕汁は近くの酒蔵の粕にしては味が薄くイマイチ。その事を昨夜正直に言うと笑いながら倍の量を呉れる。粕汁は量が味を決める。これなら満足されると言われた量は確かに美味かった。何時も食い物の話をしながら憎まれ口も言うが、話し相手に不足は無い。

今日はお休み。市民税(分割)、国保、介護保険等の今月分の支払いを済ませ、パスポートの申請手続きの話を聞く。申請の用紙を貰いながらパスポート発行はパスポートセンター迄出向かなければならない。大阪市中央区大手前大阪府庁別館。オイオイ、そこまで行かんとアカンのカイ。予想通りとは言えお役所仕事の改善は為されていない。市民サービスとは口先だけ。パスポートも国際化の時代、何時でも何処でも出ないとアカンやろ。

それでも手続きの説明をしてくれたお姉さんに感謝。親父の小言に丁寧に応対する。有効期間5年と10年どちらにする?まあ、5年で充分でしょう。本籍地から戸籍の謄本、送って貰わないといけない。今日は風も無く穏やかな一日。布団を干して夕方本社に行く。帰りに今日はお土産何時ものきんつばではなく、551の豚まんに決める。4個入り3つ。

昨日、ブログのバージョンアップがされ多くの発見と戸惑いがある。使い勝手に慣れるまで暫くは時間が掛るかも。それでも我ながら感心する。慣れと簡単に言うけれどこの歳になるとなかなか出来る事ではない。人の事を言うのは簡単だけれどやってみなはれ。言うは易し行うは難しでは無い。出来ない事も少なくない。今、多くの人の生き方が問われているが殆どの人がその事に気付いて居ない。気付けば変わる。昨日のダルマの様に。

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2010年1月26日 (火)

血圧管理10日結果報告

眼底の血管に収縮があり、放置していると眼底出血の恐れがあると言われて愕然としたのは昨年末、それでも自分の体に過信があり今年の定例の検診まで其の儘にしていた。掛り付けの11年来の女医から今月中旬最後通牒を受ける。眼底出血しても不思議ではない。

流石の親父も血圧の高さに重い腰を上げる。血圧を下げる薬を内科で所望する。初対面の先生も親父の体型と測定した血圧数値を見ながら、脈も早いと駄目を押す。それでも手遅れでは無いからと優しい言葉も掛けながら薬を用意して呉れる。

あれから10日。血圧計も買って一日もサボらず早朝と夜の測定と朝の2錠の薬を絶やさず。医者から言われた様にゆっくりで良い。標準値130-85未満。あんなに高かった数値も今夜の数値は151-74 脈80 今朝の数値は153-91 脈84 もう一息だろう。

それでも本当は減量だろう。体重が増えたのは食い過ぎだろう。体重計を買いとりあえず10キロの減量。それでも医者から言われた数値には20キロオーバーしている。一時期、肩の近くまで上がっていた足が今は見る影もない。無様な姿。無様な生き方。それもこれからの少しの心掛けで変わる。その事を忘れなければ踵落としも夢ではない。ダルマ落としは出来る?それは無理だろう。人間はダルマではない。

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2010年1月25日 (月)

これからの生き方。これからの働き方。これからの考え方。

一票の格差は憲法違反?一票に2倍以上の格差が在れば憲法違反?だったら選挙の結果を無効にするの?出来ません。ではどうするの?国会の選挙区定数を見直す?出来るの?ある程度は。しかし、選挙区の定員の増減はなかなか難しい。なぜ?都市の人口密度と地方は違い過ぎる。本当に一票の格差をなくすには今の選挙制度を変えて、政党選挙しかないだろう。参議院の全国区の選挙。しかし、選挙の意味はある意味、地域の政治意思表示でもあるし、いろいろ批判はあっても今の2院制度を変えるのは無理だろう。

これからの生き方はもっと現実的な話になる。今、65.今日14年先輩の社長と話をする。社長と言っても零細企業。これからどうなるかは全く分からない。親父と話をするようになったのは些細な会話からだった。昨年の寒い朝、受付の簡単な記入が出来なかった時、さり気無く親父が代筆した。この頃の寒さは昔に比べるとマシになったとは言え、指先が悴む。(かじかむ)。・・・寒さの為手が凍えて思う様に動かなる事。そうだと思っていた。

でも話を聞くと右手の中指と薬指がくっついていた。寒いと指の自由が効かないのではなく、緊張するとこうなるのだと言われる。無表情な顔で話を聞きながら適当に合鎚(あいづち)を打つ。(冷たい奴だ)。でもそれから何故かウマが合う。さり気無く指の様子を伺いながら。

今朝は寒さが戻っていたが指が悴む(かじかむ)程でもない。しっかりと必要事項を書いている指先を見ながら季節の言葉を交わす。その時初めて年を伺う。79歳。後9年、88まで働くつもりだと言われるがそれは無理としても、そんな様子は微塵(みじん)も感じさせない。

親父が14年後、この人以上の生き方が出来るだろうか?14年前を考える。51か。そう思えば短くも有り長い。その生き方がこれから問われる。何気なく徒労にも感じた生き方が意識して到達点を目指す日常に変わった時、この親父の様な生き方が出来るだろうか?

10年ひと昔と言われるけれど、この言葉の重みを知り語れる人は少ない。己の不定の生き方を棚に上げて人の生き方を語れたとしても、その言葉に重みも畏敬の気持も生まれない。黙って聞いていると自慢話。そんな話も本当は聞いてやらないといけないのだろうが、そんな優しさは無い。自分が一番偉いとは思わないが人から良くそう非難される。…上から目線。

そんな生き方もそろそろ改めなければ、墓穴を自分で掘るしかないと思っても人の性格は簡単には変わらない。死ぬまで変わらないだろう。それを思えば家康の遺訓を親父に書いてもらった青年の時の若き情熱が懐かしい。あの頃の思いは何処に行ったのだろう?

「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。心に迷い起らば困窮したる時を思い起こすべし。堪忍は無事長久の元。怒りは敵と思え。」 この言葉を未だに実践していない。それだけに波乱万丈の生き方しか出来なかったのだろう。言葉を変えれば未だにこの言葉を親父と共に忘れていないのは、救いがあるのかもしれない。何の為に生きるのか?永遠のテーマがこの歳になって恥ずかしながら少し、分かってきた気がする。生きる価値すら見出せないと言った処で今生きている事が、その事を教えているのだろう。価値?そんな物は無い。あるのはイバラの道。重い十字架を背負いながらも今日も歩けた事に思いを抱け。

なんか罰当たりな生き方をしていると思えば、心は晴れて来る。親父が79になる時はこの国にも大きく変わる?変わらないかもしれないけれどそれは自分を変えれなかった事だろう。一年365日。この歳月は過ぎてしまえば本当に早いけれど色々な事が重なる。

その事をこれから考えながら生きて行く。それが親父に問われている事だろう。君から昨日多くの事を言われたが、人の生き方を詮索(せんさく)しても不愉快になるだけだろう。御前崎の灯台で強風に身を屈め(かがめ)何も考えず、笑われながら歩いた展望台の気持を忘れてはならない。その事が少しでも実践できれば今年もまた、晴れ晴れとした思いで次のステージに進めるかもしれない。冬の寒さに身を屈めても春の喜びを忘れてはいけない。

P1000323 事務所のカレンダーの1月の言葉。

転んだと自覚すれば、起き上がれる。

起き上がろうと思えば、起き上がれる。

それでも起き上がれない人も少なくない。

何故だろう?世の中はそんなに甘くは無いからだろう>。

甘い。何が?生きる事は綺麗事では無いからです。

汚い事も、不条理な事も呑み込みながら、涙を流しながらも笑える時を忘れてはいけない。

人間万事塞翁が馬。

禍福は糾える(あざなえる)縄のごとし。

 

ミカンをむかん?ミカンの消費量が落ちている。皮をむくのが難儀、爪が汚れる?皮むきのミカンも商品化されるとか。オイオイ。何たる事だろう。

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2010年1月23日 (土)

魔女狩り、赤狩り、そして今日説明責任?どないなってまんねん。

説明責任?何をどう説明しなければならないのだろう?小沢幹事長の政治資金規正法違反?元秘書と議員の逮捕、脱税疑惑、献金疑惑、多くの疑惑に説明を求めるマスコミと政治家。全く見苦しいこの馬鹿騒ぎのけじめを関係者は如何つけるのだろう?

これだけの検察疑惑の垂れ流し(関係者によればに続く情報)をした背景は、一体何だったのだろう?検察の判断ミス。状況証拠を積み上げ世論を背景に幹事長の逮捕が出来ると思っていたのだろう。大山鳴動して鼠(ネズミ)一匹も出ずでは済まないだろう。

普通に考えて政治とカネの汚さを多くの人が知っているから、疑惑を取り立たされるのであろうが議員を引退して息子に後を継がせた小泉元首相のコメント迄聞きたくない。民主党の体たらく?それでは小泉改革は一体何だったのか?おっさん、自民党をぶっ壊すと絶叫して構造改革とやらを竹中と進めた結果、国民にそっぽを向かれたのだろう?それ位の事を語れ。アンタは民主の体たらくを語る資格さえない。政治家引退は一体何だったのだろう。

今日の景気の低迷の責任をどれだけ考えているのだろう?昨年の政権交代の意味を政治家はもちろんマスコミのコメンテーターの人達も分かっていない。あんた達がどれだけ尤もらしい事を言っても政治と経済の地殻変動は変えられない。如何にもならない大きな変動は今大きなうねりとなって流れ始めている。その事がいずれ分かる。

この国の経済は言うまでも無く、アメリカもヨーロッパも良くない。良いのは中国?それも一部の地域と人達だけだろう?マスコミも狭いこの国の政治疑惑とやらを尤もらしく語る前に世界を語れ。某国営放送で明治の文明開化の源流をこれ又、尤もらしく語る。

バカタレ、坂本竜馬の想いを道なかばに暗殺したのは誰なんじゃい。その事を有耶無耶にした当時の為政者の思惑。政治とはそんなに綺麗なもんじゃない。今、100年に一度の激流がこの国と外国を襲い、深刻な経済危機と政治問題、環境の危機に直面してしている。

その事に比べれば今日の馬鹿騒ぎ。この国はこんなにお馬鹿な国になったのだろうか?そうではないと信じたい。その為には多くの事を知り、多くを語れ。明日は沖縄で名護の選挙がある。今迄基地の問題より仕事と景気の問題が優先されて来た。その事がもう一度、問われる。その事も何一つ知らない。国の安全保障。それも問われても分からない。その程度だよ。尤もらしく語る事は無い。オバマもチェンジを叫んで何も変えられない。

テレビも新聞もお馬鹿な事を言っていると、社会的に抹殺されスポンサーも他の宣伝の方法を考えるだろう。物が売れないのではない。売り方に発想の転換が無い。デフレの時代と心配されているが余りに無策。消費者は多様化している。その事を知れば物は売れる。?

