穏やかな一日、寒気が去って暖かな一日
3連休の最終日。親父は今月の初めと同様もう一日休み。今月の初めは掛川に行って来たが今日は近場で過ごす。本当は京都高尾か洛北三千院と思ったが、多くの人出を思うと思い留まる。同じ市内なら空いているだろうと思いきや、甘かった。近くのバス停ターミナル。不覚にも乗り場が分からず運転手に聞く。ところが目的のバス乗り場に行列。しかもバス会社の案内も無い。混雑が予想されても案内の人を出すサービスも出来なくなっている。
停車のバスは誰も乗らない。行き先が違う。案内の窓はシャッターを閉めたまま。誰も居ない。
満員バスに揺られて10分。後ろのオバはんがカニの料理宿が値段の割に如何だったこうだったとじゃかましい。バス停の案内も聞けず後ろのおばばが寄り掛かる。後ろを見ても頭も下げない。オイオイオイ。でも目的の寺は街中を抜けると遠くは無かった。ここが入口。
久安寺本堂。お参りは初めて。最初にこのお寺の前をレンターカーで通ったのは26の時。あの時はこの大きな寺の事を何も知らず、目的地の天橋立に到着できない事も知る術も無かった。この前の道は能勢街道。京都亀岡に抜ける。あれから39年。道路は改修されているがこの前だけは谷が迫り道幅は当時のまま。交通事故も後を絶たない。
本堂の裏の庭。池と庭園。背景に杉の青さが心を休める。しばし心を休める。
本堂横の回廊。右奥でお茶会。左に乱雑に脱ぎ捨てられている履き物が人の心を映してる
ふと下を見ると、池の水が本堂を巡らしている。その流れ出る水面に泡も紋様を成している。暫しの静寂。昔の人もこの紋様に何かを思ったのだろうか?それは無いかも?
ひなげしの花?ひなげしの白い花も紅葉の燃え上がる色とは正反対に何かを主張している。(調べて見ると白菊かも?)
本堂から庭に下りると庭園を巡る細い道がある。心優しい先代からの想いを感じる。なかなかこれ程に細い道をゆっくりと何の束縛も無く解放している寺も少ない。当然ゴミ一つない。
水が流れている。実際は風景が暗く画像が心配されたのに何故か艶めかしい。何故だろう
ツバキ科の花。親父も勘違いしていた。小道の仕切りになっている。杉の幹の先に紅葉の木が見える。 サザンカ?
下の池の廻りには多くの声が響いているがここ迄で来ると行きかう人も疎ら(まばら)
秋が行き冬が来る。この花の上に雪が重なる時も遠くない。その景色を見に来る変わり者は居るのかな?
もうすぐ冬が来る。雪の白さに負けない風景だけど後、一月もすると、銀世界になる?大丈夫。また来てね。来れるかな?
来るとしたら来年の春かな?初夏かな?緑の燃え上がる時も元気を貰えるからなあ。そんな贅沢言わんといて下さい。
この境内に四国八十八か所のミニコースがある。南無大師遍照金剛。87番。
四国の本コースを歩き通すには一人では無理だろう。二人でも分割しないと無理だろう。それ程に難コース。修行の道。
人の生きる道はそれぞれ。それでも求道の道は親父を待っているのだろうか?
しだれ紅葉?クライマックスの時が輝いている。ここから急な石段を降りる。
入口の池。中に在る石の上で小さい弘法大師が見送って呉れる。又、来なはれ。
寺の空は青くカエデの葉は紅く、白壁は一段と白く眩しく陽の光を跳ね返していた。帰りのバスは空いていた。初めてこの前を通った時、老いたけて再びの時が来るとは思いもよらず、それでも何の思いも無かった。この抜けるような空の様に淡淡としていた。願わくば白壁の上に黄色の柿が数個あれば、最高だったかもしれない。
これから追い求めて手にして下さい。でも何事も思いどうりには行かない。そう考えるとこれから手に出来る物は知れているだろう。それでも老いたけて想いを適うまでは燃え上がる想いを絶やしてはならない。
これから寒くなる。天気予報は皮肉にも寒さが一段落と伝えているが、昨日近くのスーパーでクリスマスソングを耳にする。いくらなんでもそれは早いだろうと思うが、世間はそうでもないらしい。親父も昨日、棒鱈(たら)を口にする。もうすぐお正月。
いくらなんでもそれは早いだろう。冬が来る前にやるべき事をやりましょう。親父はこの冬も元気で我が道を踏みしめるだけです。今、足挙げをしていますが肩まで上がらない。せめて胴廻りを凹ませてお尻を上げましょう。お粗末でした。
明日はもう一日休み。明日は京都に行くか?京都も昔は住んでいたのである意味自分の庭。京都市上京区烏丸相国寺西門前町。間借りの時は今から38年前。元気だった人も老いの時を迎えて今も達者だろうか?
全国高校駅伝の時、ちらりと写っていたお店は今も繁盛しているだろうか?今なら行けるけれど語る言葉は無い。あの時から長い歳月が流れたけれど鴨の水の流れと何も変わらない気がする。全ては夢幻(ゆめまぼろし)。明日は気の効いた手土産を持って行くか?
