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2009年12月10日 (木)

静かな静かな里の秋、おせどに木の実の落ちる夜は?里の秋(小学校唱歌)

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きんかん。田舎の家にも在ったきんかん。ミカンきんかん酒の燗(かん)。まだ紅葉も有り。

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銀杏も黄色の葉っぱも少なくなり木枯らしの吹き出しを待っている。でも春は遠くない。

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これで樹齢200年を超す。多くの人々の悩みと苦しみを見て来た。喜びの時は如何だったのだろう。今年もあと3週間で終わる。銀杏の年輪は狭いけれど確実に今年も新たな輪が出来る。親父の寿命も後どれ位だろう。黄色の絨毯(じゅうたん)を是だけ綺麗に見れたのは吉兆かもしれない。秋は終わり冬の寒さを凌いだ者だけが春のうららを実感するのだろう。

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ささやかな今は亡き農民の想いが見える本殿奥の伽藍。正面から右に回り込んだ所。

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山吹の葉が冬の装いを済ませている。3本の葉の流れに見えるが1本の樹。これが本当の3本川。9年前、四国高知の窪川で眼にした艶やかな色合いは何も変わっていないだろう。

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南天 難を転じて福となす 来年の事を語るには早いがまだチョイと早いか。そう言っている。でも今日のが画像1枚目のツリー南天を見ると良い事有りそう。単純。まーいーか

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それではこの狛犬でどうだ。後ろの五葉松が新緑の頃と大差ない。心持、落ち葉が晩秋の時を教えている。子供の頃、近くの神さんでこの犬に乗り得意げな仕草をしていた記憶がある。あの時の無礼をお詫びしこの眼力に畏敬の念を抱けば、まだまだ、くたばりはしない。

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過ぎ行く秋を見送りながら迫り来る冬の寒さに身構える。しかし、季節感の無くなった日常にこれだけの想いを重ねられたら、それはそれで又、幸せなのだろう。老いの時を実感する事無く歳を重ねる合わせ技は昔、コマーシャルでヒットした「食う、寝る、遊ぶ」かも。

朝、お気に入りの喫茶店でモーニングのトーストとゆで卵を口にし居る時、年寄り3人の常連が情けない言葉を口にしていた。(幾つに為っても酒と煙草と女は止められないと)。馬鹿は死ななければ直らないのか?良い歳をして餓鬼が言う様な事を口にすな。何時かはお呼びが掛る。

その事を考えて節制をしなければ長くは生きられない。そんな不快な思いも早苗の森で消える。「白鳥は悲しからずや空の青、海の青にも染まず漂う」 若山牧水 牧水はどんな思いでこの句を残したのだろう。自分の想いが変わり過ぎて悲しかったのだろうか?

そうでは無い。九州宮崎生まれつきの青臭さにいい加減、何とかしたいと思っていたかも。人間の出来の良し悪しは人が決めるのではなくて、自分が決めるのだろう。牧水も迷いの時を重ね不遇の人生を歩む。それでも悔いは無かったのかもしれない。

秋が行き冬が来る。幼い頃は正月が来ると思うだけでわくわくしたが、この歳に為るとそれも無い。胸の奥で何かが叫んでいる。体を鍛えて春を待て。お腹を凹ませて春を待て。葉っぱを失った梢(こずえ)の先に日の光が輝いていた。

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