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昨夜のお酒、残らず。今朝の眼覚めは爽やか。朝イチで歯医者。

Img_1329 先日、パッケージツアーのパンフ手にしました。地球の歩き方では分かり難い国土の大きさが分かります。画像では良く分からないが、スイスは薄緑、九州は後ろのピンク色。(見難いが・・・)

これで見るとスイスの東西は、九州と同じ位。南北がほぼ半分。面積がほぼ同じなら東から西の横断は一泊すれば?

Img_1334 スイス東端、イタリア国境の街ティラノからサンモリッツを結ぶ2時間20分の人気路線。ここから入国したい。

P-214.でもこの程度の説明では良く分からない。地球の歩き方、スイス鉄道の旅が必要かも。次は氷河鉄道。

サンモリッツーツェルマット 280キロ。8時間の旅。レイテッシュ鉄道とマッターホルン、ゴッタルド鉄道の乗り継ぎ。観光シーズンはこの逆のコースが空いているとか。何故だろう?親父の様なスケジュールを組むから?イタリアティラノからのコースがお勧めかも?分からない。

これはチェック項目。それと途中で一泊しないとしんどいかも?この区間、急行で一気に走らず普通で気の向くままのぶらり旅もお勧めとか?サンモリッツからはライヒュナウ、デッセンティス、アンデルマット、ブリークでそれどれ乗り換え。所要時間も直通の急行より多少掛る程度とか。(スイスパスが在れば全区間無料) p-171

ツェルマットと他の場所はこの本では良く分からない。分かった事はスイスパスの利用とティラノから入国より出国が良い事?これから少し勉強しないと。ユングフラウ鉄道、ゴルナーグラート(マッターホルン)。しかし、高所恐怖症だから余り高い処は無理かも。心臓も良くないし(ありゃ)。

昨夜は本当に久々に楽しい夜だった。約束の時間に少し余裕があり食事の前にお気に入りのカレーを食って怒られる。折角の料理が不味くなると言われてもパクパクとは食えない。案内されたのは何時もは眺めるだけのお店。高い。流石にゆったりとしている。

ターミナルのお店も営業成績が問われて大変だろう。ショバ代が高い(家賃)ので繁盛を続けるのは並大抵の努力では足らないだろう。食事の中身は大したことは無い。ゆっくりとして落ち着いて食事が出来る事が売りだろう。年配とお金に余裕がある人はこんな食事をしているのだろう。生ビールが美味い。

カラオケの小料理屋も近くだった。阪急ヘップファイブの裏、若い頃歩いた路地裏の道に昔の面影は無く小奇麗になり明るさがあった。久々に座るカウンター。止まり木は親父のでかい尻を支えるには余りに小さかった。それでもカラオケは相方と歌い捲る。まくり。一緒に入店の親父は歌わなかったが、後から入店の2人組と共演。流石に皆上手。皆、シルバー。

水割りも飲める。サントリーリザーブ。水が良いのだろう。悪酔いがしない。マイペースの時間が心地良い。こんな時はもうないと思っていたが生きていれば、こんな時もあるのだろう。帰りの電車の中では寝ていた。

今朝は朝一で歯医者に行く。一昨日の夜、左奥歯のブリッジが外れる。このブリッジには本当に長い間お世話になる。処置したのが18年前?駄目になったのが12年目、あれから何度も外れてその度に先生から引導を渡されていた。今回も勿体ないからと言われもう一度、押し込まれる。入れ歯を簡単に考えていたがそうではない事を思い知る。大事にしてくれる先生とブリッジに感謝。それでも長くは持たないだろう。そんな気がする。

最近は体調は悪くは無い。それでも体重を下げなければいけない。血圧を下げる様には行かなくても親父の心掛けが在れば、それも出来ない事は無い。容易な事ではないが人より長く生きる為にはクリヤーしなければいけない事だろう。

これからわかめラーメンを食ってひと寝入り。その後ウオーキング。(アカンわ、こりゃー)ホンマはそうは思わないけれど・・・ 

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久しぶりのカラオケ。昔の歌だけどね。久しぶりの水割りは甘く。

P1000320 満開の時。喜びの時。我を忘れる時。花の命は短いけれど、満開の時を知る人も少ない。この花の名前も一年前は知らなかった。そんなもんだろう。

この満開の時も明日になれば終わる。親父の満開の時は何時だったのだろう?この山茶花の様に短くは無かったけれど、長くも無かった気がする。

満開の時を思い起こしても鮮明には成らない。追憶の時は記憶の彼方に消え新たなる希望がかすかに燃え上がる。

人の生き方はこの山茶花の様に在りたい。見る人も無く一時の満開の時は何も語らず、何も主張もない。淡淡とそして花弁は一時の時を終える。

今夜、久々にカラオケで十八番を歌う。前回は9年前の鳥取のクリスマス。仕事でお世話になっていた現場監督を誘う。

あの監督からは広島のカキを御馳走になる。肉厚のあったあんなカキにその後お目に掛る事は無い。

今日の血圧。朝 142-85 脈81 夜121-71 脈104 お酒が入ったから?異常値 計りなおしても大差なし。 

原因は血圧計の取り扱い。血圧バンドの空気圧の漏れ。親父の取り扱い不良。再計測。155-84 脈91

これで合点が行く。まあ、こんなもんだろう。        

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2010年1月21日 (木)

今朝は春の様な陽気。それでも明日の朝は冷え込む。

早朝血圧。146-94.夕方の血圧。139-76 ホンマかいなと思うだけでなく5800円で買った血圧計を信じていない。そうでなければ5日足らずでこんな数値になる訳が無い。そう思っている。それでも体調は良い。前後して飲み始めた桑の葉抹茶も効いているのだろうか?

昨日も書いたが人の体は神秘です。前からも感じていたが最近その事を痛感する。元気な時何も感じない体の動きが、実はそうではない事をどれだけの人が実感できるだろう。衣食足りて礼節を知る。この言葉も死語となり健康は当たり前と感じるのだろうが、そうではない。その事を痛切に感じる。今は幸いに元気だけれど何時その保証が無くなるか?その事を忘れてはならない。

その為に何を為すべきか?何気ない生き方を変えて意識した生き方を考える。その事で大きく変わる。信じられない事だけれど意識する行動は人を大きく替える。親父は長い間自意識過剰だったけれど、それも変えれば自分は別人になるだろう。

考えて見れば遅かれ早かれ人はくたばる。その時後悔しても後の祭り。18の時、田舎を後にした時決意した事を何時の間にか忘れていた。否、求めた事が抽象的でそんな物は初めからチルチルミチルの世界だったのだろう。在りもしない事、出来もしない事、不可能な事を求めたのだろう?

自分にどれだけの事が出来るのか?可能性はどれだけあるのかとカッコ付けた処で知れていた。今でも大差ないが志、夢や希望は二十歳になる前に打ち砕かれた。それからは生きる事に追われ目の前の困難に追われていた。気が付いた時には無様な姿になっていた。

それでも幼い時から手を合わせていた八百万(やおよろず)の神は、見捨てはしなかった。この歳になっても若い頃の気概を忘れずに、生きて居られるのもそのお陰だろう。精神的なものだけでなく肉体的にもこんなに無様な体型になっても、血管はしっかりしている。

生まれながらに心臓に小さい穴があり不整脈。心レン図を始めて見た医者はびっくりする。それでも日常の生活には些かの(いささか)の支障もない。さすがに最近は走れないがこれは太り過ぎ。高校時代は10キロマラソンで上位入賞。黄色い声援も受けた。どんなもんだ。

今朝はコンビニでおにぎりを買うのにもたつき、定時の電車にギリセーフ。それ位の調整は出来る。これから意識して体をスリムにすれば人生もまた変わるだろう。変わらない?それは無い。これからの高齢化社会の勝者は想いのままに歩ける事だろう。

今夜のおかずはカット野菜の炒めとぶりの照り焼き。お気に入りのフライパンで作る。本当は富山、氷見のぶり大根が食いたいけれどそれは現地に行かないと無理。長崎産養殖物でも半身切り、371円は御馳走様でした。(松浦ぶり)

明日、新年会に誘われる。忘年会、新年会も関係無くなってどれ位の歳月が流れただろう?元来、酒飲みでもごますりでもない親父の苦手は集団の飲み会だった。それでも気の合う人と酒を酌み交わし、美味い物を食い、笑い、歌を歌う。大分の大先輩とどんな時を過ごすだろう?」 そんな時は長い間味わって居ない。

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2010年1月20日 (水)

暖かな一日?でもそんな実感は無し。それでも穏やかな一日。

今朝は冷え込みも無し。24節気では大寒なのにとテレビはわめいているが、他に言葉は無いのだろうか?この国のマスコミは社会的責任を人には求めるけれど、自己統制は出来ないのだろう。季節の話なら視聴者の判断に何の間違いも与えないが、政治経済の話になるとそうは行かない。関係者の話によればとか、一方的な意見をどうして公共の電波で流さなければいけないのだろう?政権交代の影響と言ってしまうには余りに聞き苦しく、自分達は如何にも正義かの姿勢は見苦しい。何事も多くの要因が重なり単純でない事の方が多い事も伝えなければならない。

親父の血圧も色んな人からいろんな事を言われたが、人の体のメカニズムは事ほど左様に単純ではない。人の体は自分が一番知らなければいけないのに、自分の体の事をどれだけ理解しているのだろう。人の事は色々言えるけれど自分の体の事をどれだけ知っているのだろう。血圧測定 朝は161-88 夕方は149-79 未だ少し高いけれど血圧を知る事の喜びは又、一つの喜び。次は今は無い体重計を揃えてグラフ管理をしょう。

