来週の今日はもう新年の3日 歳月は百代の過客にして行きかう人も又、旅人なり 芭蕉
芭蕉の奥の細道はこの言葉で始まる。漂泊の思い。月日は百代の過客にして行きかう人も又、旅人なり。(月日は永遠に旅をする旅客であり、毎年、新旧交代する年も又旅人である)今からどれくらい前だったろう。車で走った奥の細道。一番印象に残ったのは羽黒山、月山そうして鳥海山の遠景の先に合った象潟。今頃は雪の中だろう。
関西にはまだ雪は無い。近年積雪も珍しくなりこの樹が雪に覆われる事も無い。この木何の木気になる樹。
名前を覚えたのに忘れた。最近物忘れが酷い。元々、ど忘れが多く大事な事も思い出せなかったから気にもしていなかったが、間違いなく健忘(けんぼう)症。
歳を重ねなくても若年性認知症も有るから気を付けないと。でも歳を重ねる事はそういう事かも知れない。
親父には関係ないと思っても、そうは行かない。行きかう人も又旅人。出会いと別れを繰り返しながら、生きて行くのだろう。
今年の出会いを噛みしめながら、新たなる旅が又始まる。今、鉄道全路線の週刊誌が25まで行く。あと25.
柊(ひいらぎ)南天と竹の笹。これだけアップされると異様に映る。笹の葉をかき分けながら仕事をした日々は短かったけれど、地方の山で地質の調査をする仕事も、少なくなったろう。
測量の仕事で飯を食って居た人達は今、公共事業で無い仕事で生きているのだろうか?地方の道路整備の役割は終わったと言われても無理だろう。
ダムも基地も飛行場も無くす訳には行かない。それで飯を食って生活が成りなっている人の生き方も問われている。
柊(ひいらぎ)南天。この樹は綺麗に見えるが、取り扱いは全く難儀。棘があり刺さると痛い。
家の玄関に植えるのも分かる。魔除けとも言われるが本当は人避けだろう。観賞用。その証拠に野山には繁殖しない。
今年もあと僅か。親父の今年の生き方もこの樹の様だった気がする。自分で言うのもなんだが、言葉の端々に棘がある。話に柔らかさと思いやりが無い。
上から目線とも言われたが、ホント何様だと思っているのだろう。本人は自覚していないが、余程の人で無いと扱いは難しい。
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