最後に訪ねたのは今から11年前、大阪に戻ってから間もない頃だった。失意の頃だったので立ち寄る事も無い寂しい時だった。あれから11年。良く利用した市電(今は地下鉄)の停留所前の食堂と親父の帰りを待っていてくれた八百屋さん。主人もお店も今は昔の話だろう。
これで最後と思えば、結婚前にぶらぶらした御所の庭も子供達が幼い夏の時泊ったホテルも一見の価値があるだろう。烏丸丸太町から烏丸中学の道、久しぶりに歩いて見るか?下宿の叔母さん、幾つになっただろう?生きているだろうか?
京都に済んだのは24から28の時。4年間の時は試練の時でもあった。仕事と生活と青春の思いで揺れていた。政治も経済も人々の生活も発展途上だった。今この国は経済の先行きに揺れているが、あの当時もアメリカに痛みつけられていた、日米貿易摩擦。
日米安保、日米同盟の政治体制とは裏腹の経済摩擦。政治家の政治力の無さが経済の摩擦を跳ね返す事が出来なかった。今、政権交代で当時の政治密約が問題になっているがこの国の一番の弱さは、政治家に在るのかもしれない。
本当に沖縄の基地の問題を考えるなら、それくらいの決意があるのだろか?そうは思えない。出来もしない事を尤もらしく語る過ちは繰り返してはならない。その為の政権交代で在るとはどれだけの人が自覚しているのだろう?
期待が不信に変わり政治不信の時は長かったが教訓が生きないのは何故だろう?江戸時代の身分制度を300年の長きに亘り、武士が刀で農民、商人、職人を抑えつけたこの国の伝統と文化は、今でも脈々と流れているのだろう。明治維新、大正デモクラシー、昭和の軍国主義とその崩壊。焼け野が原からの不死鳥の復活。そしてもはや戦後ではないと言われた経済復興。バブル経済。失われた10年。そして今日。
外人からエコノミックアニマル、住宅はウサギ小屋と揶揄(やゆ)されても返す言葉も無くうなだれていた時と何も変わらないのかもしれない。それでもこの国が経済大国ゆえに多くの経済支援を外国にしても、大した評価もされていない。その程度の国になっている。
明日はそんなお間抜けな事は忘れて、梅田から特急のロマンスシートに並んで座って行くか?アホ。JRの快速で懐かしい風景を見ながら行くか?明日は明日の風が吹くといっても今迄とは違う。それが年を重ねると言う事だろう。
当たり前の話だが歳を重ねても眼にする物に老いは無い。風景もそうかもしれない。変わる物、変わらない物。その境目に在る物は歳月かもしれない。どんなに多くの想いを重ねて見た処で去りし日は戻らず、明日の事も来るまでは分からない。
ならば淡淡と行くしかないのだろう。大きな涙と掻き毟られる(むしられる)思いを水に流せた時、本当の自分が見えるのだろう。明日はそんな思いを実証して見るか?其れも又、在りかもしれない。そうして親父の4連休も終わる。
夕食は夕方お気に入りのインスタントラーメンを食っていたので、遅くなる。余り食欲も無くそれでも久しぶりに鍋にする。本当は土鍋が良いのだけれど適当な物が無く、ありふれたアルマイトの鍋になる。それでも味は悪くない。思い切りシイタケと四分の一の白菜。
白采に瑞々しさは無く捨てる寸前の野菜にも、親父の口を満足させる旨味は残っていた。シイタケもクヌギの木で手塩を掛けて作られた物では無くても、肉厚はあった。プラスしたのは豆腐と水餃子。ポン酢は何にするか迷うが高い物は手が出ず安物で手を打つ。
それで充分だった。今迄は独り暮らしと健康管理を口実に結構無駄な食事をしていた。これからは切り詰めた贅沢をしなければならない。簡単に言えばメリハリ。何時も無駄な事をしていてはこれからは生きていけない。
日本経済も企業も政府も地方行政も同じだろう。これからは否応無しにその事が問われる。否、既に民間企業ではコストカットと言う言葉で必要経費まで、手が付けられている。それに比べてお役人と政治家のこの感覚は何だろう?手をこまねくだけでなく、尤もらしい口実を言い訳にして問題の先送り。
その事がこれから許されなくなるだろう。税収が減り支出が増える。間違いなく来年の国の財政は破たんする。新政権の財務担当大臣はお間抜けな事を言っているが、景気対策のお金は何処にもない。郵貯銀行の預貯金があるとどんな顔をして言えるのだろう。
お間抜けなエコノミスト迄も日銀に民間企業の赤字を穴埋めが必要と言う。景気対策の為なら何でも有りか?日航と同じ轍を不況対策の為にやろうとしても無理に決まっている。それにしてもこの政権、前政権と何も変わらないかもしれない。
内閣官房機密費の公表を一年間掛けて検討する?アホカ。何の為に政権を担うのか?国民の期待に答える?何たる発言。馬鹿にするのもいい加減にしろ。公表できないお金は闇の資金。それくらいの事が処理できなければ前政権の様にレッドカードを突きつけられる時は遠くない。
多くの事を語る前に人としてどう生きるかを考えたあの青春の時は、ある意味無駄だった気もする。もう少し人の為では無く、自分の為にどう生きるかを考えていたら違った道も在っただろうか?そんな馬鹿なほろ苦い青春の時が再びの時を、二度と息を吹き返す事は無い。
願わくばあの頃の良き思いだけを心に置いて、これからの短い老い先を生きて行きたいそれ程の物でもないだろう?秋が行き冬が来る銀杏は手品師老いたピエロ。失意の晩年を過ごしたフランク永井も、実際は優しい姉に見守られながらゆったりとした初秋だったに違いない。明日は御所の庭でそんな事を考えているかもしれない。合掌
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