先日、散歩の帰りに商店街のはずれで頭に鉢巻きをしながら足を頭の上まで挙げている青年を見て感心した。親父には真似の出来ない事。あれが出来る様になるのは何時の事だろう?年寄りの何とかで出来る前に、後ろにひっくり返るかも。マリアにまさかと言われたが、この親父、ひょっとしたらひょっとするかも。その為には標準体重62に近付かないと。まあ、無理だな。心配するな。誰が?「為せば成る。為らぬは人の為さぬなりけり」 止めて下さい。

物には順番があると若い頃盛んに言われたが、この歳になるとどんなに努力しても、出来る事とそうでない事が明解になる。それでも体の賞味期限は外観では計り切れない。決意、決心。仕事の研修で守屋さんに習った「私は何時も本願の本を心がけて生きて行きます」は今でも忘れては居ない。本願の本。本気、本心、本物、本当。 アンタは若い。

これからの10年は老いとの戦い。それを忘れたら神の哀れもを乞うしかない。これからの時は体力の衰えとの勝負だろう。布袋さんの腹では商売繁盛は適っても健康な体は無い。介護されながらの生活は生き永らえる哀れだろう。勝手に生きろと言われてもそうではない。

考えて見ると人の幸せは他人には分からない。いわんや身内でも。親鸞上人は悪人でも往生できると説いているが念仏を唱えるだけの生き方は凡人には分からない。それでもこれからは人の意見にも耳を傾ける度量も必要かもしれない。お互い様だけど。

昨日、面白いドキュメントを見ました。ガイアの夜明け?納豆屋さんの話。安売り、大量販売の話を断り、高級感、手作り感の方向転換。このデフレ時代の逆行。痛快でした。親父も全く同感です。安ければ安い方が良い?バナナのたたき売りでも儲かる事を知らないと嘯かれても(うそぶかれても)そのカラクリを知ったとしても、自分が貧乏人である事を認めるのだろうか?背に腹は替えられなくてもその先はただの物を求めるしかない事が知られていない。

今年も賃上げどころか仕事の確保すら難しいと日経連の叔父さんが言っている。叔父さん、アンタの会社の飛行機に乗れない人が多くなり、安売りチケットを求める人が多くなるんだよ。それでもファースト、ビジネスクラスのお金持ちは減らないと思っているのだろう。

日航の破産は他人事のように思えるのだろう。この番組の親父には納豆屋の心意気があり安売りでは生き残れない必死さがあった。これからの経営者に求められる事は商品とサービスに求められる価値観だろう。価値が在ればそれなりの対価を払い、それが無ければどんなに安くても要らない。その見極めが求められる。そんな事を感じていた。

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2010年1月19日 (火)

えー嘘でしょう? アンビリバブルです。

P1000319 さざんか山茶花咲いた道、たき火だたき火だ落ち葉焚き。当ろうか当ろうよ、北風ぴーぷー吹いている。(小学唱歌)

今日は温かい冬の日。三寒四温と言うには未だ早いけれど明日はもっと暖かいと山茶花の花が光っている。

この画像は横にして写す。光も右前から当り横にすると立体的(3D)に見える。良く見ると花の盛りと蕾(つぼみ)が見える。「花の命は短くて苦しき事のみ多かりき」林、芙美子?

今日、夕方帰宅して「お楽しみの」血圧を計る。138と80 脈拍72 嘘でしょう。血圧降下剤を飲み始めて未だ3日。

血圧チェツクシートに記入を始めて間もないのに目標値を達成する。飲み薬は穏やかに効くと言われていたのに、これで喜んで良いとは思えない。

気をつけなければいけない事はメタボな体質。減量と運動。言うは易し、行うは難し。でもやるしかない。これからの生き方を考えた時、自分の体は自分でコントロールするしかない。

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2010年1月18日 (月)

なんぼ何でもそれはちょとおかしい。でもホント。この血圧計大丈夫かな?

昨日のブログで耳が痒い(かゆい)とぼやいていたら、今日は背中と腹が痒い。腹は手で背中は孫の手いらずの竹で掻(か)いていると、何時までも痒い。テレビコマーシャルの塗り薬が欲しくなる。少しだけ辛抱すればいいのにそれが出来ない。掻き毟らないと(かきむしらないと)、掻き毟っても止められない、止まらない。季節柄親父の肌もカサカサなのだろう。

先日買い求めた血圧計の計測は3日目。今朝も早朝血圧の上が141.下が86.オイオイほんまかいなと思いながらも悪い気はしない。何処か血圧測定にミスがあるのだろうがこれ程急に下がるとキツネに化かされている気にもなる。目標血圧達成。嘘だろう。

それでも体調は良い。時々感じていた左目のうっとおしさも消える。まあ、このまま血圧が安定する事は無いと思うが計測数字の記入は続ける。後は体重。すっかりメタボの親父になり相撲取りより悪い。関取は股割りが出来るが親父はそれすら出来ない。体は固いし足もヘソぐらいしか上がらない。一時肩まで上がっていたあの勢いは何処に行ったのだろう。

それも全ては運動不足。食い過ぎは言うまでも無いが足ぐらいは肩まで上げろ。肩まで上げるには腹廻りの肉を落とせ。全く醜い体を晒しながら何を求めているのだろう。満腹感?アホか。いくら食い物の欲望が高くても痒みを抑えるのと同じだろう。欲望の儘に生きると仙人には成れない。仙人になるには欲望を抑えなければならない。仙人は無理?しかし、これからの時代それ位の決意が無ければ生きてはいけないよ。決意だけは捨てなければ願いは叶う?

今週は金曜日迄、お休み無し。気合を入れて頑張る。

Img_1328

焼きイモ。昨年の暮、蓋つきのフライパンを通販で手に入れる。本当は色々な蒸し焼きが出来るが一番はこれ。小さい頃口にした炭焼き釜の前で焼いた焼きイモと同じ味。

テレビがイタリア北部テイラノをスタートする。世界遺産の招待状。レイテッシュ鉄道。スイス、アルプス。これは素晴らしい。パリュー氷河。この絶景を見せる為この鉄道がある。ランド、バッサー橋。

これはどんなもんでしょう。

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2010年1月17日 (日)

びっくりの血圧測定

今朝から朝の血圧を計り、朝食の後、血圧を下げる薬を飲む。それでも朝の血圧は一番高いと言われていたので、測定値を見てびっくりする。まだ薬も飲んでいないのに160を切る。普通の人ならこれでも高いが親父の数値から考えると激変。何がどうなっているのかと怪訝な顔をしながら薬を飲む。昨日処方された薬は穏やかに効くと言われているので焦らずに計測の数値を記入する。毎日報告するので見ていて下さい。

耳もかゆみがあり耳かきでかき過ぎて耳の中が赤くなり、内耳の入口が掻き毟られていた。今でもかゆい。それでも耳かきと綿棒の使用は止める。耳が掻き毟(かきむし)られて血が出る度に先生からかゆくなれば来て下さいと言われていた。それがやっとできる様になった。それ位の事が中々出来ない。それも辛抱だけの問題。(風呂)

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本日2回目の記事の作成。1回目の続きかな?高血圧対策が始まる。

休日の過ごし方はほぼ決まり。予定が殆ど無い。そんな時以前は6畳一間のこの部屋でゴロゴロしていた。それが最近は違う。遅くとも9時には家を出てお気に入りの喫茶店でモー二ングセット(トースト2枚、小鉢のサラダ、ゆで卵とコーヒー)450円を日経を見ながら口にする。

今日は医者を梯子(はしご)したので何処にも行かずに部屋に戻る。それでももう一日休みがある。部屋で夕方までゆっくりしながら過ごす。冬の日の入りは早い。5時過ぎに部屋を出て山に向かって歩く。風は無いけれど空気が冷たい。寒い気持ちを抑えながら速歩をする。

ズボンのポッケに両手を入れて足の付け根に触ると、元気に歩ける喜びが伝わる。今日はいつものコースを少し変え、銭湯の手前で右に折れ排水路の工事の道を覗きこみながら、市民病院の突き当たりのバス通りの道を左に歩く。何時もならこの辺りで息がはずむがそれも無い。これから血圧を下げる為に心掛けを変える。どれだけ続くだろう。

街中を抜け坂道を上がりながら足が靴の中で踊っている。この靴もウオーキングシューズだが安物。靴底が凹み底敷きも役に立たない。歩く事に疲れを感じない為にも歩き心地の良い靴を手にしなければならない。何処まで歩いても疲れない。そんな靴があるのだろうか?

それでも予定のコースを歩いて駅前に戻る。夕食の食材を買う前に今日医者で馬鹿にされた血圧計を買う。血圧が高ければ血圧計を買って自己管理しなさい。ごもっとも。しかし、高くは無いと言われる筋合いは無い。5800円。一番安い物にしなかったのはせめてもの親父の自尊心か。これで薬を飲めば一件落着と行くだろうか?それ程甘くは無い。

家に戻り早速計測する。今日、薬局で貰った血圧管理手帳に数字を記入する。計測日時、血圧値、脈拍。前回見ただけで買わなかった機器はコンパクトで簡単。説明を見る迄もない。数値は企業秘密。恐れ多くも良く何事も無かったとこの体の頑張りに言葉が無い。

手帳にグラフの縦軸があり数値が記入されている。最高値190.数値をマークするとその上に目盛りは無い。しかし140-90未満の正常値になるのは何時の事だろう 桜咲く頃かな?慌てる事は無い。急がず廻り道もせず自分の道を踏み締めろ。体重計も要るな。

わしはやる時はやる。人の事を言う前に自分の事を考える。自分の生き方を変えれば明日が開ける。長い間その実感も無かったけれど良く見て見ると自分の誤りに気付く。時、既に遅しの感もあるが気付かぬまま老いぼれるよりはマシだろう。

帰りに惣菜屋の親父にその事を報告する。「親父、血圧計買ったどー。明日から血圧を下げる薬を飲む。」 惣菜屋の親父は何故か近くの美人眼科医の紹介をしていた。その表現に久しぶりに大声で笑う。笑う事とはこんな事を言うのだろう。他愛もない事にこれ程の笑いを感じたのは何時以来だろう?本当にその時はスリムな体でマリンに約束した踵(かかと)落としが出来る様になった時だろう。でもその時の笑いはきっと不気味に違いない。

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2010年1月16日 (土)

予定変更。眼医者、内科、耳鼻科の梯子。最悪。しかし、親父にとっては吉兆かも?

