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2009年11月16日 (月)

逆境が招く新技術 親父の新たな生き方はなあに?

今日はお休み。今月は10日の仕事。年金生活者と言えども稼働日が少ないとこれからの生き方が問われる。難しい話をすれば(難しくは無いのだけれど)自己中の生活で皆が精一杯。なんだかんだ尤もらしい事を言いながら、人の生活を思いやる余裕すら無い。

もう少し難しい話をすれば(聞きたくない話だが)、この国の経済行動が大きな変化を遂げている。多くの人が自分の暮らしは中流と感じていた20年位前から、最近は底流と変化している。下流では無い底流。ものは言い様。セクハラと言いながら本当のセクハラとは何か知らないお馬鹿と同じかもしれない。今やこの国の国民の三分の二が低所得と言われる。

その実感が無いのは何故だろう?それともその言葉が間違いなのだろうか?この国は1945年の敗戦で全てを失う。今から64年前。今生きている多くの人が生まれていない。その頃も当然知らない。国破れて山河あり。多くの犠牲を払い戦いの無い時代を手にした。

先人が廃墟の中から手にしたものは生き延びる事だったのだろう。その為にはそれまでの価値観、人生観、道徳観すら180度変えるしかなかった。その事も知る人は無くなり今、尤もらしく生きている人に教える事も無い。その為だろう、何たる傍若無人。そんな生き方しか出来なくても咎められる事も無く、注意をすると反対に食ってかかられる。傍若無人。この言葉も死語となる。

(傍若無人(ぼうじゃくぶじん) 中国の史記によれば傍ら(かたわら)に人が無きかの如くの振る舞い。なんのこっちゃ。人前を気にせず勝手な振る舞い。他人を無視して自分の思うがままの行動、態度、言葉使い。解説されると分かるが自分が当事者だとは親父も他人事ではない。)

アメリカで造られた価値観、ラストサムライの社会は今、この国には無い。明治維新で鎖国、封建、身分制度、武家社会が否定され文明開化の社会になっても、下々の生活が大差なかったように今日でもその流れに変化は無いのだろう。上流では無く中流の時も過ぎ、これからは底流の生活が多くの人の生活の基盤となる事に目を向けなければならない。中断。

お昼は近くの総菜店でお魚のお弁当。おかずに肉もあるが魚限定。今日はしゃけと貝柱のフライ。休日で家に入る時は前はパンを焼いていたが、今はこのペースが定番。仕事の時も帰りは近くのスーパーで買い物だが、このお店で総菜と魚のフライを手にする事もある。

今日のAM11.00の経済ニュースでこのブログのタイトル、逆境が招く新技術の紹介の中に興味を引く物があった。今から10年位前に言われた超電導の技術。あれから技術とコストの問題で実現には程遠いと思われた事が、今はそれも時間の問題で技術の進歩は目覚ましいと言われていた。親父は超電導と言われててもリニア、モーターカーしか知らない。

初めて聞いた言葉は、二酸化炭素からプラスチックが出来る研究が、研究室のレベルから実用化?のレベルになるのだろうか?反対は分かるがその逆はどんな技術だろう。日本の研究室の実験が中国で研究が続き、日本の産総研(昔の工業試験場?)でも見直されている?今迄の技術とコストでは実現不可能な事もこれからは変わるのだろうか?

変わらないのは無知と感覚、変化の対応におくれる固定観念と人間の価値観かもしれない。これからは収入の伸びが難しく高い物が売れなくなる?そうだろうか?そうは思わない。安い物しか買えない層と高くても自己満足させて呉れれば安物は買わない。二極に分かれる。テレビが伝えている安売りの商品が全てで在る根拠は何処にも無い。

テレビが伝える一部分のみで全体を語る事は無い。昨日のブログで今年は紅葉も見れないのかと嘆いたが、京都嵯峨野のそれはこれから始まる。来週の秋分の日でも遅くないだろう。常寂光寺、柿落寺?の紅葉を昨夜偶然見る。平安の昔から都人、風流をめでた人の思いを久しぶりに会えるかもしれない。

これから庄内の靴屋に行き仕事で履く靴を買ってきます。ホントは高い良い靴を買いたいのだが親父も低所得者。安いそれでも履き良い靴を買ってきます。今、国内の靴生産者の技術は中国の安いウレタンの靴に席巻されている。親父の様なメタボな体重を支えきれずに靴底がすぐ凹む。その靴を靴修理の親父に見せたらせせら笑われる。

中敷を変えなはれ。それでも靴の底が凹めば用を為さない。安物買いの銭失いとは正にこの事だろう。それでも背に腹は替えられない。安物で我慢するしかないのだろう。足はこれからの健康を支える大事な武器。それを手放した時哀れな末路しかない。合掌。

Img_1046

左の親指がしびれる事に仕事中気づいた時、愕然とする。大袈裟すぎると感じるかもしれないが足でも手でも指がしびれた時は気をつけた方が良い。決して大袈裟ではない。親父の場合は靴が原因。何で?靴底が凹んでいる。何でだろう?靴を変えてもすぐ左が凹む。

体の重心が左に掛かりそれで一番ウエイトの掛る親指部分が凹むのだろう。こんな単純な事に気づいた時それでも中国製のウレタンの所為にしていた。確かにコルクの靴底では無いけれど何であんただけ、何で左だけ。その事に気が付くのが遅い。

昔の旅人が草鞋ばきだったのは足の健康、足の疲れを出来るだけ軽くする知恵だったのだろう。流石の親父でも大阪で先輩の家に行った時、下駄で入ったが草鞋は無い。げー下駄。あの時は18の秋。大阪に来て最初の秋。先輩はお古のブレザーを売り込む。無論、買う。

写真は久しぶりの庄内。駅のホームは工事中。親父が18の夏から住んだ時と大差ないが少しずつ変わっている。今はホームのリニューアルとエレベーターの工事中とか。良く分からない。今日の目的は靴。行きつけの店は好きなだけ靴が履けるから良い。店員も声を掛けなければ寄って来ない。親父の足は幅広で甲高だから中々合う靴が無い。

今回も時間を掛けてお気に入りを探す。久しぶりに両足靴下だけになり履き心地を確かめる。仕事靴だから黒で探すが足に合わない。違うだろう。足が合わない。予算も合わない。結局本革のウレタンソール。履き心地は良いが一時もしないうちに凹むかも。仕方が無い。

これでも駄目なら手作りのコルク底の靴にするしかない。最低3万位は必要かも。靴だけでなく本当に良い物は4,5千円では手には出来ない。これは靴だけではないだろう。その事が分からなければこれから先の暮らしも見えてこない。

Img_1047 帰りにホームに入ってくる電車を撮る。シャッターがうまく切れずに先頭部分がぶれているが停車前だから仕方が無いか。親父が住んでいた頃はホームの先が出口だった。今はホームのセンターで地下に下りそれから階段で外に出る。お土産のたこ焼きは暖かだった。

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