商売繁盛で笹持って来い。
本日は十日戎。西宮戎が有名ですが関西の商売人だけでなく、多くの人が今年の景気に願を掛ける。親父は掛川で今年の思いが始まりました。正月休みは5日まで。それから3日働いて3日の休み。新年はスタートしたと言うのに仕事のペースは上がっていません。
それでもこれで親父の今年が始まりです。「商売繁盛で笹持って来い。」今年はこれまでの鬱(うつ)の時を越え、憂(ゆう)ではなく爽(そう)の時を送りたい。これまでの蛆蛆(うじうじ)した生き方がそう簡単に変わるとは思わないが、ラストチャンスを何としても物にしなければならない。そんな思いでこの2日間、第二の故郷静岡、御前崎、浜名湖に行く。
下の駐車車場からの緩やかな石段。初めてこの道を歩いたのは子供達が幼い頃。あの頃の体力は完全に衰え、途中の踊り場で休憩。但し、画像の人は他人。親父は背中を丸めては居ない。今日は風が強く海上は波頭が立つ。水平線は少し丸い。
この荒々しい、それでも優しい海。昔、この沖を紀伊国屋文左衛門はミカンを積んで江戸で大儲けをする。今年は景気低迷の時。それでもこの大海原に漕ぎ出した先人の思いを忘れてはならない。又、この海原は地震の巣窟。東海沖地震が問題になって多くの年が流れている。その事も忘れてはならない。
13年の時を過ごした掛川の街。大阪と東京のほぼ中間。今は存在感も失われているが地方の都市は似たり寄ったり。それでもどっこい生きていた。地方の活力、持ち味が生かされる時は来るのだろうか?難しい。けれども橋下知事や宮崎の東国原知事が言うほど、地方の衰退は無い。在るとしたら自分達の問題意識かもしれない。
御前崎から浜名湖のこの駐車場までの道は遠い。途中、車の運転を少し変わる。アカン。運転に自信の在った親父も車を手放して10年。前回運転したのも5年前。あれ程上手かった運転が出来ない。ハンドルを握っているとドキドキする。数キロ運転しただけで運転を変わる。
掛川の家を手にした時は阪神が優勝をした昭和60年。あの時、この場所に立っていた。あれから25年の歳月が過ぎる。間違いなくこれからの25年は無い。その事をこの強い風の中で思い知る。今のメタボな体で25年も生きたいと思う心が厚かましいと言わずに居られない。
この道の終点は正面の左。浜名湖の奥に遊園地がある。子供達が小さい時、何度も行った遊園地までの道は何も変わらず、大きく変わっていた。何も変わらないのは道、大きく変わったのも自分の眼にする道。そのうちその道も見えなくなる。道を見る事が出来なくなった時、何を思い何をいとおしむのだろう。ボーイズ、ビー、アンビシャス(少年よ大志を抱け)
老人よ、思いをしなやかに、思いを断ち切らずに、思いを若々しく。頑張れ。
帰りに思いがけなく子供達が小さかった時、通ったゴルフの打ちっぱなし練習場で球を打つ。ゴルフクラブを手にしたのも8年振り。それでも昔取った杵柄(きねづか)。意外に当る。ゴルフの練習は思いの外、運動になる。その練習も出来なくなりこれからも出来ないと思っていた事が、思いがけなく実現する。昔の上手さから比べ物にならないスライスボール。
それでも嬉しかった。球が打てる。球をクラブが捉える。どんなにダブってもどんなに球が曲がっても、どんなにボールの頭を叩いても笑っていた。これからも出来ないだろうが3カ月もしっかりマイクラブでやれば元に戻る。その事が分かっただけで充分だった。
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