年を取ると必然的に何処かが悪くなる。人は生まれながらの生命力と生活環境のそれが重なる。最近は医療技術の進歩と健康管理の進展で予防医療が発展している。先日も言われたが久しぶりに会う人は親父の体型を見て唖然とされる。それ程に太った自分が居る。

昨年末には10年以上掛かり付けの女医さんからこのままではいずれ、眼底出血の可能性が高く血圧を下げる薬を何故飲まないのかと詰られる。(なじられる)。アンタに言われるまでも無いと思いながら、知り合いの薬局で計る血圧に愕然とする。その足で内科を訪ねる。

しかし、年末の駅近くの内科はどこも満杯だった。「じじばばが多い」と適当な口実を付けながら其の儘にしていた。さすがの親父も太り過ぎ、腹の出過ぎの体型を良しとはしていない。それでも普通の生活を出来なくなる不安を考えれば、今こそ劇的な体型の変化に挑戦しなければならない。

サラリーマン生活の時から肥満体質の改善を言われていたが、血圧の事まで言われる事は無かった。一人暮らしの時が14年の時を過ぎた事は理由にはならない。自己管理の出来ない肥満は何おか言わん。自分の体を其の儘にして何時までも自由な生き方は無い。

今、その事を思い知る。人に言われるまでも無い。忠告に素直な気持ちで感謝する気も無いが春が来る前に、体重を1割落として血圧を正常値に近づけなければスイスには行けない。この期に及んで弁解も言い訳もない。禁煙も禁パチも禁欲も出来た親父に不可能は無い。

君に昨年は多くの事を語ったがどれだけ有言実行が出来ただろう?親父だけでは無い。どれだけの人が自分に恥じない生き方が出来て居るだろう。頭が良い事と賢い生き方は関係ない。会社でも行政でも医療の世界ですら同じだろう。ノーベル賞受賞者ですら税金の無駄遣いを自己批判できない。確かに多くの矛盾は在るけれど、己の生き方だけは正しいと思う罰当たりはいずれ、天罰を受けるだろう。政治の世界でも同じ事を感じる。

検察が正義の番人とは思わない。昨年の今頃、否、もっと前の事だっただろうか?それ程に人の噂もマスコミの報道も検察のコメントもその程度だろう。ライブドアー事件の堀江逮捕の時検察が言った言葉ほど、その思いを強くした事は無い。「額に汗して働く人の思いを踏みにじってはならない。」 オイオイ、検察は法と正義の奉仕者とどれだけの人が思っているのかと。

本当にそれが現実の世界なら昨年の政権交代は一体何だったのだろう?政治の世界が共産党や宗教団体、前政権が言っていた(今でも平然として言っているが)様に利権と関係無いならばなんで生活困窮者だけでなく普通の生活者、それ以上の生活者にも支持されないのか?親父の頭ではその事が分からない。

政治にお金が掛り政治だけでなくこの世の中がお金だけでないとコマーシャルで絶叫されるまでも無く(ちなみのこのコマーシャルは為替の取引の会社、馬鹿にするな)それが全てでは無い。しかしどんなに綺麗事を言ったとしても殆どの人が生活の為に働いている。

そんな誰にでも分かる事を長い間見失い、何の為に何の為にと愚門を繰り返し自分だけでなく多くの人に迷惑を掛けた。綺麗事を言われてこんな単純な答えを見つけられなかったのは何故だろう。自分の馬鹿さ加減に懺悔の言葉を重ねるしかない。重ねて言えば綺麗事を言うな。尤もらしい事が言えるのは一時、必ず足元をすくわれる。その事が間違いなく証明される。マスコミは新聞から読者が減りテレビは皮肉にも来年のデジタル放送の開始に重なる。今の様に食い物と旅番組にお茶を濁せるのも一時。最近はお気に入りのFM放送を聞く時間が多くなる。

内科の医者選びは毎日の食材(惣菜)を求める親父の意見を聞く。この親父、親父とは10歳違うが元気。地元の人。親父と良く話をするが憎まれ口も少なくない。お互い存在を意識している。それでもこの親父でもお勧めの医者は居ない。病気をしないからだろう。磯釣りが好きで年末大きな鯛を和歌山で上げた。

このお店で働く叔母さん(同世代より少し上)の真剣な目つきを見ながら、市民病院の近くに出来ている医療の森(医院のアパート)に行く。何でだろう?大きいマンションが併設されているが患者は溢れては居ない。待ち時間も多くは無く血圧をゆっくり下げる薬を処方される。

その時、脈も早いと言われる。血圧が高く脈も早い。オイオイ。親父が小6の時ばあちゃんから言われた言葉を思い出す。あの時トラホーム(眼の病気…今は何と言うのだろう)、慢性の鼻ノウ。春休み街の医者に通う。この歳になって眼が良いのも(但し、視力)あの時のお陰だろう。目の充血は新入社員の研修中から今でも疲れると出る。眼薬は手放せない。

それも点眼液。充血はしても血管はしっかりしていたが今日の検診で血管の一部の収縮があると言われる。それでも心配はしていない。誰でもこの歳になって何も問題が無い事は無い。親父の様に不摂生な生活をすればこの程度の事は予想の範疇。(はんちゅう)。

必ず、薬をきちんと飲んで体重を落とす。太極拳の真似事を絶やさず呼吸法は吐く事を意識する。この年になるとこれ位の事ではへこたれない。親父の救いは禁煙と禁酒だろう。酒は百薬の長では無い。飲みすぎなければの但し書きを失えば内臓はボロボロになる。

女も同じだろう。なんか最近、本当に田舎の叔父が言った言葉が重くのしかかる。「お前も死ぬまでわしと同じ」仕事しか取り柄の無かった叔父の足元にも及ばないが、生涯孤独の人生は同じかもしれない。それでも最近は親父元気で留守が良いのが当たり前かも。

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2010年1月13日 (水)

風は冷たいけれど初雪にはならず・・・

P1000303 近くの山まで雪は下りて来ているが、街中には未だ初雪ちらちらはない。東京の西多摩は雪化粧しているが、親父が仕事のクレーム処理に行った58年(今から26年前?)の時も寒かった。

近くの神社の境内。昨年の紅葉の時に見た黄色いトランプカードの銀杏の葉っぱはなく、それでも大樹の小枝は春の時を密やかに静かに待っていた。良く見ると既に新芽の息吹が見える。

この樹で樹齢200年を越えている。間違いなく多くの出来事を眺めて時代を見送っていた。田舎の小学校の銀杏の樹は今は無い。その代わりにこの地に江戸の昔から、人々の営みを見守っている

P1000297 職場、事務所外の桜木。この樹も春の時を待っている。鎖に縛られた様子の小枝も、しっかりと枝と枝を絡めている。暫くは寒い時が続くけど雪国の命との戦いを想えば、余りにせこい。

寒い寒いと背中を丸めて春の暖かさを恋焦がれて見ても、寒い時を乗り越えた歓びが無ければ、その実感は小さい。歓喜の時、爆発する歓びの歌は、寒く辛い踏みつけられた切ない思いが無ければ小さい。長い間、体の隅々から沸き上がるそんな思いは無いけれど、今年は少しは変わるかもしれない。

そんな淡い新雪の時を今年も願いながら、遅い初詣にチャリで行く。今年の決意は減量、健康、血圧を下げる。そして長い間の夢が適う事。出来るかな?神様が笑っていた。

P1000306 近くの早苗の森。昔は村の鎮守の神様も今は、多くの敷地を区画整理に取られて住宅地になっても、静かにひっそりとしても、凛として人々の生活を見守っている。人々の生活がどんなに変わっても、どんなに不遜な生き方をされても何も言わず何も語らない。

朝、近くの馴染みの喫茶店でモーニングセットを口にするが、口の中を一杯にして何かを語る人が居る。横目でしかしきっちりと顔を見ると若い女性。最近、こんな顔を良く見る。そんな人が多くなっても自分を見つめる眼に平常心を失ってはならない。

2礼、2拍手、1礼。奥の扉の中で神様がにんまりとしていた。「遅い。でも寒いのにご苦労さん。今年は反転の年。南天の効果絶大」そんな言葉が聞こえた。まさか?これも逆夢?否、これは正夢

P1000309 青々としている五葉松。松の葉に冬の時は無いのだろうか?手入れの行き届いた庭は冬の寒さを感じさせない。この松の葉に雪が積もる事は無いだろうが、親父が仕事をした敦賀、北陸トンネルの近くの寺は雪景色だろう。

夜、溶けた雪と凍った雪の中を歩っ念と歩いた雪の吹き溜まりが何故か懐かしい。雪国の本当の苦労を知らない人達はその程度の事しか考えない。親父はあの時、何を考えて歩いて居たのだろう?見慣れぬ雪景色の興奮?そうだったかも知れない。

暫くはこの寒波で雪国の生活は厳しい。その生活を知らない人達は罰当たりな言葉を繰り返している。親鸞上人に言われるまでも無く本当に成仏できるのだろうか?それは死ななければ分からない。

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2010年1月12日 (火)

自動車大国がアメリカから中国?それは違うと思うけど・・・

経済ニュースによると車の生産と販売がアメリカから中国に№Ⅰの座が移ると伝えている。数字的にそうだとしても、車社会の大きさとハイウエー、国土の豊かさと大きさは比べ物にはならない。(知りもしない癖に。言った事も無いくせに)。でもそんな気がする。

これからその顕在化は益々、明確となり親父の固定観念を打破するだろう。中国の繁栄はそれ程に大きくアメリカの独走を許さない力になるのだろうか?そうはならない気がする。アメリカの逆襲。この大国は危機感を感じた時に想像以上の力を発揮する。

しかし、その力もテロとの戦いとか言いながら勝てもしないアフガンの戦いを止めなければ、絵にかいた餅で、多くの失業者、生活難民、生活困窮者は豊かな生活は古き良き時代の、昔話になってしまうのだろう。チェンジを口にして大きな流れとなった政治改革も同じかもしれない。

