掛川のまとめ
掛川駅前のくれたけインに泊る。ビジネスマンの利用が多いとか。宿伯料金が4350円ではお得かも。それでも狭い。寝るだけならバストイレ付朝食付きなら文句は無いか。隣のレンターカーも3時間3500円もお得。唯今回は免許証を持参せず利用出来ず。残念。
1日目は着いたのが夕方。夕飯は唯一人の友と飯を食う。多くの思い出を語る。井戸を掘る人、水を汲む人、水を得る人、そして昔を語る人。会社を興した会長は草葉の陰で何を見ているだろう。30年ひと昔では無く大昔?それは無い。
2日目も良い天気。全国的には寒波到来。足がなく自分の足で着替えのかばんを背負い、保健センターを目指す。14年振りのお庭踏み石を目指す。国一とバイパスの間、生涯学習センターの先にあった。天気は良くそれでも温度は低く昨日ほど汗はかかず。
掛川城の門番。今で言う守衛。全国でもこれ程の物は残っていない。それでも今は余り見向きもされない。時代の流れか。昔はどんな会話をしていたのだろう?ごめんやす、アホカ
鬼は外では無くお庭踏み石、これ位ならどうにか歩ける。この先に行くと悲鳴が上がる。素人は左の芝生にリタイア。
石の表面は綺麗だから今でも歩いているのだろう。年寄りは。はっはっは。それでも年寄りを馬鹿にしていると、形勢逆転するかも。
暫く靴下のまま歩く。本当は素足が良いが久々だしそのまま歩く。慣れてから靴下を脱ぐ。慣れるとどうにか歩ける。
そして一休みの時、足裏を見て愕然とする。白い粉が吹いている。干し柿ならともかく、オー、マイ、ゴッド。
どうだ、歩けるか?歩けないだろう。何もそこまでする事は無い?歩いてみなはれ。これは快感。達成感。優越感。
歩いて見ると現代人の足の裏の弱さを痛感する。人間の足の裏には多くのツボがある。ツボってなあにと平然と言われても、その重要度を知る人は少ない
現代人は多くの病を抱える。病気にならなければ病人では無いと思うかもしれないが、多くの内臓疾患を抱えている事を知らなければならない。
それでも足の裏を良く見て見なはれ。俺は私は健康と言える人は1人もいない。ああ、無情です。
これはハリセンボンです。足の裏に突き刺さる。それでも柔らかい足の裏は悲鳴を上げても破れる事は無い。
人間の肉体の見えざる力。生命力。考えても見たまえ。内臓と背骨、筋肉、神経。健康で当たり前と思ってもそうではない事にこの上に立てば、良く分かる
14年前の石とは違う。それでも一つとして欠けていない。1つでも欠けるとこの庭は機能しない。そう考えて見るとこの石の管理凄いと思う。
この足踏みコースの中にある樹。デカイダチョウの足か恐竜の足にも見える。根元の突き出しも石ではない。樹の根っこ
親父も上から目線と批判されても後どれ位生きれるだろう?その事をこの樹は教えて呉れている。10年?20年?30年オイオイそれは厚かましい。
20年が関の山だろう。20年どう生きるか?その事をこの根っこは暗示している。なんか不気味。それ程に不確実。
それでも左に突き出している拳は何かを語りかけている。握りこぶしが何故か不自然の形をしている。
人の生き方は所詮そんな物だろう。巧くは行かない。拙速を旨とすれば後悔は無い。そう語り掛けていた。
街中に戻ると秋の商工祭。周辺地域から多くの人集まり、イベントの開催。これも一つの収穫祭。田舎は貧しくは無い
地域の人の繋がりが薄くなっても地方はこうして楽しんでいる。そうして遠州の空っ風の時も近い。
ここは旧東海道。画像では急坂が分からないが、この道は親父が居た頃は途中までしか車で走れなかった。
この坂の上に車止めがあり、道が急で窪みがあった。その道を整備してこの旧道も地元の人の足を確保したのだろう
親父はこの道を歩いていた。参勤交代の時代、この道は箱根の道と並びの難所だった。その面影は今は無い。
小夜の中山も今は知る人も少ない。
としたけて、又こゆべきと思いきや、命なりけり、小夜の中山 西行
親父が居た頃、工事中のバイパスは完成していた。今はその道も無料となり国道1号は殆ど車が走っていない。
今回の旅で何としても来たかった道。しかし車が無ければ足は無い。流石にここまで歩くには遠過ぎて、タクシーを使う
往復で5000円と言われたが駅前から8000円。でもそれだけの値打ちは在った。掛川で英会話を習ったマルさんのお店も分かる。
茶畑の向こうに甲斐の山が見えるとか。親父にはどれがそうなのか分からない。それでも昔の句に詠まれている。
静岡らしい風景。この景色には多くの思いがある。多くの先人が見た風景。そして多くの思いを重ねた処。
今度見る時は幾つになっているだろう。どんな思いで眺める事が出来るだろう。その時、どんな顔をしているだろう?
本当はこの景色の左側にもっと静岡らしい風景がある。天気の良い時には富士山が見える。粟ヶ岳。その道も狭い。
兄貴を走らせた道。今、その罰が当っている。勝手に生きた時。それでも懸命に生きた時に悔いはない。
としたけて、又こゆべきと思いきや、命なりけり、小夜の中山。涙も哀しみも遠くの山の稜線に消えていた。
体が一番。元気でいれば又来れる。次は必ず心の大きな人と一緒に来る。親父の了見の狭さを包める人は、居るのだろうか?居る訳が無い。お前が変われ。青空の向こうで誰かが叫んでいた。
そう、人に何かを求めるな。求める事を人に為せ。どんなに優しい人でも心の中までは分からない。
新幹線のホームで誰かが見送っていた。大阪まで2時間。浜松でひかりに乗り換え。便利になったもんだ。野次さん喜多さんが旅した時と今は大きく変わっても人の思いは変わらない。
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