よその国の話では無くこの国の経済も今年は様変わりをするだろう。この国の政治と経済に悲観的意見が今でも多く、失われた10年処か未だに出口戦略が見えず、政治と政治家にその戦略を求める。自分達で何が出来るのかを問われ、その解決策の違いが出口戦略となる事に気付かないのだろう。政治が駄目、あれが駄目と人の所為にして己の無策に気付かない。

その事がこれから明確になる。日本航空の立て直しも難しいだろう。「山崎豊子さんの沈まぬ太陽」がこの会社をモデルに経営の不条理、経営陣の公私混同、経営の無策を問題にしたのは10年近く前の事。実際はこの会社こそ日本経済の負の遺産だったのかもしれない。

日本経済の発展は多くの人の生活を豊かにしたが、それだけではなかった。経営者のモラルの欠如、経営陣の公私混同、経済の発展の歓びを感じたのは多くの人の願いで在ったが会社は何のために存在したのだろう。

これから会社の建て直しの為にやるべき事が多く、次期社長に噂される人が77ではアカンだろう。もっと若い人がこの会社に居るだろう。なんでこんな年寄りに任せなければ会社の再建は出来ないのだろう。それ程に破綻した会社の経営責任をどれだけ明確にした処で、再建は難しい。

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2010年1月10日 (日)

商売繁盛で笹持って来い。

本日は十日戎。西宮戎が有名ですが関西の商売人だけでなく、多くの人が今年の景気に願を掛ける。親父は掛川で今年の思いが始まりました。正月休みは5日まで。それから3日働いて3日の休み。新年はスタートしたと言うのに仕事のペースは上がっていません。

それでもこれで親父の今年が始まりです。「商売繁盛で笹持って来い。」今年はこれまでの鬱(うつ)の時を越え、憂(ゆう)ではなく爽(そう)の時を送りたい。これまでの蛆蛆(うじうじ)した生き方がそう簡単に変わるとは思わないが、ラストチャンスを何としても物にしなければならない。そんな思いでこの2日間、第二の故郷静岡、御前崎、浜名湖に行く。

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下の駐車車場からの緩やかな石段。初めてこの道を歩いたのは子供達が幼い頃。あの頃の体力は完全に衰え、途中の踊り場で休憩。但し、画像の人は他人。親父は背中を丸めては居ない。今日は風が強く海上は波頭が立つ。水平線は少し丸い。

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この荒々しい、それでも優しい海。昔、この沖を紀伊国屋文左衛門はミカンを積んで江戸で大儲けをする。今年は景気低迷の時。それでもこの大海原に漕ぎ出した先人の思いを忘れてはならない。又、この海原は地震の巣窟。東海沖地震が問題になって多くの年が流れている。その事も忘れてはならない。

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13年の時を過ごした掛川の街。大阪と東京のほぼ中間。今は存在感も失われているが地方の都市は似たり寄ったり。それでもどっこい生きていた。地方の活力、持ち味が生かされる時は来るのだろうか?難しい。けれども橋下知事や宮崎の東国原知事が言うほど、地方の衰退は無い。在るとしたら自分達の問題意識かもしれない。

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御前崎から浜名湖のこの駐車場までの道は遠い。途中、車の運転を少し変わる。アカン。運転に自信の在った親父も車を手放して10年。前回運転したのも5年前。あれ程上手かった運転が出来ない。ハンドルを握っているとドキドキする。数キロ運転しただけで運転を変わる。

掛川の家を手にした時は阪神が優勝をした昭和60年。あの時、この場所に立っていた。あれから25年の歳月が過ぎる。間違いなくこれからの25年は無い。その事をこの強い風の中で思い知る。今のメタボな体で25年も生きたいと思う心が厚かましいと言わずに居られない。

この道の終点は正面の左。浜名湖の奥に遊園地がある。子供達が小さい時、何度も行った遊園地までの道は何も変わらず、大きく変わっていた。何も変わらないのは道、大きく変わったのも自分の眼にする道。そのうちその道も見えなくなる。道を見る事が出来なくなった時、何を思い何をいとおしむのだろう。ボーイズ、ビー、アンビシャス(少年よ大志を抱け)

老人よ、思いをしなやかに、思いを断ち切らずに、思いを若々しく。頑張れ。

帰りに思いがけなく子供達が小さかった時、通ったゴルフの打ちっぱなし練習場で球を打つ。ゴルフクラブを手にしたのも8年振り。それでも昔取った杵柄(きねづか)。意外に当る。ゴルフの練習は思いの外、運動になる。その練習も出来なくなりこれからも出来ないと思っていた事が、思いがけなく実現する。昔の上手さから比べ物にならないスライスボール。

それでも嬉しかった。球が打てる。球をクラブが捉える。どんなにダブってもどんなに球が曲がっても、どんなにボールの頭を叩いても笑っていた。これからも出来ないだろうが3カ月もしっかりマイクラブでやれば元に戻る。その事が分かっただけで充分だった。

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2010年1月 8日 (金)

円高、ユーロ高、為替の問題

昨日、財務大臣が交代し新大臣が記者会見の場で余計な事をしゃべる。しかし、発言の本音は円安希望と判断され、為替市場は今進んでいるドル高が加速する。ドルが上がれば円が下がる。この国の経済が輸出に依存する割合が大きい事を考えると、その事は歓迎される。為替の問題は親父でも分からない処が多いが、数ヶ月前の円高は今国の経済と景気に大きくマイナスに動いた。この国の輸出代金に大きな影響を与える為替のレートは、企業の努力で95円の後半なら耐えられるらしいが、その事も良く分からない。

その事を新大臣は経済界の本音として口にする。親父の様な一個人で無く財務大臣として自分の気持ちを口にすればどんな結果になるのか、分からないのだろうか?政治家が為替のレートについて発言するのではない。財政の責任者が経済界の思惑を口にしただけで、市場に影響を与える事を過少に評価したと言われても弁解は出来ない。

この人はどの程度の経済知識があるのか分からないが、口ほどには無い気がする。自民党と役人の経済政策は批判出来ても新政策を打ち出すには容易でない気がする。経済は生き物。何時までもこれまでの政策を批判するだけで何も打開策が打ち出せなければ失速する。今はその様子見をしている処かもしれない。その時も長くは無い。春先にそれが見えなければ景気の先行きにブレーキが掛り、政権批判が加速する。

これは日本の話。フランスでも同様の話が持ち上がっているが、その話はもっと分かり易い。France大統領のサルコジが今のドル安は認められないと発言している。正確に言えば今はAmerica経済の持ち直し?でドル高、ユーロ安だと思うが、どのレベルを求めているのだろう?日本の経済界の様にどんなにドル高を求めてもそれは無理だろう。

ドルの通貨価値はアメリカの経済活力?で決まる。アメリカは今でも世界の通貨の基軸であるが、その役割は年々下がり信頼度も薄れている。フランスの大統領がどんなに容認出来ないと声高に語っても、如何ともし難い。ドルの価値は間違いなく下がる。その反対に円もユーロも上がる。その手立てが出来なければ企業も国も間違い無く負け組となる。

フランスの事は分からないが円とドルのレートはこれからも間違いなく円高になる。今年中に80円を切る事は無いだろうが90円は切って当たり前だろう。ドルの価値はその程度でしかない。それは経済の如何ともし難いお金の流れ。アメリカの経済力に活気が戻ればドルの価値に陰りは無いが、アメリカの製造業の地盤沈下が金融にとって替わられた時からその時は始まっている事を知らなければならない。

尤もらしく見て来た様に語る親父も言うまでもなく、アメリカの事とは知らない。「講釈師、見て来た様な嘘を言う」。親父のつぶやきも同じかもしれない。それでも多くの希望的観測を語るリーダーの言葉に疑問を感じなければいけない。

平城遷都1300年。このイベントの為にどれだけの国税を使っているのだろう?奈良西の京薬師寺の前に有る親父の好きな唐招提寺。鑑真和上の優しい木像。難行苦行の末に中国での高い立場を捨ててまで、当時未開の土地と言われた訳のわからない国に、どんな思いでこの国の土地を踏みしめたのだろう?

奈良の都の有様を目の当たりにした時、何を感じたのだろう。当時の天皇の招きとは言え、厳しい戒律も仏の教えの本当の意味すら見失われていた、東大寺の修行僧を見た時、言葉を失ったであろう。東大寺の修行僧だけでなく当時の僧達に厳しい戒律の教えは、想像以上の抵抗も有っただろう。それでも支持されたのは無欲で在り人間としての尊厳を失って居なかったからだろう。東大寺の役目を追われた時、西の京に粗末な甍(いらか)社寺を求めたのは、この地が故郷と同じ土の匂いがしたからだと言われる。

奈良の都には多くのドラマがあるが、現代人の多くのその思いをくみ取る心が無い。そんな人達がお金を掛けて何を記念し、何を心に刻むのだろう。そんな事をしていると本当にこの国はエコノミックアニマル以下になる。(エコノミックアニマルと昔、外国から馬鹿にされた事すら知らない若者も多くなる)。

本当はこの国は誇り高く、慎みとほほ笑みの深い国と評価されていた。ラストサムライ。あの映画は本当にこの国の武士の在り方を正しく評価していたとは思わないが、今年の為替の動きも案外、そんな見方も必要かもしれない。問題はそれ程に深い。

ユーロ圏の失業率は10%。アメリカのそれは意外に10%。(実態は17%とも言われている)。この国は5.2% 違うだろう。アメリカもこの国も雇用の先行きは厳しい。その事が為替と株式市場の数字に反映されるのは、国会が始まり問題点が整理されてからだろうか?

暫くは厳しい冬の寒さが続くがそれも長くは無いだろう。親父の出口はなかなか見えないが夜の明けない時は無い。どんなに苦しい暗闇の時が続いても時は移り出口が見えて来る。その時を漫然と待つのも良いが、本当は必至の思いでもがき苦しも事かも知れない。

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2010年1月 7日 (木)

         寒い朝、それでも今年は六甲の山が白くならない。それでも今朝はさすがに寒い

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この画像は夜の駅前の風景だけれど、今朝は本当に寒かった。それでも今年も何とかパンツ一丁で乗り越えられそう。年寄りの冷や水とか痩せ我慢とか言われても、これも辛抱。8年前の島根と敦賀の雪山を想えばこれ位の寒さに弱音を吐けない。

雪国の人の防寒着と住宅を考えると関西の寒さも結構、老体には応える。(こたえる)。それでもズボンもペラペラの生地で寒さに耐えられるのは気持ちだけ。そのうち辛抱出来ずにズボン下を履くか、血管が収縮してダウンするかだろう。それとも平然としてコートだけは温かい薄汚れたお気に入りを手放さないかだろう。

手足と頭と首は我慢すれば何とかなるが、上半身は今日温かそうな快適素材のシャツを3割引きで手にする。本当はメタボな腹廻りに2Lサイズは小さいが、ギリギリセーフ。これまでは3Lではデカかったが、今はそうでもない。アカンで減量せんと。服を買う度にそう思う。

昨年末からようやく寒くなり、やっと衣料品も売れだすと思いきや3割引き。オイオイそれで利益は出るのと思いきや、メイドインChinaと中にはVietnam。古いと言われても親父世代には何としてもメイドインJapanで無いとアカン。ソフトなタッチとボリューム感を両立させたマイクロフィーリング。東洋紡のマイクロ糸「カルエアーラ」使用。文句無し。この肌ざわり。モリリン製。

物が売れない時代。デフレの時代。先行き不透明の時代。成長戦略が無い時代と言われて今年の景気は暫く低迷の時を続けると言われている。しかし、一見そう見えてもそれが全てでは無い。一口に消費者と一括り(ひとくくり)にして政治経済のリーダーとコメンテーターは尤もらしく語るけれどその中身は正に多種多様。何でもかんでも安ければそれで良いのかと問われればそうでもない。今一番求められている事はお得感。

安ければ安い方が良いと言える人でもお得感を求めている。自分の収入は出来るだけ多く、支出は出来るだけ切り詰める。それでもほしい物は無理をしても手に入れる。そんな人をどれだけ囲い込み、お気に入りの買い物をして貰うかがこれからの勝負だろう。

安売りだけの勝負は目玉にはなってもそれで飯は食えない。利益が出ると言い放つ経営者もいるが代償も少なくない。安売り競争に限界利益が無い。スーパーで安売りの繁盛店がテレビで紹介されるがあれも目玉品。全てが目玉では利益が出ない事を誰が知るのだろう。

77歳の財務大臣が健康上の理由で退陣し、管副総理が財務大臣になる。有言実行の次期総理候補だが言う事がセコイ。為替の発言は甘い。円安発言は余りのお粗末。為替は思惑が左右する。どんなに多くの思惑を語っても思い通りには行かない事をこれから思い知る。

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2010年1月 6日 (水)

親父の仕事初め ぼやき始め

仕事初めは遅いけどぼやき始めはおかしんとちゃうと言われそうだが、今年も始まりました。遅い。普通仕事初めは4日。親父が現役の時、働いていた会社はこの日が創立記念日。だから長い間仕事初めは5日だったが、今年の親父の仕事初めは今日でした。

今年は景気の先行きと生活不安、健康不安、色々有るけれど動けなくなったらおしまい。今日、高齢者社会とか言われているが本当は如何だろう?様々だろう。元気で悠悠自適の人は良いけれど、そうでない人はどうすればよいのだろう?死ぬしかないのだがそうも行かない。誰かの世話になる。世話になれる人は良いけれどそうでない人は本当に困る。

これからそんな時代になる。8年前、そんな嘆きの言葉を聞いたことがあるが、あの時言った閻魔大王の面接が冗談では無くなる。人にやさしい社会とか生活弱者の為の社会とか言われても現実はそう甘くない。これからそのレッドゾーンに足を踏み入れなければならない。

自分でどんなに若いと思って見た処で肉体の老化は急速に進む。自分の体と体型を鏡に映して見ると良い。何たる無様何たる姿、何たる衰えだろう。鏡に写さなくても体と会話をすれば良く分かる。ほとばしる若さの時は何処に行ったのだろう。楊貴妃が不老長寿の媚薬を求めた気持ちが分かる。(ほんまかいな) いや無理だろう。貧乏人は貧乏人らしく老いさらばえるしかないのだろう。

今は幸いにして苦しい時、病院に行かず山に行き英気を養っているが、いずれそれも出来なくなるだろう。その時、如何する。如何にもならず神の助けを求めるのだろうか?神の存在を否定し己の欲望のみに生きる不遜な生活を変えなければ、神の憐みすら手に出来ないだろう。その為に今為すべき事。それは減量。難しくは無いけれど容易ではない。煙草とパチンコをやめた決意のみだろう。準備は良いか?良くなくてもやるしかない。血圧を下げる薬を飲まずに体重を減らす。言うは易し行うは難しだろう。

今の体重 90㎏。血圧 下100 上190 信じられない。どんな生き方をすればこんな数字になるのだろう。それでも体重血圧が標準でも親父の数値は笑えない。健康とはそんな単純なものではない。人は生まれながらの生きる力があり、誤りは正せば救われるが自分の誤りに気付かない方がもっと始末が悪い。(開き直り?まあ、ごもっとも)

単身化。単身赴任では無い。核家族でもない。家族分散。一人で生きる事の哀れを感じながら雄々しく生きる。これも減量以上に難しい事だろう。しかし、この問題もこれからの社会を生きて行く高齢者の課題だろう。それが出来なければ生きる術を無くすだろう。

多くの人が多くの事を語るけれど、自分に出来る事を自分の裁量で出来る喜び。その事を考えれば困難に打ち勝てる。その事は親父だけの問題では無く今はお一人様で無くても、いずれお一人様になる予備軍にも同じ事が言える。人は年に関係なく性別にも関係無く、厳しい時を迎える。その心準備が求められている。

夕食はモヤシ炒めにイワシ味噌煮の缶詰めを合わせる。イケる。最近缶詰めにハマる。長い間見向きもしなかったがサバは無論、イワシも臭みが何も無く味も工夫されている。親父が若い頃、ハイキングの時に持参したあの青春の味とは全く違う。これから減量の時、食い物にも大きく左右される。親父がこんなにメタボになった原因は明らかに食い過ぎ。

少ない食事の量と内容。工夫とカロリー計算が必要になる。カロリーの計算は出来なくても量は減らせる。缶詰めの上手な使い方はこれからの食事のポイントになるかもしれない。それでも夜食に日清のどん兵衛 年明けうどんを食う。(あちゃ)まあ、親父の決意もこんなもん。でも見ていなはれ。決意の強さは誰にも負けない。

どん兵衛の開運おみくじは中吉。「うどんのように純白な恋に出会えるでしょう」薄汚れて老いさらばえば、今更純白とは言えないまでも太く、長~く、そして強くぶっとく行きましょう。たのまっせ。今年のお年賀はこれだけ。神頼みでは無い自分頼みの航海がスタートする。

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2010年1月 4日 (月)

夢は逆夢

新年早々の夢は初夢と言われるが、良い夢を見たいと願うささやかな願いとは裏腹に、最悪の夢だった。それでも自分の心の一部を見透かされ気もする。親父が長い間、正しいと思っていた事が、見方を変えれば逆で在った事をこの歳になって思い知らされる。遅い。

それでも夢の中で何を教えたかったのだろうか?人を信じ人を愛しても所詮、人は一人で生きるしかない悲哀の思いを感じさせたのだろうか?そう考えて見れば思い当たる事も少なくない。阿吽(あうん)の呼吸。同じ空気を感じるとか言われても、本当に分かり合える事は、人の痛みが分かる優しさを持ち合わせる事かも知れない。

一方で夢は逆夢とも言われる。自分の都合のよい言葉で自分に言い聞かせても、大事な事は「禍転じて福となす」(禍福は糾える縄の如し)かもしれない。自分の是までの生き方をこの休みの間にもう一度見直し、本当の意味で夢を逆夢にしなければならない。

新年早々、国内外のニュースがテレビ、新聞で尤もらしく伝えられているがあくまでも一部分。多くの人が多くの思いの中で仕事初めの日を迎えている。仕事と住まいの無い年越しの人達も報道が伝えている10倍も100倍も居る事を、どれだけの人が理解しているのだろう。

自治体改革は大阪府庁からしか出来ない?橋下知事が声高に訓示しているが何様だと思っているのだろう?ある時は新政権に媚(こび)、又ある時は国政の誤りを声高に語り、自己の存在をアッピールする。こんな知事が全国的に注目される。大阪人が何時までもアホではアカンやろう。

米軍の辺野古沖の基地移転。これは多くの日本人にとってどうでも良い事だけでなく、この事が今年の日米関係の大きな問題である事も知らない人が多い。かく言う親父も辺野古沖をテレビの画像でしか知らない。アメリカの極東、西アジアの軍事戦略は長い間、日米軍事同盟が基軸だった。(おっと、難し事いを言う)。そう、その事が多くの国民は知らない。

その事が長い間、自民保守政権でアメリカと基本政策となり、この国の安全と平和が保たれて来た。アメリカと軍事同盟を結び、アメリカの核の傘と軍事力で守られながら、独立国としての存在は軍事的にも経済的にも無い事がこれまでは問題にもなら無かった事が、異例だったのかもしれない。

その事が今年、顕在化(けんざいか)する。鳩山総理がアメリカのオバマ大統領のその事を正確に伝えていない。トラスト、ミーとは何を任せろと言いたかったのだろう?私を信じて今迄通りで行きますと決定出来ると思っているのだろうか?出来ないだろう。

その時、政権公約を国民にどう説明するのだろう?アメリカとの信頼関係を壊してまでも、今迄の経緯をほごに出来ず普天間の負担を軽くするために、辺野古沖に軍事基地を移転しますとは言えなくなった事を、この国にリーダーは理解していない。間違い無く問題を先送りしても解決の糸口さえ手には出来ず、連立与党の強硬意見を抑え込めると思っているのだろう。沖縄の基地問題は完全に規模の縮小を段階的に進めなければいけない事を、どれだけ理解しているのだろう?

そんな事は親父に言われるまでも無く、先刻承知。沖縄の問題は今日昨日の問題では無く自民党政治の負の遺産だろう。今は引退した元総理も未だに沖縄の重要性を口にし、日米同盟の重さを説明するが、沖縄の人達の難儀をこれからも放置しても仕方ないと思うのだろう。今年は間違い無く日米軍事同盟、貿易の相互依存が問われる。何時までも固定的な古い軍事同盟が続いた歴史は無い。その時、次の時代を見据えた政治と経済の在り方が問われる。

そんな覚悟をマスコミは政府に求めるが、それもナンセンスだろう。意味が無い。マスコミの論調を見ると今迄の継続。それが無難では無く問題の解決を先延ばしにする事を、どれだけ理解しているのだろう。政府の成長戦略を求めるのは良いが、自分達の建設的な提言にマスコミは何が出来るのか、自己批判をしなければならない。親父が読んでいる日経が20円の値上げ。この物が下がる時代に20円の負担を求めなければいけない意味を理解していない。誰が?新聞社だろう?新聞社の誰?経営のトップ?ならば買うな。景気、経済の情報を安く手に入れる術を探さなければならない。      休憩。食事です。お疲れでした。

昼食は近くの総菜屋さんが今日までお休み。仕方が無いのでコンビニ弁当にするかと思いながらも、スーパーの弁当にする。お弁当の一番の強みは温かさだと思うが、冷たい弁当を平然と売る。3時間も5時間も前に造られた弁当を買う人は居ないと何故、考えないのだろう?それは無理だとしたらお弁当を売る工夫がこれから求められる。そうでなければ売れない。結局1時間前に作られたカツ丼、受験合格のシールが貼られていたがマズイ。これで合格できるか?物が売れないと言われる時代。物の売り方にも工夫が無ければアカン。

国民の皆様の為の政治?そんな物を国民は求めているのだろうか?国民が求めている物。それは単純明確。政治家の為の政治では無く国民に約束した政治改革と無駄の排除、国民生活の安定と安心。原点に戻るとか戻らないとか3カ月足らずで言われるのは心外だろう。

何よりも視聴率が低迷しニュース番組として期待外れの番組が、如何に多くのコメントを発しても説得力が無い。それでも福袋のニュースでフランス人が唖然としていたのが実感だろう。クレイジーと言われてもこれが日本。フランスにはこんな光景にはお目に掛らないのだろう。安ければお得感が強く行列しても、もみ合いをしても平気なのだろう。

トラ年の株価は上がる?経済のコメンテーターに言われても関係者。政府の政策に期待が掛ると言われてもお前達のやるべき事は無いのか?スキンヘッドならぬアローヘッド。株取引のスピードが飛躍的に変わるらしい。今年の株価の動向は今週の株価で決まるとも言われているが、それもあくまで過去のデータ。今年は如何だろう?

路上生活5年目。おばあちゃんホームレスが取材を受けている。公設派遣村。ハローワークで予約が必要で入所出来ず。これもお役所仕事だろう。派遣村の村長?なんかおかしくない。仕事が無い。生活費が無い。蓄えが無い。済む所が無い。支援者が無い。そんな人は全国に五万(ごまん)といる。それが現実。それが改善する兆しは暫くは無い。

それでも景気の回復が期待できるのだろうか?出来るらしい。景気の回復は意外な処に有る。政府に何かを求めてもそれは回りまわって自分達の世代で無く、次の世代に残される。今、尤もらしく景気対策を口にしている多くの人は間違い無く最後っ屁(きたない)だろう。

夕方、近くの山を目出す。年末年始の不摂生が足と腰と心臓に来ている。足腰は分かるけれど心臓の音がのどからプチプチと聞こえる。オイオイマジかよと苦笑いをしながら、歩く事を決める。それ程の決意が無くても歩かなければいけない。

中敷きを変えて歩きだす。歩く事は考えているほど簡単ではない。ズボンのポッケに手を入れて歩いている足の付け根の外側を触って見ると歩いて居る事を実感する。歩かなければならない。歩く事は誰にで出来る。しかし、怠けた体はその単純な行動を拒否する。

Img_1277 新年早々の画像が昨年の続き。南天。

しかし、この樹はでかい。デカイ南天の実が生き生きとしている。今年も又、元気でと言われている。頑張りまっせ。体に気をつけて。

歩き始めて靴の下敷きが合わない。100円は安すぎ。引き返して800円の物に替える。

関西無策。セイフティネットは自分で張れ。

Img_1280 山登りが遅れて途中の城址公園で、日の入り後の六甲山を望む。残照。穏やかな正月も終わり今日から官庁は仕事初め。

大阪府知事が今年は地方の時代と声高に語っても、何か空々しい。京都府の職員は着物姿。なんかパホーマンスで物事を解決できると思っていないか・・・。

Img_1282 城址公園西門の十月桜。まだチラホラだけど桜の時は遠くない。その時、どんな顔をしているだろう。今年はアルプスの少女ハイジに会いに行く?メタボな体がどれ位、締まるだろう。

みずほ総合研究所のエコノミストが今年の景気見通しを語っている。しかし、親父は今の状態がそう簡単に変わるとは思わない。

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日は沈み日は又登ると単純に言える時代が終わり、先行きの見えない時が続く。その事が長い間続いたけれど、今年の初夢は逆夢の予感がする。この城跡で昔を想えば多くの人を思いだす。長い長い失意の時、それが歓びに変わる時マッターホルンも黄金の色に見えるかも?

景気の先行きは分からないけれど、全てが良くなる事は無い。景気を良くして呉れの合掌は大きいけれど、出来る事と出来ない事がある事ぐらいは理解しなければならない。なんで景気が良くならないのか?それは明確な理由がある。それ位の事は理解しなければならない。

今、テレビで小沢幹事長が多くの事を語っているが景気の話は明言していない。富の分配は豊かな人が多く受け取り、貧しい物はそのおこぼれに預かるしかないのだろう。そのお零れ(おこぼれ)にも預かれない人も少なくない。それどころか踏みつけられる。それが現実。

夢は適うとか言われるがそれは夢が夢であり続ける事。殆どの(ほとんどの)夢が幻と消える。今年の初夢はその事を教えているのだろう。それでも親父は変わらない。今年もブログを重ねて作成件数500に挑戦です。

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2010年1月 3日 (日)

箱根駅伝(復路) あと2区で終了 この絶叫解説 なんとかならんか 

今年は天候にも恵まれ不運のアクシデントも無く、順調にレースが進んでいる。それにしても耳触りはこの絶叫解説。新人アナウンサーの気迫も分かるが、今年はテンションが高すぎる。人に聞かせる実況は難しいが選手の奮闘が一番。中継が邪魔をしてはならない。

今年はタスキが途切れる事も無く、各校の実力の差に大きな差は無い。それでも歴然と見える順位の差。個人の力の差を見せつけたのは箱根の登りだけ。後はチームのまとまりと作戦の差だろう。新年早々、選手が練習の成果を充分に発揮できるのは、何よりと言えるだろう。

今日は新年も3日。経済新聞には今年の経済見通しが出ているが、どうだろう?20人の回答者の人選に?を感じる。景気の見通しを現役の社長に聞いても意味は無い。自分の会社だけならともかく、日本経済の事は個人的な感じでしかない。実質経済見通しがマイナスは1人それも0.1.大半は1.5%前後。それ位の予想は親父にも出来る。(根拠はないが・・・)

失業率は5%の半ば。この数字の意味は如何なのだろう?その事の分析が無ければ今年の景気見通しは厳しい。大半の経営者とエコノミストは今年の後半は、明るさが見えるとかとぼけた事を言っているが、そんな会社もあるが全てでは無い。失業率の改善が無いまま、景気の回復は望む術もない。

賃上げ率の回答にプラスが半分。そのクラスでも1.5%前後。今年もまだ賃上げどころではないと言える経営者の責任は無いと言えるのだろうか?経営の資源を何に求めるのか?その待遇改善が出来ない経営者に、この国の今年の景気見通しを聞くこの皮肉。おかしくないのだろうか?大体、景気のバラツキが大きくなり勝ち組と負け組が明確になれば、この経営者も政権交代が求められる。

このそうそうたる各社の納税額を明示する方がどれだけ、その数字に説得力があるか分からない。アメリカの経済成長力の見通しにはばらつきがあるがこれも皮肉。願望だろうか?アメリカ経済に頼る日本経済はその見通しに明るさを求める事が、厳しいだろう。

最後の重点政策課題のコメントがあるが、未だに成長戦略を求めても無理だろう。今年は間違いなく成長格差が拡大するだろう。生活格差の是正も求められるが競争社会、資本主義社会、共産主義社会にも生活格差を無くす妙案はない。無い物ねだりをするな。

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2010年1月 2日 (土)

ラデツキー行進曲、85歳の指揮者

今年のニューイアーコンサートの指揮者は85歳。ジョルジュ、プレ-トル。二ュイアーコンサート2回目の指揮は名人芸。本当の喜びは生で聴く事だろうがそれは叶わなくても、こうして今年も年の初めにコンサートが聴けた事は何よりのお年玉かもしれない。今年の景気を何だかんだ言う前に心、豊かに音楽に耳を傾ける余裕がなければ、今年も明るい思いを手には出来ない。スイスの国の大きさも人口も日本よりはるかに小さいが人々の生活は比べ物にならないだろう。それだけ自然が身近で田舎暮らしが出来て、生活の水準が高いのだろう。この差は一体何なのだろう? 田舎暮らしが実は究極の豊かさかもしれない。

今、この国も観光立国とか言われているが、外人を呼ぶ前に自分達が旅をする喜びを感じ無くてそれは無いだろう。二ュイアーコンサート、アンコールのテープを聞きながらスイスの勉強をしなければならないと思う。考えて見れば親父の知識は同世代の人よりは多くても、何も分かっていない。この国の歴史に興味がありそれで君に多くの事を語るけど、それさえも一部であり多くは間違いだろう。

お正月のテレビも田舎に帰省した時とか、家で何もしない時は笑いながら見ていた特番も一人では見る気もしない。そんなもんだろう。人は年を取り最後は一人でお迎えを待つしか無いのだが、その事さえも忘れている。それまでの年を如何生きるか?その事が今年も又、問われる。85歳のプレイトルさんのタクト(指揮棒)はなかった。指先で充分だったのだろう。

口先で朝令改暮(ちょうれいかいぼ…朝の命令を夕方には改める。方針が一貫しない)を繰り返すリーダーに見せてやりたいが、それも余計なお世話だろう。今年の政治も経済も日々の生活も二ュイアー、コンサートの様には行かない。

昔、水前寺清子が歌った「365歩のマーチ」だろう。3歩進んで2歩下がる。反対は駄目。安物買いの銭失いとは良く言ったもんだ。安物しか買えない経済に希望は無い。その事が分かった時、この国の先行きに光が差すのだろう。

今、FM放送でジャズを聞いている。親父達が若かった頃、ジャズ喫茶があったが今の若者はそれも知らない。コーヒーを飲みながらデカイスピーカーで腹に響く音楽を聞くと説明すると馬鹿にされる。でもあの頃の方がやる事が明快、爽快だった気がする。(それは年寄りのセリフ)。しかし、イアーホンでデカイ音を聞いていると間違いなく難聴。間違い無し。

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箱根駅伝

親父がこの駅伝のニュースに初めて接したのは高校一年か2年の時、通学駅前の自転車置き場を兼業していた旅館のテレビだった。駅から学校迄3キロ前後の道、親父達は歩いていた。少し小金持ちの限られた女生徒と社会人が利用していた。汽車の待ち時間、覗き見をするのが楽しみだったが、親父が見たのはダイジェスト版スポーツニュースだったのだろう。

その駅も今は無人駅。最終の列車は9時過ぎ。親父達が利用していたのは8時過ぎだった。その電車も今は無い。殆どの社会人が車通勤となり学生は家族が送り迎えしているのだろうか?親父は部活をしていたのでそれが終わると学校が用意した自習室で、遊んでいた。

あれから40年弱。あの頃の箱根は雪景色で白一色だったが、その面影も今は無い。温暖化の影響はこんな所にも出ているのだろうか?宮の下温泉郷。沿道の応援が熱狂的。それ以上に実況中継のアナウンサーの絶叫がうっとうしい。

山登りの半分で昨年の覇者が首位を奪い返す。この道を車で逆走したのが11年前だったろうか?今はその道も応援の馬鹿共に占有され車は走れない。確かにこの急峻を走る事は凄いがこの交通整理はイカンだろう。この時期走る車も車だが通行規制をしないのなら、道路上まで応援者を出してはイカンだろう。

凄いね。箱根の山。もうすぐ峠を越える。国道1号最高点を越える。芦の湖が見える。ゴールは近い。今年はスタートしたばかり。初夢は親父の長年の思いを嘲笑っていた。その今年は積年の思いが変わるだろう。長い間思っていた事を変えるには容易ではないが、それが出来なければ一歩を踏み出せないだろう。人に何かを求めるな。自分に出来る事をやれ。

たかが大学駅伝。されど大学駅伝。何が起きるか分からないけれど、自分が変わらなければ何も変わらない。今年も多くの事を求められるが、その覚悟も無いまま是までと同じ生き方をすれば人を批判するしかない。それだけでなく惨めな生き方しか出来ないだろう。

芦の湖、ゴールイン。アナウンサーが絶叫している。勝者を讃えるだけでなく敗者への思いが無ければこのドラマに学ぶ事は無い。ゴール近くの道路標識に小田原方面渋滞と出ている。景気も同じだろう。景気を悪くしているのは固定観念。考えを変えれば道は開ける。

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2010年1月 1日 (金)

ニューイアーコンサート

新年の1日も兄貴夫婦とお茶しただけ。元気だから1年振りの再会にも笑いがあるが、これが病気ならそうは行かない。昨年末君から言われた血圧を下げる薬も、飲まないなんて言っては居れない。これからは自分の体との勝負。体が壊れた時、行き延べる術は無い。

これからは高年齢化、少子化が進み担当大臣までいるが高齢化担当大臣はいない。それでもこの国の平均寿命は延び健康な年寄りも少なくない。それでも高齢者の介護はどんなに国が豊かになったも大変。増してや個人の負担を考えると深刻な社会問題となるだろう。

さすがの親父も「桑の葉抹茶」を通販で求め、年末から飲み始めた。感想?まだ分からないけれどガスの出方が多くなる。親父は別に便秘ではないが、内臓、大腸のガスは細胞の奥まで食い込み容易に出ていなかったのだろう。それが崩れつつ成っているのだろうか?まさか|

夕飯、白采と鶏胸肉、豆腐とコンニャクの鍋にする。アルマイトの鍋で水を沸騰して肉を入れようとして慌てる。ぶつ切りにされていない。塊。オイオイ。いくら胸肉と言っても塊かよとボヤイテも始まらない。出汁が出れば良いかと思いながら白采を先に煮る。アクを取ればOK。

白菜の根元、固い所が柔らかくなれば出来上がり。肉の塊も箸で取り出して包丁でカットすれば出汁は出ているが柔らかくなっている。味も悪くない。皮付きの肉が簡単に取れ皮も食える。昨夜の年の瀬もそうだったが新年の夕食に賑わいが無い。それでもこんな生活にも慣れ老いぼれてて行くのだろう。

そんな時、ニューイアーコンサートは始まっていた。慌ててラジカセのテープを探すが無い。年末の掃除の時、使わないと思い捨てたのだろう。諦めきれずに探すが無い。ふとラジカセの中を見るとテープは入っている。それでも30分。途中で止まる。

アンコール曲3曲しか取れない。それでもお気に入りの曲。「ラデツキー行進曲」。軽快な元気lと力が沸き出る曲。指揮者の思いと歓客、オーケストラが一体となるお馴染みの曲。それが取れれば充分。もう一曲これもお気に入りの「ウイーンの森の物語」。これで又、寂しい時悲しい時、何度でも繰り返し聴ける。親父には音楽でしか聞けない風景が鮮明になる。

今年、スイスに行けたら一日ぐらいウイーンの街並みが見れるだろうか?今日、ウイーンの人たちにとってワルツは何なのだろう?日本人の多くが演歌を歌わない様に耳にする事も無いのかもしれない。ヨハンシュトラウス、ワルツの王と聞かれても知らないと言われるだけかもしれない。そんなもんかもしれない。

明日は箱根駅伝。箱根の山は天下の嶮(けん)と歌われたのは昔の話。今は車で簡単に越せる。それでもあの登り坂を健脚で越えるのは大変な事だろう。そのスタートの新聞社に仕事の確認に行ったのは昔昔の話。今でもあのデカイバーコードの仕分けはされているのだろうか?今思い出して見てもあの仕事のクレームは1度も無かったし凄い事をやったのだろう。

カメラを持ち込んで仕事の流れとポイントをバシバシ写しても何も言われなかったのは、仕事の重要度を認識して貰いたかったのだろう。新聞社の地位は新聞の発行量と配送の時間との勝負。それが出来たから今でも全国紙のトップとして君臨出来るのだろう。残念ながら記事の内容と論調は個人的には興味が無い。しかし、トップを取り続けるにはそれなりの厳しさを求められるのかもしれない。

親父は自己の観念が若い頃と何も変わっていない。マスコミには期待していない。新聞社の誤りは報道の責任を無くした事。そんな事は無いと言われる人が少なくないが報道の責任とは何か?事実を正確に伝える事。感情を排除し事実のみを伝える。それが無ければ新聞がその役目を終える。今、宅配の新聞を手にする人が少ないのはその事の表れだるう。

駅伝にはドラマがある。筋書きのないドラマ。一本のタスキの重み。日々の生活の中に無い緊張感と健脚。100メートル親父も走れない。そんな人が自分の想いを託す。そんなドラマを見れるのが明日と明後日。久しぶりに(そうでもないか)テレビの前で今年も証人になれる。

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謹賀新年

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謹賀新年。今年も又、新たなる想いで新たなる出会いを求めて、新たなる挑戦です。新年早々、又南天かと言われてもこの写真は屋根瓦が雪をかぶった感じで、年賀状の写真に使いたかったお気に入りの一こまです。今年もこの写真の南天の様に困難を物ともせず、全力投球で悔いのない生き方をしたいと思っています。困難を転じて福として下さい。

今年も昨年同様、ニューイアー駅伝を見ながら穏やかな元日の朝を迎えています。違う事は朝起きて食事をする前にコンビニで160円になった経済新聞を買った事。駅伝の画面を見ながら平穏な一年の始まりを感じている事です。雑煮は昨夜口にしなかった年越しそば。雑煮は白菜と薄味で無いと不味い。長い間、美味い雑煮を口にする事は無いが、これも努力の足たらなさかもしれない。(どんな努力?)

そんな事を感じながら昨日久しぶりに手にした朝焚き納豆(甘なっとう)を食っている。甲斐の国の天然水でふっくらと炊きあがられた白花豆はしっとりとした口当りで、甘過ぎず食い過ぎ注意です。昨年末、一念発起して桑抹茶を買いました。多くに人に笑われても自分の体は自分で管理をし、健康を維持しなければ人の事は言えない。

人の事はどんなに批判出来ても、自分の事を自分で批判できない。昨年、景気の低迷とデフレの進行、自分の心の病でも自分に何かが出来たから変化があり、何も出来なかったから問題の解決を政府、金融当局に求めたのだろう。その事は納豆を食いながらお茶を飲めば良くわかる。己の無策を棚に上げ然も他人が何もしていないと思うのは、問題の解決ではなくボヤキであり嘆き、愚痴でしかない。その事が分かれば今年は色んな事の分岐点であるかもしれない。

年末の国民的全国放送、紅白歌合戦を見なくなって久しい。「なんで」と訝る(いぶかる)人に格闘技と答える親父の馬鹿さ加減に自分では結構満足するようになった。格闘技と言えば元ヤンきーとか馬鹿が多いが、例外も少なくない。今回王者吉田に挑戦したのはオリンピック金メダリストの石井。試合には負けたが間違いなく世代交代。

殴られても蹴られても前に前に進むチャレンジャー精神は、久々の清涼感。試合は王者の上手さに交わされ為す術もなかったが、その姿は間違いなく次の時代を背負う姿だった。最後の試合は親父の嫌いな選手の引退試合。それもショウとは見えない迫力が有った。

今年は間違いなくテレビがその役目を終える。皮肉にもデジタル放送が始まる前。テレビが話し相手の高齢者の楽しみは娯楽番組。そのテレビが興味本位、視聴率本位の番組編成。その自覚も無いまま、口も拭かずに尤もらしい正論?を語る。テレビは次の時代で何を語るのだろう?

赤城降ろしも今年はテレビの解説者が言うほど強くない。静岡掛川の遠州空っ風は如何だろう?関西でも寒い新年になっているが雪国の事を思えば、比べ物にならない。その事を思えば今年の生き方も又、違ってくるだろう。正月休みは5日まで。9日に掛川に行く。

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